むすぶ人 ありけるものを みゆかはの 春かぜとのみ 思けるかな
(大意 = 契りを結ぶ人があったので、春には来てくれるものと思っていましたのに……。)
斉宮の女御【さいぐうのにょうご(徽子(きし)女王)、925~985年】の家集の断簡である「小島切(こじまぎれ)」のなかの一つの歌を臨書しました。
※「断簡」とは、きれぎれになった書き物。文書の断片のこと。
また「臨書」とは、書道で手本を見てそのとおりに書くこと。古文などの原本を手本にして同じように書く練習のことを「臨書」と言っています。
この場合は、文書の断片である「小島切」を手本にして臨書したということになります。
作品の出来も画像もいまいちですが、とてもせつない歌で気に入っているのでご紹介します。
この歌を詠んだ女性は、「斉宮の女御」という通称で知られている徽子(きし)女王。平安時代中期の宮廷女流歌人。醍醐天皇の孫で、20歳のときに叔父の村上天皇に入内して女御となり、多くの相聞歌を交わしたそうです。琴の名手でもあり、文芸サロンをもっていました。
また、娘の規子内親王に同行して伊勢に下っていることから、「源氏物語」の六条御息所のモデルとも言われているようです。
かなを書くと、せつなくなります。
愛しい人をどんな気持ちで待っていたのだろう……当時のその女性の気持ちを、あれこれ想像しながら書いていると。
来ぬ人を待ちわびて、薄暗い灯のなか、さらさらと筆を走らせては歌を詠み気を紛らわせていたのでしょうか。
この歌も、「契りをむすんだ人なのだから、春には来てくださると思っていましたのに……」なんて、せつない歌!
この時代の「春」というのは年明けの頃のことを言ったのでしょうか。
でもわたしは、「春の桜を一緒に愛でる約束をしたのに、来てくださらないのね」なんていうふうに、勝手に物語をつくっては妄想し、せつながっています。
かなを書くのは好きです。
こうして物語のなかにうまく入っていけたとき、手が勝手に動いてくれるから。
↑同じ歌を半紙に書くとこんな感じ。
(大意 = 契りを結ぶ人があったので、春には来てくれるものと思っていましたのに……。)
斉宮の女御【さいぐうのにょうご(徽子(きし)女王)、925~985年】の家集の断簡である「小島切(こじまぎれ)」のなかの一つの歌を臨書しました。
※「断簡」とは、きれぎれになった書き物。文書の断片のこと。
また「臨書」とは、書道で手本を見てそのとおりに書くこと。古文などの原本を手本にして同じように書く練習のことを「臨書」と言っています。
この場合は、文書の断片である「小島切」を手本にして臨書したということになります。
作品の出来も画像もいまいちですが、とてもせつない歌で気に入っているのでご紹介します。
この歌を詠んだ女性は、「斉宮の女御」という通称で知られている徽子(きし)女王。平安時代中期の宮廷女流歌人。醍醐天皇の孫で、20歳のときに叔父の村上天皇に入内して女御となり、多くの相聞歌を交わしたそうです。琴の名手でもあり、文芸サロンをもっていました。
また、娘の規子内親王に同行して伊勢に下っていることから、「源氏物語」の六条御息所のモデルとも言われているようです。
かなを書くと、せつなくなります。
愛しい人をどんな気持ちで待っていたのだろう……当時のその女性の気持ちを、あれこれ想像しながら書いていると。
来ぬ人を待ちわびて、薄暗い灯のなか、さらさらと筆を走らせては歌を詠み気を紛らわせていたのでしょうか。
この歌も、「契りをむすんだ人なのだから、春には来てくださると思っていましたのに……」なんて、せつない歌!
この時代の「春」というのは年明けの頃のことを言ったのでしょうか。
でもわたしは、「春の桜を一緒に愛でる約束をしたのに、来てくださらないのね」なんていうふうに、勝手に物語をつくっては妄想し、せつながっています。
かなを書くのは好きです。
こうして物語のなかにうまく入っていけたとき、手が勝手に動いてくれるから。
↑同じ歌を半紙に書くとこんな感じ。
お品書きとか書けると
料理にもうひとつ 味 がプラスされますね。
かなは、今年の6月に師範試験を受けるのでがんばりたいと思っています
お品書き、『ことことカフェ』でのランチ会のときなどには書きますよ~