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【慰霊碑の向こうに】18 故・長尾信二さん(当時工学部2年)=父・邦昭さん、母・フジ子さんの証言=<後編>

2024-01-02 12:50:00 | 阪神・淡路大震災
 長尾信二さん(当時20歳、愛媛県立松山南高校卒、工学部応用化学科2年・/合気道部所属)は、神戸市灘区下河原通1-3の文化住宅1階に暮らしていた。
 1995年1月17日。地震当日の夕刻になって、仕事に出ていた父・邦昭さんと母・フジ子さんそれぞれの元に、「信二君が亡くなった」と連絡が入る。
 急ぎ親戚が集まり、フジ子さんの兄の大きな車に食料などを積み込み、邦昭さんの兄、弟も乗り込んで5人で深夜、高松を出発。大渋滞の中をくぐりぬけ、十数時間かけて翌18日の夕方、神戸市灘区に着いた。
 信二さんの遺体は小学校の理科室に寝かされていた。そばには、神戸大の友人が交代で付き添っていたという。
 
 取材班は、高松市の実家を訪ねて、父・邦昭さん(81)、母・フジ子さん(77)にお話をうかがった。



(写真9:長尾信二さんの学生証 一部画像を加工しています)

信二さんを車に乗せて死亡診断書をもらいに

ききて)対面されても、そこからまたいろいろ手続きがあって大変だったそうですね。
母・フジ子さん)大変でした。震災で亡くなった人は、診断してもらわないかん。連れて帰られんのですよ。
ききて)勝手に連れて帰っちゃだめなんですね。
母・フジ子さん)医大かどっか行って、診察してもろて、亡くなったいうことを証明してもらう。それが1月19日の、昼の12時くらいに終わったんかな。
ききて)ご遺体を、ご両親が連れて行かなくちゃならないんですか?
母・フジ子さん)自分たちで。車に乗せて。
父・邦昭さん)死んだ証明書もらうのに、連れていくと。そういう事があったんですよ。震災で死んだか、何で死んだか分からんとかいうふうないい方をされてね。みんな(ほかの遺族の方も)連れていっとって。診断書をもろうて。
母・フジ子さん)それをもらわんことには連れて帰れんから。ほんで行って、死亡診断をもらった。
ききて)検案はどこへ行かれましたか?
母・フジ子さん)どこ行ったかな。
父・邦昭さん)あれ、近くだったん違うか。
母・フジ子さん)近くだったかな、小学校からそんなには離れてなかった。


(写真10:インタビューにこたえる父・邦昭さんと母・フジ子さん 高松市の自宅で 2023年11月3日午後撮影)

神戸では車中泊 検案は混んでいた

父・邦昭さん)(神戸では)どこっちゃ泊まりようがない。車ん中で寝てた。
ききて)じゃあ、その間は信二さんとごいっしょに、車の中にいらした?
母・フジ子さん)そうそう。(小学校の)理科室におってそれから連れていって、5時間ぐらいは医大でいろいろ(検案を)してくれて、それで連れて帰ったから、それくらいやなあ。
ききて)ほかの方に伺ったら、ご遺体と一緒で寒かったとおっしゃるご遺族の方が多いのですけど、どういう状況だったのですか?
父・邦昭さん)寒さとか、そういうのは全然感じる余裕がなかったと思うんやよね。
母・フジ子さん)ただ、息子とおる方がいいと思った。
父・邦昭さん)それで、20日の夕方帰ってきたんちゃうか。
母・フジ子さん)4時ごろ帰ってきたな。だけん、20日の昼くらいに(死亡診断書を)もろたんやろな。
父・邦昭さん)昼前くらいとちがうか。
ききて)では向こうを出発するお昼ぐらいに検案が終わって、引き取られたということですか?
父・邦昭さん)うんうん、それで(信二さんを)乗せて、帰ってきた。

