こうのとりちゃんを待つ日々・・・ななの不妊治療NOTE

39歳、結婚9年目。子宮内膜ポリープ切除2回、稽留流産を経て体外受精3回目で妊娠継続中です。双子であることが判明!

里親説明会

2009-09-25 | 不妊
数年前から心の片隅にあった「里親制度」



区の広報で今月説明会があるのを知って、今度こそ参加してみようと思っていました。



でもどうにも勇気が必要で・・・ようやく前日になり電話をし、出席する旨を伝え参加することができました。



場所は、私が住んでいる地域担当の児童相談所の会議室。


出席者は13~14組くらいだったかな。


夫婦が2組。他はほとんど奥さんだけでした。1人年配の男性がいてこの人は?って感じでしたが・・・。


年齢層は私と同じくらいか少し上?40代くらいが多かったと思います。


クリニックの待合室より多少平均年齢が高いくらい(謎のおじさん以外)


説明会は90分で、まず初めに児童相談所の係の人が配布されたパンフレットに沿って順番に説明していきます。


「里親制度とは」「いろいろな里親の形があります」「里親になるためには(要件)」「里親になるまで(申請手順など)」「市の支援について」などなど。


里親の形は大きく分けて4つ。

 ①養育里親・・・18歳まで預かって養育する
 ②専門里親・・・虐待を受けたり、障害のある子を預かる専門的な里親
 ③縁組里親・・・養子縁組をして養育する
 ④親族里親・・・両親等がいない場合に三親等以内の親族が養育する

 他に、ボランティアの形で短期間(お正月や夏休みなど)家庭的な雰囲気を味わってもらうためにホームステイのような形で預かる制度もある。
 

もし我が家で本当に里親になるとしたら・・・①の養育里親だと思います。


それかもし里親に踏み切れなかったら・・・ボランティアで短期のステイかな・・・と思いながら聴いていました。




里親になるための要件は、7つほどありますがたぶん我が家はクリアできるだろうと思われます。



ただ年齢の問題はやはり気にかかるところで・・・。


特に里親になれるのは何歳までと夫婦の年齢を区切ってはいないそうですが、気力・体力・財力を考慮すると、預かる子どもの年齢との差が40歳くらいまでがギリギリと考えているようです。


・・・ということは我が家はダンナちゃんが来年40歳になるので、0歳の子を預かるのはもうギリギリということになります。


このまま年をとるごとに大きい子しか預かれなくなる、ということですね。


私はできれば0~2歳の子がいいなと秘かに思っていたのでちょっと焦りを感じました。


申請手続きの話もとても段階がたくさんあって、全部終えて晴れて里親として登録できるまでに1年くらい要するようです。


里親になりたいという夫婦をまずいろんな形で審査や面接や家庭訪問もあるし、研修も受けなければならないし。


慎重すぎるくらいに思えますが必要なことだと思います。


1人の子どもの人生を預けることになるんですからね。




その後、休憩をはさみ、今現在里親をやっている方のお話を伺いました。


その方は自分の子が2人いるにもかかわらず、今4人の里子を受け入れて子どもが6人の大家族をやっているということでした。


どんだけ大変なんだろう~?と思いましたが・・・。


でもすっごく楽しそうでした。


たまたま聞いた話が実の子どもと里子と両方いる家庭だったので、それならうまくやれそう!とかちょっと思いましたが、実の子どもがいなくて里子だけの家庭の話も聞いてみたかったですね。


今日の方のように、全部をオープンにして、うちは里親やってま~す!大家族っていいですよ~!と学校や近所に話を通した方がスムーズに事が運ぶってなんとなくわかる気がするんですよね。


