第348話.カジスピ(カジュアルスピリチュアリズム)の薦め ~命取りになる無神論への対応~

2020-01-13 14:56:37 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

最近よく思う事として、無神論と言う思想の誤りを放置していると、神の怒りを買い、結果的に我々にとって取り返しのつかない死活問題に直面する事になるので、多くの方々が意識的に、そして積極的に無神論の危険性、霊的な世界観を持って生きる事の重要性を口に出して、それを拡散、啓蒙、定着して行かないと、本当に大変な事になりますよ、と言った懸念に関して今日はお話しをさせて頂きたいと考えております。

1)放置すると命取りになる無神論がもたらす3つのケース ①無神論国家の中国、②イジメ& 麻薬&殺人等反社会行為等の個人レベルの問題 、③天変地異

昨今の米中間の経済戦争とか見ていても、また香港の民主デモ隊への中国本土や香港警察の弾圧やウィグルのイスラム教徒への中国共産党の弾圧等を見ていても、またイジメを含む荒廃した教育現場や、社会に蔓延する薬物の汚染や、年々スケールが増している天変地異の発生の理由としても、思想や信条の間違い、即ち無神論の広がりが、こうした喜ばしくない事態を引き起こす主要因になっているのではないか?そして、このままその無神論の拡散に対し何の手立てもせず、このまま放置して置くと、多分更なる壊滅的な状況下に置かれるようになるのではないか?無神論を明確に否定し、その逆のもの、即ち神への信仰や霊的な世界観の普及を急がないと、言葉にならない程の危機的な状況下に置かれる事になるのではないか?、と言う危機感を最近特に強く感じるようになって来ておりまして、今日はその懸念を皆様と共有させて頂きたいと考えております。

1-1) 命取りになる無神論 ケース① 無神論国家 中国

まず、無神論国家、中国の問題ですが、今、米中間で貿易戦争が起きていますが、もしオバマ政権が続いていたとしたならば、多分、今頃は、中国の覇権は確定していた事でしょうね。でもそれは世界の地獄化をも意味していたので実現しなくてホント良かったなと思っている次第なのです。何故なら、まず、中国と言う国は、神をも恐れぬ無神論国家、唯物論国家である為なのか、人命、人権を軽んじる傾向が顕著でして、中国共産党政府は、政府を批判する自国民を見付けると、容赦なく捕まえて来ては、容赦無く粛清をし続けて来た血に塗られた過去を持つ国でして、文化大革命の際は共産主義に反対する6千万人とも8千万人とも言われる自国民を粛清して来たとも言われており、その残虐性から毛沢東の悪魔指数は多分ヒトラーのそれを軽く超えていると思われている程の酷さだったのです。天安門の時もそうでしたが、自由を求める学生達が民主化を求めてデモをしていると、共産党政府は、容赦なく学生達を弾圧し、戦車で1万人を超える若者達を無残に轢き殺したと言われておりますね。更に現代においても自国民の虐殺は続いており、特にウィグルでは、100万人を超えるイスラム教徒達が強制収容所に押し込まれ、イスラムの棄教を強要され、拒否した場合には人によっては生きたまま臓器を切り出され殺された方々も数多くいらっしゃる、と聞いております。そして切り取られた臓器は臓器移植市場で取引され中国政府はそれでもって大金を稼いで来たとの指摘も相次ぎ、その非人道性を世界中から非難されていますね。こんな残虐行為、人間が出来るレベルの話ではありませんね。所謂、悪魔の所業と言えるレベルの話かと思います。それを政府主導で行っていると言うのですから、開いた口が塞がりません。呪われた国、存続が許されていない国、と言えるかと思いますね。そんな神をも恐れぬ狂国が世界を支配する覇権国家になる一歩手前だったと言うのですから、ホント、恐ろしい話です。多分、後世から見ると、きっとトランプさんの登場は、まるで救世主の登場のように見える事でしょうね。その位、中国の覇権国家化が完成寸前のギリギリのタイミングでトランプさんが現れ、その流れにブレーキが掛かったのです。実を言えば余りよく知られてはいませんが、その裏では尊崇する宗教家による地均しとも言えるような世界中で行われた啓蒙活動が相当効いているのですがね。それにしても、あのまま中国が覇権国家になっていたなら、きっと人類はもう終わっていた事でしょうね。仮に中国の覇権国家化が実現していたなら、その時は神は怒り狂って我々が想像も出来ないような巨大な天変地異を起こしては現文明を終わらせていた事でしょうね。世界はリセットされ一からやり直しとなっていた事でしょう。こうしてまだ生きていられるのも、トランプさんとその偉大な宗教家のおかげですね。何故これほど中国と言う国が神から忌み嫌われているのかと言えば、中国が共産主義国家、唯物論国家、無神論国家だからです。その思想的間違いにより、余りにも多くの心ある人々の命が奪われ来たから、そして何より神を否定しているからですね。中国政府のこれまで成してきた数々の残虐行為は、その無神論思想、唯物論思想に原因があると思われていますが、自国民の粛清などの残虐行為も、人間が神の子と言う思想が無いから、そして人を単なる物としてしか見ていないからこそ起きているのではないかと思うのです。こうした非人間的な粛清行為やジェノサイトは、中国だけでなく、その他の共産主義国においても、よく見られる悪しき傾向、共通点かと思いますね。旧ソ連で約2千万人、ポル・ポト政権時のカンボジアでも約200万人、かつてのベトナムでも約100万人、北朝鮮でも約200万人、旧東欧諸国で約100万人と、数多くの方々が共産党政権によって殺されてきた歴史があります。共産主義政府への絶対服従の要求、その全体主義、そして無神論による霊的世界観の欠如(神がおり、人が神の子であり、カルマがあり、転生の中、何度も生まれ変わり、神に近づかんとし、カルマの解消もしている)がこうした残虐行為を可能にしてるのだと思われます。呪われた思想、悪魔の思想と言えるかと思いますね。

