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言葉のかけら

エルヴィスのレパートリーを日本人の視点から読み取る訳詞プロジェクト「言葉のかけら」

FTD「Forty Eight Hours To Memphis」 Day By Day (3/7)

2014-10-18 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
3月7 & 8日
バンド一行は、二つのショーを行うためにルイジアナ州モンローに戻る。
エルヴィスは、コンサートのひとつで、
会場の照明を明るくするよう頼むが、アリーナは明るくならない。
再度要望しても、会場はなおも暗いままで、
エルヴィスは「Why, me Lord ?(何故こんな目に?)」とコメントする。
2度目のショー(3月8日ES)で
「好きにならずにいられない(Can't Help Falling In Love)」を歌い始めるときに、
エルヴィスは、「ロンダ・ボラー (Rhonda Boler)」という5歳の少女を
ステージに上げるよう警備員のひとりに依頼し、
歌い終えるとスカーフを少女に手渡した。
ロンダが警備員とステージを離れるときに、
ひとりの女性ファンがロンダからスカーフを奪い取ろうとする。
ステージに戻ったエルヴィスの顔には、怒りと困惑の表情が見て取れる。
エルヴィスは再びロンダを連れて来るよう警備員に頼み、
ショーの間首に掛けていた十字架(のペンダント)をやさしくプレゼントする。

両ショーの観客動員総数 : 16,354人

3月9日
ノース・カロライナ州シャーロットのコロシアムで行った2つのショー(2:30 PM & 8:30 PM)の
観客数は、共に満員の11,960人。

3月10日
エルヴィスは、バージニア州ロアノークの「市民センター(Civic Center)」でのコンサートで、
コーラス・トリオ「Voice」のショーン・ニールセン(Shaun Nielsen)の代役として
パー・エリック・ヘイリン(Per-Erik Halin)をデビューさせ、称賛する。
ショーンはツアー参加中に溜まるストレスをどうにもできなくなっていた。

観客動員数 : 10,640人

 FTD「Forty Eight Hours To Memphis」
 On Tour March 1974 : Day By Day
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FTD「Forty Eight Hours To Memphis」


補足資料
売れば100万ドル?の十字架
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FTD「Forty Eight Hours To Memphis」 Day By Day (2/7)

2014-10-10 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
3月4日
このツアーで初めて、エルヴィスのショーがルイジアナ州モンローに来訪。
観客動員数 : 8,177人

3月5日
エルヴィスとバンドはアラバマ州オーバーンの「University Memorial Coliseum」で公演。
観客動員数 : 13,239人



3月6日
次の公演地はアラバマ州モンゴメリーの「Garret Coliseum」。
入場券の需要が沸騰したため、約5千名分の特別スペースが用意され、立見席のみの券が売られた。
このコンサートは南部の州とエルヴィスの結び付きを物語っている。
エルヴィスが、ドライブ感たっぷりのロック、優しさ溢れるラブ・ソング、
そして琴線に触れるゴスペルでアリーナを満たす、ご機嫌なパフォーマンスで
観客をノック・アウトすると、観客の熱狂は最高潮に達する。
「アメリカの祈り(An American Trilogy)」がスピーカーから飛び出し、
エルヴィスが「Oh, I wish I was in Dixie」と歌ったとき、ファンは興奮状態となり、
歌が終わっても拍手喝采は鳴り止まず、共感のざわめきが広がっていく。
「アメリカの祈り」は、このツアーでのショーのハイライトとなる。
アラバマ州知事のジョージ・ウォレス(wikipedia ジョージ・ウォレス)は、
ショーを観る前のエルヴィスとの面会に間に合わせるため、
ワシントンDCでの政治的な会合を中断した。
ウォレス州知事は、この週をアラバマでの「エルヴィス・プレスリー・ウィーク」と宣言。
観客動員数 : 6,400人

 FTD「Forty Eight Hours To Memphis」
 On Tour March 1974 : Day By Day
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FTD「Forty Eight Hours To Memphis」
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FTD「Forty Eight Hours To Memphis」 Day By Day (1/7)

