九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

少年クラブの付録世界動物アルバム

2017-06-07 21:29:48 | 日記
少年クラブの付録世界動物アルバム
もう少年クラブという雑誌を知っている人は少ないだろう。講談社から戦前少年倶楽部として出版され戦後も出ていて、中学生まで購読した月刊誌だ。私は小学校低学年では幼年倶楽部、幼児期を過ぎると、少年倶楽部を読んだ。
昔の雑誌は付録がついていて、これは昭和25(1950)年4月号の付録だ。はりこみ式とは、動物の絵が大きなアート紙に印刷されており、それを1枚ずつ切り離して、この冊子のページのその動物の説明がついている部分に貼って1冊の図鑑を完成させるのだ。1ページ3種、16ページで合計48種の世界の鳥と獣を張り込むのだ。説明は高島春雄と今泉吉典が書いた。リチャード・ライデッカーの大きな動物図鑑の絵を日本人画家が模写した。この付録によって動物はそれぞれ違った分布区に別れ棲んでおり、それは海で隔離されているからだということをこの冊子で気づき、京都や名古屋の動物園を見に行った。
それから20年後、農林技官から上野の科学博物館に移っておられた今泉さんを訪問し、フィリピンで小哺乳類を集め、採血し血液寄生原生動物を調べることを話し、フィリピンの動物を持ち帰ったら同定して頂けるか尋ねるとラットはまだすべて同定できないので標本が欲しい、それとテイラーのフィリピン諸島の哺乳類という大きなモノグラフが出たが日本にはない。神田の古書店にアメリカから来た学者を案内した時、その人がテイラーを先に見つけ、長い間さがしていた本だと買ってしまった。フィリピンの動物を同定するにはその本がどうしても必要だ。フィリピンで探してコピーを作ってくれないかと頼まれた。早速、マニラの博物館に行くと対応してくれた動物学者であるアルカシド副館長が、自分はその本を持っているが、フィリピンでも大切な本だからここで全ページの写真を撮れと言われ、当時はコピー機がない時代だったから、日本から大きな缶に入った文献コピー用フィルムを持ってきていたのでそれを使って撮影し、両手が入る黒い袋の中で、大きな缶からフィルムを取り出し、適当な長さで切りカメラに装填した。現像もその袋の中で巻き取ったフィルムを現像し、撮れていることを確認した。それを日本に持ち帰ると今泉さんは大変喜ばれ、それを知った他の学者もコピーしたという。
 私が幼いころの少年雑誌の付録の著者で、憧れの大動物学者と会って大変感激した。ところでその付録の挿絵を描いた画家の一人杉俊郎さんはもう覚えている人はないと思う。蛾の杉繁郎さんの弟で、1950年代に同好会誌を主催され生態昆虫という専門家相手の雑誌をだした人物だ。講談社の日本昆虫記にコヤガの話を書いたのは杉繁郎さんの方で、その後、講談社から蛾類大図鑑、蛾類生態図鑑の編集の中心になられた。



