湖畔人です。
多分合っていると思われる事の3回目を行きたいと思います。
先日、第368話. このブログについて(2)で申したのですが、このカテゴリーで結論めいた人生訓等を短く、且つ沢山、思いつくままに書いて行れば良いなと思っています。
今回のテーマは、”神と人間との関係性&この世の意味”です。
●神と人間の関係性
まぁ、これまでも、私はこのブログで、人間の定義や、人間の存在理由の想定等を述べて来ましたが、まぁその想定とは、どうも全ての人間は神の子達であり、神の一部でもあるようだ、と言う事です。どうも我々人類は、そうした尊い存在ではあるようなのです。
一方で、我々は神そのものではないので、より神近き存在、より神の気持ちを理解出来る存在、より神のお手伝いができる存在、より神の如く愛深き存在になる事が期待されている”霊的”な存在であるようなのです。その実現の為に転生の中何度もこの世に生まれては心の修行を続けている存在が、我々人間であるようなのです。それが神と人間との関係性ではないかと思います。
●この世の意味①波長導通だとダメ、違うタイプに会い葛藤を得る=成長
で、我々の本質は霊的な存在である為、霊界こそが我々人間の本来の住処であるようなのですが、でも一方で、霊界は波長導通の世界である為、自分と似たような人達が集う世界になっている、故、霊界は各自にとって大変居心地が良い場所ではあるが、その反面、自分とは違った側面を身に付けたり、器を拡げて成長して行くためにはあまり適した場とは言えず、魂としての成長に期待が見込めない場のようなのです。ですので、大分違った個性達が集うこの物質世界に何度も生まれ変わって来ては、自分とは全く違う個性と出逢い、その中で葛藤をし、深く考え、自分にこれまで無かった側面を自分に付け加える事が出来るようになって行き、その結果、自分の器を拡げて行く事ができるようになる、どうもそのような仕組みのようなのです。ですから、まぁ、この葛藤こそが成長の証であるとも言えるようなのです。葛藤を通して角が取れ器が広がり人として成長して行く事が期待できる場としてこの世が機能しているようなのです。それがこの世の存在意義の一つの理由かと言えるかと思います。
で、我々の本質は霊的な存在である為、霊界こそが我々人間の本来の住処であるようなのですが、でも一方で、霊界は波長導通の世界である為、自分と似たような人達が集う世界になっている、故、霊界は各自にとって大変居心地が良い場所ではあるが、その反面、自分とは違った側面を身に付けたり、器を拡げて成長して行くためにはあまり適した場とは言えず、魂としての成長に期待が見込めない場のようなのです。ですので、大分違った個性達が集うこの物質世界に何度も生まれ変わって来ては、自分とは全く違う個性と出逢い、その中で葛藤をし、深く考え、自分にこれまで無かった側面を自分に付け加える事が出来るようになって行き、その結果、自分の器を拡げて行く事ができるようになる、どうもそのような仕組みのようなのです。ですから、まぁ、この葛藤こそが成長の証であるとも言えるようなのです。葛藤を通して角が取れ器が広がり人として成長して行く事が期待できる場としてこの世が機能しているようなのです。それがこの世の存在意義の一つの理由かと言えるかと思います。
●この世の意味②霊性の獲得=神に近づく
また、この霊的には盲目となるこの物質世界において、敢えて霊的な力、霊性をつかみ取り、神に近づく事も期待されているようなのです。これは不自由な水の中で水泳により筋力を鍛える考えに近く、敢えて霊的に盲目と言うハンデを設け、負荷を掛けて霊性を鍛えているようなのです。簡単だと身に付きませんからね。霊性の定義は難しいですが、自分の理解では、神そのもの性質、霊的、精神的な力の事を指していると想定しています。それは、信仰心であったり、他をいたわる愛の心だったり、純真さや、念いによる創造性、協調性、勇気、リーダシップ、集中力、忍耐力、柔軟性、正邪を分かち悪を許さぬ正義感、神の作りしこの世とあの世の仕組みを知る事、神の意図を知る事、等が、霊性の獲得の対象項目となっているのかなと推定しています。それら霊性を、敢えて霊的でないこの物質世界で獲得せんとしているのが我々であるようなのです。これも、この世の存在の意味の一つかと想定します。
