ことこと愛する日々

『ことことカフェ』@よしだあゆみのつれづれ日記
   kotokotocafeayumi@mail.goo.ne.jp

プロフィール

2008-08-08 04:52:09 | プロフィールなど
 こんにちは♪ よしだあゆみです。
 たくさんのブログのなかからご訪問いただき、ありがとうございます。
 ‘愛あるくらし’を創る人を応援するコミュニティ『ことことカフェ』を主宰しています。自宅やレンタルスペースを使ってカフェイベントを開いています。
 初めて訪問してくださった方にご挨拶がわりとして、簡単なプロフィールを――。

★プロフィール
 1965年、東京生まれ。
 東京都立立川短期大学(食物学科)卒業後、ソフトウェア会社に就職。
 SEとして6年間勤めたあと、フリーのライターに転職。
 本や女性誌を中心にノンフィクションライターとして活動していた時期を経て、主婦のかたわら子どもたちに書道を教えたりしながら、なにげない日々のくらしに愛おしさ・かけがえのなさを感じられるようになりました。
 ことし(2008年)3月に『ことことカフェ』を始め、
 4月にブログ『ことこと愛する日々』を書き始めました。
 '94年に結婚した夫と2人暮らしです。 

 ●センセーションカラーセラピスト&ティーチャー('08年9月 取得)
 ●アヴァターラカラーセラピスト('08年9月 取得)
 ●レイキヒーラー('08年2月~)
 ●労働省認定 産業カウンセラー('00年、旧労働省のときに取得)
 ●著書 : 『「子供を持たない」という生き方』('98年・ダイヤモンド社刊)、
        『妻たちの迷宮』('01年・朝日ソノラマ刊)
        (どちらも著者名:吉田あゆみ)
 ●書道 : 漢字部・師範('91年 取得),かな部・準師範('06年 取得)
       (全日本書芸文化院 所属)
       *書道についてのくわしいプロフィールはコチラにも

 ★もっとくわしいプロフィールをご覧になりたい方は、コチラをどうぞ。

 ☆『ことことカフェ』では、楽しくてためになるカフェイベントをご提供しています♪
  興味をもっていただけましたら、お気軽にお問い合わせくださいませ。
  ご質問・お問い合わせは、コメント上で、または kotokotocafeayumi@mail.goo.ne.jp までご連絡ください。
  心からお待ちしています!!

カラーセラピストとしての活動も

2008-08-05 03:00:01 | プロフィールなど
 カラーセラピストの養成講座を受講し終えまして、先日レポートを提出し、講師の先生にOKをいただきました。
 講師の先生は、リラクゼーションサロン「muse(ミューズ)」蓮月 恵(はづき めぐみ)さんです。(「muse」さんは心もからだも癒せるリラクゼーションサロンです☆)
 9月初旬にはティーチャー登録とともに認定証が届く予定です。
 9月からはカラーセラピストとしての活動も少しずつおこなっていきたいと思っています。
 これで、『ことことカフェ』で本当にやっていきたいオリジナルの道へ、一歩前進です。

 わたしがいま学んでいるカラーセラピーは、センセーションカラーセラピーという種類です。
 3月の『ことことカフェ』@カラーセラピーの会でお越しくださった方に体験していただいたアヴァターラではなく、もう一つご紹介だけしました、単色で10本のカラーボトルでおこなうカラーセラピーです。

 色は奥が深いですね。心と体、衣食住、対人関係、文化や芸術……すべてのことに関連してくるので、本当におもしろいです! 
 昔から色には興味があって、いつかきちんと学んでみたいと思っていました。いまやもう、カラーの虜になっております。でも、まだこれからたくさん学んでいかなければ。

 カラーセラピーを通じて、心のなかのもやもやをクリアーにするお手伝いや、家族や恋人、職場での対人関係などの悩みを少しでも軽くしていくお手伝い、そして個性・才能・魅力を活かしてより自分らしく輝いていただくためのお手伝いをさせていただきたいと思っています。
 その方にとっていま必要なメッセージは、その方がそのときに選んだカラーに表われてきます。カラーからのメッセージを読み解いてお伝えするしごとに、とても魅力を感じています。