布藤美之さんのチョウ標本琵琶湖博物館に納まる

2017-06-06 00:07:35 | 日記
布藤美之さんのチョウ標本琵琶湖博物館に納まる
 チョウ採集家として著名な布藤さんの標本が琵琶湖博物館に納まった。しが彦根新聞の記事によると、日本産昆虫は443種17,573点、日本以外の世界の昆虫は1,824種、8,213点であった。チョウの研究家なので、斑紋の変異を見るためギフチョウは毎年多数の標本を作られたようだ。私は滋賀県に戻ってから一度武田滋さんと布藤さんの自宅を訪問したが、標本はその頃よりも整理され、標本数も種数も数えられたらしい。ほとんどチョウの標本で、他の目は積極的に集められることはなかったようで、採集に行って少し変わった虫に出会うと採る程度だったらしい。
布藤さんは私の姉と同い年で、旧制の彦根中学を出ておられる。卒業と同時に師範学校に進まれたらしい。姉も、多分、同じ年に旧制の彦根女学校を卒業したが、旧中学校に新制度の高等学校ができ、男子の旧中学校も女子の旧女学校も5年制だったから、もう1年新制高等学校へ行けば最初の新制高等学校卒業の資格が得られるので姉はそうした。その新制高校は元の彦根中学校の校舎(現在の彦根東高校)で女学校から来た女子と男子が小学校以来、初めて共学で1年過ごした。姉たちは男子とグループで交際し、先生たちも男女交際にどう対応するかわからず、気の合う男女が青春を謳歌した楽しい時代だったらしい。青い山脈という映画ができその主題歌が大流行した。
姉の学友である男女数名が伊吹山に登山するとき、姉が私を連れて行ってくれた。歌がうまい男子学生がリードし「青い山脈」や「丘を越えて」をみんなで歌いながら登った。姉は弟つまり私は昆虫学者になるつもりだから、彦根城の昆虫と違ってもっと面白い虫が見られるかもしれないと考えみなに頼んで連れていってくれたのだ。私は網を持って一番後ろからついていった。夕方から登ったからヒメボタルと出会った。この登山は古いからを破って新しい時代が姿を現す夜明け前のような気持ちがした。姉は18歳、私は13歳だった。この年齢差は布藤さんと私の年齢差である。就職してからも姉の世代の人がいつも上にいた。だからその人たちに追いつこうと私は一生懸命努力した。昆虫学での最初の目標は布藤さんだった。彼の標本はドイツなど世界各地の種があった。そうだ世界を見なければ「井の中の蛙だ」と思った。それと上の人の真似をせず、自分のやり方を発見しようと考えた。上にいた人に追いつき、彼らが歳をとり退職するころ、追われる者の気持ちがよくわかるようになった。

クロスジアオシャクの幼虫と蛹

2017-06-03 07:11:05 | 日記
クロスジアオシャクの幼虫と蛹
(図版1:1~4.図版2:1~4)
 2017年5月11日、京都の塚越章雄・真田幹雄両氏に誘われて、滋賀県高嶋市へ自然観察に出かけた。菅平で卒論をやったからというわけではないが、私は日本の昆虫では特に冷温帯系の昆虫に興味を持っており、大分では佐伯や蒲江には照葉樹林があり、そこに定年後の本拠をおいてもよかったが、冷温帯林系の九重山系地蔵原を選んだ。なぜなら九州の冷温帯系昆虫は温暖化の進行とともに次第に絶滅に瀕するだろう。そういう滅びいく虫の最後の姿を記録するため、滋賀県でも高嶋市や長浜市の森林を調べたいと思う。
 今回出かけた場所、高嶋市マキノは私が子供のころからスキー場があり、関西に近いので今でもスキー客が多いらしい。JRに湖西線という以前はなかった電車が通っており、京都にも驚くほど近くなった。草津から電車で高嶋に行くには京都の山科駅まで行き、そこで湖西線に乗り換える。つまり同じ滋賀県だが一度京都出なければならない。草津から米原→長浜経由でも高嶋に行けるが時間がかかる。自動車道も発達しているから京都から車で来た二人と滋賀県大津市和邇駅で合流し現地に行った。
現場はクリ、クヌギ、コナラ、ナラガシワが生えており、そこのコナラでアオシャク亜科の各体節背面に後方へ先端が向いている突起を持つ、大分県九重町地蔵原でも飼育した体長40mmのシロオビアオシャクGeometra sponsariaと思われる幼虫を採集した。5月21日その幼虫は飼育容器の表面に食樹の葉を綴って楕円形の椀状の繭を作った。蛹は繭を構成する太めの葉脈から尾端でぶら下がっていた。透明な容器なので内部の蛹が緑色だとわかった。蛹の体長は28mmであった。
 この幼虫は「九重昆虫記第8巻」「IX-50.Geometraの6種の幼虫について」で紹介したシロオビアオシャクに確かによく似ている。しかし一つだけ非常に違う点がある。それはシロオビアオシャクの蛹は淡褐色であることだ。シャクガ科も蛹の色は一般に褐色系だが、食樹上で糸を吐いて葉を綴り合わせ繭を作る種は、糸を節約し葉をくっつける種ほど緑色の蛹になることが多い。私は蛹の色はどの科も祖先型は褐色だったと考えているが、食樹上で蛹化する種は葉を繭表面につけるようになり、糸を節約する方向へ進化し、繭内の蛹が見えそうなほど粗末な繭を作るようになった。そのかわり緑色の蛹は尾端を植物にしっかり固定してぶら下がっている。
 今回飼育した種はシロオビアオシャクの幼虫ではないことは蛹を見てわかったが、何だろうと思っていると6月1日クロスジアオシャクGeometra varidaの雌が羽化した。図版1:1~4と図版2:1は様々の角度から写したクロスジアオシャクの終齢幼虫である。この幼虫は何対の突起を持っているのだろうか。図版1の4枚の写真と図版2:1によると第1腹節~第5腹節1対ずつあり、第7腹節に小さい1対あるから合計6対である。
 しかしこの幼虫と講談社の生態図鑑に掲載された幼虫写真はかなり違う。それは褐色でずんぐりしており、私が写した写真と似ていない。おそらく前蛹状態の写真かもしれない。高嶋市で見つけたクロスジアオシャク幼虫は終齢初期のようで、おそらくこの仲間の幼虫は新緑の時期の若い新芽に擬態しているらしく、新芽の間にこの幼虫が止まっていても見落とすほどだった。