それにしても、これら数多くの人の命を奪って来た共産党の面々も、まさか自分が抹消したと思っていた政府に批判的だった人間達が、死後も霊として存在し続けており、政府や彼ら殺人者達を恨み続けている、何て思いもよらないでしょうし、その事実を知ったならば、ホントにビックリする事でしょうね。そしてカルマとカルマの刈り取りと言う仕組みがあり、これまで自分が成して来たあらゆる悪行を、今度は償いとして自分が受ける事になっており、そうする事で、自分がなしてきた数々のヒドイ行いが始めて帳消しになる、そう言ったカルマの刈り取りと呼ばれる仕組みがある、そしてそうした因果応報の法則からは誰も逃れる事は出来ない、転生を通して必ず償う、なんて言う事実を知ったなら、ホントにビックリする事でしょうね。そして、霊や神と言う不可視の存在達が彼等の悪行の全てをくまなく見ていた、なんて知ったならばきっと驚いて腰を抜かしてしまう事でしょう。そう言う諸々の霊的真実を知らないから、無神論、唯物論である彼らは、こんなにも恐ろしい虐殺行為を平気で出来てしまうのでしょうね。彼らも、きっと死んだ後には、自分も霊となる事で、霊的な真実を知る事になるかと思いますが、知った際には"何で誰もこうした霊的真実を教えてくれなかったのか!神様はヒドイ!"なんて言うのでしょうかね?でもこうした霊的な真実を説く教えは至るところにございますし、そもそも人が元々持っている良心に耳を傾ければ、その良心の呵責によって自然と気付くようになっているんですけどね。言い訳は通用しませんよね。暫く地獄においてしっかりと反省していただき罪を償って貰うしかありません。彼らもまた神の子達ですので一旦反省が終われば元々の住み処である天国に帰る事になり、天国では、次の人生においてカルマの解消ができるような、また自分に足りていない部分を強化できるようなプログラムが組み込まれた新しい人生計画を指導霊の指導のもとに練り上げ、そしてこの物質世界、3次元世界に生まれ変わり、新しい人生を歩み、その中で本人が意識しない中で、無意識に神仕組みにより知らぬ間に罪を償う事になって行く事になるのではないかと思うのです。
何れにせよ、こうして見ますと、共産主義の問題点は、共産主義にセットで付いてくる所の、その唯物論思想、無神論思想、霊的世界観の欠如にあり、それら思想的間違いによって罪悪感を伴わずに平気で極悪行為がいとも簡単に出来てしまう壊れた人間達を大量に出現させてしまう事が問題なのであり、そうした壊れた人間達が多数存在する世界がまるで地獄のようであり、神の意図した世界とは真逆の世界である事が、これら共産主義国の最大の問題であり、神に心底嫌われる理由なんだと思いますね。無神論は、明確な間違いであり、放置して良いものではありません。こうした自国民を数千万人も殺すような異常な国を作り出す悪魔の思想です。こんな狂った思想、共産主義は、21世紀の前半でこの世から消滅させねばなりません。そして共産主義を国是としていた共産主義国を民主主義国に変えて行かねばなりません。神を信じ、人々が神の子達であると信じ、全ての人の奥にある神性をベースにした真の人権思想の根本に置いた真の民主主義国に変えて行かねばなりませんね。

また、この中国と言う国に関しては、経済における自由で公平な競争と言う観点から見ても問題が多く御座いましたね。まず、知的所有権へのリスペクトが皆無であり、直ぐに簡単に他社の製品をコピーしようとしますが、これは盗みと同じ行為であり、宗教を重んじる他の国々では何処でも窃盗の類いとして禁じられている行為なのですが、中国では宗教がないせいなのか、そうした認識はなく、むしろ国自体がこうしたパクリ行為を率先して奨励しているようです。また中国政府は、海外の企業の中国国内での営業を許す代わりに、それら海外企業の知財情報の開示を要求していましたが、これも同じく窃盗の類であり問題ですね。でも中国には、それが問題行為、反社会的行為、それが恥ずかしい行為と思う感覚が欠落してしまっているみたいですね。知的財産は、その企業が高額な設備代や人件費を使って得た研究開発と言う努力の成果なのですから、それら労力への敬意が払われて当然なのですが、そうした他が努力して得た物をただで得る事がフェアでない行為、ズルい行為とか、恥ずかしい行為と言う感覚が全くないようですね。それもこれも中国社会にモーセの十戒のような宗教的な戒律が存在しないから、こうした事態が起きてしまっているのでしょうね。
また、彼らは、価格競争の面でも問題でしたね。欧米日の商品の知財をパクって安い人件費で作った安い製品を、それだけでも安いのに、更なる価格競争力を得るために本来は赤字なのに政府の支援で単価を原価以下の法外に安い価格に設定し、凄まじい価格競争力を得て市場を席巻し、欧米日の競合メーカーを打倒、駆逐し、市場を独占するなんていう事態が数多くの分野で起きています。赤字商売ばかりでは本来その企業は存続ができないのにも拘らず、政府のバックアップでいくらでも資金援助を受けられるので、そうした異常でアンフェアな価格での商売が継続出来てしまうのです。更に、それに加えて為替操作でもって元安誘導が出来てしまうので、凄まじく高い価格競争力を得る事が出来るので、もう一般の日米欧等の民間企業達では到底太刀打ちが出来ない状態となり、日米欧の民間企業達は中国企業との競争に敗れ、市場から駆逐、淘汰される寸前だった訳です。トランプさんが現れるまではね・・・・・。パクリで研究開発費はゼロ、人件費も安い、国の資金援助で利益度外視の価格設定が可能、為替誘導、と言う凄まじい価格競争力を得られる条件を持つ中国企業に対し、日米欧の民間企業が競争しようとしても、余りにも競争の前提が違い過ぎて全くフェアでない競争を強いられており、後はただ市場で駆逐され滅ぶのを待つだけ、と言う気の毒な状況がずっと続いて来た訳です。もっと早い時期に中国に対し"アンフェアだ!"とクレームを入れて然るべきだったのですが、どの国も中国で商売が出来なくなり稼げなくなる事態になるのが怖過ぎて誰も文句を言えなかったのです。意気地なしですね。そして中国は、その高い競争力で得たお金で、軍事力を強化し、南シナに港を作り、空母を作り、周辺諸国を脅し、また、稼いだ金を使って、一帯一路構想への弱小国の参加を促し、お金を貸し付け、そして返済が不可と判明すると、ペナルティとしてそれら弱小国の土地や港を半永久的に差し押さえては半植民地化する、と言う流れで、世界中に実質的な植民地を数多く作り、隷属させ覇権への道を固めて来た訳です。悪知恵が過ぎますね。でも、その覇権への道をまっしぐらに邁進していた中国に待ったを掛けたのが神を信じる側の国の代表であるトランプさん率いるアメリカでしたね。関税を掛け、知財パクリや、外国企業への知財開示要求も止めさせるプレッシャーを掛け、中国の中国企業への支援も批判し改善要求をし、無理矢理矯正しようとしている所なのです。また、共産党政権の全体主義の強要と同化圧力に悩む香港の民主化のデモ隊やウィグルのイスラムの方々や台湾の方々等を中国共産党政権から守る為に、次々と国内法を整備しているのです。それがトランプさんが今やろうとしている中国との貿易戦争の背景です。ゴールは中国の民主化です。

