本当はファイナンス絡みの記事を今日も書く予定だったんだけど、木村剛さんのBLOGを読んで激しく賛同してしまったのでちょいと予定変更。
本当は本日も起債が相次いだので、また昨日書いたとおりジェイブリッジと言う会社の起債に関する思うところを書く予定だったのだが、まあ起債は逃げないし、って事で今日はご勘弁。
まずは木村剛さんの7月4日の記事『[木村剛のコラム] 経済なき道徳は寝言である』と、7月5日の『[ゴーログ]中小企業の手形決済を早くしてみては?』の記事の前振りを是非お読み頂きたいね。
もう私のつたない文章力では全然書けなかった事を本当に簡潔にキレイにまとめて下さっている。
年収300万円の人にキレイごとを並べつつ庶民の味方を標榜しつつ、でもご自身は一体いくら稼がれているのか、って前に書いたけれど、その辺のなんとも忸怩たる思いを本当に理路整然と書かれているわけだ。
格差社会は小泉政権のせいだ、みたいな論調を良く見るけど本当にそうなのか?
確かにデータの裏づけはあるのだろうけれど、もっと基本に立ち返ってみたらその論理ってのは、お日様が東から昇るのは誰々のせいだ、って感じにならないのかなぁ、と思う。
昔はもっとみんな貧乏だった気がするんだよな。
私の先輩、しみじみ語ってくれたことがあるけれど、「俺が餓鬼の頃はさ、雪が降るとお椀と黄な粉を持って外へ出るわけ。そして雪をお椀に一生懸命入れて黄な粉をまぶして食ってた、これがおやつだったんよ。」
私はこの話は一生忘れないと思うけれど、その先輩は今じゃ大証券会社の大店の支店長さん。大証券会社の支店長さんって、いわゆる勝ち組だと思うけれど、これって要はその人の努力なんじゃないのかなぁ、って。誰のせいでもなくて、仮にその先輩が黄な粉の雪で満足してたんなら今頃はもっと違う人生を歩んでて、そんで持って悪いのは社会だ、って叫んでたかも知れない。
スイスの教育。
小学校5年生から第2外国語が始まって、6年生で既に将来の選択に迫られる。
中高一貫教育だけれど、出来る奴はGIMMと呼ばれる非常に勉強で大変な学校へ進む。これはクラスの上位2-3人。次点はセクンデと呼ばれる、その次のレベルの学校へ進む。そしてこの学校もA,B,Cと中で3つのランクに分かれてる。そしてもう一つの選択肢は、いわゆる職業訓練校。
GIMMに行く連中は将来医者になりたい弁護士になりたい、とにかくまずは大学へ行きたいって連中が行くのだけれど、入ったと同時に第3外国語が始まる。中1から強烈な勉強に追われるから、親も気合を入れないとならないようだ。
セクンデに行ってもAクラスに居れば、その間の成績が良くて試験に通れば途中でGIMMに鞍替えが出来る。
ちなみにこれって全てその辺の公立学校の話。特別な私立の話でも何でも無くて、日本流に言えば○○市立第5小学校から、○○市立第2中学校へ行くような話しである、念のため。
最初から実家のペンキ屋さんを継ぎたいと思えば、小学校卒業と同時に職業訓練校へ行ってペンキ屋さんとはなんたるかを学ぶ事になるわけだ。
ちなみにセクンデを終了するとごく一部は大学へ行くけれどそれ以外は社会へ出る。つまりスイス社会の根幹ってのはほとんど高卒で成り立っている。学校を出て自分の興味のある業界でOJTを経験する。ちなみに各業界きちんとそれを受け入れる。
色々言われるスイスの金融界だけど、ほとんどがセクンデが最終学歴。大卒は稀なのだよ。でもそこで一生懸命やれば普通に家が買えるし。
