九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

琵琶湖博物館のオナガミズアオ羽化す

2015-09-26 00:27:28 | 日記

前回のブログでオナガミズアオが蛹化したことを書き、蛹の写真を見せたが、その蛹から2015年9月24日雄が羽化した。滋賀県ではオナガミズアオはおそらく2化すると思う。つまり初夏と盛夏に成虫が出現すると思う。今回飼育した幼虫は盛夏の2化の成虫に由来するから、この蛹は、本来、越冬すると思う。ただ飼育下では人工光の影響で、年内に蛹化してしまうものが現れることがある。写真左は羽化し個体である。
 なお右は9月7日武田滋さんが琵琶湖博物館の庭のヤナギの1種で見つけた幼虫を飼育し、9月13日蛹化、9月21日羽化した雌である。なおこの幼虫が食べていたヤナギは博物館の石田未基さんの同定でアカメ(マルバ)ヤナギあることがわかった。武田・石田両氏に謝辞を表する。

2.琵琶湖博物館のハンノキからニトベシャチホコ?幼虫発見

2015-09-22 21:43:10 | 日記

2.琵琶湖博物館のハンノキからニトベシャチホコ?幼虫発見
 9月18日、そのシャチホコガ幼虫は終齢に達したらしく、体長44mmになり、9月21日に葉を少し綴って前蛹となった。図版1~3は側面、やや側面および背面から撮影した写真である。また写真4は頭部と第2胸節の拡大で、その節は明らかにPeridea属幼虫に間違いない。またハンノキのシャチホコガ幼虫はネスジシャチホコ幼虫と体形などがよく似ているが、ただこの属の既知幼虫は白い線からなる顔面の線状斑紋を持っており、今回のような黒い線状紋を持つ種は知らない。ルリモンシャチホコ顔面の線状紋は赤だし、ニトベシャチホコの顔面の線状斑紋は唯一黒いが、この種は体側の斜状紋がないように見える。つまりこの幼虫は羽化するまで同定できない。

1.琵琶湖博物館のハンノキからニトベシャチホコ?幼虫発見

2015-09-22 21:38:30 | 日記

1.琵琶湖博物館のハンノキからニトベシャチホコ?幼虫発見
 琵琶湖博物館で発生したオナガミズアオ幼虫を飼育中、時々、武田滋さんが、生活工房の中川さんに連絡に行き、ついでに食樹ハンノキの枝を切って届けてくれた。2015年9月10日、その葉を食べている体長20mmの幼虫(図版の写真1~2)を届けてくれた。翌朝その幼虫を調べると背面に幅広い背線があり、体側に斜線を連ねた緑色の幼虫で、ヤガ科のクチバ類かあるいはもしかするとシャチホコガ科の1種と思われた。
 9月15日朝、その幼虫は脱皮し体長約40mmになった。写真1~2では第二胸節側面に黒い部分があり、Peridea属のシャチホコガの1種らしいとわかった。体側の斜線は前の体節から始まり黄色で次の体節の気門付近で細くなり消える。斜線の上半分はピンクを帯びている。また背線中央部に赤い細線が走っている。また第2胸節に黒い斑紋があり、それは背面から撮った写真では側方に張り出しているように見えた。

