九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

琵琶湖博物館のハンノキやエノキに発生するテングイラガの幼虫について

2015-09-18 11:17:54 | 日記

琵琶湖博物館のハンノキやエノキに発生するテングイラガの幼虫について
 琵琶湖博物館の庭はなぜか昆虫が少ないところである。彦根城と比べても、断然、虫が少ない。子供のころ住んでいた彦根市石ケ埼町の屋敷は、今も残っている昆虫標本の種数からみても本当に虫が多かった。半世紀前の彦根の昆虫目録は私のホームページで公開している。
なぜ琵琶湖博物館の庭には虫が少ないのか、私なりに考えてたどり着いた結論は次の通りだ。博物館のある半島は草津川の氾濫原の先端部をなしており、そこから昆虫の供給源である最も近い山地まで農村地帯の広い水田が介在し、しかも水田耕作が始まったころから天井川ができるほど半島部はたびたび冠水し、山地の昆虫たちが移り住むことが難しい土地だったのではなかろうか。
母方の祖母実川末は彦根市馬場町に家があり、「子供のころ(明治時代の初期)大雨が降って一階建ての家の屋根のすぐ下まで冠水した」と話してくれたことがある。湖岸に近いその土地がそれだけ冠水すると現在の琵琶湖水面が2mちかく高くなるほど集中豪雨があったらしい。昭和になってからでも彦根では干拓事業が続けられていた。草津はもっとたびたび冠水に見舞われたことは間違いない。
イチジクヒトリモドキ、アメリカシロヒトリ、ヒロヘリアオイラガ、キマダラカメムシ、ナガサキアゲハ、ツマグロヒョウモンなど、1970代後半、九州から北上し始めた昆虫は草津市でも必ず採れている。以上の種は自力で飛来するだけではなく、人が持ち運ぶ植物について運ばれれ、古代からの交通の要衝草津を通ってさらに北へ拡散していったに違いない。
ところでテングイラガMicroleon longipalpis(イラガ科)は、雌(写真5)でも開張20~24mmの小さなイラガである。幼虫も体長5~6mm、クヌギで飼育したことがあるが、博物館のエノキとハンノキでも幼虫が見つかった。雌になる幼虫でも7mmを少し超えるほどの大きさだ。写真1はハンノキの葉上で見つかった緑色型の幼虫背面である。黒い部分はこの幼虫が葉にあけた食痕である。これだけ開ける間にその幼虫は終齢近くになった。写真2は側面である。こんな小さな幼虫と見くびって触ると、ヒロヘリアオイラガに刺されたときのように痛みがあった。写真3は九州で撮影した赤い型で、頭部が斜め上になっている。側面後ろに半月状の白斑がある。この斑紋は九州産緑色系(写真4)でも見られる本種幼虫の特徴である。写真1~2はその白斑紋がなく、また写真3と4は側面から見ると背面と側面の境目の稜線が明瞭に見え、一方、写真1~2はなだらかで、しかもその稜線の前方へ向かうところは明瞭な突起がない。ハンノキで2幼虫を見つけ飼育したが死に成虫は得られなかった。同一種の齢の違いかもしれないがはっきりしない。これは来年の宿題だ。

琵琶湖博物館で発生したオナガミズアオ後日談3

2015-09-17 23:42:28 | 日記

琵琶湖博物館で発生したオナガミズアオの経過3
 オナガミズアオの各齢の幼虫を見ることができたので写真を示す。1~2は2齢と思われ15mmほどである。3は20mmほどの3齢幼虫である。4は第2型の4齢幼虫である。飼育がほぼ終了したころ前に写真を示した卵が孵化した。まさか孵化するとおもわず、もちろん餌も与えていなかった。成虫は誰も見ていないが、おそらく毎年この場所で発生しているのではないかと思われる。最初の幼虫を見てから時間が経つし、さまざまの時期の幼虫がみられるので、複数の成虫がこの場所で産卵したと思われる。


琵琶湖博物館で発生したオナガミズアオ後日談2

2015-09-17 22:38:55 | 日記

琵琶湖博物館で発生したオナガミズアオの経過2
 終齢幼虫は4~5日後、飼育容器内で、葉や枝をくっつけた繭を作った。終齢幼虫は50~60mmである。この種は繭が薄くヤママユのように頑丈でない。その代り繭表面が見えないほど葉や小枝で覆っている。図版の写真1は木の葉や小枝を除去しておいたので仕方なく普通の繭を作った。繭の長さは50mm前後で、蛹は45mm。5幼虫を蛹化させたが裸の繭はこの一つだけだった。小枝や葉が足りなかったので、特に糸を吐く量を増やした様子は認められなかった。今までヤママユガ科の幼虫を飼育したのに気づかなかったことがある。それは繭の中の蛹はよく動くことだ。容器に触れるとすぐゴトゴトと音を立てる。別の机におき私が無意識に刺激しないようにしても発音する。天敵に対しては繭ではなく枯れ葉と小枝の塊ですよ、ここには誰もいませんよ、と偽情報を発信するためせっかく偽装したのに自分からゴトゴト音を出すとは間抜けたやつだ。もしかすると鳥を追っ払うしかけなのだろうか。写真3は蛹である。5は北海道の羊ケ丘で1986年6月採集したオナガミズアオである。北海道ではオオミズアオの方が少ないようで、オナガミズアオが次々と飛来した。6は初齢後期の幼虫で黒っぽいが橙色の部分がある。


