学校の英語では明確に習わないが、"be + to-不定詞"という構文があって、それ自体、助動詞のように働き、予定、義務、可能、運命、意図などを表すので、文脈でうまく判断しなければならない。普段は他の助動詞などで置き換えられるから使う必要はないが、読み取る時や聴き取る時は各自の判断が必要である。Anneから"You are to wear your seatbelt."の"be to do"は、"should"よりもずっと強いと教えてもらったことがあるが、義務を表すとしても、"must"や"had better"に相当するということだろうか。いずれにせよ、日本語で微妙なニュアンスを出しにくいので、まるばつを付けて点数を出さねばならない日本の英語教育には取り入れにくいものと思われる。不用意に試験で生徒に乱用されると、英語教師もたいへんだ。生徒の言葉を表現しようとする努力は全く評価されず、教えた通りにできたかどうかで、白黒をはっきりさせられる。進行形はbe動詞などなくても通じるが、試験では重大な間違いとされる。英語の基本的な仕組みを理解させるには仕方のないことかもしれないが、言語の自然な習得プロセスから大きく外れていることはやはり気になる。先日の大学入試センター試験の英語聞き取りが、機器の不具合などで話題になっていて、蚊帳の外の僕には笑い話として耳に入るのだが、外国語が数学や国語と同じレベルの一つの教科として扱われていることに疑問を感じざるを得ない。むしろ、体育や音楽と同レベルで扱われるべき対象であるような気がする。表現力が主観的に評価されるべきもののはずである。