このたび発掘されたドキュメンタリーフィルム『Rollig』(1979年・神戸大映画研究部制作、カラー・一部白黒、8ミリフィルム、49分)。この中で、50年前の大学紛争で、事態収拾の最前線に立った戸田義郎名誉教授が、封鎖解除の日を生々しく語っている。10月27日(日)の「50年目の卒業式」で、その一部が上映される。<小野花菜子、玉井晃平>
画面には、1969年7月12日の、須磨区高倉山造成地で行われた全学集会の新聞記事の見出しが映し出される。
「封鎖解除提案を支持 怒号の中10分で閉幕 妨害学生72人を逮捕」、「神戸大学の改革案まとまる 学生参加前面に 構成員の総意で解決」。
そして、8月8日の全学封鎖解除を伝える見出しには、「神大8カ月ぶり封鎖解除 機動隊に守られながら 学生らはすでに退去」のゴシックの文字が踊る。
(写真:封鎖解除の日の様子を語る戸田義郎名誉教授 1979年8月8日午前、六甲台本館前で 映画『Rolling』から)
画面は、1979年8月8日10時50分を示す、神戸大六甲台本館の時計が大写しに。パンダウンすると、映画研究部の住田功一部員(後にNHKアナウンサー)がマイクを持ってリポートしている。
マイクを向けられインタビューを受けるのは、紛争当時、学長選を行うことができず学長事務取扱の職にあった戸田義郎名誉教授(撮影当時、のちに第6代学長、1999年没)。炎天下、ネクタイにスーツ姿、背筋を伸ばして10年前の同じ日に決行された封鎖解除の様子を証言し始める。
「正門のところに、この建物(六甲台本館)の中から引っ張り出した机やいすがずっと積み重ねてありましてね、そして通行ができないようになっておりました。だから外部の人は何も内部の状況がわからない」。
(写真:封鎖解除を通告する掲示。「不法占拠者へ」という見出しで学外退去を命じる内容で、「命令に従わないものがあるときは警察力を要請する」と通告している。封鎖解除前日の昭和44年8月7日午前8時と記されている。 画像提供=神戸大学文書資料室。)
今度は正門前で語る。「大きなバリケードが張ってあるんですな。さっき言いましたように、机やいす、それからロッカーもありましたね。この高い石門ね、この高さまでずーっと、ロックアウトされておりましたね」。
「だから私は外へ出ましてね、外側へ来まして、外側から中へ向けてね、呼びかけをしたわけです。ここ中に残っている学生さんは、すぐに退去せよと。ハンドマイクというもんじゃあありません、メガホンですな。やっぱり10年前だから、器具が揃ってませんでしたね。それで呼びかけをいたしました。ちょうど階段の中段のところへ3名ばかり人がおりました」。
画面が切り替わって、六甲台講堂前。神戸大の前身の神戸高等商業学校の初代校長・水島鐡也の銅像の前。
「(昭和)44年の5月の15日が開学記念日になっておったでしょ。その時に引きずり下ろされましてね。そして、何で壊したのか知りませんけれど、先生の眉毛の上、大きく陥没してしまったんです。丸穴があいた、大きなこんな穴があいちゃいました。こちら側も叩かれて、もちろん叩かれてるんですよ。でこれが、今度はそこの階段、石段の中くらいのところまで転がっていたと、記憶してますね。蹴飛ばしたんでしょう」。
「それと、もう一つは、あちらにあった田崎(慎治)先生(神戸商業大学・初代学長)の銅像ですね、これも…。これでね、まあ凌霜関係の先輩連中が非常に憤慨しましてね」。
続いて、本館1階廊下を歩きながら、一段と張った声で証言を続ける。
「本館はね、これが中央の階段ですね。向かって左側がこちらの棟になるでしょ。それから右側がそちらの袖になりますね。この下に(1階に)大学全体の事務所があったわけです。今、本部事務所があちらに行ってますけども、本部事務所がここにありました。(今の)あの本部の建物はなかったですからね。それで経営学部の事務所と経済学部の事務所もここにあったわけです」。
封鎖で荒れ果てたキャンパスの中で、六甲台本館はやや様子が違ったと戸田名誉教授は言う。
「惨酷の惨(ざん)っていう字ですな。惨状という言葉が当てはまりますな。ところがここはそうじゃなかった。割合に、まとまってました。どういうわけかって言うとね、どうやら神戸大学系統の学生諸君がね、特に凌霜関係の学生諸君がここにおったらしいです。この建物はわしらが見るから壊さないでくれと、いうことだったんでしょう。で、守ってくれたわけですね。それもあの、一緒になって封鎖を手伝ってる学生さんですよ。そのなかでも、あのー意識を持ってくれてたのがおりましてね。これが助けてくれましたね。だから比較的、損害が軽かったと。(損害が)無いと言うことはありません」。
