1973年7月にエルヴィスがスタックス・スタジオでレコーディングしたとき、
セッションはいくつかの問題に見舞われた。
スタックスは8トラックがたった1台という、
技術面ではいささか時代遅れのスタジオだった(RCAには16トラックのレコーダーが導入されていた)。
技術面での様々な機能不全がセッションの進行を妨げ、
エルヴィスのマイクロフォンが行方不明になり、
最後にはエルヴィスもスタジオに姿を見せなくなり、
取り残されたフェルトンとバンドは数曲(4曲)のオケを録音したのだが、
エルヴィスは2ヶ月後にパーム・スプリングスの自宅で、
その内のたった1曲を選んで完成させただけだった。
12月になり1週間に渡るセッションにエルヴィスが戻って来たとき、
RCAはセッションの技術的な面を指導する目的で、
持ち運び可能な16トラック機器を自社のエンジニアと共にメンフィスに送り込んだが、
より重要なことは、厳選された優れた楽曲が用意されて
フェルトンとエルヴィスにより良い体制が与えられることであり、
更に最も重要なことは、エルヴィスが7月よりもやる気を取り戻すことだった。
18曲のマスターが完成し、セッションは
フェルトンとRCAが求めていた数の録音をきっちりと生み出した。
持ち越していた7月の2曲を加え、
新譜シングルと2枚のアルバムに充分な素材が手に入った。
1974年1月11日
RCAは7月のセッションで録音された残りの2トラック「君に夢中さ (I've Got A Thing About You Baby) / 涙で祈る幸せ (Take Good Care Of Her)」を、エルヴィスの新譜シングルとして発表。
トニー・ジョー・ホワイト作のA面曲は、疑いなく商業的な強みのある歌で、まずまずの40万枚を売り上げたが、今では売り上げ枚数とラジオでの放送回数が同等の扱いで計算されるようになっていたビルボードのシングル・チャートでは、39位にしかならなかった。
(だがHot カントリー・チャートではそれよりもはるかに良い4位となる)
ポップス部門のラジオがエルヴィスをもう支持しなくなったという現実は、
単純に売り上げ枚数でチャートを算出していた頃に比べて、
チャート順位が悪くなることを意味している。
1974年1月26日~2月9日
4週間ではなく2週間だけとなったラスベガス公演は、これが初めてである。
ラスベガス・ヒルトンでのその公演は、
「良いユーモアに包まれて」や「最高のコンディションで」などといった批評がなされ、
好意的に受け取られる。