 今後はこのカラーセラピーと、書道と、文章を書く(ライティング)ワークなどを組み合わせて(まだ他にもいくつかのツールを入れていくつもりですが)、オリジナルの講座やカフェイベントを企画・展開していきたいと思っています。

 じつはいま、もう一つ二つ、別の方向からアプローチできるツールとして温めているプロジェクトもあります。そちらのほうも、ぼちぼち始動させていきたいと思っているところです。

 とりあえず、10色(虹の7色+3色)のカラーボトルを注文しなければ。
 カラーボトルが届いたら、写真をアップしますね。

 8月のランチ会は26日(火)11:30~14時です

もう少しくわしいプロフィール

2008-08-03 12:01:02 | プロフィールなど
 8月に入りましたね。暑い毎日がつづいていますが、皆さまいかがお過ごしですか? たくさんあるブログのなかから、ご訪問くださりありがとうございます!

 ブログを始めて丸4ヵ月が経ちました。
 ご訪問くださっているほとんどの方は、以前からのお知り合いや友人が多いと思うのですが、初めて訪問してくださる方も少しずつ増えているように感じています。
 もう少しくわしいプロフィールを書いておいたほうがよいかなと思ったので。

 *もう少しくわしいプロフィール

 1965年、東京生まれ。
 東京都立立川短期大学(食物学科)卒業後、6年間ソフトウェア会社でSEとして勤務していました。
 幼い頃から書くことは好きであれこれ書いていましたが、SE時代に、文章を書く仕事がしたいという目標ができました。ジャーナリスト専門学校(夜間)に通いはじめ、文章を書くことがライフワークになりました。

 ’89年(平成1年)5月、仕事を通して彼(のちに夫となる人)と出会い、’91年に付き合いはじめた当初から、この人と結婚したいと心に決めていました。

 ’91年6月、ソフトウェア会社を退職。
 10月、ジャーナリスト専門学校時代の友人から仕事をいただき、フリーライターとして仕事を始めました。
 女性誌を中心に、著名人のインタビュー記事や女性の生き方に関するルポ記事を書いていました。本当に好きな仕事をみつけたという実感とともに、いただいた仕事を一つ一つこなしていくことが楽しく、やり甲斐を感じました。

 ’94年(平成6年)12月、結婚。ライターの仕事はそのままつづけ、仕事と結婚生活の両立が大きな課題になりました。
 大好きな彼と結婚できただけで幸せだったはずが、結婚3年目くらいから、腎臓病とのかねあいで子どもを産むことに挑戦するかいなかで悩み始めました。
 ’98年(平成10年)2月、子どもを持つ・持たないについてをテーマに、子どものいないご夫婦に取材をしてまとめたルポルタージュ『「子供を持たない」という生き方』(ダイヤモンド社刊・著者名:吉田あゆみ)を出版させていただきました。

 ホームページを立ち上げ、『「子供を持たない」~』を読んで感想を送ってくださった方たちと、子どもを持つ・持たないについての意見交換をするメーリングリスト(メール会議室)「こどもた」を始めました。
 女性にとって子どもを産み・育てるとはどういうことなんだろう? 子どもをもつ・もたないについての想いや考え・悩みや戸惑いを、非公開・会員制のスタイルで、プライベートな事柄までふくめて真剣に語り合いました。
 以後8年間、「こどもた」で意見交換をしたり心の交流に力を注いだことは、何にも代えられない貴重な経験になっています。

 この間、産業カウンセラーの養成学校に通い、’00年(平成12年)当時の労働省認定・産業カウンセラー(初級)の資格を取得しました。
 カウンセリングの知識や実習で学んだことは、取材のときや、「こどもたメーリングリスト」でのメール交流(一種のグループセッションのような場)でもとても役に立ちました。

 ’01年(平成13年)4月、既婚女性たちに取材をしてまとめたルポルタージュ『妻たちの迷宮』(朝日ソノラマ刊・著者名:吉田あゆみ)を出版させていただきました。

 その後、内省の7年間を経て、’08年(平成20年)3月、『ことことカフェ』を始め、4月、ブログ『ことこと愛する日々』を始めました。

 (ブログを始めるにあたっての気持ちは、ブログ日記2008年4月1日に、
  内省の7年間については、ブログ日記2008年4月4日・5日「この7年間のこと[1][2]」に綴っています)

