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言葉のかけら

エルヴィスのレパートリーを日本人の視点から読み取る訳詞プロジェクト「言葉のかけら」

FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (3/5)

2014-09-10 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1974年6月15日
3月20日にメンフィスのミッド・サウス・コロシアムで行われたショーの録音は「ライブ・イン・メンフィス (ELVIS RECORDED LIVE ON STAGE IN MEMPHIS)」として発表され、マジソン・スクエア・ガーデンやハワイのTVショーのアルバムほどの成功は得られなかったものの、ビルボード TOP LPs チャートでは33位に達し、最終的な売り上げは、RIAAのゴールド・アルバムに認定されるに足る50万枚以上となる。
このアルバムに収録された楽曲「偉大なるかな神 (How Great Thou Art)」が、グラミー「最優秀インスピレーショナル・パフォーマンス賞」を獲得する。

1974年6月15日~7月2日
この年3度目となるツアーを行い、
3月のツアーをほぼ100万ドル上回る、総額300万ドル以上を売り上げる。

1974年8月19日~9月3日
ラスベガス・ヒルトンで公演を行い、
ホテル側と交わした「年2回興行」の契約を果たす。

1974年8月と10月
エルヴィスのマネージャーであるパーカー大佐が、エルヴィスのキャリアで最も風変わりな作品のひとつである、コンサートの合間のエルヴィスのおしゃべりを集めたアルバムを、「HAVING FUN WITH ELVIS ON STAGE」と題して、自らが新設したボックスカー・レーベルから発表する。
2ヵ月後に通常のRCAレーベルで発表されると、意外にもビルボード TOP LPs チャートに登場して最高位130位になり、Hot カントリー LPs チャートでは9位を記録する。

 FTD「Promised Land」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (2/5)

2014-09-06 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1974年3月1日~20日
このところのレコード売り上げとは対照的に、
これまでで最も成功したものとなるツアーをスタートさせる。
3週間の公演で総売り上げ200万ドル以上を記録し、
メンフィスでのツアー最終夜はライブ・アルバム向けに録音され、
明らかに公演を上回る収益を生み出した。
1974年3月
12月のセッションから作られた最初のアルバムは
「グッド・タイムズ」とタイトルが付けられ、
明らかに優れた何曲かの録音が特徴的だったが、
アルバム・チャートでは90位にしかならず( Hot カントリー・チャートでは5位に到達している)、売り上げも僅か20万枚で、エルヴィスのキャリアにおいて商業的に最低の作品となる。
これは、エルヴィスが、アメリカのラジオ局だけではなく一般民衆の支持も失ったように感じさせる出来事である。


1974年5月10日
シングルとアルバム双方の失敗を受けて、
RCAは2つの新録音「俺を忘れろ!! (If You Talk In Your Sleep) / ヘルプ・ミー」を矢継ぎ早に発表する。
エルヴィスの友人レッド・ウエストが書いたシングルA面曲は、RCAがラジオ局の妥当な支持を取り付けたらしく、前作のシングルより売り上げが5万枚も少ないにも関わらず、ビルボード Hot 100 では17位にまで上昇する。
このシングルもまた、Hot カントリー・シングル・チャートでは6位と、はるかに良い順位を記録する。

1974年5月10日~13日
カリフォルニアでの短いツアーに出る。

1974年5月16日~26日
ネバダ州ステートラインのサハラ・タホ・ホテルのハイ・シエラ・ルームで興行を行う。
エルヴィスの病気により、2つのショーがキャンセルを余儀なくされる。


 FTD「Promised Land」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (1/5)

2014-09-01 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1973年7月にエルヴィスがスタックス・スタジオでレコーディングしたとき、
セッションはいくつかの問題に見舞われた。
スタックスは8トラックがたった1台という、
技術面ではいささか時代遅れのスタジオだった(RCAには16トラックのレコーダーが導入されていた)。
技術面での様々な機能不全がセッションの進行を妨げ、
エルヴィスのマイクロフォンが行方不明になり、
最後にはエルヴィスもスタジオに姿を見せなくなり、
取り残されたフェルトンとバンドは数曲(4曲)のオケを録音したのだが、
エルヴィスは2ヶ月後にパーム・スプリングスの自宅で、
その内のたった1曲を選んで完成させただけだった。
12月になり1週間に渡るセッションにエルヴィスが戻って来たとき、
RCAはセッションの技術的な面を指導する目的で、
持ち運び可能な16トラック機器を自社のエンジニアと共にメンフィスに送り込んだが、
より重要なことは、厳選された優れた楽曲が用意されて
フェルトンとエルヴィスにより良い体制が与えられることであり、
更に最も重要なことは、エルヴィスが7月よりもやる気を取り戻すことだった。
18曲のマスターが完成し、セッションは
フェルトンとRCAが求めていた数の録音をきっちりと生み出した。
持ち越していた7月の2曲を加え、
新譜シングルと2枚のアルバムに充分な素材が手に入った。

1974年1月11日
RCAは7月のセッションで録音された残りの2トラック「君に夢中さ (I've Got A Thing About You Baby) / 涙で祈る幸せ (Take Good Care Of Her)」を、エルヴィスの新譜シングルとして発表。
トニー・ジョー・ホワイト作のA面曲は、疑いなく商業的な強みのある歌で、まずまずの40万枚を売り上げたが、今では売り上げ枚数とラジオでの放送回数が同等の扱いで計算されるようになっていたビルボードのシングル・チャートでは、39位にしかならなかった。
(だがHot カントリー・チャートではそれよりもはるかに良い4位となる)
ポップス部門のラジオがエルヴィスをもう支持しなくなったという現実は、
単純に売り上げ枚数でチャートを算出していた頃に比べて、
チャート順位が悪くなることを意味している。

