昨日(7日)は最後のゼミでした。
ゼミの先生は退官も近く、他の要職を担っているということで、私たちの世代が最後のゼミ生となりました。
大学2年生のときから3年間、この先生の授業を受け続けてきましたが、まさに恩師と言える素晴らしい先生だと誇りをもって言えます。
先生の授業は一生忘れないようにしようと決意するとともに、自分も忘れられないように卒論がんばろうと思いました♪
さて、その先生が、最後に教材として選んだのはマキアヴェッリの『君主論』で、最後の授業でちょうど終わらせることができました。
マキアヴェッリというと、日本ではあまり評判が良くないイメージがあります(自分もあまり良い印象をもっていませんでした)が、実際にこの著作を読んで、彼の印象が180度変わった気がします。
まず思ったのは、彼の生きた時代からすでに500年ほどが経過しているにも関わらず、その言葉が全く色褪せず、今でも充分通用するものであるということです。
彼は人間について非常に現実的に、鋭い考察を加えています。
それがあまりに的を得ていて、当時の人々はなかなか受け入れられなかったのではないかとも思います。
彼の主な主張は、「世の中はきれいごとだけではうまく生きられないから、時には自ら悪評の中に飛び込む(汚れる)ことも必要だ」というものです。
痛いところを突いてきますね(笑)
また、彼は力強くこう語っています。
「慎重であるよりは果敢であるほうがまだ良い。なぜならば、運命は女だから、そして彼女を組み伏せようとするならば、彼女を叩いてでも自分のものにする必要があるから。」と。
‥‥男尊女卑全開のセリフですが、とりあえず中世の話なので怒らないでほしいです(^^;
運命を女だとしているのは、運命を表す「fortuna[フォルトゥーナ]」という単語が女性名詞だというのもあるので。
ちなみに、お気付きだとは思いますが、この単語は「fortune」の語源になっているわけですね。
このセリフから窺えるのは、運命を力量(forza[フォルツァ])によって打ち破り、道を切り拓いていこうという強い信念です。
それを感じることができただけでも、この本を読んで良かったと思えました。
分量もそれほどではないので、皆さんも機会があったら読んでみてはいかがでしょうか。
ちなみに自分が読んだのは、
岩波文庫から出ている、河島英昭氏が翻訳したものです。
これはなんと、注釈に本文と同じくらいページを割いていて、当時の状況なども掘り下げてあるので、歴史も含めて深く勉強したいと思っている方にはオススメですよ(*´∇`*)