第673話.カジスピ(カジュアルスピリチュアリズム)ライト④ 我々がこの世に生まれてくる意味のおさらい

2022-01-02 23:16:17 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

正月ですので、我々がどういった存在で、この世に生まれてくる意味は何なのか、それらについて、ちょっと簡単ですが、再度お浚いをしてみたいと思います。

●我々人間は一体どういった存在か?

まず、我々人間は一体どういった存在か?と言う事ですが、

我々は皆、神の子、仏の子供と言われていますね。これは、全員そうでして、一人の例外もなく全員そうなのです。神と同じく霊的な存在で、神の子として、神に似て行く事が期待されている存在なのです。なので、神の様な霊性の獲得、神の様な良き性質、良きリーダーになる事が期待されている存在です。一度の人生では神に1㎜も近づけないので、幸い転生輪廻があり、何度も生まれ変わっては、生まれる度にちょっとずつ神様に近いづいている、それが我々、人間です。

●業(カルマ)と償い(カルマの解消)と輪廻

一方、その事実を知らず、神の子と言う事実とかけ離れたひどい事、例えば、殺人事件や犯罪を犯す人たちも多数おります。でも彼らもまた神の子達なのです。

誰かを傷つけた場合、被害を与えた相手も神の子なので、相手の神性(仏性)と自分の内なる神性(仏性)に対し心からのお詫びと償いが要りますね。その相手を傷つけてしまった事はカルマ、業として記録されます。

その償い、業の解消は、死後の地獄の反省業もそうだし、来世、来来世でその償いをするような出来事が起きる事で解消されます。きっとその人物には理解出来ない形で、迷惑を掛けた相手に人知れず罪を償うような状況が現れて来るのではないかと思うのです。そうして生きていく中で作ってしまった悪しき業は輪廻の中で解消してまいります。

なので、大量殺戮をした人は大変ですね。短い償いの為だけの人生を何度も過ごすのかもしれませんね。想像ですがね。

でも本来なら、そんな来世のカルマの解消など待たずに、他人を傷つけたなら、直ぐにその相手に対し心から直接、言葉で詫びるべきだし、それが無理でも直ぐに心の中で詫びるべきですよね。それが大事な事です。罪を犯さない人など一人もおりませんから、間違いを犯したなら、直ぐにでも詫びる事です。

一方、イイことをした場合は良き業(カルマ)が付きますね。その場合、幸運、人気と言う形で今世、または来世、来来世にその人物に良きカルマが返って来て、良き境遇に出会う事になりますね。多分ね。

それが業(カルマ)と償い(カルマの解消)と輪廻ですね。

●神に近づくと言う事

では、この世に生まれる意味の一つ、神に近づくとは一体どういうことか?と言う事ですが、

簡単に言えば、神に似る、と言う事です。

では、神は一体どういったご存在か?と言う事ですが、神は優しく、強く、勤勉で、賢く、正しく、道徳的で、善なる存在で、正邪を分かつ存在で、偉大な創造者で、芸術家で、美を愛する存在で、科学者で、全てを知る存在で、多くの存在を産み出し育む生命の親ですね。太陽の様な命の元であり太陽のように明るく積極的なご存在で、時々怒ると怖い存在、でもあります。また、霊的なご存在でもあります。ただ、根本は優しい、愛の存在、と言う事ですね。

愛を教えるイエスが神の独り子と言われた理由も、そこにあります。(実際には独り子ではなく全員神の子ですがね)神は愛の存在なので、我々も優しい人間をまず目指すべきです。

優しい、とは言っても相手が何をしてもイイよ、イイよ、ではどうしようもないので、人として正しさとは何か、霊的人生観から見て何が正しい行いかを知る人間にまずなる必要がありますね。そして、その霊的真相、人が持つべき霊的人生観に合致した行いは褒め、称え、一方で、それに反した悪しき行いに対しては愛を持って叱る人間が真に優しい人です。

ですから、宗教や道徳や哲学も学び、霊的人生観から何が正しい生き方か学ぶ必要があります。お薦めは毎年ベストセラーを連発する現存する日本の宗教家の教えです。

そしてその正邪を人に言うにはこちら側にも説得力が要るので、自分もイイ人であろうと日々努める必要があるし、必要に応じて他人にそうした生き方を伝える勇気も必要なのです。言い方は技術なので他人に反発心を抱かせずうまく言える技術を学ぶ必要があります。

その上で、何より嘘が無いことが重要です。出来る事は出来る、出来ないことは出来ない、分かる事は分かる、分からない事は分からない、と、嘘が無いことが重要です。

そして霊的な存在としての神に近づくとの事ですが、霊的な事柄は宗教書で学ぶ必要がありますが、霊的な世界観を知識として学ぶ事も大事ですが、同時に、霊的な性質、例えば、念いの強さとか、祈りの強さとか、信じる力を強めるとか、愛の力を強めるとか、勇気を強めるとか、迫力をつける、即ち真剣に生きる、とか、色々な精神的修行要素もあるかと思いますので、そうした事も学んで強化して行く必要がありますね。

でも簡単言えば、

日々神仏に感謝しながら、日々神仏と共に生きんとし、日々言動も仕事の質も、ちょっとずつ良くなるよう努め、周りに笑顔で接する感じのイイ人になる事をまず目指すべきかと思いますね。で、時折必要に応じて他人も叱れる勇気を持つ人間になる事が重要です。そして各自の専門分野のプロを目指すべきですね。

そんな感じでしょうか?

●あの世とこの世の意味

でも、何故、霊性の獲得の為に霊的には盲目なこの物質世界、3次元世界に生まれて来る必要があるのか?と言えば、それは、
あの世は波長導通の世界なので、自分と似通った人々が集まる、ある意味居心地の良い世界なのですが、同時にそれは、似た者同士ばかり周りにいて、全く成長も無い世界なのです。なので、霊的にはブラインドな状態ではあるが、様々な考え方や、様々なキャラクターの人々が集まるこの世に生まれては、違う考え方に触れて、葛藤を覚えつつも己の足りていない点に気付き、新たな側面を己に付加して、より神に近づいて行くことがこの世の意味かと思います。ですので、葛藤は成長のサインと捉えるべきです。ツライですが、成長のチャンス到来と受け取るべきなのです。なので葛藤を感じたならば、"ああ、今、自分は、この世に生まれて来た理由である所の、違った考え方に直面し、学びを得んとしているのだ"、と思うべきなのです。(もちろん相手が異常なだけの場合もあるので、その時はツッコミを入れるか、その場を離れるべきですが、相手に一理あるなと思えば、その時は、取り入れるべきなのです。)

後は、この世に生まれて来る意味は、前述の悪しきカルマの解消の為と、

後は、修行の場であるこの世がより良き場になるよう、各自それぞれの場で最善を尽くす為に生まれている、とも言えます。今の世は神や仏への関心が不十分なので、そうした点は改善が要るし、イルミナティの陰謀の通りにならないよう抗う事も大事です。言い方を変えれば、ユートピアの実現を目指す、と言う事になります。

今年も神に1㎜でも近づけるよう頑張らんとイカンですね。ハイ。

では、共に頑張って参りましょう。

湖畔人

(2022年1月3日改訂)



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