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言葉のかけら

エルヴィスのレパートリーを日本人の視点から読み取る訳詞プロジェクト「言葉のかけら」

FTD「Elvis In Person At The International Hotel, Las Vegas, Nevada」 BEHIND THE SCENES (1/3)

2014-06-22 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1968年12月10日
TVスペシャル「エルヴィス」の放送に続いて、大佐は代理店ウィリアム・モリス社に
エルヴィスのラスベガス公演が可能であると伝える。
出演料は、2週間(の公演)に30万ドル、もしくは4週間で50万ドル。
追加条件は、月曜日は休演、火曜日から金曜日の晩は1日1回公演、週末には1日2回公演。
代理店にはさらなるテレビ出演の要請が相次いだが、大佐はそれらの要請をキッパリと拒否。

1968年12月19日
ラスベガスに建設予定のインターナショナル・ホテルで行われるエルヴィスの公演に関する契約が、
パーカー大佐とカーク・カーコリアンの間で取り交わされる。
ホテル側から要望された、1晩2公演、4週間で40万ドル、公演中休みは無しなど幾つかの点で、
大佐は譲歩を余儀なくされる。
エルヴィスはバンドの給料を自分への支払い分から払うこととなる。

1969年2月26日
来たるラスベガス公演の宣伝広告用写真の撮影のため、エルヴィスと大佐がラスベガスに入る。
写真撮影はホテルの建築現場で行われ、エルヴィスは見せ掛けの契約書にサインする姿を撮られる。

1969年4月15日
ラスベガス公演に関する本物の契約書に最終的に署名。

1969年6月19日
カーク・カーコリアンは、エルヴィスと一握りの友人をインターナショナル・ホテルの建築現場訪問に招き、
一行をラスベガスまで飛行機で送る。

1969年7月5日
エルヴィスはラスベガス・ショーの準備のためにロサンゼルスへ飛ぶ。

1969年7月7日
ラスベガス・ショー向けに練られた曲目リストが、エルヴィスからジョー・エスポジトを介して
パーカー大佐の事務所に伝えられる。
このアルバムで取り上げられた、もしくは後述のリハーサルで示された楽曲は、このリストからは除外されている。
これらの歌が実際にリハーサルされたという確たる証拠は無い。

 I'll hold You In My Arms (わが胸に抱きしめて)
 Return To Sender (心の届かぬラブ・レター)
 Let Yourself Go (その気でいこう)
 If I Can Dream (明日への願い )
 A Big Hunk O' Love (恋の大穴)
 A Fool Such As I (ア・フール・サッチ・アズ・アイ)
 Without Love (愛がなければ)
 It's Now Or Never (イッツ・ナウ・オア・ネバー)
 Little Sister (リトル・シスター)
 Love Letters (ラブ・レター)
 It Hurts Me (胸に来ちゃった)
 Clean Up Your Own Backyard (クリーン・アップ・ユア・オウン・バックヤード)
 Memphis Tennessee (メンフィス・テネシー)
 Judy (ジュディ)
 Kentucky Rain (雨のケンタッキー )
 After Loving You (アフター・ラビング・ユー )
 You Don't Have To Say You Love Me (この胸のときめきを)
 Seventeen (詳細不明:「I Saw Her Standing There - The Beatles」か?)
 Slow Down (スロー・ダウン - The Beatles)
 Fever (フィーバー)
 You'll Think Of Me (ユール・シンク・オブ・ミー)
 You're The Reason I'm Living (君のための僕 - Bobby Darin)
 Matchbox (マッチボックス - The Beatles)
 Yellow Roses (詳細不明:「18 Yellow Roses - Bobby Darin」か?)
 I Need You So (アイ・ニード・ユー・ソー)

1969年7月
7月の早い時期に、エルヴィスはショーのバンドを集めるため数多くのミュージシャンと交渉する。

 FTD「Elvis In Person At The International Hotel, Las Vegas, Nevada」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「From Elvis At American Sound Studio」 RECORD RELEASES (3/3)

2014-06-16 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1971年3月
今回のキャムデン新譜は宗教歌アルバムで、映画「チェンジ・オブ・ハビット」からの「共に祈ろう」と、1969年2月のメンフィス・セッションで最後に録音された「私は誰?」の、更なる未発表曲2曲を収録。このアルバムはビルボードTOP LP チャートで69位に達する。(チャートは金額ベース)エルヴィスの既発表ゴスペル・アルバムの販売数は落ち始めていたが、アメリカ国内の販売実績だけで300万枚以上に達する。