1974年1月26日~2月9日
4週間ではなく2週間だけとなったラスベガス公演は、これが初めてである。
ラスベガス・ヒルトンでのその公演は、
「良いユーモアに包まれて」や「最高のコンディションで」などといった批評がなされ、
好意的に受け取られる。

 FTD「Promised Land」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「Today」 BEHIND THE SCENES (3/3)

2014-08-17 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1975年3月16日
取り上げる曲の中に、最新のレコーディング・セッションで録音した数曲の他、
「You Can Have Her」、「Suzie Q」、「You're The Reason I'm living」などの
「録音するつもりでいたが時間的に無理だった歌」が含まれる、
3日間のリハーサルをラスベガスで始める。

1975年3月18日~4月1日
ラスベガス・ヒルトンで公演。

1975年4月8日
ナッシュビルのクアドロフォニック・サウンド(スタジオ)で
アルバム・マスターにインストルメンツをオーバーダブ。

1975年4月10日
ナッシュビルのクアドロフォニック・サウンド(スタジオ)で
管楽器を含むインストルメンツをオーバーダブ。

1975年4月14日
ナッシュビルのクアドロフォニック・サウンド(スタジオ)で
弦楽器をオーバーダブ。

1975年4月18日
エルヴィスはロスアンゼルスの自宅で、
アルバム「トゥデイ」の新たなミックスを承認。

1975年4月22日
「恋のトラブル (T-R-O-U-B-L-E)」が
アルバム先行シングルとして発表される。
RCAは、エルヴィスが(シングル曲として)発表に
関心を示した曲「ミスター・ソングマン」
(アルバム「約束の地(PROMISED LAND)」収録曲)を
B面に配置。
このシングルは、期待はずれのチャート35位にしか届かず、
売り上げ枚数はおよそ20万枚。

1975年5月
10曲すべてが新曲のアルバムが発表される。
カントリー・チャートでは4位のようだが、
(アルバム・)チャートでは57位にしか届かない。
売り上げはまずまずの30万~40万ユニット。

1975年9月
「想い出の影 (Bringing It Back)」と
「ピーシズ・オブ・マイ・ライフ」の組み合わせによる
シングル第2弾が発表されるが、
ビルボードチャートの最高順位は惨めな65位。
 





 FTD「Today」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「Today」 BEHIND THE SCENES (2/3)

2014-08-14 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1975年3月10日
エルヴィスはリサ・マリーと新しいガールフレンドのシーラ・ライアンを伴って、
サンセット大通りにあるRCAスタジオに到着。
エルヴィスがハリウッドのRCAスタジオを使用するのは、
3年前の「バーニング・ラブ」セッション以来であり、
エルヴィスは、その時と同じように、ライブ・バンドをレコーディング・セッションに使うことを決める。

1975年3月11日
RCAで更なるセッション。

1975年3月12日
いささか混乱状態のブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズとして有名)が、
エルヴィスに会おうと決めたのは、おそらくエルヴィスのセッション最終日の晩のことであろう。
ブライアンはその晩に他のレコーディング・ルームの一室でレコーディング中。
エルヴィスたちがレコーディングに戻れるまでにしばらく時間を要する。
その前日の夜、エルヴィスは、カル・スミスがヒットさせていた
カントリー曲「カントリー・バンプキン 」を録音したいと、
あまり乗り気でないフェルトン・ジャービスに主張して、ひと悶着起こしていた。
フェルトンの妻メアリーが、レコード店でそのレコードを見つけ出し、
歌詞を聞き取り、書き写すことに一日を費やす。
(歌詞が用意出来て)フェルトンはホッとしたが、
エルヴィスは「クソったれ、俺は田舎もんじゃない!」の言葉とともに
リハーサルで歌うことを止める。

1975年3月14~15日
フェルトン・ジャービスとRCA ハリウッドのエンジニア「リック・ルッジェーリ」は、
2日がかりで全ての録音をミックスダウン。(この盤のディスク2に収録)
(ベーシスト「Duke Bardwell」の演奏による)全てのベース・トラックが差し替えられた後、
弦楽器、管楽器、コーラスといくつかの追加楽器など通常のオーバーダブがナッシュビルで行われる。

 FTD「Today」
 BEHIND THE SCENES
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【補足資料】
1975年3月10日~13日 カリフォルニア州ハリウッド RCAスタジオC
3月10日 PM9:00~AM0:00
3月11日 AM0:30~
            AM3:30
3月11日 AM4:00~AM7:00
Fairytale
Green, Green Grass Of Home
I Can Help
And I Love You So
フェアリテイル
思い出のグリーングラス
アイ・キャン・ヘルプ
アンド・アイ・ラヴ・ユー・ソー
3月11日 PM9:00~AM0:00
3月12日 AM0:30~
            AM3:30
3月12日 AM4:00~
            AM7:00
Susan When She Tried
T-R-O-U-B-L-E
Tiger Man (Jam)
Woman Without Love
Shake A Hand
嘆きのスーザン
恋のトラブル

愛なき女
シェイク・ア・ハンド
3月12日 PM9:00~AM0:00
3月13日 AM0:30~AM3:30
Bringin' It Back
Pieces Of My Life
想い出の影
ピーシズ・オブ・マイ・ライフ
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