昭和の少女は戦争体験者。

三女の私は、二人の姉のお下がりの服でなんとか
過ごせていたけれども冬用のコートもなく
寒さに震えていた。
店に売っているものは何も無く 母の着物が母や娘たちの
もんぺになり 上着になっていた。ウワギとは言わないで
「じょうい」と言って着物式の物だった。
食べるものもなく家族で囲む食卓に
だんご汁があれば良い方で「ひもじい」を知っている
少女だった。
座敷にはピアノがあっていつも姉妹のだれかがお稽古をしていた。
床の間の掛け軸の読めるところに眼がいくと
「不自由を常と思えば不足なし」
「不自由を常と思えば不足なし」毎日毎日
目に入りました。続きは読めなくて読もうともしなかった。
大人になってから 「家康の遺訓」と知る。
少女の心にドーンと届いている言葉です。
「どうする家康」大河ドラマに家康をたずねましよう。
初春の一服の抹茶を楽しめる平和が続きますように。
