少年クラブの付録世界動物アルバム
もう少年クラブという雑誌を知っている人は少ないだろう。講談社から戦前少年倶楽部として出版され戦後も出ていて、中学生まで購読した月刊誌だ。私は小学校低学年では幼年倶楽部、幼児期を過ぎると、少年倶楽部を読んだ。
昔の雑誌は付録がついていて、これは昭和25(1950)年4月号の付録だ。はりこみ式とは、動物の絵が大きなアート紙に印刷されており、それを1枚ずつ切り離して、この冊子のページのその動物の説明がついている部分に貼って1冊の図鑑を完成させるのだ。1ページ3種、16ページで合計48種の世界の鳥と獣を張り込むのだ。説明は高島春雄と今泉吉典が書いた。リチャード・ライデッカーの大きな動物図鑑の絵を日本人画家が模写した。この付録によって動物はそれぞれ違った分布区に別れ棲んでおり、それは海で隔離されているからだということをこの冊子で気づき、京都や名古屋の動物園を見に行った。
それから20年後、農林技官から上野の科学博物館に移っておられた今泉さんを訪問し、フィリピンで小哺乳類を集め、採血し血液寄生原生動物を調べることを話し、フィリピンの動物を持ち帰ったら同定して頂けるか尋ねるとラットはまだすべて同定できないので標本が欲しい、それとテイラーのフィリピン諸島の哺乳類という大きなモノグラフが出たが日本にはない。神田の古書店にアメリカから来た学者を案内した時、その人がテイラーを先に見つけ、長い間さがしていた本だと買ってしまった。フィリピンの動物を同定するにはその本がどうしても必要だ。フィリピンで探してコピーを作ってくれないかと頼まれた。早速、マニラの博物館に行くと対応してくれた動物学者であるアルカシド副館長が、自分はその本を持っているが、フィリピンでも大切な本だからここで全ページの写真を撮れと言われ、当時はコピー機がない時代だったから、日本から大きな缶に入った文献コピー用フィルムを持ってきていたのでそれを使って撮影し、両手が入る黒い袋の中で、大きな缶からフィルムを取り出し、適当な長さで切りカメラに装填した。現像もその袋の中で巻き取ったフィルムを現像し、撮れていることを確認した。それを日本に持ち帰ると今泉さんは大変喜ばれ、それを知った他の学者もコピーしたという。
私が幼いころの少年雑誌の付録の著者で、憧れの大動物学者と会って大変感激した。ところでその付録の挿絵を描いた画家の一人杉俊郎さんはもう覚えている人はないと思う。蛾の杉繁郎さんの弟で、1950年代に同好会誌を主催され生態昆虫という専門家相手の雑誌をだした人物だ。講談社の日本昆虫記にコヤガの話を書いたのは杉繁郎さんの方で、その後、講談社から蛾類大図鑑、蛾類生態図鑑の編集の中心になられた。
もう少年クラブという雑誌を知っている人は少ないだろう。講談社から戦前少年倶楽部として出版され戦後も出ていて、中学生まで購読した月刊誌だ。私は小学校低学年では幼年倶楽部、幼児期を過ぎると、少年倶楽部を読んだ。
昔の雑誌は付録がついていて、これは昭和25(1950)年4月号の付録だ。はりこみ式とは、動物の絵が大きなアート紙に印刷されており、それを1枚ずつ切り離して、この冊子のページのその動物の説明がついている部分に貼って1冊の図鑑を完成させるのだ。1ページ3種、16ページで合計48種の世界の鳥と獣を張り込むのだ。説明は高島春雄と今泉吉典が書いた。リチャード・ライデッカーの大きな動物図鑑の絵を日本人画家が模写した。この付録によって動物はそれぞれ違った分布区に別れ棲んでおり、それは海で隔離されているからだということをこの冊子で気づき、京都や名古屋の動物園を見に行った。
それから20年後、農林技官から上野の科学博物館に移っておられた今泉さんを訪問し、フィリピンで小哺乳類を集め、採血し血液寄生原生動物を調べることを話し、フィリピンの動物を持ち帰ったら同定して頂けるか尋ねるとラットはまだすべて同定できないので標本が欲しい、それとテイラーのフィリピン諸島の哺乳類という大きなモノグラフが出たが日本にはない。神田の古書店にアメリカから来た学者を案内した時、その人がテイラーを先に見つけ、長い間さがしていた本だと買ってしまった。フィリピンの動物を同定するにはその本がどうしても必要だ。フィリピンで探してコピーを作ってくれないかと頼まれた。早速、マニラの博物館に行くと対応してくれた動物学者であるアルカシド副館長が、自分はその本を持っているが、フィリピンでも大切な本だからここで全ページの写真を撮れと言われ、当時はコピー機がない時代だったから、日本から大きな缶に入った文献コピー用フィルムを持ってきていたのでそれを使って撮影し、両手が入る黒い袋の中で、大きな缶からフィルムを取り出し、適当な長さで切りカメラに装填した。現像もその袋の中で巻き取ったフィルムを現像し、撮れていることを確認した。それを日本に持ち帰ると今泉さんは大変喜ばれ、それを知った他の学者もコピーしたという。
私が幼いころの少年雑誌の付録の著者で、憧れの大動物学者と会って大変感激した。ところでその付録の挿絵を描いた画家の一人杉俊郎さんはもう覚えている人はないと思う。蛾の杉繁郎さんの弟で、1950年代に同好会誌を主催され生態昆虫という専門家相手の雑誌をだした人物だ。講談社の日本昆虫記にコヤガの話を書いたのは杉繁郎さんの方で、その後、講談社から蛾類大図鑑、蛾類生態図鑑の編集の中心になられた。