もし、トランプさんが現れず中国の暴走を止められなかったとしたならば、今頃、香港はウィグル化し皆強制収容所にブチ込まれていたでしょうし、台湾は香港化し偽物の一国二制度の嘘でダマされ民主的な選挙が出来ず中国の言いなりになり台湾に中国海軍が進出し、米軍は自軍を守る為に極東(日本を含む)から退却し、沖縄も中国の勢力下に置かれ香港化し、南北朝鮮は北主導で統一され核保有の反日国家として日本を脅し、日本は滅亡寸前となっていたハズです。世界各国で中国に借金漬けにされた国は主権を放棄し今のウィグルのように監視カメラが張り巡らされ実質中国の一部となり、中国共産党の悪口を言うと直ぐに強制収容所にブチ込まれ、逆らうと虐殺されるウィグル化が起きていた事でしょう。

今、世界では、実は、多くの国連機関も、アメリカの映画会社も、世界の、特にアメリカの主要メディアも、中国に金で買われ、中国贔屓なところばかりになりました。世論を自在にコントロール出来る寸前の所まで来ていたのです。ですから、ホントに中国による世界征服完成のギリギリのタイミングでトランプさんが現れたのです。神を信じない国を放置すると、そこまで行ってしまうのです。トランプ政権が声を上げなければその流れが止まる事は無かったでしょう。アメリカのポンペオさんもペンスさんも信教の自由を守る事があらゆる自由の中で最も重要な自由だと言い、宗教が何であれ信教の自由を認める国同士が手を取り合って繁栄する世界を作りたいと言い、それを踏みにじる中国共産党の人権侵害は許し難い、と厳しく批判している方々です。それが中国の敵、トランプ政権の主要メンバーなのです。アメリカは正しい事をしています。中国こそ、神を信じる事、宗教が必要な国なのです。中国は変わらねばなりません。日本政府は今年習主席の国賓待遇をしようとしていますが、ハッキリ言って間違っており、論外の選択です。今日本政府がすべきは香港や台湾やウィグルの支援と連携です。

我々は、神を信じない人達が国を作るとこうした中国のような恐ろしい国が出現してしまうと言う事実を明確に認識する必要があるのです。自国民を6~8千万人程度殺し、生きた人の臓器を取り出し商売に使うなんて言う狂った非人道国家は神を信じないからこそ出来るのであり、神を信じない事の害悪、無神論である共産党の放置は必ず問題を起こす危険な思想であると認識し、警戒し、排除して行くべきなのです。そして、その逆のもの、すなわち神を信じる事、霊的世界観の普及こそが世界の平和と安定のために不可欠という認識を持つ必要があると考えます。

1-2) 命取りになる無神論 ケース② イジメ& 麻薬&殺人等反社会行為等の個人レベルの問題

それは、国単位だけでなく個人単位におていも一緒です。

イジメだって、人間神の子と言う思想が無いから、相手の内に仏性、神性があると言う思想が無いからこそ可能なのであり、また霊や神と言う不可視の存在が彼等の悪行を全て見ていると言う視点が無いからこそ可能なのであり、カルマと言う観点、自分が他人になした悪事は将来必ず自分に返ってくる、と言う視点が無いから、イジメのような相手を平気で傷つける事が出来てしまうのだろうと思うのです。人間神の子、霊や神がいつも見ている事、そしてカルマの法則が判っていたなら、出来る筈も無いからです。

麻薬だってそうです。快楽追及か現実逃避か何れかが要因ではないかと思いますが、そもそも、我々がこの世に生まれて来た理由は、霊性の獲得、転生を通した数多くの人生経験を通してより神近い存在に成る事と言われていますが、そうした世界観、死生観があれば、そんな肉体的快楽追及主義に溺れる筈も無いのです。

殺人等反社会行為も、そうです。先日も相模原障害者施設殺傷事件の公判がありましたが、被告は障害者が役に立たない動物と言いますが、霊的真相を知っていれば、それが間違いである事は明々白々であり、こんな異常な事件は起こせる筈も無いのです。霊的な真実を知っていれば、障害者達の魂は、至って普通、健全であり、彼らは何らかの役目や目的があって今世、障害者として生まれていると言う事は良く知られている事なのです。普通である事のありがたさを教える為にそうした境遇を選んでいるはずなのです。一方、転生輪廻の中、次の人生ではまた健常者として生まれて来る等、我々には知り得ない神仕組みの中、今世障害者として生まれて来ている訳であって、見た目で判断してはならないのです。また、カルマの発想があれば、自分が成した悪行は、必ず償いとして自分に降りかかって来ると言う発想になるので、こうした悪事は到底出来る筈も無いですし、霊的知識、霊的世界観の欠如がこうした反社会的行動を起こさせてしまっているその背景にあると知るべきです。だから、無神論をたかだか思想の話と軽く考えて放置していてはならないのです。無神論は危険です。その点は明確に認識され声に出され共有されて然るべきかと思います。