(写真:封鎖解除が始まった六甲台正門。 1969年8月8日。画像提供=神戸大学文書資料室。)
封鎖解除が終わった時の感想は?というインタビュアーの問いに、戸田名誉教授は六甲台本館前の木陰に腰掛けて静かに答える。
「それは皆が来られた時は、私はそれまでの段階でね、どれだけみなさんが封鎖解除を望んでいられるかというのがよくわかりましたですから、特に高倉山で『全学集会』やりましたですね。そういうことでもわかりました。あの時に、封鎖解除という決意を表明したのに対してね、喜んで同調してくださった学生さん、教職員の方々がたくさんいてはる。やっぱり心配できょうもここへ来てくれたんだなと思いましたね。当時はね、わたくしはこちらです。で、学生さん教職員の方は皆こちらです。そこで一斉にこのー、中へバリケードを取るために入っていかれたわけです。だからわたくしは常に後ろにおったわけですな。そしてそのうちに、やっと通れるようになりましたから、こんど上へ上がったと、こういう状態です」。
「で、わたくしはね、封鎖解除の時はそこの上の、この階段の上のところの隅でこう様子を見てたんです。バリケードが取れて入れるようになりましてからね、バリケードを解いて中へ、職員の方や教員の方や学生諸君が入ってくるんですが、みんな非常に嬉しそうな顔でしたな。なにか、憑かれたものがごそっと降りてしまったような顔でね上がって来られましたね。元気に上がって来られました。バリケードを解く姿勢にしましてもね、もうこういうものはいつまでもあってはいけないんだっていう決意が非常に強かったようですから」。
このドキュメンタリーフィルム『Rollig』は、白黒のニュースフィルムが随所にインサートされている。
放送を始めて間もないサンテレビジョン(1969年5月1日開局)が撮影したもので、この映画の製作時に条件付きで提供されたものだという。
映画は、封鎖解除を撮影したニュースフィルムに『Let It Be』のメロディーがストリングスで流れ、エンディングを迎える。
正門にはスチール製のロッカーが並べられ、その上には木製の椅子が積み上げられ、バリケードになっている。門の前に並ぶ、機動隊。机や椅子が、教官と思われる人たちによって取り外されて運び出されていく。トランジスタ・メガホンで本館に向かって呼びかける教官。彼らの腰には「封鎖解除」と書かれたリボンが。
ラストカットは、1969年8月8日神戸新聞夕刊の見出しで、「“改革への道”」開くか」の黒ベタゴシックの文字をカメラはパーンして、画面が暗転する。
○ ○
この映画では、10年前の1968年から1969年に吹き荒れた大学紛争と、製作当時の1979年のテレビゲームやテニスサークル全盛の時代を対比させながら構成されている。
「80年代はどのような時代になると思うか」という質問に、1979年当時の学生は、「安定の世代やと思う」、「変動のない安定のはしりじゃないですか」と答えている。
昭和の最後の10年とも重なるこの時代、1980年代は、社会は円高不況からバブル経済に転じた。これ以降学内では、自然科学研究科など大学院の新設や、博士課程の設置が進んだ。
平成に入り1990年代になると、教養部・教育学部を改組し国際文化学部、発達科学部の設置(1992年)。2000年代は神戸商船大との統合(2003年)。さらには、国立大学法人への転換(2004年)で、大学は大きな変革の時代に突き進んでいくことになる。
<おわり>
▽戸田義郎:(1909年2月24日〜1999年11月21日):会計学者。大阪府出身。1933年、神戸商業大卒。1950年神戸大経営学部助教授、1952年教授。1969年1月 から1971年2月まで学長事務取扱。1971年2月から1975年2月まで、第6代学長。1975年定年退官。
【関連記事】10月25日「『神大紛争』とは何だったのか④ フィルムに残った証言〜学長事務取扱・戸田義郎教授」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/412d54cfe0e09e7ada0e6796c2fc853c
【関連記事】10月24日「『神大紛争』とは何だったのか③ フィルムに残った証言〜闘った学生、ノンセクトの学生」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/4a715fa550dfce0e1f3ae0699f02b158