甲賀市みなくち子どもの森にアトヘリアオシャク産す

2015-09-22 18:52:38 | 日記

甲賀市みなくち子どもの森にアトヘリアオシャク産す
 2015年9月19日(土)滋賀県甲賀市みなくち子どもの森を同自然館の河瀬直幹さんと琵琶湖博物館の武田滋さんと調査した。私は幼虫の調査を担当したのだが、あまり収穫はなかった。武田さんは叩き網法(樹木の小枝の下で網や布で受け別の棒でその小枝を軽く叩き止まっている虫を落とし捕らえる方法)で木の枝を丁寧に叩き虫を採っている。私も九重山系地蔵原で散歩のとき、この方法を使った。私の場合は少し長い目の柄がついた網を手が届かない小枝にかぶせて激しく揺すってから網の中を覗くやり方だ。甲虫やカメムシなど様々の虫をその方法で採集した。もちろんガの幼虫も採れたが、地蔵原のような昆虫の多い場所ではガの幼虫調査法として、散歩中に木の枝をそっと引っ張り、曲げて葉の裏側を見る方法を主に用いた。この方法だと調べたことがある虫の生活を乱さず、まだ飼育したことがない幼虫だけを捕らえ持ち帰ることができるからだ。
たまたまカジノキの葉を二つ折りした巣があり、まだノメイガ幼虫が入っている巣ともう一つ蛹が入っている巣を発見した。当然、同種の蛹と幼虫だと信じて持ち帰った。9月21日幼虫は前蛹に蛹からはアトヘリアオシャクが羽化した。
 ハンノキにはオナガミズアオ幼虫やミドリシジミのようなその植物しか食わない種があるらしい。アトヘリアオシャクも図鑑にはハンノキの固有種であると出ている。実際、その通りでそのカジノキ枝と背丈の低いハンノキが絡み合っていた。だから蛹化前に移動中のアトヘリアオシャクがカジノキの葉にあった巣に入り込んで蛹化したらしい。ちなみに甲賀市の「みなくち子どもの森年報第5号」には同地の既知昆虫目録も出ているが、アトヘリアオシャクは出ていない。ハンノキにつくオナガミズアオ、ミドリシジミ両種は搭載されている。


1.フィリピンの動物相について考える

2015-09-20 08:12:48 | 日記

1.フィリピンの動物相について考える
1.はじまり
 1969年11月から1973年3月まで4回、長崎大学熱帯医学研究所から疫学部門の中林敏夫教授を隊長とする「長崎マラリアチーム」の愛称で現地の人々から親しまれた研究チームがフィリピンに派遣された。上の表はそのチームの第1次隊から第4次隊までの隊員名簿と滞在期間の一覧表である。これを見ると明らかなようにチームに加わった8人のうち私だけがただ一人全調査期間を通して現地に滞在した。
 われわれが初めてマニラに到着した1969年当時、チームの中心である私たち若手隊員は、まだマラリア顕鏡経験が少なく、わずかに中林教授が東アフリカから持ち帰った血液塗沫標本を見ていただけなので、マニラのマラリア防圧局(Malaria Eradication Service、以下MESと略す)の中央検査室で女性検査技師から標本を見せてもらい検鏡技術をみがいた。第1次隊はかなり長い間マニラに滞在したが、私たち若手にとっては初めての海外経験なので、その期間は英会話に慣れるためにも必要であったし、また中央検査室を中心にMESの人々とすっかり親しくなり、第2次~第4次のチームに参加する上で大変役立った。
 第1次隊は適当なフィールドを求め、フィリピン各地を採血調査したが、結局、パラワン島のイワヒグ囚人村(Iwahig Penal Colony)に落ち着き、そこで主として抗マラリア薬クロロキン耐性マラリアの研究を行った。またマラリア患者の血液の生化学的研究、媒介蚊の研究、小哺乳類、特にサルや齧歯類の住血性原虫類の検索などを行い、多くの資料を得て1973年の第4次隊で派遣を終了した。
 人のマラリアに関する研究データはすでに過去の歴史的資料としての価値しかないが、第1次隊から第4次隊までメンバーの中で唯一全派遣期間を通して調査地に滞在して、私が調査中見聞したこと、考えたことを記録に残しておきたいと前々から考えていた。
 私が全期間滞在したのは日本における準備段階からこのチームのマネージャ的役割を果たしていたからであり、私自身が中心になって行った齧歯類など小動物からの住血性原虫類を検索する仕事は、後に私の著書「寄生原生動物―その分類・生態・進化」(1979)に発展した。 
 なおこの連載はもともと九重自然史研究所で「九重昆虫記第11巻」の原稿として2009年ころすでに完成していたが、第10巻の刊行が遅れているうちにさらに自然観察を継続することができたので、最新の話題を含んでいる草津市における研究を11巻として出版したいと思う。つまりフィリピン編は12巻、マレーシア編は13巻ということになる。