1-3) 命取りになる無神論 ケース③ 天変地異 

以前も『第15話. 天変地異と神々』の所でも申しましたが、人の心の在り方と天変地異はどうも関連すると思われています。実際、過去、左翼政権の時に巨大地震が来て多くの方が亡くなりました。阪神淡路の時の首相は社会党の村山さんでしたし、東日本大震災の時は民主党の菅さんでしたね。次、もし旧民主党系や令和、共産の連合政権等が出現すれば、その時は、我々がこれまで見た事が無いような巨大で凄まじい規模の大震災がやって来るのは確実でしょう。理由は、日本を作って来た神々からしたら国のトップが無神論者である事は、神から見て到底許容できる事では無いからです。自民が許容可能なギリギリの最左翼です。必要なのは神を敬う真の保守政党の出現です。
もし、我々一人一人が本当に皆神の子達であり、神の一部でもあり、神と言う巨木の葉の一枚一枚の様な存在であるなら、神と言う巨木の枝の先に付いた数多くの葉である我々が無神論者になり、神を信じる事が出来なくなって来たとするならば、大きな幹から葉に送られて来るはずの養分がそれら無神論になった枝先の多くの葉達まで届かなくなり、大量の葉が枯れて腐ってしまう事になる、それが霊的に起きていると言う事になり、神はそのような事態をずっと許しておくはずもなく、その状況に対し何らかの警告を発し改善を試みると思われるのです。また神自体、自分の体の一部に腐った葉が多く存在する、なんて言う状況は非常に気持ちの悪い状況でしょうから、その状態を正常化すべく、腐った葉達を目覚めさせる為に枝をゆすりショックを与えようとするはずで、それがもしからすると震災と言う形で現れているのではないか?と思われるのです。枯れた葉の一枚一枚に相当する無神論になった人間達に、震災を起こす事で神の怒りを示し、神の存在を再び思い起こさせ、神への畏敬と感謝が戻って来たならば、葉(人間)に栄養が届かなかった状態が復旧されるはずなのです。ですから、震災とは神を思い起こさせる為のショック療法のようなものだと思うです。そうした見方、天変地異の発生と人々の不信仰の関係性については、先日、尊崇する宗教家も似たような事を言われていたので、まぁ、多分、結構合っている見方なのではないか?、と思っています。
“まぁ思想信条は各個人の自由なので、無神論の人がいても別にいいじゃない?”なんて軽く捉え無神論を放置していると、実はそれが大地震を誘発し、多くの方々の突然の死を齎す最大要因に成っている可能性が相当高いのです。だから、無神論の放置は、死活問題に直結するのであり、洒落にならない大きな問題なのです。その危険性は明確に認識され、神を信じる大切さを皆で声に出し共有して行く必要があるかと思うのです。

2)なぜ無神論者が増えたか? 学校もマスコミも科学信仰 

2-1)学校もマスコミも科学信仰 ?
前述の通り、人間神の子と言う思想の欠如があり、神が常に我々の行為を見ていると言う視点が欠けており、カルマと言う思想が欠如していると、別の言い方をすれば、無神論の人達が社会に多いと、神をも恐れぬ人達によってイジメを含む残虐な犯罪行為が社会に横行するようになり、その結果、自分達が困るハメになる、と言う話をしてきました。では、何故そうなったのかと言うと、ここ2~3百年の科学技術の進歩が目覚ましくて、その進歩により生活もとても便利になり、また科学の一種と捉えられる現代医学分野の進歩も著しく、その現代医学により病気から解放される方々も増えて、ご利益として科学と宗教を天秤に掛けた時に、科学の方が宗教(神)よりずっと多くの御利益をもたらしてくれる、なんて言う浅はかな人間達の比較によって、神に代わるものとして科学の方が相対的に段々と崇められて行ったのかもしれませんね。でも、科学は、あくまで神の作りし世界のホンの一部を解明した真理解明の為の一アプローチ方法であって、そもそも宗教(神)と科学は比較されるべき対象ではありませんしね。でも、もしかすると、科学信仰と言う理由以外にも、先の大戦の戦前または戦時中に国民の間に流れていた"神国日本"と言う大変メデタイ、思考停止的な精神態度でもって、状況を正しく考え分析する行為を怠り、その結果、戦争に負けてしまった事への深い反省もあり、宗教否定、科学優先の方に振れたのかもしれませんね。

無神論を問題としていますが、一方で、昨今、特に若い女性を中心に、占いや、開運のためにパワースポットを訪問する等、霊的な事、神様事に関心を持つ方々が大分多くなっているようにも見受けられます。霊的な事への関心の高まりは大変結構な事かと思います。しかし、残念なことに、そうした霊的な事柄を敬う考え方は、この世の主流かと言えば、そんな事は無くて、神を信じると言うと、余り良く取られない事が多いかと思います。

NHKを見ても、小中高、及び大学の学校教育のテキストを見ても、科学的な見方がこの世界を見る正しい見方と言う考え方が主流であって、目に見えない神への信仰は、ある程度歴史を経て無害と認定された伝統宗教は"文化"として許容される事はあっても、そもそも信仰行為と言う行為自体は、科学とは相いれない前時代的な事柄、時代錯誤な遅れた行為と言う見方をされる事が多いのではないかと思いますね。

でも、神は"いる"か、"いない"のか?と問われれば、私等は直感としては"いる"と答えますが、仮に信じられないと言う方々がいるにしても、言いたいのは、確率としては、"いる"か、"いない"かの50%であり、別に"いない"側が99%ではないし、ですから"いない"と断言するほど、"いない"側が優勢にある訳では無いし、先にさんざん説明したように神を否定すると少なくとも中国共産党のような数千万自国民を殺す狂った国が生まれ、イジメも生まれ、世界は相当荒んだ世界になるのであり、天変地異の所でも説明した通り、天皇の即位の際に急に日がさすように、また左翼政権時に壊滅的な震災が来る事からも判るように、神の意志は自然現象を通して表現される事があると思いますし、"いる"と思っておいた方が良さそうですよ、と申し上げたいのです。左翼政権で震災が来るかどうかもっと実験したいと言う物好きがいるなら、勝手にやれば良いと思うのですが、でも、一体後何百万人被災で亡くなれば気が済むのか?と言いたくなるのです。そんな試しは愚かですね。神は"いる"と思っておいた方が良いかと思います。