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【関連記事】10月22日「『神大紛争』とは何だったのか① 吹き荒れたストと封鎖」
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/a0acb6fe926314730cd6aa330e78f6da
【関連記事】10月22日「50年目の『卒業式』 武田学長が当時の“祝辞”代読」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b93ec2f667184e7659e3f3a0efbe1913
【関連記事】9月6日「50年ぶりの『卒業式』 10月27日に六甲台講堂で」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/7dff3d2db9a1b7b5b9b3de59570b9223
了
画面には、1969年7月12日の、須磨区高倉山造成地で行われた全学集会の新聞記事の見出しが映し出される。
「封鎖解除提案を支持 怒号の中10分で閉幕 妨害学生72人を逮捕」、「神戸大学の改革案まとまる 学生参加前面に 構成員の総意で解決」。
そして、8月8日の全学封鎖解除を伝える見出しには、「神大8カ月ぶり封鎖解除 機動隊に守られながら 学生らはすでに退去」のゴシックの文字が踊る。
(写真:封鎖解除の日の様子を語る戸田義郎名誉教授 1979年8月8日午前、六甲台本館前で 映画『Rolling』から)
画面は、1979年8月8日10時50分を示す、神戸大六甲台本館の時計が大写しに。パンダウンすると、映画研究部の住田功一部員(後にNHKアナウンサー)がマイクを持ってリポートしている。
マイクを向けられインタビューを受けるのは、紛争当時、学長選を行うことができず学長事務取扱の職にあった戸田義郎名誉教授(撮影当時、のちに第6代学長、1999年没)。炎天下、ネクタイにスーツ姿、背筋を伸ばして10年前の同じ日に決行された封鎖解除の様子を証言し始める。
「正門のところに、この建物(六甲台本館)の中から引っ張り出した机やいすがずっと積み重ねてありましてね、そして通行ができないようになっておりました。だから外部の人は何も内部の状況がわからない」。
(写真:封鎖解除を通告する掲示。「不法占拠者へ」という見出しで学外退去を命じる内容で、「命令に従わないものがあるときは警察力を要請する」と通告している。封鎖解除前日の昭和44年8月7日午前8時と記されている。 画像提供=神戸大学文書資料室。)
今度は正門前で語る。「大きなバリケードが張ってあるんですな。さっき言いましたように、机やいす、それからロッカーもありましたね。この高い石門ね、この高さまでずーっと、ロックアウトされておりましたね」。
「だから私は外へ出ましてね、外側へ来まして、外側から中へ向けてね、呼びかけをしたわけです。ここ中に残っている学生さんは、すぐに退去せよと。ハンドマイクというもんじゃあありません、メガホンですな。やっぱり10年前だから、器具が揃ってませんでしたね。それで呼びかけをいたしました。ちょうど階段の中段のところへ3名ばかり人がおりました」。
画面が切り替わって、六甲台講堂前。神戸大の前身の神戸高等商業学校の初代校長・水島鐡也の銅像の前。
「(昭和)44年の5月の15日が開学記念日になっておったでしょ。その時に引きずり下ろされましてね。そして、何で壊したのか知りませんけれど、先生の眉毛の上、大きく陥没してしまったんです。丸穴があいた、大きなこんな穴があいちゃいました。こちら側も叩かれて、もちろん叩かれてるんですよ。でこれが、今度はそこの階段、石段の中くらいのところまで転がっていたと、記憶してますね。蹴飛ばしたんでしょう」。
「それと、もう一つは、あちらにあった田崎(慎治)先生(神戸商業大学・初代学長)の銅像ですね、これも…。これでね、まあ凌霜関係の先輩連中が非常に憤慨しましてね」。
続いて、本館1階廊下を歩きながら、一段と張った声で証言を続ける。
「本館はね、これが中央の階段ですね。向かって左側がこちらの棟になるでしょ。それから右側がそちらの袖になりますね。この下に(1階に)大学全体の事務所があったわけです。今、本部事務所があちらに行ってますけども、本部事務所がここにありました。(今の)あの本部の建物はなかったですからね。それで経営学部の事務所と経済学部の事務所もここにあったわけです」。
封鎖で荒れ果てたキャンパスの中で、六甲台本館はやや様子が違ったと戸田名誉教授は言う。