1972年2月
メンフィス録音のマスターで最後に残っていた「ヘイ・ジュード」が、それまでの3年間(1969年~1971年)に録音された作品が入り混じった、エルヴィスの新しいスタジオ録音アルバム「エルヴィス・ナウ」で発表される。「エルヴィス・ナウ」は、ビルボードTOP LP チャートで43位にしか届かず、初版販売数はざっと40万枚。

Elvis Now

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FTD「From Elvis At American Sound Studio」 RECORD RELEASES (2/3)

2014-06-13 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1970年4月
アルバム「ELVIS SINGS FLAMING STAR」の大成功を受けて、二匹目のドジョウを狙った廉価アルバムが「LET'S BE FRIENDS」というタイトルで発表される。パーカー大佐は何年もの間、エルヴィスの作品を廉価盤レーベル「キャムデン」で発表しないかというRCAからの打診を拒んできたが、アルバム「ELVIS SINGS FLAMING STAR」の50万枚という販売数を目の当たりにして、この手の作品の大きな潜在能力を認めざるを得なくなり、自分とエルヴィスへの追加的な印税の前払いについて、RCAと交渉する。それまでの発表作品に倣い、新譜には、倉庫に眠っていた未発表トラックが収録されるが、その大部分が過去2年間の録音である。メンフィス・セッション録音曲の「アイル・ビー・ゼア」と「イフ・アイム・ア・フール」は、ここで初めて日の目を見る。ビルボードTOP LP チャートは販売額に基づいて順位が決定されるため、キャムデン盤「LET'S BE FRIENDS」は、40万枚を売り上げたものの、105位止まりとなる。



1970年
RCAはこの時期、さまざまなアルバムでシングル曲を再発表する。
「サスピシャス・マインド」、「ドント・クライ・ダディ」、「雨のケンタッキー」が、
1970年8月に4枚組みLP「WORLD WIDE 50 GOLD AWARD HITS, VOL.1」で、
「ラバーネッキン」と「マイ・リトル・フレンド」が、1970年10月にキャムデン盤「ALMOST IN LOVE」で、
最後は「思い出のバラ」が1970年11月に「ELVIS' CHRISTMAS ALBUM」のキャムデン・廉価版で、
それぞれ発表される。

WORLDWIDE 50 GOLD AWARD HITS VOL.1

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FTD「From Elvis At American Sound Studio」 RECORD RELEASES (1/3)

2014-06-10 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1969年11月11日
RCAはこの年のシングル第6作として「ドント・クライ・ダディ」を、映画「チェンジ・オブ・ハビット」のサウンドトラックではあるが、実際には1月のメンフィスでのセッションで録音されていた曲「ラバーネッキン」をB面にして発表。このレコードは世界的な大ヒットとなり、ビルボードHOT 100で6位に達し、120万枚を売り上げる。

1970年1月29日
シングル「ドント・クライ・ダディ / ラバーネッキン」がまだヒット・チャートに留まっているうちに、メンフィス録音の2曲「雨のケンタッキー / マイ・リトル・フレンド」をカップリングしたシングルの発表が大々的に宣伝され、店頭に押し寄せる。「雨のケンタッキー」はビルボードHOT 100で16位に達し、60万枚前後を売り上げる。

1970年4月20日
発売予定のアルバム「オン・ステージ」からの初公開曲「ワンダー・オブ・ユー」が、こちらもメンフィス録音の未発表曲「思い出のバラ」をB面にして発表される。このシングルの売り上げは100万枚に迫り、両面A面シングルとしてビルボードHOT 100で9位に達する。


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FTD「From Elvis At American Sound Studio」 BEHIND THE SCENES (3/3)

2014-06-07 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
メンフィス・セッションの作品を発表することになった時、RCAは再び業界の慣行に従って、「イン・ザ・ゲットー / エニー・デイ・ナウ」をアルバムの先行シングルとして発表し、チャート3位という成果を得た。メンフィス・セッション録音曲にはヒットを見込めるA面候補曲がまだ残っていたのに、RCA と大佐が、成功を収めたやり方をなぜ継続しなかったのか、不可解と言うしかない。メンフィス・アルバム3作目が、前2作に比べて多少見劣りのするものになっていたとしても、商業的な大成功を収めたであろうことは、ほとんど疑いの余地が無い。「ワンダー・オブ・ユー」をアルバム「オン・ステージ」」からの先行シングルとして発売することが、またも経験的慣行によって決定された。

このアルバムを編集した我々の「試み」を皆さんに楽しんでもらいたいと思う。



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