 現在は、主婦をしながら子どもたちに書道を教えたり、‘愛あるくらし’を応援するコミュニティ『ことことカフェ』のイベントなどを企画をしています。
 この2008年9月からは、新たにカラーセラピストとしての活動も始める予定です。
 *書道についてのくわしいプロフィールはコチラをご参照くださいませ。

 自分自身を最大限に活かして、夫や家族や友だちなど周りの人たちが教えてくれた「愛のこと」を表現していくことが、わたしのしごとだと思っています。
 死ぬまでに、どれだけ、夫を家族を周りの人たちを愛することができるか、ご縁のあった方たちに愛を表現していくことができるか。わたしにとってはそれが一番大事なことであり、大きな課題だと感じています。

 『ことことカフェ』のイベントも文章を書くことも、カラーセラピーも書道も、そのツールの一つだと思っています。
 (じつはいま、もう一つ二つ、別の方向からアプローチできるツールとして温めているものがあります。)

 今後『ことことカフェ』ではこれらを組み合わせて、オリジナルのおもしろい講座やカフェイベントを企画・展開していきたいと思っています。
 
 ほかの誰もやっていないオリジナルへの道!
 マイペースで、あせらず一歩一歩、踏みしめていこうと思っています。

 そして、わたしのプロフィールでもう一つ外せない事柄、それが腎臓病のことです。これについては、別のカテゴリーで連載をしています。ご興味がありましたら、こちらも覗きにきてくださいませ。

 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。心から感謝いたします。
 よろしかったら、これからもたまに覗きに来てくださいませ。
 愛と感謝をこめて――。

心の闇と光[2]

2008-05-20 09:48:54 | プロフィールなど
 自分を限界まで追いこんでしまった経験を機に、心のなかの光のほうだけを見ようと決め、ワクワクすることや心の根っこが喜ぶようなことばかりをしているうちに――。

 いつのまにかわたしは、大いなるもの――天、宇宙、神? とにかく人智を越えたもの――から、存在じたいを許されているんだなぁと感じられるようになりました。
 これは理屈ではなく、体感で感じられるようになったことです。以前と比べると、心もからだも、ふわっと軽くなった感じがします。

 大いなるものは、わたしのことを決してジャッジしたり批評したりしないんです。
 「そこにいていいよ。愛する人と一緒に楽しく自由に生きていきなさい」
 「いま生きていることが、あるがままを許されている証拠=愛そのものである証拠だよ」
 と、いつもそれだけをくり返し、言ってくれます。

 それを感じられるようになってから、自分自身のことも人のことも、ジャッジしたり批判することがなくなってきました。それは、わたしが決めることではないからです。

 どの人もみな、大いなるものから見守られている存在であり、わたし自身もどの人もみな愛そのものの存在なんだなぁ……と、最近はしみじみと感じ入っています。
 だから、楽しいこと・好きなことをして自由に生きて、思うぞんぶん愛を表現していっていいんですよね♪

 これらはすべて、誰に教えられたわけでもなく、わたしのなかの神聖な心が教えてくれたことです。
 4月23日のブログ日記「自分を忘れる」で書いた、目の前にいる人の感覚を開いてもらうように意識する方法も、神聖な心が「そうしてごらん」とささやいてくれたのでやってみたことです。
 心の光は、気持ちがあたたかく軽くなるようなことばかりを、次々と教えてくれます。
 重苦しいものや不要なものはどんどん流れ出ていき、いまはとても心が穏やかで自由です。

 そして、これを書いていて、気づいたことがあります。

 これまで後生大事に抱えてきたもの――過去のあらゆる実績や、腎臓の病と子どもをもつ・もたないに向き合ってきたという自負や、夫・家族・恩師・友人たちに恩返しをしなければという過剰な思い込みや、内省の7年間で得た誇りなど――も、もう手放していいんだなぁということ。
 
 がんばって形に残してきたことや、乗り越えてきたことや体得したことへの執着のようなものが、自分を支えてきてくれたところがあったのだけれど。
 もう、その過去への執着からも自由になっていい時期がきたのだと思います。