では、もし本当に、我々一人一人が皆神の子達であり、神の一部でもあり、神と言う巨木の葉の一枚一枚の様な存在であり、我々が転生輪廻を通して何度もこの世に生まれて来る理由が、霊性の獲得、より神近い存在に成る為、経験を積むためにこの世に生まれて来るとするならば、本来であれば、国家の運営方針にも、教育方針にも、その中核と根幹にそうした霊的世界観が添えられていないと問題だと思うのです。霊的な世界観、人が神の子であり、霊であり、転生して経験を増やし神近くならんとする存在だと言う考えをベースに持つべきなのにそうはなっていません。アメリカでは建国以来”すべての人間は神によって平等に造られており、譲り渡すことのできない権利をあたえられている存在でもある”、と言う考えが政治思想の根幹にあるのであり、それにより人権と自由が守られていますが、日本はそうではありませんよね。学校教育の場でもメディア報道においても、宗教や霊的な物を前時代的な遅れた物、迷信の類みたいに扱ってしまっていては、それはその教育を受けた子達は無神論者になるしかないかと思うのです。でもそれは、前述の通り、大いなる災いをもたらすミスリードだと思うのです。改めねばなりませんね。

2-2)ダーウィン史観は正しいか?科学は未熟、折り合いが大事

教育界においてもメディアにおいて、霊的な物が軽んじられる背景には、もしかしたら、”科学的真理以外は真理として認めない”と言う考え、が背景にあるのかも知れませんね。

でも、以前も第42話でも第280話でも指摘しましたが、ダーウィンの進化論にしても実は信仰に近い類と思っていまして、実は、歴史上、誰一人として、新しい種の誕生の瞬間や現場に立ち会った人間等ただの一人もいないのです。それに、種の誕生の根拠は突然変異にあると科学者達は主張していますが、突然変異はそもそも稀にしか起こらず、例え一匹が突然変異したとしてもそれでは新しい種が種として残って行く事は出来ないのです。種として残っていくには突然変異した新種が同時且つ大量に発生した場合のみ新しい種の存続が可能になるのであり、でも集団で突然変異が大量に生まれるなんて言うシチュエイションは普通に考えてあり得ず、話にそもそも無理があり過ぎなのです。要は、ダーウィニズムも信仰、妄想の類の話、と捉えるのが正しい味方かと思います。そんな胡散臭い説を説きながらよくもまぁ科学者たちは宗教を遅れていると馬鹿に出来たものだと何時も不愉快に思うのです。

仮に初歩的な生命の誕生の話に限ったとしても、何か根拠が薄弱と感じるのです。嘗て高熱で生命が住めなかったはずの地球が、段々と冷却された後、太陽光や雷や様々な外的要因によって偶然に化学的または電気的または電磁場的変化が加わって無機物が突然たんぱく質に変質したと言い、それらが同じく外的要因が偶然に重なって自発的に動く微生物が現れ、それが進化して、更に突然変異が繰り返えされて、その結果、段々と高等な生物、虫、魚、両生類、爬虫類、鳥類、ほ乳類、そしてとうとう人類が出来ました、なんて言う話には、一応なってはいますが、もし科学的真理というモノが実験室で繰り返し再現できる現象をそう呼ぶとするならば、太古の地球環境をラボで再現して、せめて無機物からたんぱく質が生まれる所と、自発的に動く極単純なアメーバの類の微生物を誕生させる事が出来るまでには、少なくともそれらをラボで何度も再現し、科学的真理であると証明すべきかと思うのです。それが出来たならば科学的真理として認めても良いでしょう。でもそれすら出来ない現状で、科学的真理と呼ぶのは時期尚早なのです。であるのにも拘らず、海に雷が落ちてたんぱく質が出来、また雷が落ちて微生物が出来、それが突然変異して人間になりましたなんて、当然のように語ってはならないと思うのです。まだ妄想の類を出ていないのに、まるで見て来たかのように語るべきではないと思うのです。科学的真理と言う、実験室で繰り返し再現できる現象をそう呼ぶ態度は正直だし慎重だし立派だと思います。であるならば、生命の誕生もラボで繰り返し再現できるまでは科学的真理であるかのように語るべきではありません。だから偶然が生命を作った等と言う説をまるで当たり前のように言うその姿勢は、正直な態度ではないです。"本当は生命の誕生も進化論が正しいかどうかも判らない、神による生命の創造と言う説も有力なオプションとしてあり得る。"、とするのが、正直でフェアな態度であろうかと思います。

一方で、これから真逆の事を言いますが、科学は未熟な学問であり、世界の、この宇宙の表層のほんの一部しか説明できていないまだ底の浅い学問なのです。であるのにも拘らず、"ラボで再現できる科学的真理しか真理として認めない"と言う教育現場とメディアの態度で行くと、何とも言えない、非効率さとナンセンスさと窮屈さ、木を見て森を見ず感をスゴク感じるのです。それは、まるで、GPSがあり、レーザー測定や電波測定も可能なのに、何十、何百kmと言う距離を"30cmの定規を繰り返し繋ぐことでしか計測してはならない、その結果だけを真実として認めてやる"、とでも言われているかのような、そんなナンセンスさと、効率の悪さと、前時代的な感じ、バランスの悪さを感じるのです。判らない事は判らないと言う態度は良いです。でもラボでだけ再現できること"のみ"が真理だとするその態度は、前言を撤回する様ですが、ラボで再現できる実験対象には限りがあるので、認定できる範囲が余りに狭すぎであり、真理判定の方法としては余りに範囲が小さ過ぎです。ですから、"科学的真理の判定はラボでの再現を目指す事は良いとしても、全ての真理、あらゆる真理が科学実験による証明を必要とするものではない事も知る必要がある。"としておくべきです。例えば、人に親切にする事は良い事であると言う真理は別にラボで証明する必要は有りません。私が私である事は自分が一番良く判っているのにラボでは証明する必要は無いと思います。でも"それが出来るまではお前がお前である事は認めん"、なんて言われたら何か変でしょう?神だって霊だって科学が進めば、検知可能な領域にはなるでしょう。でも、今の遅れた科学ではそれが検知はできない、ただそれだけの話なのです。でも検知できないからと言ってそれを真理ではない、存在は認めない、と言ってしまうと、何か科学技術の遅れを棚に上げて一番大切なことを否定するみたいで、その態度はおかしくないか?と言いたくなるのです。私が心で思っている事を機械で音声化出来るまでは、私が何かを心で思っている事は認められない、とは言えないでしょう?ですから"神や霊もいるかもしれない、これだけ、歴史上語られて続けて来た存在であり、きっと我々を見ていてくれる存在はいる筈"位にして含みを持たせた肯定の仕方をする事で折り合いをつけるのがちょうど良いと思うのです。
でないと、先に述べた通り、神や霊や転生輪廻や人間神の子の思想を否定した時の反作用が余りに大きすぎです。その結果、犯罪も増え、社会が荒廃し、人でなし極悪国家も出現して来るのです。だから、神や霊や転生輪廻や人間神の子の思想は否定してはならないのです。"それをすると危険ですよ、自分達にとって大変なダメージをもたらしますよ"、と、人類はそれをハッキリと認識し、声に出し、大切にし、国家運営や教育の根幹に据えるべきなのです。

