まずは、現在の生活のことから。
週に3日、透析クリニックに通って透析をしてもらっています。
生まれつきもって生まれたこの病に対しては、人生におけるその意味を16年かけて理解することができたので、いまは透析を受けていることがつらいということはまったくありません。
50年前ならとっくにこの世にはいない命。いただいた命です。生かしていただいていることがただありがたく、感謝の毎日です。
一番心がけているのは、時間のやりくりかなと思います。
平日の週3日、透析に4時間+通院などの前後の時間を入れるとそれぞれ6時間ずつ時間をとられるため、時間のやりくりに工夫が必要になってきます。
通院による透析を受ける前は、自分の腹膜を使って腹膜透析(CAPD)を5年半していました。自宅で治療ができたので、いまよりも時間的な制約は少なかったのですが。
通院になってからは家にいられる時間が減ったので、主婦としては家事に使える時間が減ってしまったことがいたい! PC作業も家にいるあいだにすることになります(透析中にノートPCを使っている人もいますが、わたしはクリニックにいる時間だけはPCをやめるようにしているので)。
家では、夫のことや家事と『ことことカフェ』関連のことと、書道しごととPC作業(PCアドレスでのメール、ブログやレビューの編集&アップ作業、mixiなど)をするようにして。クリニックでは、手帳に予定やアイデアを書き込んだり、ブログやmixi日記に書くものの下書きをしたり、手書きでできることをします(左手は針が2本刺さっているので使えるのは右手だけなんです)。
読書もクリニックにいるあいだに。それと、ポータブルDVDプレイヤーを持ち込んで、レンタルしたDVDや録画した番組などを観ています。ケータイでできること(ケータイメールのやりとりや、mixiのコメントなど)は移動の時間や寝る前にベッドの中で……というふうに。
「いまこの場でしかできないこと」を優先してするようにしています。
クリニックに通う日は、ギリギリの時間まで家事をしたりPCに向かったりしているので、それからが大変! お風呂に入り、夫の夕飯と自分のお弁当(透析中にクリニックで食べます)をわぁーっと作って支度して、走ってバスに飛び乗る(またはチャリンコに飛び乗って漕ぐ漕ぐ)という感じ。いつもバタバタと入室するので、透析前の血圧はいつも高くて。少しは余裕をもって準備をして家を出ようと思うのですが・・・。
このような毎日なので、透析クリニックは「自宅分室」だと考えるようにしています。そのあいだに体のなかをきれいにしてもらい、エネルギーをチャージしてもらうガソリンスタンドのようなものですね。
3年半前、腹膜の機能が下がってしまい通院の透析に移行しなければならなくなり、時間の制約が大きくなるなぁと落ち込んでいたとき――。
友だちのRさんが「自宅分室ができたんだね」と言ってくれたんです。
この彼女、画家の卵で、とてもいい絵を描きます。いますぐにでも売れる絵が描けるとわたしは思っているのですが、Rさんの発想にはいつも目を見張ります。
そんな彼女に‘自宅分室’というキーワードをもらったおかげで、意識を切り替えることができました。そっか、そう考えればいいんだ、と。
この話をぜひブログに書かせてもらいたいのだけど、とRさんに話したところ、彼女からは、
「実際はわたしの発想ではないのです。あゆみさんだったらどういう風に考えるだろうと想像していたら思い浮かんだので、ほんとうはあゆみさんの発想かもしれないです。」
こんなふうに書かれたお返事がきました。
読んでいて、涙が出てしまうくらいうれしくて、感激……。
そうだったんだ、わたしだったらどういうふうに考えるだろうと想像してくれて(落ち込んでいた気持ちを察して、ほんとうにわたしの身になってくれて)言ってくれた言葉だったんだ。これはほんとに彼女の愛情だなぁ、愛から言ってくれた言葉だったんだなぁと……そう思ったんです。
こうして友だちにも恵まれ、心を助けてもらったおかげでいまの命があるのだと思っています。だから1日1日を大切に、時間を大切にやりくりしながら楽しく暮らすことがモットーです。
