ことこと愛する日々

『ことことカフェ』@よしだあゆみのつれづれ日記
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創り上げる楽しさ

2008-12-12 10:10:58 | 書道のこと
 きのうは、長い紙(条幅)でかなを書きました。

 毎月の課題は〆切が13日必着なので、きのうで仕上げました。

 最終的に、この2枚に絞られ……
 並べて提げてみて、左の1枚にしました。

 左の行の下のほうに、ハンコを押して仕上げました(^O^)

 来年も6月に、かなの師範試験を受けるつもりです。

 ただ毎月の課題については、かなの先生にお手本を書いていただくのではなく、自分で教本を見ながら習作していくことにしました。

 師匠を通してかなの先生にお手本を書いていただくと、師匠にも毎月お気遣いいただいてしまうのが、心苦しく感じていました。

 また、お手本を見てそのまま書くよりも、教本を見ながら自分で作品を創っていくほうがはるかに勉強になります。

 大変だけど、自分で試行錯誤して作品を創り上げていく楽しみがあります。

 かなに関しては、師匠はほぼノータッチで温かく見守ってくださっているので。

 書かなくちゃと追い立てられるのではなく、毎月マイペースで楽しみながら書いていこうと思っています。

定例お稽古

2008-10-30 15:38:24 | 書道のこと
 木曜日は定例の書道のお稽古へ。
 車で片道45分くらいの師匠のお宅へ、できるだけ毎週通うようにしています。

 写真は11月15日〆切りの条幅の課題。
 漢字とかなを、午前中に自宅で何枚かづつ書いて持って行ったものから、一番良い作品を選んでいただきました。漢字は、右の行の下のほうの字が中央に寄ってしまいました。

 これから、アヴァターラカラーセラピーのモニターさんがいらしてくださるので、超特急で帰って準備しま~す

書道の試験結果

2008-07-16 02:55:10 | 書道のこと
 書道のかなの師範試験の結果が出て、15日の午後、書の師匠から電話がありました。
 合格することはできませんでした。
「あれだけ書いてなぁ、よく書けていたから、あゆみちゃんは合格できるかなと思っていたんだけどなぁ~。師範は厳しいな……。残念だったねぇ」
 と、師匠も慰めてくださいました。
 自分では五分五分だな、と思っていました(おそらく師匠もそう思っていたと)。運が良ければ……と祈っていたのですが、やはり技術と書き込みがまだまだ足りなかったのでしょうね。
 でもやるだけやったので、「負けて悔いなし」です。
 またこれからの1年間精進して、来年挑戦します

 それよりも、こちらはうれしいご報告。
 教え子の高校生は、準初段から初段に合格しました
 はぁ~~よかったよかった。
 このことが何よりもうれしくて誇らしく、ホッとしました。

 以前にブログで、「ことし、かなの師範の免状もいただくことができたら、今後はとくに創作作品にも力を注いでいきたいなぁと思っています。」と書きましたが、合格しなかったけど(笑)、これからは創作作品にも力を入れていきます
 何が一番大事かと言ったら、師範試験に受かることではなく、書を通して愛を表現していくことなのですから!
 愛を表現するのに、お免状は要らないのですよね(^^)。

あとは天にお任せ

2008-06-29 08:28:25 | 書道のこと
 きのう、師匠のお宅にて、かなの試験に提出する作品を選んでいただきました。

 夜通し書いて完徹した日もあったし、納得いくまで書いてベストを尽くしたつもり。
 ‘人事を尽して天命を待つ’の気分で、あとは天にお任せしました。達成感というよりは、天にお任せして手放せるってなんて気持ちがいいんだろう! という解放感に浸っています。

 師範試験の課題の3体のうちの2体は、短歌と俳句の創作作品を書きました。
 ↑写真の右の作品は短歌、左が俳句を書いたものです。

 ★短歌は、与謝野晶子の歌です。

 『遠近(をちこち)の 水(みづ)のおとより 夏の夜の しろく明けたる 山の家(いへ)かな』

 (大意 = 遠くの方からも近くの方からも聞こえてくる谷川の水の音が冴えまさり、短い夏の夜がしろく明けてゆく山の家よ。)

