九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

1.フィリピンの動物相について考える

2015-09-20 08:12:48 | 日記

1.フィリピンの動物相について考える
1.はじまり
 1969年11月から1973年3月まで4回、長崎大学熱帯医学研究所から疫学部門の中林敏夫教授を隊長とする「長崎マラリアチーム」の愛称で現地の人々から親しまれた研究チームがフィリピンに派遣された。上の表はそのチームの第1次隊から第4次隊までの隊員名簿と滞在期間の一覧表である。これを見ると明らかなようにチームに加わった8人のうち私だけがただ一人全調査期間を通して現地に滞在した。
 われわれが初めてマニラに到着した1969年当時、チームの中心である私たち若手隊員は、まだマラリア顕鏡経験が少なく、わずかに中林教授が東アフリカから持ち帰った血液塗沫標本を見ていただけなので、マニラのマラリア防圧局(Malaria Eradication Service、以下MESと略す)の中央検査室で女性検査技師から標本を見せてもらい検鏡技術をみがいた。第1次隊はかなり長い間マニラに滞在したが、私たち若手にとっては初めての海外経験なので、その期間は英会話に慣れるためにも必要であったし、また中央検査室を中心にMESの人々とすっかり親しくなり、第2次~第4次のチームに参加する上で大変役立った。
 第1次隊は適当なフィールドを求め、フィリピン各地を採血調査したが、結局、パラワン島のイワヒグ囚人村(Iwahig Penal Colony)に落ち着き、そこで主として抗マラリア薬クロロキン耐性マラリアの研究を行った。またマラリア患者の血液の生化学的研究、媒介蚊の研究、小哺乳類、特にサルや齧歯類の住血性原虫類の検索などを行い、多くの資料を得て1973年の第4次隊で派遣を終了した。
 人のマラリアに関する研究データはすでに過去の歴史的資料としての価値しかないが、第1次隊から第4次隊までメンバーの中で唯一全派遣期間を通して調査地に滞在して、私が調査中見聞したこと、考えたことを記録に残しておきたいと前々から考えていた。
 私が全期間滞在したのは日本における準備段階からこのチームのマネージャ的役割を果たしていたからであり、私自身が中心になって行った齧歯類など小動物からの住血性原虫類を検索する仕事は、後に私の著書「寄生原生動物―その分類・生態・進化」(1979)に発展した。 
 なおこの連載はもともと九重自然史研究所で「九重昆虫記第11巻」の原稿として2009年ころすでに完成していたが、第10巻の刊行が遅れているうちにさらに自然観察を継続することができたので、最新の話題を含んでいる草津市における研究を11巻として出版したいと思う。つまりフィリピン編は12巻、マレーシア編は13巻ということになる。