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宇都宮城 ~甦った関東七名城~

2008年10月19日 | 日本の城
栃木県・宇都宮城



お城の歴史は古く平安時代にまで遡ると伝わる。
鎌倉時代以降、関東の名族、宇都宮氏の居城(居館)となり、北関東支配の拠点となった。
宇都宮氏は豊臣政権下でも所領を安堵され羽柴姓を授かるなど、仲は良好であったが、
慶長2年(1597年)に突如改易となる。

江戸時代には代々譜代大名の居城となり、将軍の「日光社参」の時の宿所として立ち寄るため、
本丸に「御成御殿」が設けられていたのが特徴であった。
家康の参謀・本多正純の大改造によりその広さは1キロ四方もの広さを誇ったという。
宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布し「宇都宮城釣天井事件」舞台となる。

江戸幕府の北の要であった名城も、
幕末の“戊辰戦争”時、大鳥圭介・新撰組の土方歳三らの率いる幕府軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、城の建造物や城下が灰燼に帰し、その後、明治23年(1890年)には城郭一帯が民間に払い下げとなり、現在では本丸跡も住宅地と化している。

しかし「よみがえれ宇都宮城」のもとに平成19年(2007年)3月25日に本丸の一部が復元された。


木造で復元された清明台櫓


(天守の代わりだったと言われる)




富士見櫓






お城ファンの間で問題になってる、土塁をぶち抜いた本丸入り口


本丸内側から櫓を見る


巨大エレベーター




本多家家紋(立ち葵)が見える



櫓内の子供たち、必死に何かを見ています。







鉄砲狭間!!!





夕日と富士見櫓





お城の復元は城好きにとってはすごく嬉しいこと、
櫓に関しては、木造でなるべく当時に技術と材木で復元してある。
しかし関東のお城の基本である土塁は、コンクリートで固められ、中は空洞、
そして存在していない橋を造り、存在したであろう土塁をぶち抜いた。

防災公園という利便上いいのかもしれないが、それは復元とはいえないと思うし。
郷土の歴史を伝えるという思惑からは到底かけ離れている行為だと思う。
「よみがえれ宇都宮城」と、唱っておいてのこの現状にがっかりしたお城ファンは多い。

色々な事情はあると思うが、関東七名城の一つに数えられ、日本を代表するお城だった宇都宮城
今後の復元には期待したい。




2008.10.3


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2 コメント

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Unknown (あおい)
2008-10-21 22:55:19
kogakenさん、こんばんは^^/

一枚目のお写真を以前拝見した時、どのようなお城なのかとっても関心があったのですが、
今回お写真を拝見していて、kogakenさんがどうしてがっかりされたのかが理解できました!

巨大エレベーターと、本丸入り口・・・そして、すぐ側に大型マンション、う~~ん、確かに復元するなら徹底的に復元してほしいなぁっておもいますね。

ところで、お城の歴史は平安時代まで遡るのですネ
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あおいさん♪ (kogaken)
2008-10-23 16:58:43
お城好きの間では、かなり話題になっていて。

僕も見て、ちょっとガッカリでした。


戊辰戦争と、払い下げで、今では本丸まで家が建ち並んでまして、
それを立ち退かせるのは、とても大変だったとは思いますが。
(今回復元されたのも本丸のほんの一部ですし.....)

だからこそ尚更、徹底してやってほしかったです......
バリアフリーとかありますけどね.....


平安時代はですね、お城というより、館、居館あとって言う感じですね、それが段々、戦のための城へと変わっていったのです!!


餃子はおいしかったですよ!日光の帰りに時間あれば、寄ってみるといいですよ♪
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