わたしの毎日は書きたいこと、やっていきたいこと、学びたいこと、読みたい本や観たい映画、アクセスしたい人、会いに行きたい人がいっぱいで、もうほんとに毎日めいっぱいです。
いま、腎臓病で保存治療をされている方はたくさんいらっしゃると思います。毎日きびしい食事制限をして、透析にならないようにと血のにじむような努力をされていることと思います。
もちろん透析にならずに済むのが一番よいことだと思いますが・・・もしもこの先透析になったとしても、人生終わりじゃないですよ(^^)v
(わたしも以前はそう思っていましたけれど。)
時間のやりくりはできます。体調と食事管理に気をつければ、健康な人とあまり変わらない元気な生活もできます。大丈夫!! 気の持ち方一つですから。
いつだって人生終わりなんてことはないです。自分から舞台をおりない限りは。
週に3日、透析クリニックに通って透析をしてもらっています。
生まれつきもって生まれたこの病に対しては、人生におけるその意味を16年かけて理解することができたので、いまは透析を受けていることがつらいということはまったくありません。
50年前ならとっくにこの世にはいない命。いただいた命です。生かしていただいていることがただありがたく、感謝の毎日です。
一番心がけているのは、時間のやりくりかなと思います。
平日の週3日、透析に4時間+通院などの前後の時間を入れるとそれぞれ6時間ずつ時間をとられるため、時間のやりくりに工夫が必要になってきます。
通院による透析を受ける前は、自分の腹膜を使って腹膜透析(CAPD)を5年半していました。自宅で治療ができたので、いまよりも時間的な制約は少なかったのですが。
通院になってからは家にいられる時間が減ったので、主婦としては家事に使える時間が減ってしまったことがいたい! PC作業も家にいるあいだにすることになります(透析中にノートPCを使っている人もいますが、わたしはクリニックにいる時間だけはPCをやめるようにしているので)。
家では、夫のことや家事と『ことことカフェ』関連のことと、書道しごととPC作業(PCアドレスでのメール、ブログやレビューの編集&アップ作業、mixiなど)をするようにして。クリニックでは、手帳に予定やアイデアを書き込んだり、ブログやmixi日記に書くものの下書きをしたり、手書きでできることをします(左手は針が2本刺さっているので使えるのは右手だけなんです)。
読書もクリニックにいるあいだに。それと、ポータブルDVDプレイヤーを持ち込んで、レンタルしたDVDや録画した番組などを観ています。ケータイでできること(ケータイメールのやりとりや、mixiのコメントなど)は移動の時間や寝る前にベッドの中で……というふうに。
「いまこの場でしかできないこと」を優先してするようにしています。
クリニックに通う日は、ギリギリの時間まで家事をしたりPCに向かったりしているので、それからが大変! お風呂に入り、夫の夕飯と自分のお弁当(透析中にクリニックで食べます)をわぁーっと作って支度して、走ってバスに飛び乗る(またはチャリンコに飛び乗って漕ぐ漕ぐ)という感じ。いつもバタバタと入室するので、透析前の血圧はいつも高くて。少しは余裕をもって準備をして家を出ようと思うのですが・・・。
このような毎日なので、透析クリニックは「自宅分室」だと考えるようにしています。そのあいだに体のなかをきれいにしてもらい、エネルギーをチャージしてもらうガソリンスタンドのようなものですね。
3年半前、腹膜の機能が下がってしまい通院の透析に移行しなければならなくなり、時間の制約が大きくなるなぁと落ち込んでいたとき――。
友だちのRさんが「自宅分室ができたんだね」と言ってくれたんです。
この彼女、画家の卵で、とてもいい絵を描きます。いますぐにでも売れる絵が描けるとわたしは思っているのですが、Rさんの発想にはいつも目を見張ります。
そんな彼女に‘自宅分室’というキーワードをもらったおかげで、意識を切り替えることができました。そっか、そう考えればいいんだ、と。
この話をぜひブログに書かせてもらいたいのだけど、とRさんに話したところ、彼女からは、
「実際はわたしの発想ではないのです。あゆみさんだったらどういう風に考えるだろうと想像していたら思い浮かんだので、ほんとうはあゆみさんの発想かもしれないです。」
