九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

憧れの立命館大学経済学部の教授!

2018-05-10 23:10:32 | 日記

憧れの立命館大学経済学部の教授!
私たちの学生時代の立命館大学の総長は末川博だった。彼は戦時中の滝川事件の際、軍部に媚びず京大法学部教授を辞職して抗議した7博士の一人で、戦後、他の教授は京大に戻ったが彼だけは戻らなかった。だから志を曲げない生き方を貫いた学者の中の学者として、われわれ自称左派の学生だけでなく、多くの学生からも尊敬され慕われる人物だった。おそらく末川さんが総長だったから受験したという人も多いだろう。あやふやな記憶だがもしかすると彦根東高生のころ高校か、もしくは彦根のどこかに末川さんが講演に来られたかもしれない。東高のある若手の先生がトイレに入ると、隣に末川先生が来られたので挨拶し並んで一緒に小便したことを授業で自慢げに話した、そんな存在が末川さんだ。
友人北村博君が立命館に入学した理由は、自分でも合格できると思った大学だったからだ。彼は赤いと評判の私と一番深く付き合っていたのに、まったく赤くならない男で、学長に憧れて受験したわけではない。彼は1955年のジエームス・デイーン「エデンの東」に感激し、何度も見たので一部のセリフを暗唱していた。私は映画にはまったく興味がなかったので、ふつう彼が見た映画について、私に熱っぽく話すことはなかったが「エデンの東」だけは別で何度もその映画の話を聞かされたが、私はどんな映画だったかまったく記憶にない。
学生時代、京都で北村君と飲み歩き彼の下宿に泊まって、次の朝、前期の試験の範囲を説明するらしいので、一時間目の講義だけ出席したい。一緒に来るかと言うので出かけた。立命館の大きな講義室は木造の立派な建物で、多分、階段教室だったが、ピカピカに磨かれた立派なものだった。前の方に彼と座っていると、かなり多くの学生が続々と集まってきた。立命館は特別、勉学に熱心な学生が多いとは聞いていなかったので、毎時間こんなに多いのかと尋ねると、今日は試験の出題範囲を教えるのでみな来ているという。
 しばらく待つと、後ろから教授が廊下を歩いて来た。ちゃんとスーツを着、ネクタイを締め、革靴をはいた紳士が左わきに本を抱え、多分右手に白い煙が出ているパイプを持っていた。それらを教卓の真ん中に並べ、置かれたパイプから一筋の煙が立ち上り、消えそうになった。先生はすでに講義を始めていたが、さりげなく多分右手でパイプを一服吸われた。また煙が立ち上り一筋になるとまた吸われる。その間に学生たちはメモを取る。森羅万象を窮める学問は立命館のような重厚な大学がやることだなと思った。
 それと比べるとわが母校奈良学芸大学の文系の先生は確かに背広、ネクタイ姿だが、米軍兵舎を修繕した教室はまったく貧弱で重厚さなどかけらもない。そんな教室では先生も学生も立命館と比べればまったく貧相で二流に見える。さすがの私も私大は本当にうらやましいなと思った。
 しかし自分が医科大の助教授・教授になってみると、与えられた教授室には高価な顕微鏡とマイコン一式を置き、本棚をいくつか入れると手狭になり、しかも本はどんどん増え学生や来客と話すスペースは年々縮小した。幸い理系なので学生実験室・実験準備室があるが、私の癖で二つも三つもの課題を同時並行的にやろうとするので、一見混沌としておりネズミの巣のようだと人から言われた。今思い出してもあの時の立命館の教授は気品があり、パイプの白い煙もなぜかその先生の心のゆとりの象徴のように思えた。教授時代の私と比べてもその先生の風格は月、私は泥亀つまりスッポンだ。
 現役時代も今も泥亀は複数の課題を追って泥の中で苦闘している。
写真は住吉大社の手洗いのウサギとネコグッズ。

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