普通のその辺の銀行マンは歯医者さんの収入を羨むけれど、それが社会のせいで起きた格差である、なんて主張する人なんて居ないってこと、だって自分が選んだのだから。
スイスで格差があるのは社会が悪いからだ、なんて話は聞かないって。
東大に通う子弟の親は年収が平均より高い事が多い、つまり教育費にお金を掛けられるから子供が東大へ行けるのだ、的な話を良く見るけど、それだって別にそういう親が多いって事で全部がそうじゃない訳だし、わざわざそういう解釈をしてまで格差社会を宣伝したいのかなぁ、って。別に親が金持ちだって東大へ行けない奴は行けないし、行きたくない奴は行かないし、だから何、っていつも思ってしまう。
やれ格差だ勝ち組だ負け組みだって声高に叫んでいるテレビの人々だって、木村剛さんがおっしゃるように、要は彼ら彼女らだって勝ち組企業に属しているわけでしょう。じゃあそれって説得力があるんですか。非常に不謹慎な言い方をすれば、哀れんでいる、高い所から下界を見下ろしてるって取られても私は仕方が無いと思っているんだけど。
モリタクさんの今日のBLOG
「ザ・ワイドの収録で日テレにきました。「勝ち組」の眺めです。」
という一言に、日テレからの東京の風景が添えられているけれど、それって何が言いたいのだろう、と。
さすがにご本人も勝ち組気取りでいらっしゃる、と言う意図では無くて、一種羨んでいるような書き方を意図されていると思うけれど、それってどうなの、と。
それにやっぱりテレビ局ってのは勝ち組なんですね。
仕事で東京へ行くと時たま外資系証券会社なんかを訪問するのだが、まあ連中のオフィスに入ると私は同じ業界に居ながらこうも違うのか、自分自身は負け組なのかなぁ、と感じる。でも学校時代の同級生であくせく働いて会社の文句ばっかり言っている奴を見ると自分は勝ち組かも知れない、って思う。つまりそんな2者択一な底の浅い分類なんて所詮極めて相対的であってかつ意味が無いって事じゃないか、と。
ご自身を負け組みだ負け組みだ、ってNETとかで書かれているのを見るに付け、でも貴方は明日の米に困っているのではないでしょう、何故ならNETにアクセスしてるんだから、っていつも思う。
つまりこんな議論は続けてても意味も無いし、余計なねたみだの嫉みだのを誘発するだけで結局それはマスコミに取っては都合が良いんでしょう、と。
福井総裁の件だって結局そうだし。
今日は変な記事で本当にお詫びの舌の根も乾かぬうちにしゃーしゃーと、とか言われちゃいそうだけれど、やっぱり将来また自分がここを見るだろうって事を想定して書きました。あしからず。
本当は本日も起債が相次いだので、また昨日書いたとおりジェイブリッジと言う会社の起債に関する思うところを書く予定だったのだが、まあ起債は逃げないし、って事で今日はご勘弁。
まずは木村剛さんの7月4日の記事『[木村剛のコラム] 経済なき道徳は寝言である』と、7月5日の『[ゴーログ]中小企業の手形決済を早くしてみては?』の記事の前振りを是非お読み頂きたいね。
もう私のつたない文章力では全然書けなかった事を本当に簡潔にキレイにまとめて下さっている。
年収300万円の人にキレイごとを並べつつ庶民の味方を標榜しつつ、でもご自身は一体いくら稼がれているのか、って前に書いたけれど、その辺のなんとも忸怩たる思いを本当に理路整然と書かれているわけだ。
格差社会は小泉政権のせいだ、みたいな論調を良く見るけど本当にそうなのか?
