言葉のかけら

エルヴィスのレパートリーを日本人の視点から読み取る訳詞プロジェクト「言葉のかけら」

もうひとつの「O Little Town Of Bethlehem」

2009-11-29 16:16:16 | まとめ
フィリップス・ブルックス(詞)とルイス・H・レンダー(曲)によって「O Little Town Of Bethlehem」が作られてから40年ほど後の1906年、イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムズは、イングランドの古い民謡「Forest Green」をアレンジしてブルックスの詞に付け、イギリス版「O Little Town Of Bethlehem」を作りました。
イギリスで「O Little Town Of Bethlehem」と言えば、こちらの曲を指すのだそうです。

Brooks & Redner versionBrooks & Williams version

Elvis Sings

Aled Jones sings

オルガン・ヴァージョン

オルガン・ヴァージョン


親しみやすく優しい感じのレンダー版に対して、ウィリアムズ版はより宗教歌らしくやや固い印象を受けます。
エルヴィスだったらどんな風に仕上げていたでしょうか。
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翻訳「Standing Room Only」(4/4)(終)

2009-11-19 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
10月になって、アーティストのマネジメント・ミスと愚かさの極みのような商業戦略が、常識的な判断に勝ったとしか思えないことが起きた。RCAが廉価盤シリーズ「Elvis Sings Hits From His Movies」の第2集を発売したのである。
「Burning Love And Hits From His Movies Vol. 2」と名付けられたその新譜は、それなりのヒットを記録したのだが、シングルB面の「It's A Matter Of Time」を除いた他の収録曲は、古ぼけた(何年も前にレコーディングされた)サウンドトラック曲だった。
このアルバムは、既にそれらの曲を手にしていた本当のエルヴィス・ファンへの侮辱になっただけでなく、アーティストにとっての深刻なプレゼンテーション・ミスともなった。
RCA は、このアルバムには幾つかの「業界初」があると自慢げに宣伝したのだが、ファンは、レコード会社のみならずエルヴィスまでもが、最新のヒットチャートに姿を見せているシングル曲と倉庫に眠っていた古くさくシングル曲とは何の関係も無い曲を抱き合わせにした廉価版アルバムを発表したかったのだと受け取りそのことに最も大きな驚きを覚えた。

2月と3月のレコーディングを組み合わせた創造的なアルバム「Standing Room Only」は、発売されていたらプラチナ・アルバムになっていただろう。しかしそのアイデアは、思いつき以外の何ものでもない企画によって葬られてしまった。
「Burning Love And Hits From His Movies Vol. 2」がそれなりのヒットを記録したので、RCAは性懲りも無く、次のシングル「Separate Ways / Always On My Mind」を使って、同じコンセプトのアルバムを発表した。ただし、今回は、ファンを魅了する「Hits From The Movies」はタイトルから外された。
これらキャムデン盤のヒットは、他の二流アーティストであればそのキャリアを終わらせてしまうような、創造性のかけらも無い企画でも成功に導くことが出来るエルヴィスの才能を証明している。

今ようやく、成るべき姿となってアルバムが発表されたのである。
このアルバムは、オリジナル企画の段階では純然たるライヴ・アルバムとして計画されていたのだが、プロデューサー達がある論理に固執した結果内容が変化し、そのコンセプトは、スタジオ録音を含んだアルバム「That's The Way It Is (オン・ステージVol.1 )」にそっくりなものとなった。
このように結論付けることが容易になったのは、近年アルバム資料が発見されたからである。
この資料にはRCAの曲目リストが含まれており、それらの曲には「新たなアルバム・ジャケットが用意されたら」という但し書きが添えられていた。
FTD盤「Standing Room Only」のジャケットには、完成されることの無かったアルバム用に考えられていたオリジナル・デザインを使用した。


