優しさ研究所

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列車脱線事故について

2005年04月25日 | “優しさ”各論
本当に悲惨な事故が起きてしまいましたね・・・
事故で亡くなった方々にご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族や、その他の事故に巻き込まれた方々に心からお見舞い申し上げます。

自分も大学に通うのに電車を使っている身ですし、全く他人事とは思えません。
このような事件が二度と起こらないことを祈るとともに、決して今回の事件を忘れないようにしたいと思います・・・

みなさんも、知り合いが巻き込まれたわけではないからと言って、この事件をただの事故という風には片付けず、胸に刻み込んで生きていってほしいです。

自分達の社会の中で生まれた事故ということは、自分に全く関わりがないということにはなりませんよね。

自分が思うに、この事故は社会全体が生んだ事故なんじゃないでしょうか。

と言うのも、電車が遅れたことで運転士が焦っていてスピードを出しすぎたことが、事故の原因の1つなんじゃないかと言われているからです。

「電車が遅れる」ということが、日本の社会では非常に疎まれている気がしますが、外国では、電車は時間通りに来ないのが当たり前のところもあると聞きました。

そんな中で、日本人は電車の遅延に神経質すぎるんじゃないでしょうか?

事故のとき、電車は遅れていたと言ってもたったの1分ほどだったそうです。
日本はそのたった1分さえも追及するという姿勢で、運転士に想像もつかないプレッシャーを与える社会なんです。
これでは、とても優しい社会とは言えませんね。

そして、このように運転士に間接的なプレッシャーを与えていたとしたら、今回のような事故に巻き込まれたとしても、運転士を責める権利があるでしょうか?
わかりやすく言えば、「電車の運行はきちんと定刻どおりにすべきだ」と思っていた人は、車の助手席に座りながらドライバーを急かした人とほとんど変わらない立場だと言えるのです。

公共交通機関は、あるという時点で非常に便利なものですから、きっちり時間通りに来ないことを追及するような風潮はどうかと思います。

気を抜いたら殺されるという、大自然に生きる動物達とは違うのですから、ゆとりを持って生きられる風潮を生み出せたらいいんじゃないでしょうか。
そもそも、みんなが時間にゆとりをもって行動するようにすればいいということですね。
自分なんか、時刻表が要らないくらいにゆとりをもって行動してますし。


あと、置石の可能性もあるとのことですが、もしそうだとしたら、犯人は絶対許せませんね‥‥
人間は、他の人間の命を故意に奪うことなく生きていくことができる動物だということを再確認してほしいです。

でも、置石だとしても、運転士がスピードオーバーしていたことは確実なので、やっぱり運転士の焦りを生んだ社会にも責任はあります。


そして事故にしても、事件にしても、人が生きたいという意思に反して亡くなるのを見るのは、本当に悲しいことですね・・・
少しでもこのようなことが減るように、社会全体で問題点を消していく必要があると思います。

とにかく、この事故は様々な教訓を残してくれたと思うので、私達は真摯に受け止めていくべきですよね。