 これまで引きずるようにして抱えてきた重いものも手放して、もっともっと身軽になろう。
 感謝の気持ちだけを胸に。
 これからのわたしはどうにでもなれる。どこにでも行ける。誰にでも会いに行ける。
 何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
 いまのままでもいいし、変わっていってもいい。
 すべて心のおもむくままに、流れに身を任せて……。

 たぶん、こういうことを一言であらわすと「のんきに生きる」ってことなのかなぁと思うわけです。だから、のんきって、じつはとても深いことかもなぁと思っています。

心の闇と光[1]

2008-05-19 11:05:09 | プロフィールなど
 この1年間のあいだに、心の闇と光ということについて考えをめぐらせてきました。いま感じていることを、書いてみようと思います。

 『ことことカフェ』を始める前――。
 とても大切なことに気づき前に進みたかったのに、自省の年月をすごしてきたために、自分をきびしく分析したり、心の闇をさぐる悪いクセがついていたみたいです。
 その結果、わたしの心のなかはネガティブな言葉でいっぱいになっていました。

 人に話をしてみて初めて、その割合の多さにびっくりしました。
 わざわざネガティブな言葉を選んで、(自分や人を責める)きつい言い方をしていた! と気づきました。物事には必ず表と裏があるので、同じことを話すにしても、ポジティブな言葉を選びやわらかな表現を使って話すことはできるのに。
 それほどではないと思っていたのに、こんなにネガティブ思考になっていたんだなぁ……って。

 それからは、ネガティブな言葉が心に浮かんだら、即、心のなかでポジティブな言葉に言い換えるように心がけてみました。オセロの駒の黒い面を白い面に変えていくようなイメージで。
 そうしていくうちに、ポジティブ思考へ切り替えることができるようになり、不安もうすらいでいってくれたのかなぁと思います。

 思うに、ネガティブ思考というのは、「心の闇をのぞくクセ」だと思います。かつてのわたしがそうでした。
 わざと(わざと! ですよ)心の闇をのぞき込んで、不安の種や古傷や、自分や人をおとしめるようなネタを掘り起こそうとしていました。

 闇を見はじめたらキリがありません。
 心の闇には、取り憑かれるだけの‘魔力’があるからです。
 だから人は、自分や人の心の闇を見つめたり覗いたりすることが大好きだし、惹かれていってしまうのですよね……。
 しんどい、苦しい、つらい、悲しいって言いながら、ほんとは大好きなんですよね、心の闇。わたしも大好きでした。心の闇の‘魔力’に取り憑かれていた一人でした。
 「心の闇」という言い方はしても、「心の光」という言葉の使い方はしません。このことも、人が「心の闇」を好きな証拠だなぁと思います。

 それに、心の闇の部分は、ああしろ・こうしろ、これはするな・あれはしてはならないと、うるさいったらない! ってくらいに指示してきます。
 偉そうにそんな命令をしてくるのは、心のなかの悪魔の声です。
 悪魔の声にしたがってばかりいると、自分か人を責めたてる思考パターン‘サタンスパイラル’(←勝手につけた名前ですが)に陥ってしまうので要注意です。
 わたし自身、昨年の6月頃‘サタンスパイラル’に陥り、限界まで自分を責め立て追いこんでしまいました。いまでも、あのひどい精神状態からよく立ち直ったなぁと思います。

 一方、ポジティブ思考というのは、「心のなかの光の部分だけを見ようと決めること」だと思うのです。
 闇は暗くて重くて狭くて息苦しい世界だけど、光はあたたかくて明るくて軽やかで自由な世界です。
 心のなかの光を見るか闇を見るかは、自分で決められることなんですよね。
 一番そばにいる夫も、わたしに書くことをやめさせることはできても、心のなかにまで入ってきて「心の闇を見ること」をやめさせることはできなかった。
 心の闇の部分ばかり見るのはもうやめよう! と決められたのは、人ではなく自分の心だけでした。

 人は、光のほうだけを向いて、楽しいこと・ワクワクすること・心の根っこが喜ぶことだけをしていっていいのだと思うのです。初めから許されていたのに、してはいけないと決めつけていたのは自分自身だったんです。
 心のなかの光の部分は、ああしろ・こうしろ、これはするな・あれはしてはならないと偉そうに指示したりはしないんですね。穏やかで寛大で優しいのです。
 なんだ、光のほうばかり見て生きたほうがこんなに気楽でお得だったんだ! いつのまにか、そう思えるようになっていました。

