連載形式でここまで書いてきて、ようやく腰の座りがよくなった気がしています。
ブログを書き始めたはいいけれど、やはり病気のこと、特に父への葛藤のことを書かないままでは、いちばん大事な‘肝’の部分を避けて通っているような気がしていました。
どういう経緯で自分が‘支配者’だったと気づいたのか、なぜ愛することの初心者なのか、なぜ「ことこと愛する日々」なのか。そして、『ことことカフェ』のコンセプトとやっていきたいこと。そのあたりのことも、これでさらに詳しくお伝えすることができたかなと思っています。
病気へのネガティブな想いや父への想いをブログに書くことで、両親を傷つけてしまうのではないかと、ずいぶんと迷いました。
けれども、いまは父と同じ遺伝子で生まれてきた意味を納得でき、愛に生きるくらしをメインテーマに据えることができたのだから。自分の至らなさも受け容れ許すことができたのだから。
これもすべて両親が無条件で愛してくれたおかげで気づけたのだから、その過程を本心をごまかすことなく書きたかった。両親ともっとわかり合うために、もっと慈しみ合えるようになるためにも書こうと思いました。
また、同じように親御さんと同じ病気になったことで苦しんでいる方たちや、腎臓病をはじめいろいろな難病・慢性病と共に生きている方たち、病気の家族をもった方たちや、病気ではなくても親から受け継いだ体質や性質(性格も含めて)で苦労している方たちへのエールになったらよいなぁという想いもこめて書いています。
わたしの拙い体験談が読んでくださった方の心に触れ、少しでもお役に立つことができたとしたら本当にうれしく思います。
感じ取ってくださったことをメールやコメントで読ませていただけると、お腹の底からよろこびとエネルギーが湧いてくるのを感じます。病気への不安や疲れなども吹き飛んでしまいます。
同じ時代のこの日本で生かされているどうし、一緒に楽しく生きていきましょうね!
心からのエールを送らせていただきます!!
このような体験を通じて、「宿命」ということについてもいろいろと考えるようになりました。
たどり着いた答えは、至ってシンプルなものでした。
「宿命」とは「命が宿る」と書きます。宿命とは命が宿っていること、すなわち「生きていることそのもの」だということです。
「生きていることそのもの」を味わうために、人は宿命を背負って生まれてくる。いま生きている人はすべて、何らかの宿命を負って懸命に生きている、生かされているのだと思います。
そう思うと、すべての人の人生が尊く愛おしく感じられます。「生きること」はほんとに素晴しいですね。
宿命や運命について考え、連綿とつづいてきた命の連鎖に思いを馳せ、出逢うことが決まっていたと感じられる夫との関係を思うにつけ――次第に、たましいのことや輪廻転生、因果応報のこと、死後の世界や目に見えない世界のことについても興味をもつようになりました。
これは、わたしにとって本当に自然な流れでした。
病気や父との関係、夫との関係を考える延長線上に、スピリチュアルなことについても考えるように(感じ取っていくように)なること。これはきっと、初めからプログラミングされていたのだろうな、とさえ思えます。
心理的な自然の流れのなかで、2005年の秋頃から目に見えない世界のことについて少しずつ興味をもつようになり、「愛する」ということについてもようやくわかってきた昨年。
そして、ことしに入ってから、自分のなかだけで考えたり想いを馳せていたことが、いろいろな人と交流することによってさらに彩りを増して意味深く感じ取れるようになってきました。
このあたりのことについて、また少しずつ連載で書いていきたいと思っています。
いつも読みにきてくださり、ありがとうございます! 心から感謝いたします。
よろしかったら、これからもどうぞお付き合いくださいませ。
愛と感謝をこめて――。
ブログを書き始めたはいいけれど、やはり病気のこと、特に父への葛藤のことを書かないままでは、いちばん大事な‘肝’の部分を避けて通っているような気がしていました。
どういう経緯で自分が‘支配者’だったと気づいたのか、なぜ愛することの初心者なのか、なぜ「ことこと愛する日々」なのか。そして、『ことことカフェ』のコンセプトとやっていきたいこと。そのあたりのことも、これでさらに詳しくお伝えすることができたかなと思っています。
病気へのネガティブな想いや父への想いをブログに書くことで、両親を傷つけてしまうのではないかと、ずいぶんと迷いました。
けれども、いまは父と同じ遺伝子で生まれてきた意味を納得でき、愛に生きるくらしをメインテーマに据えることができたのだから。自分の至らなさも受け容れ許すことができたのだから。
これもすべて両親が無条件で愛してくれたおかげで気づけたのだから、その過程を本心をごまかすことなく書きたかった。両親ともっとわかり合うために、もっと慈しみ合えるようになるためにも書こうと思いました。
また、同じように親御さんと同じ病気になったことで苦しんでいる方たちや、腎臓病をはじめいろいろな難病・慢性病と共に生きている方たち、病気の家族をもった方たちや、病気ではなくても親から受け継いだ体質や性質(性格も含めて)で苦労している方たちへのエールになったらよいなぁという想いもこめて書いています。
わたしの拙い体験談が読んでくださった方の心に触れ、少しでもお役に立つことができたとしたら本当にうれしく思います。
感じ取ってくださったことをメールやコメントで読ませていただけると、お腹の底からよろこびとエネルギーが湧いてくるのを感じます。病気への不安や疲れなども吹き飛んでしまいます。
同じ時代のこの日本で生かされているどうし、一緒に楽しく生きていきましょうね!
心からのエールを送らせていただきます!!
このような体験を通じて、「宿命」ということについてもいろいろと考えるようになりました。
たどり着いた答えは、至ってシンプルなものでした。
「宿命」とは「命が宿る」と書きます。宿命とは命が宿っていること、すなわち「生きていることそのもの」だということです。
「生きていることそのもの」を味わうために、人は宿命を背負って生まれてくる。いま生きている人はすべて、何らかの宿命を負って懸命に生きている、生かされているのだと思います。
そう思うと、すべての人の人生が尊く愛おしく感じられます。「生きること」はほんとに素晴しいですね。
宿命や運命について考え、連綿とつづいてきた命の連鎖に思いを馳せ、出逢うことが決まっていたと感じられる夫との関係を思うにつけ――次第に、たましいのことや輪廻転生、因果応報のこと、死後の世界や目に見えない世界のことについても興味をもつようになりました。
これは、わたしにとって本当に自然な流れでした。
病気や父との関係、夫との関係を考える延長線上に、スピリチュアルなことについても考えるように(感じ取っていくように)なること。これはきっと、初めからプログラミングされていたのだろうな、とさえ思えます。
心理的な自然の流れのなかで、2005年の秋頃から目に見えない世界のことについて少しずつ興味をもつようになり、「愛する」ということについてもようやくわかってきた昨年。
そして、ことしに入ってから、自分のなかだけで考えたり想いを馳せていたことが、いろいろな人と交流することによってさらに彩りを増して意味深く感じ取れるようになってきました。
このあたりのことについて、また少しずつ連載で書いていきたいと思っています。
いつも読みにきてくださり、ありがとうございます! 心から感謝いたします。
よろしかったら、これからもどうぞお付き合いくださいませ。
愛と感謝をこめて――。