しるしのないカレンダー

定年退職した自由人のBLOGです。庶民の目線であんなこと、こんなこと、きままに思ったことを書いてみたい。

私がケータイを持たない理由

2012年10月20日 | Weblog

「私がケータイを持たない理由」齋藤貴男、翔伝社新書を一読した。

笑顔で小生にこの文庫本を差し出し「読んだ後は捨てて下さい」と言った自治会長の顔が浮かんだ。 先週の事である。

実は小生も普段「ケータイを持たない」のだ。持ってはいるが普段持ち歩くことが無い。カメラ機能が比較的便利で撮影、保存、ブログ投稿に活用している。

月の通話料は平均30円~200円くらいである。受信は殆んどなく、発信の必要があるとき持ち出す位だ。

住所、氏名、等連絡先に固定電話番号以外にケータイの記入欄が設けられていても決して記入することは無い。かけてこられても出ることがないからだ。普段使用していないからだ。自室の書斎に置きっぱなしである。日中家にいても書斎に篭っていない限り電話があってもわからないのだ。

電話が嫌いになった理由の一つにトラウマがあるかもしれない。永年営業でケータイに振り回された記憶がある。一日の行動予定を立てて会社を出発する。途中で予定行動を随分阻害するケータイの呼び出しが原因の様だ。

遠距離営業が長かった。朝8時頃出発すると1時間かけて営業先に到着。以降夕刻まで予定する訪問先を廻るのだ。近距離訪問先でないので臨機応変に訪問地を変えたり、必要備品を事務所に取りに戻ることは出来ない。事情を理解しない、パートの電話応対も原因だった。営業担当のケータイは原則「非公開」である。

車の運転中の呼び出しがどのくらい危険なことか小生は理解している。車を路肩に停めて、発信、着信。実に迷惑した。一日の殆んどの時間帯車に乗っての営業が長かった。長かった会社勤めから会報されて、ケータイのストレスから開放されたかった。

「持たず、使わず、持ち込ませず」ケータイさえなければ起きなかった事件・事故。便利さと引き換えに、失った個人の尊厳と自由。私的空間、電磁波に冒されない健康、監視されない社会。

ケータイと共に変貌した日本の社会。ケータイ無しでは生活できない社会。そんな物なくても生活できます。「休ケータイ日のすすめ」小生も実践してます。

文庫本を贈呈いただいた自治会長さんありがとうございます。著者の斎藤氏の生き方に賛同し、実践中の同視として「意を強くすることができました」

 


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