3) 霊的世界観のおさらい

ですから、この世界は神が作り、我々は神の子らで、その認識を欠くと、社会が荒廃する、だから声を大にして、そうした事は声に出して行かねばならないのです。

3-1)そもそも論

では、一旦ここでどういった霊的世界観が望まれるか、僕なりの推奨の考えを述べてみたいと思います。

と言うか、そもそも、私がこのブログを通して最も言いたい事というか、最大のテーマの一つが霊的人生観の拡散というものです。別の言い方をすれば、人間やこの世界が神によって作られたと思うか、否か、もし作られた存在だと思うならば、作られたものとして創造した側から期待される生き方をすべきであって、魂の親である神の意を酌んで出来るだけそうした方向で生きて行くのが筋である、と言う事が私がこのブログで最も言いたい事なのです。

3-2)神の求める人類に期待した生き方、世界観、その背景

その神の求める人類に期待した生き方に関しては、このブログの初期に大分説明しましたが、古今東西の様々な宗教や思想に共通する考えを探れば、神に期待される生き方というものは、段々と見えて来るものではないのか、と思っているのです。

イエスや釈迦が説いたように、他への愛、慈悲がこの地球では最も重要視されており、その考えが必要と思える背景、理由としては、我々人間一人一人が皆一人残らず神の子達であるとされており、我々人間一人一人が皆一人残らず神の一部でもあるとされており、我々人間一人一人が皆一人残らず神と同じく霊的な存在であるとされており、我々人間一人一人が皆一人残らず神と言う巨木の葉の一枚一枚の様な存在であるとも言われていて、であるが故に、われわれは皆一人残らず神の子であり、神の一部分として繋がった存在であるが故に、互いを愛し合い尊重し合い大切にするのは当然、と思われている訳なのです。自分も相手も神の一部であるなら、モーセの10戒にもある通り、他人に嘘を付つけたり、殺したり、犯したり、盗んだり、そうした罪を相手に対しする事は許されるはずもないのであり、相手を傷つけたなら、それは相手の内にある神性、神に向かって罪を犯す事と同義であるが故に罪深く、また同じく神と繋がっている自分自身をも傷つける事になるが故にしてはならぬ事なのであり、その行為に反省と反作用が伴う事になるのではないかと思うのです。そしてそれら成した事への償いは、一つの人生をも超えて転生輪廻の中で達成される事もよくあるようなのです。それが原因結果の法則、いわゆるカルマとカルマの解消と言う事になるのではないか思われているのです。しかし一方では、逆に互いに霊的に愛し合い、認め合い、励まし合い、信じ合い、称え合い、高め合う事が出来たなら、その時は相手と自らの内にある神性、神を肯定する事となる為、今度は逆に良い方向での反作用が各自に跳ね返って来る事になる為、幸運が訪れるはずであり、その幸せな状況に更に感謝の心が沸き、更に善行を重ねる、と言う、そうした善意と幸運の循環ループが起き易くなるはずなのです。ですから、他を祝福し、他を認め、他を愛し、他を励ます者には永遠の生命を通して良い事が継続して起こり続ける善の循環状態が待っている可能性が大変高く、可能であればそうした状況をこそ目指すべきかと思うのです。そもそも神の子どうしなのです。互いに愛し合い、互いに大切にし合って当然なのです。それが古今東西の様々な宗教や思想のエッセンスから見て取れるこの世界の霊的真相と言えるかと思います。

であるならば、そうした見方を持って日々生きて行くべきかと思うのです。それは大方の宗教が推奨する生き方でもあろうし、私の尊崇する宗教家もほぼ同じことを言われておりますので、多分合っているのではないかと思っています。

3-3) この世の意味 霊界の限界

では、何故我々がこの世に生まれて来るのか、と言えば、前述の通りカルマの解消と言う目的もありますが、一番の目的は、転生を通して、様々な人種で、様々な国において、男女様々な性別で、様々な経験を積むことにより、神の作りし自分自身や人間社会やこの世界に関する認識を深め、霊性を高め、神の子として神に段々と近づいて行く事が、我々がこの世に何度も生まれ変わって来る最大の理由と思われているのです。我々は皆神の子達であり、神の一部分ではありますが、一方で、ご存じの通り、神そのものでは無いのです。仮に私が神の右腕の手首近くの皮膚の細胞の一つだとして、その一皮膚の細胞一個が自分(神)の体全体の事を理解する事が出来ないのと一緒で、宇宙の始まりも終わりも、人がこの世に生まれる理由も、死後の世界も明確に説く事は我々には出来ません。でも一方で神の一部なのです。ですから、神の子として、神の一部として、神と繋がっている存在である事を知り、その事に誇りと自信と喜びと感謝の気持ちを持ち、また他の人々もまた同様の立場である事を深く理解し、祝福し、喜び合う事が神の一部としての我々の出来る精一杯であり、それで良いのではないかと思うのです。そして転生輪廻の過程で神近き精神的要素が身に付き、進化が認められたなら、より重要な部位を段々と任されるようになって行き、次第に神の全体像を理解出来るような立ち位置に立って行くようになり、段々と神の気持ちが理解出来るようになり、神のお手伝いが部分的に出来るようになって行くのではないかと思われるのです。そうした、神のお手伝いが出来るような神近き存在に転生を重ね段々となって行く事を期待され、我々は何度も何度もこの世に生まれ変わって来ては経験を積んで、自分自身を知り、他人を知り、人間とは何か、神とは何か、神のつくりしこの世界(霊界を含めた)はどう言った世界なのかをより深く広く知り、より神の持つ属性をより多くより深くより強く身に付け、成長する事が期待されている存在なのではないかと思うのです。それが我々がこの世に何度も生まれ変わってくる大きな理由であろうかと思います。