 ★俳句は、日野草城(ひのそうじょう:俳人(明治34年~昭和31年))の作品から。

 『松風に誘はれて鳴く蝉一つ』

 (大意 = しんとした真昼、松風の音がしきりにしている。その松風の音にさそわれるように蝉がひとつ鳴いた。)

 創作は、自由に書くことができる分、やはりむずかしい!!
 条幅という限られた大きさの紙のなかで、どの文字(漢字・かな)を選び、その字をどのように配置して構成していくか。自由とはいっても、暗黙のルールのようなものはありますし。
 かなの先生が雛型になるようなお手本を書いてくださり添削もしてくださったのですが、自分の作品としてかたちにするまでには相当書き込む必要がありました。

 
 ↑これが最終的に選ばれた3体。

 条幅の紙は100枚が一つの紙に包まれていて、100枚単位で一反、二反と数えます。
 今回の試験では、3体で一反強使ったから120~130枚くらいは書いたのかな。
 講習会では「師範を受けるなら、1体につき五反(500枚)は書きなさい」と言われました。卒倒しそうになりましたね。

 書きすぎてもよくない、とおっしゃる先生もいます。お手本を書いてくださったかなの先生は「あまり早くから書かないほうがいいですよ。書きすぎてもよくないので、のんびり書いてね」などとおっしゃってくださいました。
 実際、かなりの枚数を書いたあとで、その日最初に書いた作品や一週間前に書いた作品が一番よかった、なんてこともあります。一概に枚数を書けばいいというものでもないようで……リラックスして無心で書いたものがよい作品になることも多いです。

 だから、いかに力を抜いて書けるか。短歌や俳句の世界に入りこんで無心で書けるか、ということなのかなと思っています。
 こういうことは、書にかぎらず文章を書くことにも、スポーツなどほかのことにも言えるかもしれないですね。

 好きな映画『バガー・ヴァンスの伝説』(2000年/アメリカ・ウィル・スミス、マット・デイモン主演 )のなかにこんな言葉があります。

「誰でも自分だけのスイングを持っている。それはもって生まれたもので、大切にしないと、それは体のどこかに埋もれ見失ってしまう」
「その‘場’に調和するショットは一つ。頭で考えずに手で感じることです。手のほうが頭より賢い」

 これはゴルファーが主人公の映画ですが、書道をしている自分にもとても響いてきた言葉だったのでメモしておきました。
 枚数を重ねてくると、あれこれ考えてしまって筆がうまく動かなくなるときがあります。そういうときにはこの言葉を思い出して、「この作品に調和する書き方は一つ。手のほうが頭より賢い。考えないで手にお任せ!」と筆を持ち直して紙に向かいます。
 頭より手のほうが賢い。ほんとうにそう。体のほうがちゃんと書き方を知ってるんですよね。

 それでもやはり、枚数を書くということにももちろん意味があって。一時的に集中して100枚単位の枚数を書くと、それも師範試験のためにあれこれ苦心しながら作品を仕上げると、腕が上がるのはたしかのようです。
 わたしも、毎月のお稽古の数十倍の量を書いてみて初めて、ようやく、かな特有の線質・運筆の緩急・連綿線の流れの大切さ、行と行の調和などのあれこれが少しわかってきたかな……と思えるように。
 いやはや、書は奥が深いです。。。

 『ことことカフェ』次回のイベントでは、自分が描いたアート(絵)と向き合えますよ。
   7月@アートセラピーの会。ご参加お待ちしております♪

女流歌人・伊勢の歌

2008-06-19 09:48:32 | 書道のこと
 ゆづりにし 心もあるを たまかづら たむけの神と なるぞうれしき

   (大意 = さし上げたいと思っていたこの私の大切な玉鬘(髪飾り)が、旅の安全を願う神様(道祖神)の役割を演じてくれたとは何とうれしいことでしょう。)
 ――【石山切(いしやまぎれ)・伊勢集】より――
 
 この歌を詠んだ女性は、平安時代の女流歌人・伊勢(877年頃~940年頃)。
 父・藤原継蔭が伊勢守であったため「伊勢」とよばれ、「古今和歌集」には小野小町の18首をしのぐ22首が選ばれたほどの名歌人でした。
 17歳頃から宇多天皇の后・温子(藤原基経の娘)に女房として仕えました。のちに宇多天皇の寵愛を受け皇子をもうけるものの皇子を幼くして亡くし、温子もこの世を去ったあと、宇多天皇の皇子・敦慶親王との間に娘をもうけました。その娘も、女流歌人として有名な中務です。
 のちの紫式部の源氏物語は、この家集「伊勢集」に依るところが多いのではないかと言われているそうです。