クロヒカゲの生活史

2017-06-03 06:42:21 | 日記

クロヒカゲの生活史
(図版1:1~3、図版2:9)
 クロヒカゲLethe dianaはヒカゲチョウ亜科(=ジャノメチョウ亜科)の普通種で、滋賀県でも大分県でも低地でよく見かけるチョウである。この仲間は日の当たる明るい場所ではなく、日陰に出没し、まるで悟りすました僧侶のように止まっている。もっとも早朝の日光浴は嫌いではないらしい。裏面の後翅に美しい瑠璃色の斑紋に囲まれた目玉模様を持っている。
学生時代、古代ギリシャ文明に熱中し悲劇や喜劇などを愛読したが、60年後の今はすっかり忘れてしまった。私がギリシャ古代文明の魅力に引き付けられたのは、神話の不死の神々はトロイ戦争の最中もお気に入りの英雄の肩を持ち人間世界の争いに介入するが、その中で真の英雄たちは神々の干渉を運命として受け入れ、あくまで死ぬべき人間として生まれた自分の信念、生き方を貫き通す。負けることがわかっていたトロイの王子ヘクトールがあえて応じた、アキレスとの一騎打ちはその典型である。友の敵討ちに勝ったアキレスもそうすることで、やがて自分が死ぬ運命を知っていた。夜陰に紛れてトロイの老いたプリアモス王が息子の遺体を引き取りに来る場面、アキレスが怒りを鎮め遺体を返す場面は今も覚えている。本種の属名はギリシャ神話の三途の川である。その川を渡る船の船頭はカロンと言う名だったと思う。
クロヒカゲは幼虫で越冬する。例の通り武田滋さんが大津市伊香立本地町でササの1種を食している本種幼虫見つけ届けてくれた。届いた時は約30mmの終齢の一つ前の幼虫(第1図版1~3)で、細長く淡褐色で頭部に突起があり、胸脚3対、副脚4対、気門の下方に淡色の側線、その下部に白線がある。尾脚は細長く後方に伸びている。愛用のペンタックスが壊れ、代わって買ったオリンパスを使った撮影に慣れず、結局、3枚も掲載することになった。写真3は体表全体が良く写っており、体表面に小さな黒点が散乱している。頭部は写真1に良く写っている。
2~3日後、図版2:1~3のように少しずんぐりした体型の終齢幼虫になり顔面の様子も変わった。そして体が丸くなり4月19日、写真4と6に示す前蛹になった。その日の夜11時35分蛹化した。写真7は蛹の側面、8は腹面、9は背面である。まだ使い慣れていないカメラなので、写真7~9のようにプラスチック容器の天井にぶら下がった小さな蛹を同じ条件で撮影できなかった。
4月29日雄が羽化した。
ところで本種に似たチョウとしてヒカゲチョウLethe sicelisがある。たまたま羽化したクロヒカゲの裏面を見てふと気付いたのだが、九重昆虫記第1巻(改定新版)125ページ図版24:1に大分県九重町地蔵原で撮影しクロヒカゲとして写真を掲載した静止しているチョウを思い出した。早速、第1巻を見ると、その写真はやはりヒカゲチョウが止まっている写真だった。エッチエスケー社社長はチョウに詳しい人だが、この間違いには気づかなかったらしい。その間違いは大分合同新聞2005年6月27日の記事に由来する。止まって口吻を伸ばしているチョウの写真が必要だったので写しただけだから、ついクロヒカゲと思い込んでしまったらしい。どんなに気をつけていても小さな間違いは避けられない。難しいものだ。