里子自身も、周りも皆がそれを普通と受け止めてくれるような環境を作りたいと思えば。


でも、もしうちが・・・って考えた場合は、もっと難しいでしょうね。


自分の子が学校とか通った後だったら、もう先生とか地域とかとつながりがすでにできているわけで、そこに今度「里子を預かったのでよろしくね~」って感じでね。


な~んてすっかり自分が里親になるつもりで話を聴いてまいりました。


行く前は悩んだけど、とりあえず説明会は行ってみて良かったと思います。


説明会に参加したというだけでは、特に児童相談所から連絡が来ることもないようですし。


もし、本当にやってみたいと思ったら個人的にまた連絡して、夫婦でまた足を運ぶところからスタートするそうです。






自分が40歳くらいまでは治療は続けようと思っていますが、その後の人生、こんな道もあるんだなぁと楽しいイメージが少しできました。


夫婦2人で働きながら楽しく生きる道もあるし、希望すれば4人まで里子を預かれて子育てに残りの人生をかけるような大家族をも実現する道もあるし。


まだまだきっと自分が思うよりたくさん「道」ってあるんですよね






1ヶ月ぶりのクリニック

2009-09-14 | 不妊
今日は周期14日目。


本当は13日目って言われてたけど、昨日は出かける用事があったし~日曜日はとっても混んでるのを知ってるし~ってことで今日、仕事が終わってから午後1番で行ってきました。


意外にも空いていて1時間半くらいで全てが終了。


かなり早い方だった。


もう決まり切った手順だからこっちもさくさくっと動けるし。


卵ちゃんは15ミリくらい。1個。


明日の夜、スプレキュア3回して、明後日からプラノバールを1日1錠、12日間服用。


飲み終わったら3~4日でリセットするので今度は周期3日目に受診するようにとのこと。


いよいよ10月から治療再開だわ~。


このクリニックに転院してから早1年。


でもまだ体外3回目なんだよね。


昨年は9月に説明会を聞いて、その後の初診でポリープを指摘され、翌月手術。


調整を2周期経て、12月に初めての採卵&移植。


陰性に終わり、バレエの発表会もあったので思い切って2周期お休みし、3月に2度目の採卵&移植。


めでたく陽性が出たものの約1ヶ月後の4月末に稽留流産。


そしてあっという間に約半年。


ものすごい速さで時間が経過して行ってる。


年齢を考えれば1ヶ月の猶予もない気持ちになるけど、でも身体のことを思ったらこのくらいゆったりしたペースもいいのかな・・・なんて今日やっと思えた。


前回の陽性も2ヶ月休んだ後だったし、何より信頼する先生にお任せしようと決めたんだから。


ここを最後の頼みの綱にしようと決めたし、できるだけ身体に負担にならないようにと考えてくれる考え方にも同意したんだし、注射嫌いの私にとっては本当にありがたいし。


まな板の上のコイだよね









な~んて今日はちょっと達観したようなコト、書いちゃってるけどぉ~


昨日はね、また凹みました


だってね、友達とランチしてたらメールが来たの。


ダンナちゃんからだと思ったけど一応チラッと画面に目を走らせたら


タイトル「生まれました」


・・・・・っへ?何が?


来たよ、来たよ・・・こんな無防備な瞬間に。


私の1番理解に苦しむメールです。


「今朝○時○分に○○○○グラムの2人めの女の子が産まれました


名前はまだ決まっていませ~ん


ってやつ・・・。これだけ。


相手に悪気がないのは百も承知です。


でもね、でもね、言わせて!


いきなり「生まれました」はないでしょう?


妊娠したことも知らされてませんよ~。


年賀状のやり取りしかしてないよね~、ここ数年。


私が子どもできなくて、って話何度もしてるよね~。


結婚したのが近い時期だったから「どうして子ども出来ないんだろうね~」って一緒に悩んだよね~?


私が紹介したクリニックに行ったよね?(結局1人目はタイミングでできたって言ってたけど)


友達や知人に一斉にメールしたんだよね、きっと。


そのリストに私も入れてくれて、何の気なしに一緒に送信したんだよね。


わかるよ、わかる。


出産後まだ数時間だもん、いろいろ考える余裕なんてなかったんだよね。


でも、名前を選んで宛名に入れていく時に「あ、ななちゃんはどうしよっかな?」ってちょっとでも気にしてくれてのかな?


変に気を遣うより、みんなと同じにした方がいいよねって思ってくれたのかな?