父・邦昭さん)それ(死亡診断書)をもろてから、
母・フジ子さん)帰ってきたんやったな。
父・邦昭さん)身柄連れてね。(高松の)家に帰ってきたんは1月20日だった。
母・フジ子さん)確か20日に(神戸を)出たと思う。

20日に神戸から高松に連れて帰った 21日に葬式したんやな

母・フジ子さん)検案するんが混んでるから、結局待ったいう感じ。
父・邦昭さん)ほんで、もうその足ですぐ帰ってきたもんやから、20日の夕方にはこっちに帰ってきたんですよ。

ききて)では、ご親戚が待っていらしたんでしょうね。
母・フジ子さん)そうそうそう。
父・邦昭さん)そのあくる日だったか。葬儀場に連れていった。だから21日に…
母・フジ子さん)葬式したんやな。
ききて)お通夜は?
母・フジ子さん)うん。その帰ってきた晩に、ここ(信二さんの実家)でしたんですよ。
父・邦昭さん)うちは兄貴がお坊さんやからね。ここで参ってもらって。もちろん仏壇もなんもなかったからね。


(写真11:母・フジ子さん)

もし16日に震災があったら助かっとった

ききて)1月15日の成人式の日の夜に、(信二さんが)帰るとおっしゃったわけだから、つい何日か前にここにいらしたわけですよね。
母・フジ子さん)そうそう。4、5日前にはおったんやけどなあ。なかなかなあ。
(沈黙)

父・邦昭さん)まあ、はよういうたら、16日にもし震災があったら助かっとったとかね、そんな自分の都合のええ事ばっかり考える。
母・フジ子さん)そんな(ふうに考える)人は何万人もおると思う。

ききて)お葬式が行われた場所は?
母・フジ子さん)いや、ベルモニーってね、ここから15分くらいかかったとこにね、行って(葬儀を)しました。
ききて)ご葬儀の時は、どういう様子でしたか?
母・フジ子さん)葬式の時はもう、なんか分からんずくで終わったような気がする。


(写真12:合気道部の仲間と 画像の一部を加工しています)

葬儀にはようけ来てくれた 合気道部の仲間も

ききて)(信二さんの)お友達とかも来られたんですか。
母・フジ子さん)ええ。愛媛の方から、ようけ来てくれてね。ちょうど成人式(の場)で、みんな別れとるもんやから、みんないっぱいきてくれて。神戸大学の子もみんな来てくれて。
ききて)神戸からも?
母・フジ子さん)みんな来てくれたよ。すごいもう(いっぱい)。
ききて)合気道部の部員たちですか。
母・フジ子さん)うん。ちょうどあれ、服吊っとるんですよ。合気道の。
(隣の間の壁に掛けている道着を指さすフジ子さん)

母・フジ子さん)ほんで、あれが神戸大の先生のお手紙です。
(別の壁に額装して掛けてある手紙を指さすフジ子さん)
母・フジ子さん)ずっとお手紙来よったんですけど。すごい達筆で書かれて、あんなに書いてきてくれてね。
ききて)お手紙をくださった先生と信二さんは、どういったご関係だったんでしょうか?
母・フジ子さん)ゼミの先生だった。
ききて)応用化学科の?
母・フジ子さん)そうそう応用化学科に(信二さんが)いたんですよ。

地元医学部の推薦受けずに、神戸大工学部を受験

ききて)信二さんは愛媛県立松山南高校に通っておられました。神戸大工学部を選ばれた理由は?
母・フジ子さん)それがね、最初は、愛媛大の医学部を先生が推薦してくれるいうたんですよ。息子が、「お母さん、2人だけね、医学部推薦してくれるんやけど、かまう?」いうて、私は、いいよっていうたの。ところが主人が、「お医者さんなるような度胸してない」いうたんです。主人が、「絶対いかん」ていって。ほいで反対して。本人はほんまは医大へ行こうと思っとったんです、推薦してくれるから。それでもう、違うとこを(受験)せにゃいかんと(信二さんが)思たんでしょう。ほいで、京大を受けるつもりだったんですよ。「お母さん、すべったら浪人して、広島の代々木(ゼミナール)いくからね」いうて。うんそれはもうかまわんよって、そないにいっとった。そしたらまあ、神戸大学を、先生が受けえいうたんでしょうね、全然肌違いのとこ受けて、それで「受かったら受かったとこ行ったらいいんや、それでいいんや」って主人が。