CDの見開き右側に載せた写真(→)も、ジャケット前面候補として考えられていたものである。

このような話の流れにみなさんは同意できないかもしれないが、1枚のアルバムに収められたこれらのマスターテイクは、1972年春にエルヴィスが身を置いていた音楽状況を我々に思い起こさせてくれるのである。
この後16ヶ月間、エルヴィスがレコーディング・スタジオに足を踏み入れることは無かった。


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翻訳「Standing Room Only」(3/4)

2009-11-17 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
この時点でも、RCAは「アルバムを仕上げるため」という公式見解に基づき、4月8日のKnoxville公演を録音する計画を進めていたが,これは MGMが撮影をするのと同じツアーでの録音を、サウンドトラックとしてではなくRCA独自のアルバム向けに行うことであったと思われる。
残念ながら、会場の電源故障によって録音操作機器が損傷し、ショーを録音することは出来なかった。


4月4日にシングル「An American Trilogy」がリリースされ、アルバムの発売に向けて計画が動き始めたのだが、それはすぐに、予期していなかった期待はずれの方向へと向かった。
「An American Trilogy」はビルボード「Hot 100」の66位止まりとなり、ニューアルバムの広告としての価値を疑問視されることになった。
この年(1972年)すでに3枚のシングルが出されていたが、そのどれもがヒットしておらず、ニューヨークでの公演を録音する計画が詰めの段階に入ると、シングル発売のスケジュールを一旦白紙に戻す必要が増すことになった。
ニューヨーク公演のアルバムは発売と同時に大変な評判を呼び、8月1日発売予定の次のシングルにとって理想的なお膳立てとなった。
シングルには、迷うことなく、3月のスタジオセッションの中で最も商品価値が高いと判断された「Burning Love」が選ばれた。
「Burning Love」はビルボード「Hot 100」で2位、キャッシュボックス「Top 100」では1位に駆け上がり、ニューアルバムの莫大な売り上げを保証するに足るメガヒットとなった。

この時点で、「アロハ・フロム・ハワイ」のTV中継とその後に続くアルバム制作の計画がめざましい進展を見せ、1972年11月のホノルル公演がその計画の対象となった。
しかし、これによって、作品の選択肢が増えるという事態が突然起こった。
「アロハ・フロム・ハワイ」のアルバムが11月に発表されるとなると、同じく11月に公開を予定していたドキュメンタリー「Elvis On Tour」とかち合うことになってしまうため、MGMはパーカー大佐にハワイ公演の延期を懇願してきた。
そして、公演の延期を懇願したということは、サウンドトラック・アルバムについても、「Elvis On Tour」に道を譲ってくれと願ったに違いない。

しかし、仮に「Standing Room Only」が紛れもないサウンドトラック・アルバムだったとしたら、曲目の多くが既に発売されている「Elvis As Recorded At Madison Square Garden」と重なってしまうという問題を抱えることになる。
つまり、発売されるはずだったアルバムは、2月と3月の録音で構成されたものだったのである。
このアルバムは、これまでのコンサート・アルバムが与えていた古くさい印象とは対照的な、エルヴィスと彼の音楽が持つ最新の音楽性を示すことによって、音楽的な声価を得られるものであったし、大ヒット・シングル「Burning Love」をアルバムの中心に据えることで、売り上げの面でも大いに期待できたであろう。












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翻訳「Standing Room Only」(2/4)

2009-11-16 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
このFTD盤発売の狙いは、「Standing Room Only」というアルバムが発売されていたとしたら、その内容はどのようなものであったのかを示すことにある。
このような考えは論議を呼ぶことになるだろうが、アルバム「Standing Room Only」は、MGMが撮影及び録音を行った(1972年4月の)ツアーの純粋なライブ・アルバムになっていたかもしれない。
しかし、たとえそうなっていたとしても、アルバム・コンセプトだけでなく収録曲までもが、「Elvis As Recorded At Madison Square Garden」と重複してしまうので、RCAは発売キャンセルの方向に向かうしかなかったであろうことも容易に推測できる。