でもそしたらね、私はみんなに送るメールに、ちょっと言葉をつけたしてほしかったなって思うの。


例えばね「お久しぶり、元気?実は今日、2番目の子が産まれました。ななに言うのはどうかと迷ったけど、一緒に悩んだ仲だし伝えるね・・・・」「ななにも早く赤ちゃんが授かることを祈ってるね・・・・」とかなんとかさ。


そしたらもうちょっと返事のしようもあると思うんだ。


私も気持ちを込めた返信ができる・・・かもしれない。


だけどいきなり「生まれました」じゃさ、あんまりじゃない?


妊娠したことも知ってて、出産予定日も知ってて、つわりが大変だったとか逆子で大変だったとか、1番目の子とのもあって大変だったとか、少しでも途中経過を知っていれば、私も親身になって「生まれました」のメールを待てたと思う。


そして「生まれました」ってメールが来たら「良かったね!おめでとう!」って素直に言えた・・・喜べた・・・と思うんだ。


流産の後、他の友達から来たメールには結局返信しないままだったけど、今回は考えて考えた末に返信してみました。





「おめでとう。良かったね

○○も△△も2人ずつの子宝に恵まれて

3人で悩んだこともあったけど、本当の不妊は私だけだったね

私はもうそろそろ年齢もお金も限界かなぁ







これに対しての返信はありません。(そりゃそうか)


私は精一杯書いたつもりだったけど・・・これって厳しかったかな?


嫌味だったかな?


流産したって書かなかっただけマシだった?なんて思ってるけど。


やっぱり私ってひどいかな?


あぁ~どんどんいやな人間になっていってる・・・とも思うけど、でもこれも本当の私。仕方がない。


いい人になれない。


こんな自分を「仕方がない」と受け入れようと思う。

















太った?

2009-09-07 | 不妊
最近、ちょっとお腹周りが気になっていました。


もしかして、太った?


でも割と今までそう思って体重を計ってもたいして変わらなかったのだけど・・・


昨夜、仰天です


2~3kg増えてました・・・


こんなに増えたのは初めてです。


ちょっと動揺・・・


プ、プラノバールって太るんだっけ?


そのせいにしていいかな?


他に思い当たることは・・・


ある、ある。


流産後、何となく体を動かさなくなったし~


バレエも以前より回数減らしてるし~


夏は暑かったから家事もおろそかにして、暇さえあれば本を読んで過ごしてた


これだよね~。


これからさらに食べ物のおいしい季節を迎え、子どももできないまま太り続けていったらどうしよう・・・???


う~ん、何とか対策を考えなければ







いろいろ考え中です

2009-09-02 | 不妊
本当に早いものでもう9月ですね


昨日リセットしました。


13日目に受診するように言われていますが、13日は予定があるから14日に行こうかと思っています。


血液検査と卵の様子を見て、プラノバールを処方されるだけだから、1日くらいずれてもたいしたことないだろうって勝手に判断します





さて、母との件についてはきっと皆さんにご心配おかけしているのだろうな~と思いながら、特に進展もせず、続きを書けないでいました。


あれから一度も直接話していないし、メールで必要な用件はやりとりしています。


な~んとなく気まずいまんま、自然消滅的にきっといつもどおりに戻って行くのでしょう。


たぶん、母はこういう性格なのだからこれで60年以上生きてしまったのだからもう変えられないと私が思うしかないのでしょう。


仕方がないですね。











それとは別に、今、また考え始めていることがあります。


うまく言えないけれど、自分の今後の生き方というか方向性というか。


今までとりあえず40歳までは治療して、あとは自然に任せて・・・。


という感じでした。


で、治療を辞めたら資格を活かした仕事を探そう、第2の人生を踏み出そう!とも思っていました。


大学を卒業して10年会社に勤めて辞めた時は、別にもう働かなくてもいいやって思っていました。


仕事が生きがいとは到底思えなかったし。


でも、こうしてバイトをしながらぼちぼちいろんなことをする時間を5年くらい続けていて思うのは、こういうのも悪くないけれど1つの仕事を持ってそれが楽しい、生きがいだって思える仕事をしていくのも悪くないかもって。


子どもを育てながらだったり、お金のためだけにする仕事だったりじゃなくて、本当に心からその仕事をしたいと思えて時間をたっぷりつぎこめるような一生涯続けられるようなこと。