(写真13:長尾信二さん 免許証の写真と思われる)

医大行っとったら死なんとすんだかもしれん

母・フジ子さん)今でもけんかしよるんですよ。「医大行っとったら死なんとすんだかもしれんのに」って、そないいうてね。でも主人は「人の命を預かるようなことは、させん」いうてね。今でも思う。ほんま思う。医大行っとったらこんなんにはならなんだとか思うたりね。そんな、もう思うばっかりやけどな。なかなかなあ。もう後悔ばっかりやね。
(うつむく二人)

母・フジ子さん)芽を摘んだんでしょうかね、親が。そのような気もします。
ききて)でも、信二さんはきっと、受けるんならこの学部・学科がいいんじゃないかって、考えられたんじゃないですか?
母・フジ子さん)そうかも分からんけどね。
(苦笑するフジ子さん)
ききて)大学院まで進みたいって(信二さんはおっしゃっていたようですね)。
母・フジ子さん)うん、そんなんにいうてたからね。へえーとか思って。

電報で神戸大学合格の知らせが来た

ききて)(信二さんの神戸大の)合格発表の時はどういう状況でしたか。
母・フジ子さん)合格発表のときはねえ…。あっ、連絡がきたんやね。
父・邦昭さん)うん。
母・フジ子さん)なんか、あの頃は電報かなんかみたいなんで、頼んどいたら連絡来て、「良かった」って。それがね、「自分が受かったことよりも、南高の子が国立大へたくさん受かった、そのほうが僕は誇りに思う。」というて。自分のことよりはその方を喜んだんですよ、なぜか。「お母さん!すごいやろ!」とかいうてね。「ああそっか、そんな風に考えるんやなあ」と思ってね。

古いアパート 本人は気に入らんかったらしい

ききて)どのように下宿を決めたのですか?
母・フジ子さん)大家さんとこ行って契約しよるのにねえ、(信二さんが)「1年しかおらんよ」いうて後ろから突つき回るんや(笑)。
ききて)信二さんはなぜ、そのアパートに「1年しかいない」といったのですか?
母・フジ子さん)好かんかったんでしょう、多分。ちょっと古かったんですよ。マンションみたいなのが好きだったんでしょうね。若いから。

母・フジ子さん)海のほうが近いから、よう帰ってくれると思った。私がいらんことして、そこを借りたんですよ。こっち(灘区の浜手のアパートに)おったら、しょっちゅう(四国に)帰ってくるとか思って。
ききて)高松行きのフェリー乗り場に近いですよね。
母・フジ子さん)そう、便利だと(思った)。

母・フジ子さん)とにかくもうそれも夕方の4時半ぐらいやったんですよ。「もう汽車に乗らないかんから」いうて。
ききて)あのころは、合格の手続きも大学でしなきゃいけなかったですもんね。
母・フジ子さん)大学行ってね、私も100万ぐらい持っていっとったんだけど、何か全部使って。帰り、「うわあ、困ったなあ」と思って、お弁当のお金がない。ほんなら、「お母さん、僕もっとるよ」いうてね。それで買って汽車の中で食べて、帰って。夜の10時半ぐらいだったかな、今治かどっかに着いたんが。


(写真14:住んでいた文化住宅の前で、入学式の朝 1993年4月撮影)