 長くなったので、このつづきは明日――。

のんきに、こころ明るく。

2008-04-16 14:31:40 | プロフィールなど
 我が家のベランダでは、2年ごしのお花たちがうれしそうに花を咲かせてくれています。
 マーガレットは、このスラッシュピンクという色合いが大好きで、眺めていると優しい気持ちになれます。画像は、夫が撮ってくれたものです。

 白い小花をたくさんつけるのは、「ブライダル ステラ」という花。名前が気に入っていて。
 花を咲かせるときには、うわぁっといっせいに咲くんです。
 夫と「乱れ咲きしてるねぇ」と眺めながら、「きれいに咲いてるね~」と褒めてあげています(^^)。


 のんきにくらしたいなぁと思います。
 のんきって、じつは、けっこうむずかしいから。
 ちょっと思い返してみると、心と体に余裕がないときは、夫に対しても不平不満をぶつけたりガミガミ文句を言ってしまいがち。
 自分自身を心の底から信じていないとのんきになれないものだし、相手のことも信頼していないと、のんきでいられないんですよね。

 のんきって、でも、あまりよくないイメージがあるのかなぁ。
「あの人ってのんきだよね」とか「のんきでいやになっちゃう!」、「あなたはのんきでいいなぁ」なんて使うものね。
 でも、どうなんだろう。
 のんきでいられるって、ほんとうはすごくむずかしいことだし、素敵なことだと思う。

 こんなふうに草花たちを愛でながら。
 これから出会う、楽しくて素敵な出来事や人に想いを馳せたりしながら。
 わたしが日々楽しくのんきにくらすことが、夫にも心からのんびりくつろいでもらえることにつながるのかなぁと思うのです。

 だから、ことしのテーマは、「のんきに、こころ明るく」。
 いいんだよ、のんきでいて。
 自分にそう言ってあげようと思っています。

男の人の愛

2008-04-09 00:35:24 | プロフィールなど
 本を出すことにこだわっていました。
 文章を書いて本を出すことで認められないと、自分を認めてあげられなかったんですね。
 しゃかりきになって、書くことに命と時間を注ぎこみました。
 書かなきゃ! 書いて褒められて、復活しなくちゃ!
 次の本を出すことで、夫や家族や友だちやお世話になった方たちに恩返しができると思い込んでいました。そんなこと、誰も、一言も言っていなかったのに。みんな、「体を大切に」「無理をしないで」「日々のくらしを楽しんで」と言ってくれていたのに、です。

 昨年の前半、それまでに自分がしてきたことをふり返り、いかに‘愛’をわかっていなかったかに気づいた頃の数ヶ月間、自分を責めに責めてどんどん追いこんでしまったことがありました。
 精神的にあぶないところまでいき、さいごは夫に書くことを止められました。
 ハッキリ、「書くな!!」と言われました。
 ふだん、ああしろ・こうしろと言う人ではないので、これは効きましたね。

 わたしの一番大きな間違いは、「愛すること」と「自分のなかの愛を表現すること」のほうが、「人に認められることで自分を認めること」よりも何万倍も大事だということに、気づけなかったことです。そのほうがずっと楽しくて、豊かで、軽やかであることにも。
 愛を表現したり伝えることは、本を出さなくても、肩書きなどなくても、いますぐにでもできることだったのに。

 夫は、守ること・見守ることでわたしに愛を教えてくれました。
 病気のわたしを経済的・精神的にずっと支えてきてくれ、限界のときに止めてくれたことで、わたしの体と精神の命を守ってもくれました。
 夫は、大きな木のようだなぁと思うことがよくあります。大きな木は、そこに在るだけで周りを守ってくれているのです。

 男の人の愛というものは、きっと、こういうものなのかなと思います。

 自分の体(命)を張って、大切な女や家族を守ろうとすること。
 社会や会社の荒波のなかで必死に耐え、命を削って働きつづけ、守りたいものを守ろうとする想い……その行為と物理的な事実(たとえば家とか報酬とか子どもを学校に入れるとか)で愛を表現しようとしてくれる。
 「言葉」や「想い」よりも、「行動」「事実」で示そうとする。
 わたしの周りの男友だちたちも、みんな体を張って家族を守っています。
 骨身を惜しんで人のために尽しても、敢えて口には出さない。恩を着せない。自分がいいと思ってしたことで満足している。
 それが、男の人の優しさ・愛なんだと思います。

