春夏秋冬 ~止まった時と流れる時~

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夏の18切符 平泉・毛越寺

2008年09月11日 | 東北の寺社
岩手県平泉・毛越寺(もうつうじ)


天台宗別格本山 医王山毛越寺


「吾妻鏡」によると慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。記録によると往時、堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。
奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けている大変珍しいお寺です。

平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。




伽藍復元図



  


大泉が池



遣水(池に水を引き入れるためと造られたもの)

平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいもの


開山堂(慈覚大師円仁をまつる堂)



現・常行堂(仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建)



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2008年現在
国の特別史跡は61件、
国の特別名勝は35件、

その両方に指定されている、毛越寺。

いままで色々な庭園を見て来たが、平安時代の浄土庭園を見るのは初めてだと思う。
伽藍復元図を頭の中で思い浮かべ、境内を回る。
中尊寺金色堂のように、藤原時代から残る建物は一つも現存しないが、庭園や、巨大な礎石を見ると、
優美で壮大な伽藍が想像できる。

その昔、藤原氏が全盛を極めた頃、平泉は京都にも劣らぬ、いやそれ以上の都市だったといわれる。
今の平泉からは、正直信じられないのだが、中尊寺やこの毛越寺の雄大さをこの目で見ると、
本当にこの場所に、そのような都市が存在したと心で感じことができる。

藤原清衡から僅か四代、彼らは中央政権とは別に、仏教を中心とした独自の平和国家を、この平泉に創るはずだったのだろう。
それを証明するかのように、清衡は中尊寺建立供養願文には
「奥州の戦乱で亡くなった多くの人の霊を弔い、敵味方はもちろんのこと、鳥や獣また虫類にいたるまで、極楽往生できるように」と書かれている。

平泉で散った源義経も、この平泉が目指した独自の平和国家に深く共感し、このような国造りを中央政権で目指した、しかし兄、源頼朝との間に考えのずれが生じ、ついには実の兄に背いた。
しかしその結果、鎌倉幕府によって、平泉と藤原氏諸共滅ぼされている。

「敵味方はもちろんのこと、鳥や獣また虫類にいたるまで、極楽往生できるように」
そう願った初代清衡の平泉への想いは空しくも
兄と争い、信じていた四代藤原泰衡に裏切られた義経とともに夢と消えた。



夏草や兵どもが夢の跡


松尾芭蕉の一句が心に響いた平泉の夏


2007.8.26