確かにデータの裏づけはあるのだろうけれど、もっと基本に立ち返ってみたらその論理ってのは、お日様が東から昇るのは誰々のせいだ、って感じにならないのかなぁ、と思う。
昔はもっとみんな貧乏だった気がするんだよな。
私の先輩、しみじみ語ってくれたことがあるけれど、「俺が餓鬼の頃はさ、雪が降るとお椀と黄な粉を持って外へ出るわけ。そして雪をお椀に一生懸命入れて黄な粉をまぶして食ってた、これがおやつだったんよ。」
私はこの話は一生忘れないと思うけれど、その先輩は今じゃ大証券会社の大店の支店長さん。大証券会社の支店長さんって、いわゆる勝ち組だと思うけれど、これって要はその人の努力なんじゃないのかなぁ、って。誰のせいでもなくて、仮にその先輩が黄な粉の雪で満足してたんなら今頃はもっと違う人生を歩んでて、そんで持って悪いのは社会だ、って叫んでたかも知れない。
スイスの教育。
小学校5年生から第2外国語が始まって、6年生で既に将来の選択に迫られる。
中高一貫教育だけれど、出来る奴はGIMMと呼ばれる非常に勉強で大変な学校へ進む。これはクラスの上位2-3人。次点はセクンデと呼ばれる、その次のレベルの学校へ進む。そしてこの学校もA,B,Cと中で3つのランクに分かれてる。そしてもう一つの選択肢は、いわゆる職業訓練校。
GIMMに行く連中は将来医者になりたい弁護士になりたい、とにかくまずは大学へ行きたいって連中が行くのだけれど、入ったと同時に第3外国語が始まる。中1から強烈な勉強に追われるから、親も気合を入れないとならないようだ。
セクンデに行ってもAクラスに居れば、その間の成績が良くて試験に通れば途中でGIMMに鞍替えが出来る。
ちなみにこれって全てその辺の公立学校の話。特別な私立の話でも何でも無くて、日本流に言えば○○市立第5小学校から、○○市立第2中学校へ行くような話しである、念のため。
最初から実家のペンキ屋さんを継ぎたいと思えば、小学校卒業と同時に職業訓練校へ行ってペンキ屋さんとはなんたるかを学ぶ事になるわけだ。
ちなみにセクンデを終了するとごく一部は大学へ行くけれどそれ以外は社会へ出る。つまりスイス社会の根幹ってのはほとんど高卒で成り立っている。学校を出て自分の興味のある業界でOJTを経験する。ちなみに各業界きちんとそれを受け入れる。
色々言われるスイスの金融界だけど、ほとんどがセクンデが最終学歴。大卒は稀なのだよ。でもそこで一生懸命やれば普通に家が買えるし。
普通のその辺の銀行マンは歯医者さんの収入を羨むけれど、それが社会のせいで起きた格差である、なんて主張する人なんて居ないってこと、だって自分が選んだのだから。
スイスで格差があるのは社会が悪いからだ、なんて話は聞かないって。
東大に通う子弟の親は年収が平均より高い事が多い、つまり教育費にお金を掛けられるから子供が東大へ行けるのだ、的な話を良く見るけど、それだって別にそういう親が多いって事で全部がそうじゃない訳だし、わざわざそういう解釈をしてまで格差社会を宣伝したいのかなぁ、って。別に親が金持ちだって東大へ行けない奴は行けないし、行きたくない奴は行かないし、だから何、っていつも思ってしまう。
やれ格差だ勝ち組だ負け組みだって声高に叫んでいるテレビの人々だって、木村剛さんがおっしゃるように、要は彼ら彼女らだって勝ち組企業に属しているわけでしょう。じゃあそれって説得力があるんですか。非常に不謹慎な言い方をすれば、哀れんでいる、高い所から下界を見下ろしてるって取られても私は仕方が無いと思っているんだけど。
モリタクさんの今日のBLOG
「ザ・ワイドの収録で日テレにきました。「勝ち組」の眺めです。」
という一言に、日テレからの東京の風景が添えられているけれど、それって何が言いたいのだろう、と。
さすがにご本人も勝ち組気取りでいらっしゃる、と言う意図では無くて、一種羨んでいるような書き方を意図されていると思うけれど、それってどうなの、と。
それにやっぱりテレビ局ってのは勝ち組なんですね。