 そして、必要なときには「NO!」を言う。決断する。突き放して、切る。
 依存させない・執着させないことも、男の人のひとつの愛の表現なのだと思います。

 女はどうしても言葉や想いを求めてしまいがちだから、男の人から言葉や想いが伝わってこないとさびしくて、すれ違ってしまうことが多いのかもしれないですね。
 この歳になってやっと、男の人の本当の優しさ・愛というものがわかるようになってきたのかなぁ、と思っています。

この7年間のこと[2]

2008-04-05 12:25:42 | プロフィールなど
 2005年11月、これまでの半生を自伝エッセイのスタイルで書きはじめました。
 書き上げることができたら出版社に売り込みに行くつもりで、’06年~’07年の前半はこの原稿を書くことに集中していました。
 子どもの頃からいまに至るまでの半生と、自分がどういう人間だったのか、どういうふうに周りの人たちと関わってきたのかをふり返りながら毎日書いているうちに、’07年5月のある日、突然、大きな気づきを得ることになりました。

 一番大きな衝撃は、家族のなかで、夫との関係のなかで、自分が「支配者」だった、と気づいたことです。
 これまでのすべてが、ひっくり返りました。
 自分がいかに、周りの人たちを愛しているつもりで愛していなかったか。思い知りました。自分のことしか愛していなかったわたしを、周りの人たちがいかに愛してくれていたか。
 そのことに気づいてから、毎日、号泣、号泣……。夫がいないひとりの時間に、書きながら泣き、夫や家族の写真を見ながら泣き……一生分の涙を流すほど泣きました。
 でも、そうして泣くことさえ、自分可愛さから詫びたくて泣けてくるんだということにも気づきました。泣いている暇があるなら、いまこの瞬間から本当に愛していけばいいのだから。
 心が浄化されて、目の前がスパーンと開けました。
 そうか、そういうことだったんだ……。わたしがライターを始めてからしゃかりきになって書いてきたのは、この真実――「本当の意味で人を愛するとはどういうことか」――を知るためだったんだ。夫と家族と友だちがそれを教えてくれたんだ。
 「本当の意味で人を愛する」ということを知ることは、「人生の本当の意味を知る」ということでもありました。
 ‘愛する’ことの大切さの前には、病気や子供が産めなかったことなど、自分の悩みなど、ほんとうになんということもないことだったんだと、心の底から感じられるようになったのです。

 それまでずっと、書くことを自分に課していました。
 「結果を出さなければ」、「病気でも子どもがいなくても世間に誇れることをしなければ」、「夫にお返しをしなければ」、「お世話になった方や励ましてくれた方にもよい報告をしなければ」、そんな「ねばならない」にせき立てられ書いていました。
 でも、「もう、書かなくちゃと思わなくていいんだよ。本当に大切なことがわかったんだから。この原稿は本にしなくてもいいんだよ」と自分に言ってあげられたのが、昨年の11月でした。

 「自分のこと以上にどれだけ人を愛することができるか」ということ。

 当たり前のことのようにわかっているようで、‘愛’について、わたしは何もわかっていなかったんですね。書くこと・本を出すことで認めてもらいたがっていた以前のわたしには。
 夫に対しても、精いっぱい愛しているつもりでした。でも、本当は自分の体や気持ちのことでいっぱいいっぱいで、彼に守られていることに甘えっぱなしでした。でもこれからは、彼に愛されることよりも、自分の命以上にどれだけ彼を愛することができるかのほうを大事にしよう、人を深く愛する生き方をしていこうと決められたのです。