●この世の意味③悪しきカルマの解消と良きカルマで徳(未来の幸運)の獲得
また、各人転生を超えた因果応報、やったことは全て自分に返ると言うカルマの法則下にあるため、嘗て成した悪に対しては転生の中償いが要るし(カルマの解消)、逆に他に善き事をして良き因果を作り、それら善行の結果得た"徳"と呼ばれるポイントを各自貯めており、その"徳"ポイントは転生を超えキャリーオーバーできるし、それら"徳"ポイントが未来の転生における"幸運"として現れて来るのではないかと思うので、出来るだけ、そうした良い事を沢山実施して、"徳"ポイントを沢山貯めて頂き未来の幸運を作り出す為に善行を重ねる、そうした悪しきカルマの解消の場、良きカルマ("徳"ポイント)の蓄積の為にも、この世と言うステージが用意されているのではないか?と想定するのです。ただ、余りリターンを気にし過ぎた善行は、見返りを求めない善行に較べて"徳"ポイントが格段に下がりますがね。でも悪さを成すよりはずっと良いかと思います。
●この世の意味④ユートピア建設への参加
前記の続きですが、これら善行を成して"徳"ポイントを貯める行為は、大人においては仕事を通し、仕事に"これが他の役に立つように!"と言う愛の思いをこめ懸命に働く事で成されるだろうし、学生にとっては勉強やクラブ活動を心を込めて成すことがそれに該当するだろうし、社会人を引退されたベテランの皆さんは笑顔の挨拶や街のゴミ拾いがそれに該当するのかも知れないし、色々やり方はあるかと思いますが、そうした善行の結果、間違いなく、この世はより良い方向に変わります。ですから、皆で各自が出来るそれぞれ善行を差し出すことで、この世をユートピア化する事に繋がりますね。この各自のこの世のユートピア化への参加を実現する為の場の提供もこの世の存在の意味の一つなのではないかと想定しますね。
●この世にはメンテナンスが要る
この修行の場でもあるこの世、この物質世界を、修行の場として機能するように、余りにも精神性が否定され過ぎたりしないようにする必要があります。唯物論や無神論、共産主義や社会主義が跋扈し、その結果、神の否定や、人間が霊的存在である事の否定や、修行の場としてのこの世の存在意義と言う見方が否定され過ぎないように、まずは神がおり、その子である人間の成長を期待しており、その為に転生を通した様々な人生経験を経る必要があり、その修行の場がこの世である事を、思い起こさせる為に、時々注意喚起と言うか、補修作業が必要になります。そうして意識付けの為のメンテナンスをこの世は必要としているわけです。物質世界ですから目に見えない霊的世界への意識付けは放置しておくと段々と薄れて行くものです。でも、それでは人が動物となり物となる事を意味し、本来の神の子としての本来の存在、霊的な存在である事実に反して来るわけで、オイオイ、そうじゃないでしょ?って言うワーニングが要るようになる訳です。よって意図的に、意識して、まず神がおわし、我々人間はその神の子達であり、霊的な存在でもあり、人を思いやる気持ちや、念いによる創造性の発揮や、勇気など、精神的な事柄、霊的な事柄を努めて強化して神に似た存在になる努力をすべき存在が我々人間であると、常々、意識して自分達に言い聞かせる必要があるのです。
それもこの世に対し、人のなすべき役割の一つ、主に神々から直、勅命を受けた方々の仕事かと思います。これらの行為もまた、この世をユートピア化する為に成している行為と言えるかと思いますね。私も超超微力ながら、そのお手伝いの一環のつもりでこうしたブログをやっています。
