こけけ便り @女将の徒然日誌

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偲ぶ

2018-03-16 13:12:24 | 日記
3月10日(土)

義母の一周忌法要に合わせ鹿児島へ向けて

八幡浜港→臼杵港 11時50分発 (宇和島運輸フェリーにて)

店閉店後、片づけ済ませ自宅より5分足らずとはいえ到着したのは出港15分前(^_^;)

乗船手続き済ませて、乗船したのは出港5分切ってました

ホッと安堵の出発♪

この日は、息子37歳、義父90歳のお誕生日

お祝いメール送る中

旦那様より冷蔵庫壊れた!!メールが(-_-;)

業者さん待ちなるも、結局都合つかず営業時間に入り

タイムアウト!!

結果、休日明けに持越し

なので

冷やしているグラス類を全部出して、必要最低限の冷蔵保存を確保

出発間際までバタバタでした

こんな時って妙に不吉な予感がついて回りますが・・・

取りあえず

セーフということで一路鹿児島めざします

午前2時過ぎ臼杵港到着

東九州道臼杵インターより高速道路にて

宮崎自動車道経由→九州自動車道→南九州自動車道 松元インター下車

そこから10分足らずで実家到着

宮崎道が開通して、臼杵より4時間少々約2時間も早くなりました

感謝、感謝です


とは言っても

そうそう帰省する機会もないのですが

休日利用の帰省やお祝いごとなら嬉し楽しの道中

ではない場合は

口数も少なく、思い心引きずりながら・・・

そんな帰省がこの1年数回続いています

昨年、3月17日 永久の眠りについた義母

普段は離れているからか、もういないことを実感することはありません

でも、実家に行けば

いつも、笑顔で迎えてくれた義母の姿はない

それに代わって

遺影の義母が穏やかな笑みを浮かべて迎えてくれる

改めて

二度と逢えない現実と向き合い、色々な思いが溢れてくる

初めてお会いした日

一緒に歩いた道

連れられて行った場所

何気ない会話に大笑いした表情や笑い声

その時々でのやりとり

長男、長女のお宮参りには八幡浜の実家に来ていただき、八幡神社にてお参りしたこと

そして、

決して口数の多い方ではない、どちらかと言えば少ない義母からの心に残る三つの言葉

次々と出てくるわ!浮かぶわ!状態になるのです

なので普段以上に喋りまくります

遺影のフォトは、甥っ子の結婚披露宴で私が撮ったもの

写真写りが悪いとの理由でかなりの写真嫌いでした

カメラ向けるとつい表情が強張ってしまうようです

なので、さりげなく声掛けながら連写にて(笑)

  
嬉しくて、幸せな日の家族みんなが居合わせた日の思い出のフォト

写真の義母を前にみんなであの日、あの時を偲べます

      

   

   

容態急変の連絡に急ぎ駆けつけたあの日

皆の心配をよそに予断はできないまでも、落ち着きを取り戻した義母に安堵♪

そして

出張先の名古屋から一人車にて徹夜状態で駆けつけた息子に驚いた!!

集中治療室への面会は数人ずつと言うことで

親戚の方と主人が先に

顔見るなり開口一番

「ないごて、こけおっとよ!」「仕事は?」「早よ、戻らんか!!」と怒られたとか(笑)

主人にとって母からの最後の言葉になりました

その後

息子と私が入り、息子の顔見るなり泣き出してしまった

「龍ちゃんねぇ 有難う、有難う・・」

それを見て居合わせた義父、義妹ももらい泣き

もちろん、私も

そんな感動のシーンでした

そして

命を繋いでいるチューブが苦痛であったり、病院に居ること事体納得いかず

「家に帰る!連れて帰って!」

「昼食食べてから・・・」と言い聞かせる妹

「家に帰って食べる・・・」と返す義母

何度か繰り返すも、聞く耳持たない義母

そして

義妹が言った!!

「佐智さんが母ちゃんの分全部食べたからご飯ない」

おもわず私も

「お義母さん、ごめん!お義母さんの分食べてしもうたわ」

すると

「よかたいが。 あたいが作るで。みんなで食べよう」(いいよ、私が作るからみんなでたべよう)

「そうやねぇ・・・」

その時タイミングよく昼食が運ばれてきた(笑)

義母の食する姿を見ながらそっと病室を出た

なので

私や息子にとって、最後のやり取りは涙と笑いとほっこりで締めくくり

その後、一喜一憂の状態が続き

家族で悩みに悩んだ選択、覚悟の退院

闘病中の険しかった表情は

見る見るうちに穏やかな表情になりいつもの義母の表情が戻った

義妹がラインにて送ってくれたフォトに涙が溢れ、胸が苦しくなった一年前の今日

今後の一時も目を離せない介護優先で

自分の住み慣れた家ではなかったけど

たぶん

きっと

穏やかな心持ちになれたのでは・・・

ご近所さん達も代わる代わるお見舞いに来てくださったとか

束の間のわずかな時間、一晩だけの静かな眠り

一日でも長くの思いは届かなかったけど

退院の翌日

長男宅の自室にて

私達は立ち会えなかったけど、みんなに看取られながら逝きました

理想の最期ではなかったかと思えます

葬儀での息子の語りかけるような大阪弁の弔辞に涙が止まらなかった

貴女の初孫は37歳になりました

褒めてやってください

堂々としたものでしたよね

あの子はちゃんと鹿児島背負ってました

じいちゃん、ばあちゃん大好きでしたもんね♪

その後はイマイチさすがの感動は見受けられません(笑)

仕事人間と化しております

危惧した不吉な予感??(笑)じみたトラブル、アクシデントは発生したものの

そこは、大人の対応で

皆で心納めて、無事一周忌法要済ませることができました

こんな時、いつまでも愚痴ったり、言い過ぎると

「もう、よかたいがぁ~」と一蹴されちゃってるかもね(笑)

折に触れ

ブログに綴ろうと思うも

いざとなると無理!!

やっと

って言うか

なぜか綴りたくなった

明日は辛い記憶、記録ではなく

愉しい記憶を綴ります

悲しい、辛い記憶は楽しい記憶に塗り替えることにします

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