2014-10-05 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
On Tour March 1974 : Day By Day

3月1 & 2日
FTD 2CDs「Sold Out!」エルヴィスはこの年最初のツアーを、オクラホマ州タルサでの二つの出来の良いコンサートでスタートさせる。
「ザ・エルヴィス・プレスリー・ショー」は、オラル・ロバーツ(wikipedia Oral Roberts)によって手配されており、エルヴィスとロバーツは、エルヴィスがステージに上がる前に面会をする。
「時のたつのは早いもの (Funny How Time Slips Away)」を歌ったあと、エルヴィスは公演に招いたオラル・ロバーツに謝辞を述べ、彼とその家族を観衆に紹介。

観客動員数 : 11,575人



3月3日
エルヴィスは、ヒューストンにある、厳重に警備されたシャムロック・ヒルトン(wikipedia Shamrock Hotel)の16階を貸し切り、取り巻き達と宿泊。
ミュージシャンやヘルパーは、(ヒルトンの)32部屋だけでなく、アストロワールド・ホテル(Astroworld Hotel)の25部屋も占領。
エルヴィスは、「Livestock & Rodeo Show」の出し物のひとつとしてヒューストン・アストロドームで2度の公演を行い、2公演ともに1970年に自らが打ち立てた観客動員記録を破る。
エルヴィスは88,149人(2公演の合計)の興奮した観客を前に、オーケストラ無しの公演を行う。



 FTD「Forty Eight Hours To Memphis」
 On Tour March 1974 : Day By Day
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FTD「Forty Eight Hours To Memphis」
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FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (5/5)

2014-09-18 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1975年1月15日
シングル盤2枚がトップ20入りしたことで関心が集まり、アルバム「約束の地 (Promised Land)」への期待は当然のごとく高まったが、最高位は47位という結果に、期待した人々はいささか失望したに違いない。
それでも、35万枚前後の売り上げ数は、アルバム「グッド・タイムズ」よりも格段に良い数字である。

1975年3月1日
アルバム「約束の地 (Promised Land)」収録の「シンキング・アバウト・ユー」を裏面に据えたシングル「マイ・ボーイ」が、ビルボード Hot 100で20位まで上がって連続トップ20入りシングルの3作目となり、イージー・リスニング・チャートでは1位を獲得したことは、アルバム「グッド・タイムズ」の音楽的な品質を僅かながら高めることに貢献したようだ。
1974年11月に、イギリスのRCAが厳選特別シングルとして発表し、チャート5位になったことが、アメリカのRCAにこのシングルの発表をさせる切っ掛けとなったのは、疑う余地が無い。


 FTD「Promised Land」
 BEHIND THE SCENES
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FTD「Promised Land」 BEHIND THE SCENES (4/5)

2014-09-14 20:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1974年9月27日
間近に迫ったスタジオ録音アルバム発表への地ならしとして、RCAは「約束の地 (Promised Land) / 悲しみの夜 (It's Midnight)」を新譜シングルとして発表する。
「約束の地 (Promised Land)」は、セッションで録音された曲の中で最も明確に商業的な成功が見込める作品であり、ビルボード・チャートで非常に素晴らしい結果(Hot 100で14位、Hot カントリー・シングルで5位)を得るが、売り上げ枚数は、不運な結果に終わった「君に夢中さ (I've Got A Thing About You Baby)」よりも5万枚少ないのである。

1974年9月27日~10月9日
何がこれほど熱狂的とも思える行動に駆り立てるのか、エルヴィスはこの年4回目のツアーに出る。

1974年10月11~14日
1973年5月の興行でキャンセルされた4つのショーの埋め合わせとなる4夜公演を行うため、サハラ・タホに向かう。

1974年12月
新アルバムの発表が1月に控えているにも拘らず、12月にメンフィスで一連のセッションが企画されるが、
エルヴィスの体調に問題が生じ、結局キャンセルせざるを得なくなる。

 FTD「Promised Land」
 BEHIND THE SCENES
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