ある意味、仕事が趣味って言えるような。


そんなイメージを持つようになりました。


その時に、じゃあどんな仕事って考えたら2つ浮かびました。


まず1つは不妊カウンセラー。


私は「産業」と「キャリア」という主に働く人相手のカウンセラーの資格はありますが、「不妊」は持っていません。


でも、私が1番辛さを知っているのは「不妊」かもなって思います。


残念ながらもう8年近く「不妊」という言葉、環境から逃れられないでいます。


人生で8年って長いですよね。


ただ1つ心配なのは、自分はもう子どもをあきらめられたと思っていても、その後ずっとクライエントさんの話を聴き続けることによって、また苦しさが蘇ってくるのでは・・・?ということ。


十分予測できますよね。


そしてもう1つ、将来について考えた時に浮かんだのは「親のいない子どもたちに関わる仕事」です。


昨日もしばらくPCの前でいろいろ検索しながら見ていましたが、今、虐待や離婚やいろんなことで親と一緒に暮らせない子がものすごく増えています。


どこの施設も満杯状態で、とても大変な状況のようです。


仕事の内容・種類まではまだはっきりと自分の中に浮かびませんが、施設の職員として働く、カウンセラーとして子どもの話を聴くことに関わる、ボランティアで子どもと遊ぶことに関わる、里親として関わる等など、いろいろな関わり方はあると思います。


とても大変な仕事で、半端な気持ちではできないことだろうと思います。


でも、今、やってみたいという気持ちは少し芽生えてきています。


もしかしたら今月末の地域の児童相談所の里親説明会にいってみようかとも思っています。


少しでも現状がわかるかもしれないと思って。










4月の流産から4ヶ月が過ぎ、やっと少し「何かしようかな」という気持ちが出てきたのかもしれません。


治療を今、止める気はないし、もちろん赤ちゃんが欲しいという気持ちは変わりません。


ただ、目の前の直近の目標だけを見つめ続けることに疲れてきてしまったのかもしれません。


以前、どなたかがブログに書いていらっしゃいましたが、不妊治療は校庭を何周もさせられるマラソンみたいだって。


確かに本当にそう思います。


一生懸命「あと1周!」と思って走っても、先生に「はい、ダメ。もう一周!」と言われて、また走り出す。


一緒に走り始めた友達は途中でどんどん「はい、OK!」とゴールを抜けていく。


自分だけが取り残されていく感覚。


走り方が悪いのか、体力がないのか、気力が足りないのかと思い悩む。


周りは次第に自分より若い子が増えていき、自分はさらにスピードが出せなくなり途中抜けて一休みする。


でもぐるぐる頑張って走っている人たちを見るとまた焦り始め、自分も走らなければ!走らなければ始まらない!とまた身体に鞭打って走る。


自分にはゴールテープはないかもしれないのに。


あると信じて走る、走る、走る・・・。


途中、先生に呼ばれ、血を抜かれたり、痛い注射をされたり、いろんなことをされて、それでも走らないと時間は過ぎていく。


当然、息切れする。


もうゴールを延ばされるのは嫌になってきます。


自分が「あそこがゴール、そこまであと何メートル」って思ってるのに、どんどんゴールは遠のいていきます。


そしてやっとの思いでゴールテープを切り、あとはじっと休んでお腹で育つのを待つのみ・・・と思ったところで「やっぱり駄目でした。もう1回校庭に戻りなさい」と言われ、また走り出す。


こんなにきつい修業はないよね






だから目の前のゴールじゃなくてもっともっと遠い所に目標を設定したいと思ったんです。


校庭を走り終わった先に、何を目指すか。


ゴールテープが切れなかったとしても、その後は校庭を抜け出して、今度は校庭のような狭い同じ場所を走り続けるんじゃなくて、自分のペースできれいな景色を見ながら行きたい場所に向かって走りたい。


今はそのための練習だと思いたい。


フルマラソン、いやそれ以上の距離を走れるだけの体力&気力を今養っているところなのだと。


この辛い練習がいつかきっと自分の役に立つときが来るのだと、そう思いたい