琵琶湖博物館で発生したオナガミズアオ後日談1

2015-09-17 22:27:57 | 日記

琵琶湖博物館で発生したオナガミズアオの経過
 先に琵琶湖博物館の庭のハンノキで見つけた幼虫は特に成長の早い1幼虫と2015年9月5日4齢となった4幼虫を飼育していた。この時点で二つの型に分けられることが判明した。一つは前報で写真を掲載した形で、その時点ではオオミズアオの幼虫と似ていた。それを第1型とすると第2型は黒化が進んだ型だが、体色全体は緑色のままであり、体表の隆起の根元の環状部が真っ黒になっている。この型はオオミズアオの幼虫では見たことがない。4幼虫のうち2幼虫がこの型であった。9月6日その4幼虫は前後して終齢になった。写真1は脱皮直後の第2型幼虫である。背面に白い長毛がありそれは側面写真では目立つ。写真2は背面、3は顔面である。


チビノスカシノメイガとクワノメイガの追加

2015-09-15 07:18:46 | 日記

 前回書いた和名の話で、私の文章がゴタゴタして、あまり明快でないことが今朝、読み直してわかった。しかしそのブログの文章を修正することはやめにし、別のブログを書くことにした。井上博士の意思でもあり、博士の死後、手を加えた人がその意思を尊重しようとして、良かれと思ってやったことが混乱を引き起こしたらしい。この写真は講談社版大図鑑2004年の第4刷の和名を入れ替えたページである。第1刷と違う点は学名の横の和名だけを直したことである。だからチビスカシノメイガの説明なのにいきなり「次に記載するチビスカシノメイガの」という文章が出てくる。和名を入れ替えたのに、それぞれの種の説明文に目を通し、適切かどうか確かめないまま校了したらしい。ワクノメイガとワクというオマケの誤植も目立つ。入れ替えた人物はGlyphodes pyloalis Walker, 1859をクワの主要害虫だと考えたらしい。チビスカシノメイガは後から発見された種で学名はGlyphodes duplicalis Inoue, Munroe & Mutuura, 1981という。私が井上博士から聞いた話が正しければ、博士はG. duplicalisがクワの重要害虫であると認識し、当然、その学名の種に和名クワノメイガをつけたはずだ。
標準図鑑はその反対で、クワノメイガG. pyloalis、後から発見された種はG. duplicalisで和名はチビスカシノメイガである。これは大図鑑第4刷と同じ組み合わせだ。
しかし琵琶湖博物館にある大図鑑1990年の第2刷はクワノメイガがG. duplicalis、チビスカシノメイガがG. pyloalisとなっている。つまり第1刷から2004年まで22年間にわたってこの組み合わせでやってきたから、何かの間違いがあっても混乱を避けるために変更をすることは許されない。
一度つけた和名をいじるとこんなややこしいことになり、一般人も迷惑する。学名は学問の進歩とともに変わることがある。それは私もわかる。しかし今まで和名は変わらないものだという慣習的安定感あるいは安心感があった。
そろそろ生物の和名について何らかの規制を設け、同時に日本に産する全生物の最も正しい学名と和名とその異名を含む和名辞典をネット上で製作することも考えなければならない時期に来ているのではなかろうか。

ところで私が湯布院で開催したシンポジウム(当時の資料がなくシンポジウムの演題・日時も今ではわからない)で井上・杉両氏を招いた話を書いた際、現在の由布市庄内町黒岳で夜間採集をやったことも書き、井上博士は自分で採ったシャクガを新種として記載されたと書いた。それもクワノメイガと同じく40年近い昔のことなので、すっかり忘れていたから、確かめようとそのころ記載されたシャクガの記載を探したらヒメアオシャクDiplodema takahashii Inoue, 1982の新種記載に際し、黒岳で採集した標本がパラタイプに指定されていた。
子供のころから記憶力に自信がないので、高齢者の自動車運転免許の講習に行って、記憶力を検査するテストを受けたときは大変緊張した。なかでも16個の絵が4枚ずつ映し出されるのを覚えるテストがあった。しかも覚えてすぐ書くのかと思ったら、次は数字の配列を使った問題をたっぷりやって、その次がさっき覚えた絵の名前を書く試験だった。16個のうち15個思い出したが残り1個は思い出せなかった。みんなも同じぐらいできているのだろうと思ったが、15個も書けたのは、年寄りの間ではトップクラスの秀才で、私の筆記試験の成績は満点近かった。ところが年寄りは記憶力が落ちた分、口が達者になっていて、そんなことを覚えても実技ができるわけじゃない、俺は半分もできなかったと不出来なことを自慢する。その人の顔が何となく、子供時代の自分の姿のようで苦笑した。