オビヒトリの幼虫

2017-06-02 12:13:23 | 日記
オビヒトリの幼虫
(図版:1~4)
 2016年11月15日、我が家のある滋賀県草津市草津町エルシティ弐番館を囲むアベリアの垣根の南端の部分に、茶色の体長約30mmの毛虫(図版1~2)がついているのを発見した。ヒトリガ科の毛虫に違いないが何となく、このような茶色の毛虫を今まで飼育したことがないように思ったので飼育容器にいれた。まもなく茶色の体毛を綴って食草の葉にくっつけた繭を作った。アベリアの垣根であるが、綴った葉はアベリアではなく、その垣根に絡みついていたアカネ科のヘクソカズラであった。多分、その葉を食べて成長したらしい。繭の中の蛹は褐色系の他のヒトリガ類と似ていた。
 ヒトリガ科の幼虫は春になると、草津市でも大分市でも叢を歩き回る体長5~6cmあるシロヒトリの毛虫が目につくが、今回見つかった毛虫は体長がその半分ほどで、しかも初夏ではなく、初冬に見つかり蛹化したから初めて出会う種らしい。
50年以上アサヒペンタックスを使っていたが壊れ、そのカメラはデジカメ時代初期の機種なのでもう十数年愛用したから壊れ修理に出すと、その間に電子系統も変わり修理できないと戻ってきた。
私は昆虫の生態写真を専門に撮影するから、シャッターチャンスを優先するため絶対に三脚を使わず、必ず手持ち撮影する。撮影した写真が多少ピンボケであっても狙った被写体が写っていれば、観察した証拠であるから許容できるが、他の虫を撮影中に近くに、別の優先し撮影したい被写体が突然やってきたときに迅速に対応できるようカメラをいつも手に持つようにしている。だから今回も昨年末、軽量のオリンパスを購入したのだが、冬の間肝心の被写体が冬眠しており、私も開店休業状態で、そのカメラで接写撮影のトレーニングができなかった。
その毛虫(図版1~2)は、一応写っていたが残念ながらピントが今一良くない。しかし幼虫図鑑などを見ると、この毛虫に該当するらしい種は保育社版も講談社版の幼虫図鑑にも出ていない。
その繭は屋外に出して越冬させ、2017年4月に研究室に移した。そして4月24日、オビヒトリの雌が羽化した。オビヒトリSpilarctia subcarneaはクワを食うという記録があるが他に飼育記録はない。
図版の写真4左側はオビヒトリ雌の静止姿勢であり、写真3は展翅した標本である。雌なので腹部が太い。もし天敵が4の状態のガを試し突きしようとすると、突然、写真3のように濃紅色の腹部を見せる。ヒトリガの仲間は大部分が様々の赤や黄色に彩色されている。
宮田彬・三宅武・野崎敦・玉島勝頼(1999「大分県の鱗翅類」(大分医大生物学教室pp. 507)によると、大分県では第1化が5月中旬から6月中旬、第2化が7月下旬から9月上旬まで見られ、蛹越冬である。大分県では山地から低地まで広く分布しているが、個体数はアカハラゴマダラヒトリやキバラゴマダラヒトリほど多くはない。