では、何故本来霊界の住人であり霊的な存在である所の我々が、あの世でなく、この不自由で且つ大天使ですら地獄に落ちてしまうリスクの大きいこの物質世界に何度も生まれ、肉体に宿り、自分達が霊的な存在であることを忘れるような環境でもって生活をし、その中で霊性、神の持つ精神的属性を得ようとするのか?と言えば、一つは、水泳をする事で水中と言う負荷のある不自由な世界で体を動かす事で筋肉が鍛えられるがごとく、不自由で霊的に盲目でハンデのあるこの世界に身を置く方が新しい精神的側面を得やすいと言うのと、また、霊界特有の波長同通の法則が魂の成長と言う観点から見て悪い方に作用すると思われているからだと思うのです。

霊的存在であり、神の子である我々の本来の住処は霊界と言われており、死後、人によっては反省がいる場合は垢落としとして暫く地獄で反省する事もあるようなのですが、反省が済み次第、本来の住処である天国に戻ると言われており、その世界は波長同通の法則下にあると言われており、基本、自分と波長の合う方々が集う場所に我々は存在する事になると言われています。従って似たものが周りに集まっているので相性も良く、居心地も良く、所謂天国にいる事になるのですが、逆に言えば、そこには葛藤もなく、従って自分には無い、何か新たな精神的側面を自分に加える事が大変難しく、霊界は成長する機会を得る事が難しい世界のようなのです。従って休むには良い所だけど、成長が見込めない、所謂ぬるま湯的な世界とも言えるようなのです。ですから自分の魂の器を広げ、より神近き存在を目指そうとするならば、自分に欠けている、自分が持っていない側面を得る必要があり、その為には霊界ではあまり会う事が出来ないような、様々なレベルの魂、様々な違ったタイプの人間達が玉石混交的に集うこの世に生まれては、違ったタイプの人間の中で揉まれ、違った考え方に葛藤をし、それを深く考え、悩み、納得し、受け入れる事で、自らの魂に新しい側面を身に付け、より器を広げ、より許容できる範囲が広がり、段々と神に近づいて行く事が出来るようになって行くのだと思うのです。それが修業の場としてのこの世の大きな存在意義になっているのであろうと推察します。また、器の拡張の目的だけでなく、神の持つ様々な精神的属性、即ち霊性を、転生の中で段々と獲得し、段々と神に近づいていく事も期待されているのではないかと思われているのです。神の持つ精神的属性、即ち、霊性とは、以前、"252話. ノストラダムスとガンダムとYMOの世代…N.G.Y世代?"でも申しましたが、多分、それらは、①信仰心、②愛、③謙虚さ、④純粋さ、⑤素直さ、⑥正直さ、⑦創造性、⑧協調性、⑨勇気、⑩リーダーシップ、⑪集中力、⑫実現力(念力)、⑬忍耐力、⑭柔軟性、⑮正義感、⑯反省する心、⑰真理知識の獲得、等が、霊性の獲得の対象項目となっているのではないかと想像しますが、そうした霊的な事柄を、この世での様々な人生経験を通して獲得し、身に着け、より神近き存在に段々になって行く事が出来るようになるのではないかと思われています。
また体験だけでなく、知識を得ると言う事もこの世で期待されている大事な目的と思われています。霊界を含めたこの世界、社会、歴史、自然科学、経済、地球、宇宙等、様々なこの世界に関する知識、認識の獲得も経験と同じ位重要視されているのです。なぜなら、あの世での世界観、行動範囲は、この世に生きている間に得た知識の範囲内に留まると言う意見も多く、この世で知り得た知識が正しく広く深くないと、死後にさ迷う事になってしまう、と思われているからです。ですから出来るだけ多くの正しい知識、特に正しい霊界を含む霊的世界観に関する知識の獲得が大変重要で且つ霊的に死活問題になってくると思われているのです。特に、上記の⑰の真理知識は、努力の方向性、正しい世界観を決める上で最も重要な項目になろうかと思います。人が死んだら霊になると言う単純な真理すら認められないまま仮に死んでしまったりすると、死後自分が霊に成った自覚もなく、でも一方で意識はあるので、自分が死んだとも中々思えず、生きていると勘違いしたままこの地上を徘徊する事になるのです。しかし死んだ人はもう霊に成っており生きている方々からは見えませんので、無視されていると勝手に誤解しては、注意を引くために、残された家族等縁者達に憑りついたり纏わりついたり、様々な障りを起こしては不成仏霊として残された家族達に迷惑を掛け続け、不幸をもたらすような、そんな惨めな存在になり下がってしまうのです。その状態は死んだ事への自覚が生まれるまでずーっとほぼ半永久的に続く事になるのです。でも、もうそうなると、その状況は殆ど"霊的な永遠の死"のような状況かと思います。霊界のガイダンスとしての宗教学は実は本当に大切なのです。私は毎年ベストセラーを連発する宗教家の教えをお薦めします。その方の教えは人がこの世に生まれて来る意味から、宇宙の始まり、霊界構造、政治経済、宇宙の彼方にまで及ぶ大きなスケール感で法が説かれておりますが、オールインワン且つクリアーで大変お勧めです。
何れにせよ、我々がこの世に生まれる理由は、霊界は本来の住処であっても居心地は良いが成長が見込めない為、色んなタイプの人達が集うこの世での経験やその中で揉まれ葛藤を抱える中で成長出来るからであって、知識を学ぶことを含め、この世に何度も生まれる事は霊性の獲得、即ち神に近づいていく為に必要不可欠な修行の場、成長の場と考えられていると言う話でした。それが我々が何度もこの世に生まれて来る理由であろうかと思われます。