 師範試験の課題の3体のうちの1体は、【石山切・伊勢集】のなかから選んで臨書することになっています。
 歌の意味が気に入っているのと、作品の構成的に三行書きで見栄えがすること、「心」と「神」という良い言葉も入っているのでこの歌を選びました。
 特に「神」の字はこの作品の見せ場にもなります。


↓書道をするときは、こんなふうに部屋いっぱいに道具を広げてやっています


 書いたら並べてみて……原本に忠実かどうか、作品としての構成、行と行の調和、墨の濃淡、線質や連綿線の流れ、運筆の緩急などもチェック。


 ↓この2枚はなんとかかたちになってきましたが――

 まだまだ書きこむ必要がありそうです。

 6月22(日)のお茶会(14~16時)は、予定通り開く予定です

 7月@アートセラピーの会、ご参加をお待ちしています♪

6月を乗り切れば

2008-06-18 00:08:14 | 書道のこと
 書きたいことはたくさんあるし、やりたいことも次から次へと思い浮かび、手紙を書きたい人やアクセスしたい人、会いに行きたい人もたくさんいるのですが。

 とにかく6月末までは書道に集中し、かなの師範試験に出す作品を、納得いくまで書きこんで仕上げることを最優先にしようと思います。

 泣いても笑ってもあと2週間――。
 この6月を乗り切れば、7月からは、やりたいことを次々とかたちにするための時間をつくり、動き出すことができると思うので。

 美しくてよい作品を書き上げられるイメージと、7月からの楽しくて幸せな未来のイメージを思い浮かべながら……あと2週間、集中します!

 6月22(日)のお茶会(14~16時)は、予定通り開く予定です(^^)。

 7月@アートセラピーの会、ご参加をお待ちしています♪

黙々と書く朝

2008-06-07 18:51:12 | 書道のこと
 休日の早朝。夫はまだ寝ていて、あたりもまだひっそりしている静かな時間。

 和室の真ん中に大きな下敷を敷き、紙を広げ、墨をする。
 硯の上で墨をする音。この小気味よい摩擦音と指に伝わってくるわずかな抵抗感、ひんやりとした墨の感触が好き。墨をすったときにだけ漂う香りが好き。墨汁ではこの香りは出ない。

 墨をするという行為には、ヒーリング効果がある。これはほんとうに。
 ゆっくりと時間をかけてすっているあいだに気持ちが鎮まり、無心になれる……。こうして書に入っていく時間を、とても愛おしく感じられる。

 書道を長くつづけてこられたのは、書が心を落ちつかせてくれたり、一服の清涼剤のような役割をしてくれていたからだと思う。
 墨をすり、筆をもって紙に向かうと、わたしはわたし自身を取り戻すことができた。
 病気のことで不安でいっぱいだったときも、子どもがいないさびしさを感じたときも、文章をかくことがうまくいかなかったときも、心の闇に呑み込まれそうになっていたときも、書をかくことだけはできた。書くとよい気分転換になり、夫が帰ってくるまでのあいだに気持ちを切り替えることもできた。

 書道は、わたしにひっそりと寄り添って、ずっと心の友でいてくれたのだと思う。父が言ってくれた‘芸は身を助ける’の言葉通りに、ちがう意味でも助けてもらっていたのだなぁと思う。

 紙に向かって黙々と書く。
 一枚書いたら下げて並べてみて、今度はここをこうしたほうがいいかな、とかあれこれ考え、また書く。ひたすら書く。

 きょうのところはこのくらいで終わりにしようと片づけたところで、ちょうど夫が起きてきた。なんてタイミングのいい人!
 お天気がよかったので、2人で散歩がてら外へブランチに出かけることにした。

 朝から墨をすって書をかくと、いつもより気持ちがぱりっとした1日を過ごせるような気がする。

可愛い教え子

2008-06-03 18:09:25 | 書道のこと
 結婚後、自宅で書道教室をはじめ、ほそぼそとながら、のべ15人ほどの子どもたちにお習字を教えてきました。
 さまざまなお稽古事のなかからお習字を選んで通ってくれた子たち、一人一人の顔と名前を思い出すことができます。みなそれぞれ字に個性があり、無心でお習字を書いている姿は本当に可愛いらしいものです。