2階建て文化住宅、1階が崩れた もういかんかった

ききて)「1年ぐらいしかいないよ」と信二さんがいったアパートに、結局、そのまま住んでおられたんですね。
母・フジ子さん)震災が2年生の1月やから、2年近くまでは居てたんです。部屋が広かったんですよ。6畳が2つあったと思うね。それと別に台所があってね。
ききて)アパートは2階建てでしたね。何部屋あったんですか。
母・フジ子さん)6世帯住んどったと思う。1階に3部屋、2階に3部屋で。6部屋やったと思う。夫婦がおいでたとこもあったと思う。
ききて)1階が崩れたんですよね。
母・フジ子さん)うん。1階がもういかんかったなあ。でも1階でも助かった人もおったみたい。おばあちゃんがな、助かったいいよったから。まあ、あまりは聞かんかったけど。なんかね…。(沈黙)

母・フジ子さん)まあ多分、そこまでしか生きさしてくれんかったんだろうと思います。今、我々やって、いつ地震とか、それこそ戦争やって、いつ降りかかるか分らんから、そんなことがあっても、やっぱり、強く生きないかんのやな、と思うな。命がある限りはな。


(写真15:震災後、合気道部の仲間は新しく作った道着を両親に贈った。今も高松市の実家に大切に保管されている 2023年11月3日)

合気道部員が新しく作ってくれた道着 29年実家に吊っている

ききて)いま、こちらの実家にある合気道の道着は?
母・フジ子さん)あれは合気道部の方が全部買って持ってきてくれたんです。(実家から)持っていった物は(現場から)取り出せなんだから、
ききて)一式、部員の皆さんが新しいものを作ってくれたんですね。
母・フジ子さん)ほやから29年近く吊ってある。いただいたものをね。
ききて)倒壊したアパートからは、(道着などは)取り出せなかったんですか?
母・フジ子さん)もうべちゃべちゃやからね。何回かは行ったよ。それこそ通帳とかは、姉が(探し出して)持ってきてくれたんがあったから、解約とかそんなんにも行かなならんから、何回も行ったよ。
ききて)ほかに何か残っているものはありましたか。
母・フジ子さん)いやいやもう、ぐっちゃぐちゃやから。姉のほうがしょっちゅう行きよったと思うんだけど、その間に、「こんなんがあったよ」いうてね。

兄のバイク好きに感化されて… 北海道をツーリング

ききて)震災当時、(信二さんの)お兄さんはもう働いておられた?
母・フジ子さん)就職して、ちょうど法務教官の研修に入ったとこだったんですよ。九州行っとった。ほんですぐ帰ってきました。葬式の時に帰ってきたんやな。
父・邦昭さん)うん。そうだった。
母・フジ子さん)まあ、びっくりしとったわな。

母・フジ子さん)お兄ちゃんはよう(弟の)面倒を見る子やった。バイク好きでツーリングやらしとったから、下の子(信二さん)もそれに感化されて、お友達とバイトしながら北海道1周したり。

ききて)お友達というのは?
母・フジ子さん)大学の、堀尾くんいうてね。合気道のね、お友達でね。
ききて)バイトして自分お金ためて、バイクを(買ったんですか)?
母・フジ子さん)いやバイクは…、バイクは自分で買ったんかな?
父・邦昭さん)買わんだろうが。親に買わせとった。
母・フジ子さん)(笑)バイトは一生懸命しよったわな。


(写真16:文化住宅の前で、母とミニバイクと。重信町のナンバーだ 1993年4月撮影)

地震で壊れた赤いバイク 神戸から持って帰った

ききて)赤いバイクだったそうですね。
母・フジ子さん)この裏の倉庫に、これぐらい(一部を)を兄ちゃんがとってあるね。タイヤの上の部分(だけ保存して)置いてあるわな。
ききて)そのバイクが1月15日の夜に(乗って行ったバイクですか)?
母・フジ子さん)そうそうそれに乗って(神戸へ)帰ったよ。
ききて)そのバイクで、神戸のアパートまで帰られたんですね。
母・フジ子さん)うん。(高松に)持って帰ったね。
父・邦昭さん)うん。
母・フジ子さん)(実家の)裏にずっと止めとったね。10年ぐらいずっと置いてあった。それも盗難にあってね。ほんで警察から連絡来て、また置いとって。ほやけどもう乗らんからいうて、結局は一部だけ取って置いてあるようになった。