こんなふうに書かれたお返事がきました。
読んでいて、涙が出てしまうくらいうれしくて、感激……。
そうだったんだ、わたしだったらどういうふうに考えるだろうと想像してくれて(落ち込んでいた気持ちを察して、ほんとうにわたしの身になってくれて)言ってくれた言葉だったんだ。これはほんとに彼女の愛情だなぁ、愛から言ってくれた言葉だったんだなぁと……そう思ったんです。
こうして友だちにも恵まれ、心を助けてもらったおかげでいまの命があるのだと思っています。だから1日1日を大切に、時間を大切にやりくりしながら楽しく暮らすことがモットーです。
わたしの毎日は書きたいこと、やっていきたいこと、学びたいこと、読みたい本や観たい映画、アクセスしたい人、会いに行きたい人がいっぱいで、もうほんとに毎日めいっぱいです。
いま、腎臓病で保存治療をされている方はたくさんいらっしゃると思います。毎日きびしい食事制限をして、透析にならないようにと血のにじむような努力をされていることと思います。
もちろん透析にならずに済むのが一番よいことだと思いますが・・・もしもこの先透析になったとしても、人生終わりじゃないですよ(^^)v
(わたしも以前はそう思っていましたけれど。)
時間のやりくりはできます。体調と食事管理に気をつければ、健康な人とあまり変わらない元気な生活もできます。大丈夫!! 気の持ち方一つですから。
いつだって人生終わりなんてことはないです。自分から舞台をおりない限りは。
小さな体で頑張ってるよね!パワーもらえるよ
わかりましたよ~。コメントありがとうね!
小さな体で←わはは、子どもの頃から変わらないね、そこだけは(笑)。
プルまささんも、お仕事がんばってね
たまには息抜きもして…ね
いつだったか、何で読んだのだったか聞いたのだったか思い出せないのだけれど、
病気やハンディは、神様からの送りもと思いましょう。とういもの。
ちょっと意地悪な贈り物なのだけれど、たとえ時間がかかってもこれをちゃんと受け止め消化したとき
たくさんの喜び、感謝の気持ち、暖かさ、愛情を感じ取れる幸福を得る事が出来るのだと。
それはごく平凡な健常な人が感じられる事よりも
もっと深く大きいものなのだから大事にしましょう。
という様な事でした。
試練だけでなくちゃんと一緒に幸福も与えてくれていて、それに気づくか気づかないかで大きく変ってくるのだと言うお話でした。
障害を持つ子供の両親に対しても同じ事だとも。
あゆみさんは、16年の歳月をかけてそんな気づきを得たのですね。
偉いとか、凄いですねなんて簡単な言葉では言い表せないものがありますが、
これまでの16年という期間は、これからの幸福をさらに豊かなものにしてくれるのではないかと思います。
私のように何事も無く健康で日々過ごせている者の浅い日常よりも
遥かに深く充実した日々を送られているんだなと感じました。
何かを取り上げられ制限されているのではなくて、
与えられた事の中から大切な者を見つけていこうと考えた時
光が射してくるのですね。
そんな事をあゆみさんの文章で思い出させられました。
あゆみさんがご病気の事についてかかれる事によって、
励みになり同じ気づきを得られる方がいたり、
すこしでも病気の方の気持ちを理解したいと思う人、
いろんな意味で励みになる人がいると思います。
エネルギーを要する作業と思いますが是非、ご自身の体験、思いを
綴っていって下さいませ。
本当におっしゃる通り、病は神様からの贈り物だと思うんですね。
>試練だけでなくちゃんと一緒に幸福も与えてくれていて
ほんとにその通りで、わたしの場合、病気がみつかった年に夫と付き合い始めています。
夫との出逢いは、神様からのギフトだったのだと思います
夫だけでなく、実の家族・夫の家族にも友だちにも恵まれて、幸福もたくさんいただいているのですよね。
でも生きていることが精一杯だった頃は、与えられているものになかなか目を向けられませんでした。
そうして病をとことん嘆くこと・苦しむこと、自分にとっての病の意味を考えることそのものが、わたしにとっては大きな課題だったのだと思っています(^^)。
心に沁みるメッセージをありがとうございました