仕事で東京へ行くと時たま外資系証券会社なんかを訪問するのだが、まあ連中のオフィスに入ると私は同じ業界に居ながらこうも違うのか、自分自身は負け組なのかなぁ、と感じる。でも学校時代の同級生であくせく働いて会社の文句ばっかり言っている奴を見ると自分は勝ち組かも知れない、って思う。つまりそんな2者択一な底の浅い分類なんて所詮極めて相対的であってかつ意味が無いって事じゃないか、と。
ご自身を負け組みだ負け組みだ、ってNETとかで書かれているのを見るに付け、でも貴方は明日の米に困っているのではないでしょう、何故ならNETにアクセスしてるんだから、っていつも思う。
つまりこんな議論は続けてても意味も無いし、余計なねたみだの嫉みだのを誘発するだけで結局それはマスコミに取っては都合が良いんでしょう、と。
福井総裁の件だって結局そうだし。
今日は変な記事で本当にお詫びの舌の根も乾かぬうちにしゃーしゃーと、とか言われちゃいそうだけれど、やっぱり将来また自分がここを見るだろうって事を想定して書きました。あしからず。
海外から投稿しています。この記事の内容は、まだ完全格差社会を知らない方が書かれているものと感じました。(悪くいうつもりはありません、格差社会の恐ろしさを知らないのはある意味でまだ日本も良い方かと)
たとえば第三世界や後進国の状況を考えていただきたいのですが、お金持ちにのみ良い教育がいきわたっているという状況は本当の話です。
今の日本のポストバブル経済の恩恵に授かっている「格差社会寸前」の社会状況では学歴もまだまだ本人次第でとどまっています。ただしこれは世代間で変わって生きます。
わたしの在住している国では話す言語で収入がちがってきています。話す言語の教育は当然お金の問題です。月謝が20万円もするインタースクールに入れている家庭とローカルの学校に子供を入れている家庭の子供の将来というのは雲泥の差です。
また、ここで言われているように、当然、金持ち貧乏に限らずできる奴はできるしできない奴はできません。本人の資質の問題です。ただ、問題は「できる子」たちが貧乏の中に埋もれてせっかく目が出せない社会になってしまうことです。中国のことわざに千里の馬というのがあります。それは千里走れる馬も飼い主が世話をしなかったために死んでしまうという話。
格差社会が広がり、「できる子」が能力を発揮する機会が減った場合、それは将来日本という社会を支える頭脳の絶対数が減るということを意味します。
しかし、ことの本質を理解できずにねたみを煽るような報道しかできていない、あるいは小泉バッシングに利用することしか考えていないマスコミにも問題ありです。
感銘しました!
実感として格差は広がってます。ただしかたないんじゃないかなぁ。
私の職場でも年収300万組(かどうか、実際のところは知らないが)の派遣会社の社員の方が増えてます。
全体としてみるとやっぱりそれなりかいまいち使えんなぁ...てな人が多い。
例外もいて”これは!”てな人もいますが、そういう人はしばらくすると知らない間にどこかの会社の面接を受けていて、正社員に採用されて去っていきます。
給与収入が労働の対価だとすれば、使う側からそのひとの能力に値付けすると、どうしても差が出ちゃうのでは。
実際、使える人と使えない人っているし。人間いろんな人がいるのですから、だれもかれも平等でなくてはいけない、って言う方が無理があるかと。
別に格差社会を望んでいるわけではありませんが、世の中全体に余裕がなくなってきた結果、だれも彼も平等の給料を与える
余裕がなくなってきたってことじゃないんでしょうか。
東大うんぬんの話も出てましたが、親が金持ちだから子供が東大いけるほど、受験も甘くないと思いますよ。
自分の職場にも東大出が10人弱いますが、皆さん非常に頭の回転が速いです。
話が理路整然としてます。こちらの話の矛盾は全部見透かされます。
とても私なんぞついていけません。でも皆さん普通の家庭の子息ですよ。
驚くのはだれに聞いても”中学、高校時代にたくさん勉強しましたか?”ときいても”たいして勉強してない”と
返ってくること。実際にしていないはずはないんですが、勉強がたいして苦にならなかった(少なくとも本人は苦痛とは思っていない)
ということでしょう。
(反面、大企業で部長をしていた叔父は、”東大出は根性が無いから使えん!”と言ってました。いわゆるがり勉さんなのかな?)