バイク好き わしの血を引いとるんだ

母・フジ子さん)一人で四国一周したんですよ。
ききて)信二さんが?
母・フジ子さん)私は「もう危ない、一人で行って」と。でも兄ちゃんは「母さん、ほめてやらないかん。よう行って来たねって」といってね。

ききて)お父様は? 
母・フジ子さん)バイク、乗る乗る。
ききて)じゃあ、お父様譲りという
父・邦昭さん)わしの血を引いとるんだ。

ききて)震災関連の新聞記事にも(邦昭さんの)バイクのことが出ていましたね。
父・邦昭さん)行った場所やったら、もう日本じゅう走っとる。舞鶴港から船に乗ってね、北海道まで。5日間回ったんですよ。
ききて)5日かけて一周されたんですね?
父・邦昭さん)連れがもう一人おって、バイクが2台あって。妻が車で後ろをついて、それでぐるっと一周して。それとか九州行ったりとか、新潟の佐渡島とかね。それが子どもに受け継がれとる。下の子には受け継がれる寸前に、おらんようになって…。
母・フジ子さん)兄ちゃんはずっと行っとるもんな。大学はツーリング部だった。


(写真17:父・邦昭さん)

ツーリング 息子とは行かれへんかった

母・フジ子さん)息子(信二さんの兄)も好きで、孫(信二さんの姪)二人が乗る。息子の家に駐車しとる。7台もあるんですよ。みんなが笑う。「長尾さんとこなんであんなにバイクようけあるの」「人数よりバイクの方が多い」いうて。

ききて)信二さんがバイクの免許をとったのはいつですか?
母・フジ子さん)高校卒業してすぐ取ったんです。
父・邦昭さん)50ccに乗って帰って来た。一回、愛媛から。

母・フジ子さん)それから1年くらいしてバイク買うたな、250ccの。
兄ちゃんがね、「お母さん、バイクは250超えたら税金が高くなるから250で押さえとかないかん」いうとった。
ききて)信二さんのバイクは神戸の下宿に置いてあったんですか。
母・フジ子さん)うん、下宿に置いてあった。それを(震災後)持って帰ったね。それから10年は(この実家に)置いとったと思う。
ききて)バイクは無事だったんですか。
母・フジ子さん)いや、傷はすごかった思う。兄がきれいに直してまっさらにしとった。バイク屋さんに持っていって、まっさらみたいにしとった。

ききて)弟さんの大事なものですものね。お父様はバイク好きだから、本当は信二さんとツーリングしたかったのではないですか?
父・邦昭さん)そうやね。息子(信二さん)とは行かれへんかった。
ききて)どんなところに行きたいと思っていましたか?
父・邦昭さん)場所は特に考えたことはない。
母・フジ子さん)せやけど息子が行った北海道も行ったからな、あとで。
ききて)それはやっぱり、いろんな思いがあって行かれたんですか?
父・邦昭さん)親父がいたところの都合で行った。
母・フジ子さん)信ちゃんが先に行ったところ。
父・邦昭さん)せやけど、それはたまたま先に行っただけ。息子が先に遊びに行っとったらしい。


(写真18:高松市の自宅居間でインタビューに応じる父・邦昭さんと母・フジ子さん)

生きとったら、休日には走り回っとるかも分からんね

ききて)信二さんが北海道にバイクで行ったのは何年生の時ですか?
母・フジ子さん)1年、いや、2年生の夏やったと思うな。おじいちゃんが亡くなった時やけん。
父・邦昭さん)そうやな。
ききて)信二さんが行かれた場所を?
母・フジ子さん)ほとんど行ったな。
父・邦昭さん)まぁ。たまたま連れもおってね。ほな北海道行くかとなったんや。職業上、網走は行ってみたいという意識が強かったものでね。
ききて)心の片隅には、「信二さんが行ったところだから」というのもありますよね?
母・フジ子さん)そうやね。
父・邦昭さん)北海道といえば歌のあるところばっかり通ったようなもんやからな。森進一とかね、高倉健の歌ばっかり想像する。走りよってね。まぁええところや、北海道は…。
ききて)これから、というところでしたね。信二さんがおられたら、もっともっとバイクであちこち回られたでしょうね。
父・邦昭さん)そうやね。今、生きとったら。休日には走り回っとるかも分からんね。でもそういう機会を一瞬で失ってしもとるわけだからね…。


