言葉のかけら

エルヴィスのレパートリーを日本人の視点から読み取る訳詞プロジェクト「言葉のかけら」

FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (5/5)

2014-09-18 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1975年1月15日
シングル盤2枚がトップ20入りしたことで関心が集まり、アルバム「約束の地 (Promised Land)」への期待は当然のごとく高まったが、最高位は47位という結果に、期待した人々はいささか失望したに違いない。
それでも、35万枚前後の売り上げ数は、アルバム「グッド・タイムズ」よりも格段に良い数字である。

1975年3月1日
アルバム「約束の地 (Promised Land)」収録の「シンキング・アバウト・ユー」を裏面に据えたシングル「マイ・ボーイ」が、ビルボード Hot 100で20位まで上がって連続トップ20入りシングルの3作目となり、イージー・リスニング・チャートでは1位を獲得したことは、アルバム「グッド・タイムズ」の音楽的な品質を僅かながら高めることに貢献したようだ。
1974年11月に、イギリスのRCAが厳選特別シングルとして発表し、チャート5位になったことが、アメリカのRCAにこのシングルの発表をさせる切っ掛けとなったのは、疑う余地が無い。


 FTD「Promised Land」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (4/5)

2014-09-14 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1974年9月27日
間近に迫ったスタジオ録音アルバム発表への地ならしとして、RCAは「約束の地 (Promised Land) / 悲しみの夜 (It's Midnight)」を新譜シングルとして発表する。
「約束の地 (Promised Land)」は、セッションで録音された曲の中で最も明確に商業的な成功が見込める作品であり、ビルボード・チャートで非常に素晴らしい結果(Hot 100で14位、Hot カントリー・シングルで5位)を得るが、売り上げ枚数は、不運な結果に終わった「君に夢中さ (I've Got A Thing About You Baby)」よりも5万枚少ないのである。

1974年9月27日~10月9日
何がこれほど熱狂的とも思える行動に駆り立てるのか、エルヴィスはこの年4回目のツアーに出る。

1974年10月11~14日
1973年5月の興行でキャンセルされた4つのショーの埋め合わせとなる4夜公演を行うため、サハラ・タホに向かう。

1974年12月
新アルバムの発表が1月に控えているにも拘らず、12月にメンフィスで一連のセッションが企画されるが、
エルヴィスの体調に問題が生じ、結局キャンセルせざるを得なくなる。

 FTD「Promised Land」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (3/5)

2014-09-10 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1974年6月15日
3月20日にメンフィスのミッド・サウス・コロシアムで行われたショーの録音は「ライブ・イン・メンフィス (ELVIS RECORDED LIVE ON STAGE IN MEMPHIS)」として発表され、マジソン・スクエア・ガーデンやハワイのTVショーのアルバムほどの成功は得られなかったものの、ビルボード TOP LPs チャートでは33位に達し、最終的な売り上げは、RIAAのゴールド・アルバムに認定されるに足る50万枚以上となる。
このアルバムに収録された楽曲「偉大なるかな神 (How Great Thou Art)」が、グラミー「最優秀インスピレーショナル・パフォーマンス賞」を獲得する。

1974年6月15日~7月2日
この年3度目となるツアーを行い、
3月のツアーをほぼ100万ドル上回る、総額300万ドル以上を売り上げる。

1974年8月19日~9月3日
ラスベガス・ヒルトンで公演を行い、
ホテル側と交わした「年2回興行」の契約を果たす。

1974年8月と10月
エルヴィスのマネージャーであるパーカー大佐が、エルヴィスのキャリアで最も風変わりな作品のひとつである、コンサートの合間のエルヴィスのおしゃべりを集めたアルバムを、「HAVING FUN WITH ELVIS ON STAGE」と題して、自らが新設したボックスカー・レーベルから発表する。
2ヵ月後に通常のRCAレーベルで発表されると、意外にもビルボード TOP LPs チャートに登場して最高位130位になり、Hot カントリー LPs チャートでは9位を記録する。

 FTD「Promised Land」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (2/5)