 「愛にあふれた人生」「愛するくらし」は自分の手で創るものなんですね。

 いちばん大切なことがわかったいま、書くこと以上に、想いを行動で示していこう。そうして始めたのが、『ことことカフェ』です。

 この答えを見出すまでに7年かかりました。でも、充実した実りのある7年間でした。
 このあいだに書いてきたものや、苦しんだことや、温めてきた想いや、大切な人たちとの出逢いと別れ……一つ一つが自分に向き合うために、なくてはならないものだったと、そう思えます。人里離れた山寺のようなところで修行をさせられていたようなものだったなぁと。
 そしていま、表現したいこと・書きたいことが、胸のうちからあふれてしまいそうになってきて、外に出さずにはいられなくなりました。
 この7年間のすべてがまとまってあるひとつのエネルギーとなって、背中を押してくれているみたいに。
「もういいよ。人里に戻って、想いを外に出していいよ。一緒に歩いて道を照らしてあげるから」
 そう、ささやいてくれています。足もとには、もうちゃんと一本の道ができていました。
 あとは、この7年間とともに前に進むだけです。

 これまで出逢えたすべての方たちに感謝の気持ちでいっぱいです。一緒に過ごした時間を心から愛おしく思います。していただいたこと・楽しかったことばかりに思いを馳せています。出逢わせていいただいたおかげで、大切なことを学ぶことができました。愛と感謝をこめて……ほんとうにありがとうございます。
 そして、これからもお付き合いいただける方、これから出逢わせていただける方たちに、先に、愛と感謝の気持ちを贈ります。ありがとうございます。真心をこめて……これからもよろしくお願いします。

この7年間のこと [1]

2008-04-04 14:29:34 | プロフィールなど
「あのね、ブログ、始めたよ」
 夫に報告すると、
「遅っ!!」
 と一言。
 世間的に今ごろ書き始めて……という意味かとはじめは思ったのだけれど。ちょっとちがう意味で言っていたようで。
「なんであなた、ブログ書かないのかなと思ってた」
 ふぅん、ずっとそう思っていたのか。「ブログ書いてみれば」とか、そういうことを言われたことはなかったけれど。
「うん、いろいろ考えがあって書かなかったんだ。でも書き始めることにしたよ」
「ふぅん」
「ケータイにURL送るから。読んでくれる?」

 1日の晩、そんなやりとりをしました。
 もともと、ああしなよ、こうしなよとか言う人ではないけれど、ブログのことはそう思っていたんだ……と意外でした。
 一番そばで見ていた彼は、「書かないのかな」と内心思いながらも何も言わずに見守ってくれていたんだなぁと、あらためて感謝の気持ちがわいてきました。

 夫に言った「考えがあって書かなかった」というのは半分は本当だけど、かっこつけすぎました。「書ける時期がくるまで書けなかった」というのがほんとうのところです。
 どこにも発信せず、じっくりと内面に向き合う時間がわたしには必要でした。

 25歳のときに腎臓病になっていることがわかり、結婚後、腎臓の病と子どもを産めるか産めないかの狭間で悩んだ時期がありました。
 でもその悩みのおかげで、’98年に『「子供を持たない」という生き方』という本を出させていただきました。
 ホームページを立ち上げてノンフィクションライターとして歩き出し、『妻たちの迷宮』を出させていただいたのが’01年でした。

 その後、自助グループでの活動を始めたのですが、コミュニケーションがうまく取れずにうまくいかなくなり、ホームぺージも突然閉じてしまいました。
 活動がうまくいかなかったことも、何の説明もせずにホームページを閉じてしまったことも、すべてわたしの心の弱さのせいです。逃げてしまったせいです。
 当時、その自助グループの活動に期待して入ってくださった会員の方々にも、ホームページを毎日のように読みに来てくださった方々に対しても、本当に申し訳ないことをしたと思っています。その方たちの気持ちを裏切ってしまったのですから。

 その失敗を機に、わたしはおもてだった活動がいっさいできなくなりました。
 家にこもって、ひたすら書くことで自分自身と向き合い、自分の人間関係のつくりかたを内省した時期だったと思います。
 書くということに関しても、何をどう書いていけばよいのか、何を書きたいのかすら見失っていた時期でもありました。
 暗中模索のなか書きつづけ、2005年11月。
 これまでに体験してきたことや自分なりに(その時点で)出した答えを自伝エッセイのスタイルでまとめてみようと決め、書きはじめました。