 そのなかで、教室を始めた頃からつづけてくれている姉弟がいます。よほどご縁があるのでしょうか、いまの家に引っ越してきてからもその姉弟はつづけたいと言ってくれて。電車とバスで1時間もかけて通ってきてくれたり、こちらからお宅へ伺ったりというかたちでご縁がつづいています。本当にありがたいことだなぁと思います。

 お姉ちゃんのほうは、当時は幼稚園の年長さんだったのにいまや18歳! 背もスラッと伸びて、いまどきの女の子になってまぶしいほど。それでも書道には、子どもの頃と変わらず一生懸命取り組んでくれています。
 初めて書いたものを見たときから、この子は筋がいいと思いました。本人もお習字が好きと言っていたので、めきめき上達しました。中学・高校と部活が激務のサラリーマン並みに忙しかったのに、毎月の課題は休まず提出してきたという根性もある子です。
 高校から一般の部に上がって条幅を書くようにもなり、雅号を差し上げるまでに成長してくれています。

 きょうは彼女が試験課題の作品を書いたものを持って、雨のなかお稽古に来てくれました。
 ことしの試験では準初段→初段に挑戦! 6月末までに、楷書・行書・草書と3体の条幅を仕上げる必要があるため、生徒さんも真剣そのもの、教えるほうも熱が入ります。
 師範を取るまでがんばりたいと言っているので、共に学び合っていきたいと思っています。

 弟くんのほうも、いまは中学の部活で忙しいなか、きちんと課題を書いて送ってきてくれています。男の子の場合、中学に入ると部活や塾のほうが楽しくなってやめることが多いのですが、書きつづけていることがすばらしいです。彼も筋がいいので、また集中して書ける時期がくれば、ぐんと上達するのではないかと思っています。

 2人ともこれから進学→お勤めをするようになれば忙しくなると思うけれど、(通うのが大変ならわたしのところではなくても)書道をつづけてほしいです。
 師匠がよく言ってくれたものでした。
「勤めもしているなかで、休日ほかの者が遊んでいるあいだにも時間をみつけて書くということは大変だと思うけど、努力したぶんは必ずあとで返ってくるものだからな」
 と。同じ言葉を2人には言ってあげたい。お稽古になかなか通えなかった時期も大きな心で見守ってくださった師匠のおかげでわたしもつづけることができたので、同じように長い目で見てあげたいと思うのです。
 この姉弟は、もう姪っ子甥っ子のようなもので……可愛いんですよね。成長がとても楽しみです。

 これからも、書道を通じて可愛い子どもたちとの出逢いがあるとよいなぁと思っています。

書道のこと

2008-06-02 15:47:52 | 書道のこと
 週末は、書道のかなの講習会へ。6月末〆切の師範試験に出す作品づくりのための講習会。
 昨年もこの講習会に参加し、師範試験に挑戦するも叶わず。ことしは2年目の挑戦です。

 書道についてはこれまでブログではほとんど触れていなかったので、少し――。

 小学3年生のときに近所のお習字教室に通いはじめ、以来34年間、同じ男の先生に師事して書道をつづけてきました。当時40代だった師匠も80代になられ、親の次に長いお付き合いになっています。

 高校入学と同時に一般の部に移り、条幅を書くようになってから雅号をいただき、26歳のときに漢字の部で師範の免状をいただきました。
 その後も月に2~3回、師匠のお宅へ通いお稽古をしています。
 お稽古の内容は――毎月漢字とかなの、半紙と条幅(じょうふく:新聞紙を縦に2枚つなげたほどの長さの紙)の課題を練習して、一番よく書けている作品を所属している「全日本書芸文化院」に提出しています。条幅の作品は家で書いて持って行き添削をしていただくかたちをとっています。

