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辰巳ヨシヒロの芳醇

2009-07-26 | 本と落語
今年の何月だったかは忘れたが、A新聞の朝刊をめくっていたら、『手塚治虫文化賞』の選考結果が出ていた。
何気なく眺めていると、そこに懐かしい絵柄と名前があった。

辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』…。

まず私は、その独特のタッチに曳き寄せられた。あまり動きは感じられない挿絵のような描線だけれど、何とも言われぬ余情がある。
世に人気マンガと評判の作品でも、ほとんどは絵柄がダメで読み続けることが苦痛になるのだが、これは、紙面に載った数コマから「美味しさ」が伝わってきた。
しかも、「劇画というジャンルを作った作者の青春期を描いた自伝的作品」などという解説もある。
ああ、こんな誠実なタッチで「あの時代」や「創作家を目指す貧乏な青年たち」を描かれたら、たまらんだろうなア…。

私は辛抱できず、上下巻ともアマゾンで注文してしまった。



それは、予想したとおり、いや、予想以上に美味しかった。
私は上下巻を一気に読み、その後もしばしば舐めるように、絵柄と登場人物の人情の機微とを堪能しているのである。

上下巻合わせて約八百ページ掛けて、昭和二十三年から昭和三十五年の国会安保デモまでの時代を舞台にして、作者とその周囲の人物を実に丁寧に描いている。
手塚治虫やさいとうたかおなど有名な漫画家が実名で出てくるから、漫画好きな人にとっては興味は尽きないだろうが、漫画の世界にくわしくない読者でも(私もそうだ)、登場人物のリアルな心理と生活の描写に共感を覚えるだろう。

物語の進行と共に当時封切られた映画が描かれるのも、映画好きには嬉しい。
『第三の男』、『シェーン』、『七人の侍』、『ゴジラ』、『ヘッドライト』、『戦場にかける橋』、『太陽がいっぱい』…。
恐らくこの時代の庶民にとって、「映画」の存在感は今では想像出来ないくらいのものだったんだろうなア。
また、進駐軍、洗濯機の普及、力道山ブーム、週刊誌の始まり、六十年安保…などの世相も巧みに取り入れられている。



『劇画漂流』を読んでから知ったのだが、辰巳ヨシヒロはアメリカやフランス、スペインなどでは何冊も翻訳され、作品の映画化が企画されるなど、スゴい高い評価を受けているのであった。
ニューヨークタイムは文化面で『劇画漂流』を大きく取り上げて、
「村上春樹のような物語に美しい絵で庶民の生活を描いた金字塔」
なんて激賞している。
今の日本で辰巳ヨシヒロの絵柄を「美しい」と感じられる人って、少数派じゃないだろうか。こういうのは、かなり悔しい。
本人も、カナダ人(だったかな?)記者から、
「あなたは日本ではさぞかし大家なのでしょうね?」と聞かれて、
「いえ、日本では私の作品はほとんど売れないので、小さな出版社から細々と出してます」
と苦笑気味に答えた…と、どこかに書いていたけれど。



私はつげ義春がとても好きで、中期以降の作品は全て持っているのだが、ある時期のつげ義春の絵柄は辰巳ヨシヒロにとても似ている。
これは、辰巳ヨシヒロと交流したつげ義春が影響を受けたためらしい。
『劇画漂流』は、つげ義春との交流を描く前で終っている。でも、今回の受賞がきっかけで『劇画漂流』は続編が描かれるらしいから、そこには若き日のつげ義春が現れるかもしれない。
楽しみだなア。




つい先日、新聞広告で、「辰巳ヨシヒロの新刊『劇画寄席』!」というのを見つけて、うわ、一石二鳥だ!と驚き、すぐにアマゾンに発注してしまった。
でもこれは、正直、もうひとつでしたネ。
「芝浜」「宿屋の富」など八席を描いているのだけれど、やはり「語り」で完成しているものを絵にするとどうしても違和感がある。「間」が違う…。というか。
それにどれも有名な噺で、こちらの頭にはすでに「絵」が出来ていますからネ。
好きな小説をどう映画化されても違和感がある…ていうのと同じですね。

でも、辰巳ヨシヒロが志ん生を聞き込んでいるでいるのが判って、嬉しかったです。登場人物の台詞や噺の語り口が志ん生そのままなんだもの。

なんて芳醇なコラボ!!





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