大学時代、家庭教師のバイトもしましたが、ぜんぜん勉強もその他もできない子供でした。
すべてに無気力というか…TVゲームが好きというので話題を振ってみても目の光が鈍いんですよね。
親の収入と子供の学力が比例するなら、家庭教師をやとうほどの財力があれば相当の学力であって
しかるべきでしょ。
私は世間的には高学歴(修士課程をでてます)ですが、両親ともに高卒です。私が大学のころにはそれなりに収入があり
大学へも行かせてもらえましたが、子供のころは(食うに困るほどではなかったにしろ)貧乏でしたよ。
当然、塾なんていってませんでしたが、成績はよかったですよ。父は塾へ行かせるかわりに、山へ連れて行き虫を取らせ
川で石ころをひっくり返して沢蟹をとらせ、海へ行って魚を釣らせ、のこぎりとナイフを与え木を削り本箱を作らせました。
母は本を読んで聞かせ、ドリル(懐かしい名前でしょ、たかが数100円です)を買い与え、3桁、4桁の足し算、掛け算までは
面倒見てくれました。こんなんで受験用学習塾を通うほかの子供をよそに小学校は成績1番でしたよ。
(正しくは1番かどうか知らんがオール5だったので、本人は良いようにそう解釈することにしている)
大体、落ち着いて自分の子供時代を振り返ってもらえばお分かりになるかと思うのですが、成績なんて小学校くらいで大方決まります。
たとえ高卒だろうがなんだろうが、まともな大人がその程度を自分の子供に教えられないわけがない。
それだけで中学くらいは乗り切れるし、したがって高校受験もなんとかなります。あとは本人しだいですけど。
重要なのは小学校くらいまえに、どれだけ本人の興味を引き出してやるか。目を輝かせてやるか。別に机に向かってする、いわゆる
勉強じゃないと思います。
そういう意味では私の両親の教育は正解で(たぶん意図してそうしたのではないと思うが)非常に感謝しています。
親が金持ちなら子供が高学歴なんていう人がいますが、まったくもって意味のない話だと思います。
(もちろん、本当に食うにも困って家計を助けるために中学、高校出たらすぐに働きに出なくてはならないとかいうような方には)
(申し訳ない議論というのは分かっています)
いわゆる高学歴の友人で、その親御さんも知っているのが何人もいますが何れも立派な方々です(社長とかそういう意味じゃないですよ。
人間的に…です)。 当然そういう方は社会的にも評価が高いでしょうし収入も多いでしょう。
言いたいのは 親の収入が多い→子供が高学歴 ではなく
親がしっかりしている→親の収入も多い→(ちゃんと教育している)→子供が高学歴 なのだと思います。
マスコミ等の議論は(たぶん意図的にだとおもうが)途中の原因結果の順序をすっとばしてるんだと思います。
親といえば、深夜のコンビニでまだ幼稚園にも行っていないであろう子供をつれてくる連中がいますが、あれ見ると他人事ながら
腹が立ちますね。この子供たちの将来はどうなってしまうのだろうと。余計なお世話かもしれませんけど。
話を戻すと、勝ち組負け組といわれますが、サラリーマンレベルでいえば本人の努力がそれなりに成果につながるように
なってきたという意味では悪い面ばかりではないと思います。もちろん行き過ぎは良くないし弊害も感じてます。
あとは絶対的な金額のレベルの問題かな、と思います。
・昼飯は格安 お酒を飲んだら「代行」でご帰宅
・格安で一戸建てのローンを組み
・出張を口実に月に一度は飛行機で東京にお買い物
・・・知人の普通の公務員さまです
「モリタク君 いつも先生のいる前では格好いいことばかり言って。やるのはみんな私達じゃないの あなた何なのよ」
・・・クラスのみんなからの素朴な疑問です。
「三百万 自分はかるく 六千万」
「貧乏人は神様でございます」
ミニカーの収納倉庫を建てるくらいならいいですけど
小泉政権やブッシュ政権の地球温暖化対策の遅れを批判しながら、大好きなイタ車をぶっ飛ばしてるなんてことないでしょうね。まさかね。
わざわざそんな不思議な解釈しなくてもいいと思いますよ。
マスコミの欺瞞性を暴いた木村氏の論評は痛快ですが、それで問題が解消したわけでもない。貧困層が増えて、いわゆる格差社会的な現象が進行しているならば、それはそれで問題じゃないですか?
