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暴力が表現手段の不思議

2018-05-14 21:00:00 | 人間としての修業


えっと、こちらの記事コメントのことをネタにした記事を先週書いたのですが、ワタリはすでにコメントで回答を出していたと思っていたので、先週の記事を書いたわけです。

でも、多分コメントをくださった方が想像していたのとは違う展開担っていると思うので、こちらで暴力が表現手段になる件に関して話をしたいと思います。

あ、ちなみにこの記事はかなり急いで描いているので、誤字脱字ご容赦でお願いします。

暴力が表現手段になり得るパターンと言うのは、それしか知らない環境で育った事が原因となる事が多々あります。

これは障害者であろうとなかろうと関係ない刷り込みになり、多くは反論すると暴力かそれに準じるパワーハラスメントで返してきます。

論理には論理で返すのが普通なのですが、論理に論理で返すにしても幼少期からの訓練が必要になります。

この時期に、暴力で返すのが当たり前と思う環境にいると、論理で論理に返す訓練ができず、論理に暴力で返すようになります。

特に、障害者の場合はあえて知性を落として生まれてきていますので、会話を成立さる事ができずイライラした相手から暴力を受けると言うことを多々発生させます。

その結果、論理に暴力で返すことしか学ばなくなり、上級霊魂なのに乱暴者。と言う状態が発生するのです。

ただ、中には乱暴者であることを望んで生まれてきた筋金入りもいます。

筋金入りか生育環境の影響かを調べる際に、ワタリはあえてその相手に冷静な論理戦を展開することをおすすめします。

暴力が表現手段というのが筋金入りだった場合、論理戦に持ち込むとゴングを鳴らしたと判断し、目がキラッと輝きます。

生育環境の影響だった場合は、とりあえず感情論やすり替えに持ち込むので、逃げ口を塞いで塞いで、相手に巻き込まれないようにしていきます。

例えていうのなら、オセロで角を取りまくって勝ちに持ち込むのと同じ。

でも、いかに勝ちに持ち込んだオセロでも、ひっくり返されたらおしまいですよね?

それと同じように、生育環境の影響だった人は暴力という手段に出て何が何でも自分を勝ちにしようとします。

いずれにせよ、乱暴者であるのは悪いことなので、そういう人の末路は程度の差はあれど大反省大会から地獄行きまで幅広くあります。

ワタリは同情したら助けねばならい。と言う高次元界のルールに生きているのでこんな人間には同情もしませんが、いずれにせよ死ななきゃ治らないレベルです。






















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