春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

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熊本・熊本城 第一回

2009年01月15日 | 日本の城
熊本・熊本城

羽柴秀吉(豊臣秀吉)の子飼いの武将で、賤ヶ岳七本槍の一人、加藤清正により、
安土桃山~江戸時代にかけ、中世の千葉城、戦国時代の隈本城を取り込み、
茶臼山丘陵一帯に長野県、松本城を参考に築城。
日本三名城の一つ。

加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となり、明治維新を迎える。

明治10年(1877)の西南の役に際しては、西郷隆盛率いる薩軍を相手に、
司令官・谷干城率いる新政府軍は50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮。
しかし薩軍総攻撃の2日前、原因不明の出火により天守閣など主要な建物を焼失する。

現在の天守閣は昭和35年(1960)、熊本市によって再建されたもの。

平成19年(2007)築城400年に際して、本丸御殿をはじめ、
西出丸の塀、戌亥櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、未申櫓、南大手門などの建造物を数年かけて復元、今後も多くの建物が復元予定


全体地図、ホームページより抜粋



10年ぶりに念願の熊本城へ、行幸橋から天守閣を目指す

お城タクシーと熊本城 右にあるのが加藤清正の銅像



昭和の復元、馬具櫓と現存する長塀(全長約242m)



備前堀と平成の復元、飯田丸五階櫓



櫨方門(はぜかたもん)から入門(500円)竹の丸を歩く


城内に数多く残る井戸

清正は文禄・慶長の役のとき、蔚山城(うるさんじょう)で明・朝鮮連合軍を相手に、
「泥水をすすり、死馬の肉を喰らう」という苦しい籠城戦を体験。
その経験から熊本城は、籠城の備えを万全にしました。
井戸はそのひとつで城内に120以上掘られたと言われています。(17箇所の井戸が現存)


高石垣の先に天守閣が見える




焼失を免れ現存する櫓群(繋がっているようにも見えるが、左から田子櫓 七間櫓 十四間櫓)


さらに四間櫓、源之進櫓




別の入り口、須戸口門の横にある平御櫓




さらに不開門の方向に進むと、現存、東十八間櫓




不開門(あかずのもん)
城の鬼門である北東に位置し、昔の陰陽道ではこの方角は塞いでも、開け放してもいけないとされ、
門は造るが普段は閉ざし、不浄なものを運ぶときだけこの門を開いたと言われる。
現存する唯一の門




本丸御殿入り口




全国的にも類例の無い地下通路「闇り通路(くらがりつうろ)」を抜け



やっとの思いで、天守閣、本丸広場へ


続く.........


あまりに広く、見所多いので三回に分けてUpしようと思います。
気長にお待ちいただけると幸いです。


2009.1.5