春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

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坂東お遍路 群馬・長谷寺

2009年02月19日 | 坂東三十三箇所巡礼
第十五番 金峯山修験本宗 白岩山 長谷寺(ちょうこくじ)

坂東三十三ヶ所霊場の十五番札所で、一般に白岩観音と呼び親しまれています。
寺の創建年代等については不詳ですが、郷士の高崎氏は厄年を恐れ、一人の旅僧の為に宿を提供しました。
旅僧はそのお礼に役の行者ゆかりの地に生えていた楊柳(ようりゅう)の木で大和長谷寺の観音様を模した像を造り与えてくれました。この旅僧は行基だったという伝説があります。

寺伝には延暦・大同(782~810)の頃に伝教大師、弘法大師も巡錫(じゅんしゃく)し、文徳天皇(851)の御代、在原業平が堂宇を修営したという。 のちに源義家、新田義貞など源氏の武将の信仰も厚かった。
長谷寺のある場所を「白岩」といい、白岩山の山号は、役ノ行者が烏川の底から白い巨岩を運ばせて、ここに修行の場をつくったという伝説に由来。白岩に境を接する里見郷は新田 義貞と共に滅亡した里見一族の本拠地であり、のちの楠正成の家臣、浜名左衛門義尊が遠江国濱名邑 より来て諸堂を改修し護った。現山主はその 三十九代目にあたるそうです。

戦国時代、天文元年(1532)関東管領上杉憲政が伽藍を整えてから日本三長谷の一つとなります。
しかし、上杉、北条、武田の上野を廻る戦いが激化、武田信玄が箕輪城の長野業政を攻めた折に兵火にあって焼失します。
そこで1580年、武田勝頼の時代に世無道上人に命じ、 天正八年(1580)再建させたのが現在の観音堂です。
唐破風をもつ見事な建築で、狩野派 の絵師牧守俊の画く天人奏楽の天井画も残ります。

明治に入り一時天台宗に属することとなりますが、戦後現在の宗派となる。

堂内にある本尊の十一面観音は秘仏で見られないが、前立の十一面観音立像は拝むことができます。


仁王門(山門)室町時代に建立


阿吽 血管でてます
 


武田勝頼寄進の本堂


本堂の彫刻(赤鬼が持っているのは硯「すずり」)


不動明王
 



白山神社(神仏習合の名残をとどめる。明治の廃仏毀釈により現在管理は寺と別らしい)



久しぶりに見たオオイヌノフグリ



そして群馬三大梅林のひとつ、みさとの梅たちが徐々に咲き始めていました!



群馬県群馬郡榛名町白岩

2009.2.16