ことこと愛する日々

『ことことカフェ』@よしだあゆみのつれづれ日記
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あとは天にお任せ

2008-06-29 08:28:25 | 書道のこと
 きのう、師匠のお宅にて、かなの試験に提出する作品を選んでいただきました。

 夜通し書いて完徹した日もあったし、納得いくまで書いてベストを尽くしたつもり。
 ‘人事を尽して天命を待つ’の気分で、あとは天にお任せしました。達成感というよりは、天にお任せして手放せるってなんて気持ちがいいんだろう! という解放感に浸っています。

 師範試験の課題の3体のうちの2体は、短歌と俳句の創作作品を書きました。
 ↑写真の右の作品は短歌、左が俳句を書いたものです。

 ★短歌は、与謝野晶子の歌です。

 『遠近(をちこち)の 水(みづ)のおとより 夏の夜の しろく明けたる 山の家(いへ)かな』

 (大意 = 遠くの方からも近くの方からも聞こえてくる谷川の水の音が冴えまさり、短い夏の夜がしろく明けてゆく山の家よ。)

 ★俳句は、日野草城(ひのそうじょう:俳人(明治34年~昭和31年))の作品から。

 『松風に誘はれて鳴く蝉一つ』

 (大意 = しんとした真昼、松風の音がしきりにしている。その松風の音にさそわれるように蝉がひとつ鳴いた。)

 創作は、自由に書くことができる分、やはりむずかしい!!
 条幅という限られた大きさの紙のなかで、どの文字(漢字・かな)を選び、その字をどのように配置して構成していくか。自由とはいっても、暗黙のルールのようなものはありますし。
 かなの先生が雛型になるようなお手本を書いてくださり添削もしてくださったのですが、自分の作品としてかたちにするまでには相当書き込む必要がありました。

 
 ↑これが最終的に選ばれた3体。

 条幅の紙は100枚が一つの紙に包まれていて、100枚単位で一反、二反と数えます。
 今回の試験では、3体で一反強使ったから120~130枚くらいは書いたのかな。
 講習会では「師範を受けるなら、1体につき五反(500枚)は書きなさい」と言われました。卒倒しそうになりましたね。

 書きすぎてもよくない、とおっしゃる先生もいます。お手本を書いてくださったかなの先生は「あまり早くから書かないほうがいいですよ。書きすぎてもよくないので、のんびり書いてね」などとおっしゃってくださいました。
 実際、かなりの枚数を書いたあとで、その日最初に書いた作品や一週間前に書いた作品が一番よかった、なんてこともあります。一概に枚数を書けばいいというものでもないようで……リラックスして無心で書いたものがよい作品になることも多いです。

 だから、いかに力を抜いて書けるか。短歌や俳句の世界に入りこんで無心で書けるか、ということなのかなと思っています。
 こういうことは、書にかぎらず文章を書くことにも、スポーツなどほかのことにも言えるかもしれないですね。

 好きな映画『バガー・ヴァンスの伝説』(2000年/アメリカ・ウィル・スミス、マット・デイモン主演 )のなかにこんな言葉があります。

「誰でも自分だけのスイングを持っている。それはもって生まれたもので、大切にしないと、それは体のどこかに埋もれ見失ってしまう」
「その‘場’に調和するショットは一つ。頭で考えずに手で感じることです。手のほうが頭より賢い」

 これはゴルファーが主人公の映画ですが、書道をしている自分にもとても響いてきた言葉だったのでメモしておきました。
 枚数を重ねてくると、あれこれ考えてしまって筆がうまく動かなくなるときがあります。そういうときにはこの言葉を思い出して、「この作品に調和する書き方は一つ。手のほうが頭より賢い。考えないで手にお任せ!」と筆を持ち直して紙に向かいます。
 頭より手のほうが賢い。ほんとうにそう。体のほうがちゃんと書き方を知ってるんですよね。

 それでもやはり、枚数を書くということにももちろん意味があって。一時的に集中して100枚単位の枚数を書くと、それも師範試験のためにあれこれ苦心しながら作品を仕上げると、腕が上がるのはたしかのようです。
 わたしも、毎月のお稽古の数十倍の量を書いてみて初めて、ようやく、かな特有の線質・運筆の緩急・連綿線の流れの大切さ、行と行の調和などのあれこれが少しわかってきたかな……と思えるように。
 いやはや、書は奥が深いです。。。

 『ことことカフェ』次回のイベントでは、自分が描いたアート(絵)と向き合えますよ。
   7月@アートセラピーの会。ご参加お待ちしております♪