 かなのほうはというと、結婚後’97年頃から習い始めました。
 師匠はもちろんかなの師範でもあるのですが男の先生ということもあるのでしょうか、おもに漢字のほうに力を入れて教えていらっしゃいます。それで、かなが三段になったくらいからは、師匠のお取り計らいでお知り合いのかなの先生に条幅のお手本を書いていただき練習してきました。師匠のご指導のもと、試験の時期にはかなの先生にも通信添削のかたちでご指導いただきながら、準師範まではなんとか上がってこられました。
 しかし師範試験となると簡単にはいかないよ、ということで、昨年からは講習会に参加して作品づくりをしています。

 人生の4分の3をともにしてきた書道ですが、たった一度だけやめたいと思ったことがあります。
 中学2年生のとき、部活(バドミントン)に集中したくてやめたいと思ったんですね。後輩が入ってきたので負けたくない、部活は休みたくないという想いからでした。いかにも子どもっぽい理由ですね。
 でもそのとき父は、「バドミントンで飯は食えないだろう。でも習字をつづけて師範まで取れば、‘芸は身を助ける’からお金をもらうことができるようになる。だから習字だけはつづけなさい」と、やめることを許してくれませんでした。
 そのときは悔し涙を流したけれど、その15年後、父の言った通り、近所の子どもたちにお習字を教えられるようになりお月謝をいただけるようになりました。
 いまは、あのときやめさせないでくれた父にひたすら感謝・感謝なのです。

 その後20代・30代、ほかのことで忙しくて集中して書くことができなかった時期にもやめずにつづけてこられたのは、長い目で温かく見守ってくださった師匠のおかげです。この師匠だったからつづけてこられたのだと思います。
 師匠をはじめ両親や夫、お稽古仲間、習いにきてくれた子どもたち……たくさんの方たちのおかげでつづけてこられたのだなぁと、しみじみ感じます。

 一般の部に入ってからの26年間、臨書(古典の原帖を忠実に模倣する練習法)を中心に書の作品を書いてきました。
 ことし、かなの師範の免状もいただくことができたら、今後はとくに創作作品にも力を注いでいきたいなぁと思っています。
 書の作品を書くことも、わたしにとっては愛を表現することの一つです。
 文章を書くことと書道を合わせた、自分にしかできないオリジナルの作品づくりをしていくことが今後の夢、目標ですね。

せつない歌

2008-04-20 11:53:32 | 書道のこと
 むすぶ人 ありけるものを みゆかはの 春かぜとのみ 思けるかな

   (大意 = 契りを結ぶ人があったので、春には来てくれるものと思っていましたのに……。)

 斉宮の女御【さいぐうのにょうご(徽子(きし)女王)、925~985年】の家集の断簡である「小島切(こじまぎれ)」のなかの一つの歌を臨書しました。
 
   ※「断簡」とは、きれぎれになった書き物。文書の断片のこと。
    また「臨書」とは、書道で手本を見てそのとおりに書くこと。古文などの原本を手本にして同じように書く練習のことを「臨書」と言っています。
    この場合は、文書の断片である「小島切」を手本にして臨書したということになります。

 作品の出来も画像もいまいちですが、とてもせつない歌で気に入っているのでご紹介します。

 この歌を詠んだ女性は、「斉宮の女御」という通称で知られている徽子(きし)女王。平安時代中期の宮廷女流歌人。醍醐天皇の孫で、20歳のときに叔父の村上天皇に入内して女御となり、多くの相聞歌を交わしたそうです。琴の名手でもあり、文芸サロンをもっていました。
 また、娘の規子内親王に同行して伊勢に下っていることから、「源氏物語」の六条御息所のモデルとも言われているようです。

 かなを書くと、せつなくなります。
 愛しい人をどんな気持ちで待っていたのだろう……当時のその女性の気持ちを、あれこれ想像しながら書いていると。
 来ぬ人を待ちわびて、薄暗い灯のなか、さらさらと筆を走らせては歌を詠み気を紛らわせていたのでしょうか。


 この歌も、「契りをむすんだ人なのだから、春には来てくださると思っていましたのに……」なんて、せつない歌!
 この時代の「春」というのは年明けの頃のことを言ったのでしょうか。
 でもわたしは、「春の桜を一緒に愛でる約束をしたのに、来てくださらないのね」なんていうふうに、勝手に物語をつくっては妄想し、せつながっています。

 かなを書くのは好きです。
 こうして物語のなかにうまく入っていけたとき、手が勝手に動いてくれるから。
  
  ↑同じ歌を半紙に書くとこんな感じ。