ですので、まとめますと、
●神と人間との関係性としては、我々全ての人間は神の子達であり、神の一部でもある存在であり、尊い存在ではあるようだが、一方、我々は神そのものではなく、より神近き、より神の気持ちを理解出来る、より神のお手伝いができる、より神の如く愛深き存在になる事が期待されている”霊的”な存在であり、その実現の為に転生の中何度もこの世に生まれては心の修行を続けている存在が、我々人間であるようだ、と、言えるかと思います。
●この世の存在意義①としては、霊的世界は波長導通の法則で似た者同士ばかりが集まる為、あまり成長が見込めないので、色んなタイプと出会うこの世に生また方が成長が見込めるのだが、その代わり葛藤を避けられない。実はその葛藤こそが成長の証でもある、よって葛藤は苦しいが成長の機会を迎えていると意識し大歓迎すべかもしれません。
●またこの世の存在意義②としては、この霊的には盲目となるこの物質世界において、敢えて霊的な力、霊性(信仰心、愛、勇気、協調性、創造性等)をつかみ取り、神に近づく事も期待されているようなのです。
●またこの世の存在意義③としては、転生の中における悪しきカルマの解消の場として、そして良きカルマ(徳ポイント=未来の幸運)の獲得の場としてこの世の意味もあるようです。
●この世の意味④として、各自、思いのこもった仕事や学業やボランティアを通してユートピア建設への参加する場としてこの世の意義もあると言う話をしました。
●しかし、この世は放っておくと、唯物論や無神論に毒され、共産主義や社会主義等が跋扈し、神の否定や、人間が霊的存在であり、修行の為に何度も生まれ変わっていると言う視点が失われがちなので、その防止の為に、霊的視点の保持の為、心構えのメンテナンスを必要としています。よって自分達が神の子達であり霊的な存在であり神の如き優しく賢く強い存在になるべくこの世で修行する存在が我々であり、その点を、日々、意図的に自分達に言い聞かせる必要がある存在でもある、と言えるかと思うのです。
と、まぁそう言った感じでしょうか、
ですので、各個人がすべきは、
神の子として、何より神に祈り神に感謝をしながら生きる事、そして同じく神の子として他人に対し尊敬し合い大切にし合う事、特に身の回りの家族や同僚に愛の心を持って接し、与えらえた仕事に愛の思いを込めて懸命に働き、その結果社会に貢献をし、その結果財を築き、自らを養い、可能であれば他を助けられる程頼られる存在を目指す、それが我々に期待されている事なのではないか、と思うのです。
ただし、皆神の子達とは言え、自覚が不十分で、神の存在も、人が神の子達であり霊的存在であると言う事実も、神の子達の集まりが当然すべきユートピア社会の実現も、全て否定しそれを阻まんとし、人を物として扱い、不信と不安の種を撒かんとする自覚が足らない者達が誤った世界の見方を植え付けんと暴れているのを見掛けた場合には、彼らの悪しきカルマがこれ以上拡大しないよう、また変な影響が他の多くの方々に拡散せぬよう、戦いを挑み、隔離し、修正しなければなりませんね。コロナウィルスのようにね…。
そしてまた、生まれ変わりの過程では、男に成ったり、女で生まれたり、欧州に生まれたり、アジアに生まれたり、日本に生まれたり、様々な時代や地域や性別で生まれ変わっているようなので、多様性を尊ぶような、寛容な人間になる事を目指すべきです。
また、繰り返しますが、自分と違った個性との葛藤は、ある意味この世に生まれて来る理由の大きな一つなので、対人関係で葛藤や悩みに出くわしたなら、"ああ、今自分は生まれて来た理由に直面しているんだ、嬉しい、ここが踏ん張り時だ"と思うべきなのかもしれませんね。
そして何より、我々は神の子達なのであり、神の一部でもあるので、コロナ等に負ける筈も無く、最強の存在と繋がっており、最強の存在に守られており、最大の安心の中にある、と思うべきなんでしょうね。
では、また。
湖畔人