 ――このつづきは、また明日。

ブログを始めることにしました

2008-04-01 02:58:13 | プロフィールなど
 はじめまして。よしだあゆみといいます。夫と2人暮らしの40代女性です。
 子どもたちに書道を教えたりしながら、主婦としての夫との日々のくらしをこよなく愛しています。

 20代から30代にかけて、フリーでライターのお仕事をさせていただいていた時期がありました。たくさんの方のお話を聴いて、雑誌の記事やルポ本を書いたりしていました。
 いま現在はライティングのお仕事としてはしていませんが、書くことはずっとつづけてきました。
 書くことを通して、人が生きていくなかで一番大切な‘愛’ということについて深く考えるようになりました。これからも書くことを愛し、ずっと書く人でありつづけたいと思っています。

 この3月から、‘愛あるくらし’を創る人を応援するコミュニティ『ことことカフェ』をはじめました。
 楽しくてためになる講座や、四季の食を楽しむカフェイベントなどをご提供していきたいと思っています。


 ブログを始めようと決めたのは、大切な人たちへの想いを何かのかたちで残しておきたいと思ったからです。
 まずは、一番大切な存在である夫へ。
 もし、わたしのほうが先立つことになっても、彼がこのブログ日記を読めば、妻にたしかに愛されていたと、疑いもなく確信できるように。
 わたしの肉体がこの世からなくなったら、彼は守るものを失い、支えを失い、生きる意欲を失ってしまうかもしれない。
 その日がきたときでも、ときに落ち込んだり迷ったりしたときでも、あゆみならこう言うはず、こう励ますはず、と思ってもらえるように。
 まるで目の前にいるかのように、心が通じるように。
 彼が楽しくて幸せなくらしを創っていけるように……。
 
 同じように、大切な家族――父、母、妹、妹のだんなさん、甥っ子、いとこ、いとこの子どもたちや、夫の父・母・2人の弟・弟のお嫁さん・甥っ子――たちや、大切な友だちたちや、節目節目で助けてくださった恩人の方たちにも、同じようにわたしの想いが通じるように……。

 それなら手紙を書けばいいのかな、とも思ったのだけれど。
 その人ひとりに宛てた手紙って、わたしの想いがいっぱい詰まりすぎていると、相手の人にとってはちょっと息苦しかったりプレッシャーになってしまったり、するものなのかもしれないと思って。
 手紙って(メールもそうだけど)、相手の反応を見ずに自分の想いをまず先に全部書くことになるから、「わたしの気持ちをわかってーーー」と、なりがちのような気がする。ただでさえ、押しつけがましい性格だから、ね。
 
 だから、ブログみたいなもので何げない日々の想いを日記のように綴るほうがいいのかな、と。
 わたしのなかの、一番大事なところに息づいている大切な人たちへの想いがじんわりとにじみ出ているような感じ……くらいがちょうどいいのかも、と思ったんです。

 だけど、本当は、夫よりも1日でも長く生きたい。
 彼が息を引き取るのを見守ってから逝きたい。彼をこの世に残してひとり逝くなんて、彼にそんなさびしい想いはさせられない。
 彼のことは命をかけて守りたいと思っているけれど、同時に自分の命や体も大事にして生きていかないと、彼より長生きはできない。
 彼のためにも、大切な人たちのためにも、わたしは命と体と想いを大事にしながら、一日一日を生きていこうと思う。

 わたしのなかの、とてもあたたかくて、神聖で、純粋で、無防備で、力強くて、熱くて、まるくて、優しい光のかたまりのようなもの――人々が‘愛’とよんでいる想いを表現したり、伝えていくことが、わたしのこれからのしごとです。
 表現するためのツール(手段)はなんでもいいと思っています。
 文章を書くこともその一つ。この3月から始めた『ことことカフェ』もその一つ。書の作品を書いたり、書の色紙をプレゼントさせていただくことも。料理やお菓子を作って食べていただくことも。おいしいお茶を淹れることも。お話を一生懸命聴かせていただくことも。
 全部、わたしのなかのあたたかい泉からあふれ出てくる想いを伝えるツールだと思っています。

 『ことことカフェ』はカフェイベントを開催するときにOPENします。おもに自宅か、レンタルスペースを借りておこなっています。
 ことこと愛する日々のなかで楽しみやよろこびをみつけ、一期一会のご縁を大切にしていきたいと思っています。