>昔はもっとみんな貧乏だった気がするんだよな。
昔はみんなが貧しい途上国のような状態でしたが、先人たちが努力を重ねて先進国に仲間入りし、貧乏は大幅に減った。しかし現在の問題は、貧乏が再び増えつつあることです。郷愁は意味を持ちません。
>スイスで格差があるのは社会が悪いからだ、なんて話は聞かないって。
だから日本の格差論はおかしいと言いたいのでしょうか? スイスは世界的に見ても、所得再配分や社会保障を含めた貧困防止がうまく機能している国でしょ? スイス政府を非難する声が小さいのも当然です。
それでもスイス政府は貧困防止を課題に掲げ、公的機関が日本語サイトでも問題提起しているくらいですよ。
http://www.swissworld.org/jpn/swissworld.html?siteSect=305&sid=5112479&cKey=1138782671000&rubricId=11050
このサイトにもあるように、世界で最も豊かなOECD諸国の中でも、とりわけ北欧とスイスは貧困層が少ない。日本は貧困家庭で育つ子どもの割合がスイスの2倍以上。その上さらに日本の貧困層が増えつつあるとすれば… だから、日本の社会やマスコミが貧困や格差の増大を問題視するのは当然だと思います。
小鬼氏はスイスと東京を往復し、どちらかと言えば裕福な層を相手に商売しているようですが、たまには日本の地方を訪ね歩いてみれば、産業が衰退して貧困が増えつつある雰囲気が実感できると思いますよ。貧困層が増えれば犯罪も増え、治安が悪化して社会が不安定になります。
>自分は勝ち組かも知れない、って思う。つまりそんな2者択一な底の浅い分類なんて所詮極めて相対的であってかつ意味が無いって事じゃないか、と。
貧困が増える、あるいは増えそうな状況をどう食い止めるかが問題であって、あなたが勝ち組かどうかなんて意味が無いです。
>こんな議論は続けてても意味も無いし、余計なねたみだの嫉みだのを誘発するだけで結局それはマスコミに取っては都合が良いんでしょう、と。
これはあまりに視野の狭い物言いですね。金持ちばかり相手にして商売していると、こうなってしまうのでしょうか? 高収入を得ていても貧困による格差を問題提起しているマスコミの方が、まだマシです。
スイスの話を聞いて、そもそも日本ってみんな同じところを目指しすぎなんじゃないかと。
で、Jブリッジですが、株価が公募価格付近に来てるので、早く聞きたいです・・・
テレビマンはある意味、人民を煽動できる立場にいるわけで、
それはもう政治家と同じ影響力がある。
その立場にあり、有り余る報酬を受取り、そして格差社会であるという。
悪人がいるぞ悪人は俺だ、って言ってるように見えるんだが。
実は亀田兄弟を扱うのはTBSだけなのだが、今や誰もが刷り込まれて知っており、本当に強いと思っている人も多いだろう。
TBS以外の局が後押ししている姿勢はまるで見えない。
天気予報だったら、
「明日は遠足だ。晴れてほしいなぁ(期待)。だから…、予報は「晴れ」!(事実?)」
がアホくさい判断である事は、誰でもわかるのだが…
つまりTV局にとってあるいはスポンサーにとって良い結論を見せるドラマなのだ。
ニュース番組も、あれはニュース報道っぽいドラマなの!
全部茶番なの。朝から晩まで、全部茶番。そうすると簡単に洗脳できてしまうね。
あなたの会社の同僚も、マンションの住民も、大いなるエクストラ集団!
そんな途方もない考えを広げたところで、
一度音声を消してTVをご覧になっていただきたい。
雑音が消えるとTV出演者たちのお芝居が見えてくるかもしれないよ。
特に音を消しても攻めてくる「字幕」を使う番組はやばい。洗脳強化指定だ。