こうした考えとは別に、1970年にMGMが撮影した前作のドキュメンタリー映画「That's The Way It Is」のサウンド・トラックの二番煎じだった可能性も考えられるかもしれない。
「Standing Room Only」が、最新のスタジオ録音とライブで録音された新曲とを組み合わせたアルバムになっていたとしたら、そのアルバム・コンセプトによって、タイトルが「Standing Room Only」から「Elvis On Tour」に変更されていたであろうと考える人がいたとしても不思議はない。

実際のところはと言えば、RCAは(1972年)2月14~17日の夜、ラスベガス・ヒルトンでの録音を、コンサートの完全収録とは対極にある、選び出した曲に的を絞るという方法で行っている。
その中から「An American Trilogy」が、当初予定されていた「The Impossible Dream」に替わって、シングル曲として選ばれた。
ライヴの中から選び出されて録音された曲は多くがバラードであり、バラードではない曲もシングル候補とするには厳しいところがあったため、近く発表されるであろうアルバムの収録曲として、取り置かれたのだろう。

エルヴィスは、2月のライブに続いて3月下旬にハリウッドのRCAスタジオで3日間のセッションを行ったが、このときもまた、ライヴの完全収録とは対極にある企画のアルバム向けに、追加の曲をカットしたと思われる。
エルヴィスがハリウッドのRCAスタジオでレコーディングを行うのは、1960年に「G.I.Blues」のサウンドトラックをレコーディングして以来であり、ライブのバンドメンバーをスタジオセッションに参加させたのはこれが初めてだった。
ラスベガスで録音された曲と同様に、そのレパートリーは失恋を歌ったバラードが目についた。
親友であるレッド・ウエストによれば、この選曲内容は、最近別居した妻プリシラに対するエルヴィスの姿勢に影響を与えたということである。
失恋を歌ったバラードが目につく選曲内容ではあったが、「Burning Love」や「Always On My Mind」のようなヒットを見込める曲が何曲も録音され、RCAは、完成していない「Standing Room Only」用の曲に加えて、必要ならば別のアルバムの先行発売シングルを選び出せるだけの数の曲を手に入れることができた。


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翻訳「Standing Room Only」(1/4)

2009-11-12 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
「Standing Room Only」というアルバムタイトルが初めて発表されたのは、1972年4月に発売されたシングル「An American Trilogy」のジャケット上だった。
このアルバムには目玉曲として「An American Trilogy」が収録されることが付け加えられており、広告欄には、ライヴ・アルバムになること、夏に発売になることも記されていた。
このアルバムの最終的な収録内容がどんなものであったのかは知られておらず、レコードナンバーが「LSP 4762」に決まったことは発表されたものの、収録曲リストが正式に発表されることはなかった。

「Standing Room Only」は、MGMが1972年3月末から撮影を開始した新しいドキュメンタリー映画の仮タイトルでもあった。
この映画は最終的に「Elvis On Tour」と改題され、同年11月に初上映された。

数枚の写真が「Standing Room Only」のジャケット候補として選び出された後、ジャケットの表に使用される写真が決定されたのだが、RCAの美術部門に報告された(1972年)6月12日付けの社内メモには、次のように書かれていた。
「当初LSP 4762(Standing Room Only)向けだったこのジャケットデザインは、LSP 4776(Elvis As Recorded At Madison Square Garden)に使用されることになった」

この時点では、アルバム「Standing Room Only」の発売は8月に予定されていが、急遽発売されたマディソン・スクエア・ガーデン・コンサートのライヴ盤に押し出される格好で、10月に延期された。
(補足:「Elvis As Recorded At Madison Square Garden」は1972年6月19日に発売された)
しかし、8月11日になって、何かと口出しをするパーカー大佐に代わって、RCA社長のジョージ・パーカヒルが「Standing Room Only」の発売見送りを発表した。








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