4) カジュアルスピリチャリズム “カジスピ“の薦め

では、その霊的世界観をどう扱い、どう社会に浸透させていくかと言う事ですが、その具体的実践方法について考えてみたいのです。

4-1) 人間神の子を信じ切る

まず最初に、各人が、"人間皆神の子"と言う思想を自らシッカリ信じ切る事が重要かと思いますね。自分自身を含め、全ての人が神の子であると信じる事が大事です。ココは是非しっかりお願いしたいですね。全ての人が神の子、神の一部、神と言う巨木の一枚の葉一つ一つであり、それには例外が無く、皆そうなのである、と認識する事がまず大事かと思います。
でも一方で、そう思って生きている人は少数です。殆どの人はそれを知らずに雑に生きています。知らないから、平気で人を傷つけ、自分をも傷つけ、自分が霊的な存在であるにも拘らず、肉体的な快楽ばかり求めて生きています。でも実際には、神の子として、この世での様々な体験を通して自らの魂に新たな精神的側面を身に付けより神に近づかんと日々この世で揉まれ葛藤を抱えながら生きているのが我々であり、皆その修行の途上にあるのです。またその転生の中で発生したカルマの解消もしつつ何度もこの世に何度も生まれて来ているのが我々であろうかと思います。

ですから、その事実を知った者は、知った者として、まだ知っていない方々に伝えて行く必要があります。とは言え、別に先に知った事で偉いかと言えば早いか遅いかの違いだけなので余り偉い気分にならず、そうした霊的な真実を気軽にカジュアルに伝えて行く必要があろうかと思います。

人間神の子を自分自身が信じ切る為のトレーニングとして、お薦めしたいのは、たまには、電車に乗った時、同じ車両に座っている方々の胸の奥に黄金に光る丸い輝く珠の様なもの(神性、仏性)がある事を想像し、そこから白金色の柔軟な細いチューブが繋がり、それが、彼らの属する大きな霊的な枝へと繋がり、その大きな枝は更にもっと大きな霊的な枝に繋がっており、それをずっと元まで辿ると、凄まじく巨大な巨木に繋がっており、その樹全体が、実はこの地球に責任を持つ地球の根本神の如き存在であり、我々はその地球の根本神と皆繋がっている黄金に輝く丸い小さな珠の様な葉の一つとイメージする(別に強制ではないです、余りじろじろ見ると危ない人と思われるので要注意)なんて事をするのもたまに皆を神の子として見る訓練として試すと良いと思います。お勧めします。

4-2) 霊的な事柄を言葉にする

次に、それを日常の生活の中で、事ある毎に、霊的な事を口にする様にする事が大事かと思います。例えば、何か周りで良い事があった場合には、”神様が君の頑張りをずっと見ていてその君の頑張りに神様も何とか応えてあげたかったのだろう”、とか、”こんなに日々良い事をしているのだから、きっと来世にはより良い人生が待っている事でしょう”とか、余り臭く無い程度に、ぽつりぽつりと、神、霊、転生、カルマ、を想定するような言葉をたまに会話に混ぜたりして、それら霊的な事を信じる事が当たり前でしょう?的な空気を出すことが大事かと思います。

そして、政治思想、特に人権思想や、教育の道徳項目の根本に、神仏を敬う事の大切さや、人が霊的存在であり何度も生まれ変わっては神に近づかんとしている存在であり、その転生の中、成した事に反作用がついてまわる業(カルマ、善因善果、悪因悪果)ため、出来るだけ人に善き事をし、そうすれば、良きことがきっと将来も起こると信じる事、そうした視点を入れる事が大事であると言う事を、事あるごとに口にして広め常識にして行く事が大事かと思います。

4-3) 追記

まぁ、でも、余り上から目線な感じになってしまったり、”お前が言うな!”と言われそうな空気でこうした事を言うのはかえって逆効果になるので、空気を読みながらやる事が重要かと思います。出来れば見た目ラグビー日本代表か、初代エグザイルみたいな感じのゴツ渋い感じの人達がたまにこう言う真っ当な事を言うと結構インパクトがあって相手の心に沁みるのではないか?と思うのですが、まぁ別に相手に伝わるなら見た目は何でも良いと思いますがね.....。

無神論と無神論とセットの共産主義は先述の通り社会の荒廃の要因に成るので論外ですし、その反対の神を肯定する勢力、宗教の存在は大切なのですが、一方、宗教にも良し悪しがあるのも事実ですし、ですから宗教界の中での淘汰やイノベーションは必須かと思います。
まず、反社会的な行為を推奨するカルト的な物は排除されるべきと思いますし、
新興宗教においては、全ての人間が神の子である事、転生輪廻、カルマの思想、は必須かと思います。それで、国や人種や性別の違いを超えて普遍的な真理と言えるかと思います。
伝統宗教においては変更は難しいですが、特にイスラムの古い慣習は近代化されるべきで、ジハードなどテロの肯定化は避けるべきで、スポーツや文化や経済で国力の強化を目指し西側に今までと違った開かれたイスラムをアピールすべきです。
日本はそれを促し経済面では支援すべきですね。キリスト教はイスラムを悪しき存在と見がちですが、それは違うと日本は擁護すべきで、イスラムVS.キリスト教&ユダヤ教の間に入って調整を試みるのも日本の役目かと思います。イスラムのシーアとスンニの緊張緩和にも日本は役割を果たせるでしょう。それが日本の役目と認識し、国民と共有し、イスラム世界を守ってあげ近代化のお手伝いをすべきです。欧米のキリスト教文化は既に日本は馴染んでいるし放っておいても問題ないですが、イスラムへのサポートは意図的にすべきかと思います。

こうした霊的世界の拡散と言う意味でも、正しい宗教の選択と言う意味でも、イスラムやキリスト教の間に入って調停する日本の役割と言う意味でも、私としては現代日本に現れて毎年ベストセラーを連発しているスゴイ宗教家がおりますので、その方の凄い教えを直接学び、その団体を推して行くのが一番望ましい選択かと思っています。
ただ、世の中には、宗教には抵抗がある、何て言う方もいるでしょうから、その場合には、上記二つにあるような、神の子への確信と、霊性に絡むワードを日常に取り入れる位の事はせめて試して頂き、霊的な事柄を社会がもっと重要視し、社会や教育の中枢に霊的な視点を持たせるべきと言う気運を作るお手伝いをして頂きたいと思いますね。

でも、まぁ、人間皆神の子と言う真実を信じ切る事が何より一番大切かと思いますね。

それでは、また。

湖畔人

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