「惨酷の惨(ざん)っていう字ですな。惨状という言葉が当てはまりますな。ところがここはそうじゃなかった。割合に、まとまってました。どういうわけかって言うとね、どうやら神戸大学系統の学生諸君がね、特に凌霜関係の学生諸君がここにおったらしいです。この建物はわしらが見るから壊さないでくれと、いうことだったんでしょう。で、守ってくれたわけですね。それもあの、一緒になって封鎖を手伝ってる学生さんですよ。そのなかでも、あのー意識を持ってくれてたのがおりましてね。これが助けてくれましたね。だから比較的、損害が軽かったと。(損害が)無いと言うことはありません」。
(写真:封鎖解除が始まった六甲台正門。 1969年8月8日。画像提供=神戸大学文書資料室。)
封鎖解除が終わった時の感想は?というインタビュアーの問いに、戸田名誉教授は六甲台本館前の木陰に腰掛けて静かに答える。
「それは皆が来られた時は、私はそれまでの段階でね、どれだけみなさんが封鎖解除を望んでいられるかというのがよくわかりましたですから、特に高倉山で『全学集会』やりましたですね。そういうことでもわかりました。あの時に、封鎖解除という決意を表明したのに対してね、喜んで同調してくださった学生さん、教職員の方々がたくさんいてはる。やっぱり心配できょうもここへ来てくれたんだなと思いましたね。当時はね、わたくしはこちらです。で、学生さん教職員の方は皆こちらです。そこで一斉にこのー、中へバリケードを取るために入っていかれたわけです。だからわたくしは常に後ろにおったわけですな。そしてそのうちに、やっと通れるようになりましたから、こんど上へ上がったと、こういう状態です」。
「で、わたくしはね、封鎖解除の時はそこの上の、この階段の上のところの隅でこう様子を見てたんです。バリケードが取れて入れるようになりましてからね、バリケードを解いて中へ、職員の方や教員の方や学生諸君が入ってくるんですが、みんな非常に嬉しそうな顔でしたな。なにか、憑かれたものがごそっと降りてしまったような顔でね上がって来られましたね。元気に上がって来られました。バリケードを解く姿勢にしましてもね、もうこういうものはいつまでもあってはいけないんだっていう決意が非常に強かったようですから」。
このドキュメンタリーフィルム『Rollig』は、白黒のニュースフィルムが随所にインサートされている。
放送を始めて間もないサンテレビジョン(1969年5月1日開局)が撮影したもので、この映画の製作時に条件付きで提供されたものだという。
映画は、封鎖解除を撮影したニュースフィルムに『Let It Be』のメロディーがストリングスで流れ、エンディングを迎える。
正門にはスチール製のロッカーが並べられ、その上には木製の椅子が積み上げられ、バリケードになっている。門の前に並ぶ、機動隊。机や椅子が、教官と思われる人たちによって取り外されて運び出されていく。トランジスタ・メガホンで本館に向かって呼びかける教官。彼らの腰には「封鎖解除」と書かれたリボンが。
ラストカットは、1969年8月8日神戸新聞夕刊の見出しで、「“改革への道”」開くか」の黒ベタゴシックの文字をカメラはパーンして、画面が暗転する。
○ ○
この映画では、10年前の1968年から1969年に吹き荒れた大学紛争と、製作当時の1979年のテレビゲームやテニスサークル全盛の時代を対比させながら構成されている。
「80年代はどのような時代になると思うか」という質問に、1979年当時の学生は、「安定の世代やと思う」、「変動のない安定のはしりじゃないですか」と答えている。
昭和の最後の10年とも重なるこの時代、1980年代は、社会は円高不況からバブル経済に転じた。これ以降学内では、自然科学研究科など大学院の新設や、博士課程の設置が進んだ。
平成に入り1990年代になると、教養部・教育学部を改組し国際文化学部、発達科学部の設置(1992年)。2000年代は神戸商船大との統合(2003年)。さらには、国立大学法人への転換(2004年)で、大学は大きな変革の時代に突き進んでいくことになる。
<おわり>
▽戸田義郎:(1909年2月24日〜1999年11月21日):会計学者。大阪府出身。1933年、神戸商業大卒。1950年神戸大経営学部助教授、1952年教授。1969年1月 から1971年2月まで学長事務取扱。1971年2月から1975年2月まで、第6代学長。1975年定年退官。
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了
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