2014-09-06 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1974年3月1日~20日
このところのレコード売り上げとは対照的に、
これまでで最も成功したものとなるツアーをスタートさせる。
3週間の公演で総売り上げ200万ドル以上を記録し、
メンフィスでのツアー最終夜はライブ・アルバム向けに録音され、
明らかに公演を上回る収益を生み出した。
1974年3月
12月のセッションから作られた最初のアルバムは
「グッド・タイムズ」とタイトルが付けられ、
明らかに優れた何曲かの録音が特徴的だったが、
アルバム・チャートでは90位にしかならず( Hot カントリー・チャートでは5位に到達している)、売り上げも僅か20万枚で、エルヴィスのキャリアにおいて商業的に最低の作品となる。
これは、エルヴィスが、アメリカのラジオ局だけではなく一般民衆の支持も失ったように感じさせる出来事である。


1974年5月10日
シングルとアルバム双方の失敗を受けて、
RCAは2つの新録音「俺を忘れろ!! (If You Talk In Your Sleep) / ヘルプ・ミー」を矢継ぎ早に発表する。
エルヴィスの友人レッド・ウエストが書いたシングルA面曲は、RCAがラジオ局の妥当な支持を取り付けたらしく、前作のシングルより売り上げが5万枚も少ないにも関わらず、ビルボード Hot 100 では17位にまで上昇する。
このシングルもまた、Hot カントリー・シングル・チャートでは6位と、はるかに良い順位を記録する。

1974年5月10日~13日
カリフォルニアでの短いツアーに出る。

1974年5月16日~26日
ネバダ州ステートラインのサハラ・タホ・ホテルのハイ・シエラ・ルームで興行を行う。
エルヴィスの病気により、2つのショーがキャンセルを余儀なくされる。


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FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (1/5)

2014-09-01 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1973年7月にエルヴィスがスタックス・スタジオでレコーディングしたとき、
セッションはいくつかの問題に見舞われた。
スタックスは8トラックがたった1台という、
技術面ではいささか時代遅れのスタジオだった(RCAには16トラックのレコーダーが導入されていた)。
技術面での様々な機能不全がセッションの進行を妨げ、
エルヴィスのマイクロフォンが行方不明になり、
最後にはエルヴィスもスタジオに姿を見せなくなり、
取り残されたフェルトンとバンドは数曲(4曲)のオケを録音したのだが、
エルヴィスは2ヶ月後にパーム・スプリングスの自宅で、
その内のたった1曲を選んで完成させただけだった。
12月になり1週間に渡るセッションにエルヴィスが戻って来たとき、
RCAはセッションの技術的な面を指導する目的で、
持ち運び可能な16トラック機器を自社のエンジニアと共にメンフィスに送り込んだが、
より重要なことは、厳選された優れた楽曲が用意されて
フェルトンとエルヴィスにより良い体制が与えられることであり、
更に最も重要なことは、エルヴィスが7月よりもやる気を取り戻すことだった。
18曲のマスターが完成し、セッションは
フェルトンとRCAが求めていた数の録音をきっちりと生み出した。
持ち越していた7月の2曲を加え、
新譜シングルと2枚のアルバムに充分な素材が手に入った。

1974年1月11日
RCAは7月のセッションで録音された残りの2トラック「君に夢中さ (I've Got A Thing About You Baby) / 涙で祈る幸せ (Take Good Care Of Her)」を、エルヴィスの新譜シングルとして発表。
トニー・ジョー・ホワイト作のA面曲は、疑いなく商業的な強みのある歌で、まずまずの40万枚を売り上げたが、今では売り上げ枚数とラジオでの放送回数が同等の扱いで計算されるようになっていたビルボードのシングル・チャートでは、39位にしかならなかった。
(だがHot カントリー・チャートではそれよりもはるかに良い4位となる)
ポップス部門のラジオがエルヴィスをもう支持しなくなったという現実は、
単純に売り上げ枚数でチャートを算出していた頃に比べて、
チャート順位が悪くなることを意味している。

1974年1月26日~2月9日
4週間ではなく2週間だけとなったラスベガス公演は、これが初めてである。
ラスベガス・ヒルトンでのその公演は、
「良いユーモアに包まれて」や「最高のコンディションで」などといった批評がなされ、
好意的に受け取られる。

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 BEHIND THE SCENES
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