(写真19:高校時代、野球に打ち込んでいた信二さん。ボールを持つ父・邦昭さん 2023年11月3日、高松市で)

孫は県外の大学に行かせなんだ

父・邦昭さん)バイク好きな者はどうしたって、固まって、大きな排気量のバイクに乗って行くようになるもんでね。私も650ccのバイクで走っておりましたからね。
ききて)へぇ、650ccですか。
母・フジ子さん)孫は1000ccやね、お父さん。女の子よ、2人とも。
ききて)ほんとうに2人ともおじいちゃんの、血を引いてますね。それは。

父・邦昭さん)孫が大学に行くことになった時、県外の大学に行くないうて、行かせなんだ。
ききて)なぜですか?
父・邦昭さん)何があるやら分からん、いうことで。香川県の大学いうことで香川大学に。行かさんというて本当に行かなんだ。孫娘はいう事をよく聞くわ。

防災士の資格をとった 信二さんの兄や姪

ききて)震災があってからまもなく29年なんですけど、神戸大の学生の中には慰霊碑や震災のことを知らない学生もたくさんいます。学生へのメッセージはありますか。
父・邦昭さん)やはりこれは天災やからね、止めいっちゅうわけにはいかんわけやね。
ききて)はい。
父・邦昭さん)場所的にはここ香川県は大きな天災っていうものはないからね。水が少ないという被害があるだけのもんやからね。
神戸大学の学校の人に、こういう大きな震災があって、被災した家族がもうほとんど物いえへん、がっくりきとったことを伝えてもろたら、特にあれしてくれとか、こうしてくれとかいいようがないよね。
母・フジ子さん)兄ちゃんなんか、(弟・信二さんが)亡くなって、防災士の資格をとった。孫もすぐ取った、大学行ってね。兄ちゃんも(自分の娘に)話したりする機会多いんでしょうけど、2人とも資格取りましたね。
ききて)お孫さんたちは、信二さんのことは?。
母・フジ子さん)うん、知らんね。でも、そんな感じでお父ちゃんが取ったから、孫たちも防災士の資格を取ったんでしょうね。だから、若い人たちもそういう勉強をしたら良いんかな。なんかの時に役立つと思う。


(写真20:新聞に掲載された信二さんの訃報)

月命日にはお寺さんが来て手を合わせる

ききて)神戸大学の慰霊碑を訪ねたことは?
母・フジ子さん)何回か行っております。息子(信二さんの兄)も、しょっちゅう行っとる。わたしたち行けん時は息子がね、息子夫婦が孫を連れて行っております。
ききて)その慰霊碑があることすら、知らない学生もいます。
母・フジ子さん)それはしょうがないですね。
父・邦昭さん)神戸大学に入っておられる生徒さんは知っとるんちゃう?
ききて)授業で教わっている学生は知っていますが、それ以外の学生は…。
父・邦昭さん)年月が経つとそうなるんかなぁ。

ききて)何年か前の1月17日のNHKのウェブサイトの記事には、「ここ高松から祈るんです」と書かれていましたが、毎年やはり震災の日は高松で過ごされるのですか?
母・フジ子さん)はい。今も毎月17日はお寺さんが来るから、月命日には。お寺さんが来て参るから。息子が、行ってくれたりしよる、(車に)乗せてってくれたりもするけども、乗り換えして行こうとはもう思わへん。年がいったから。

大学慰霊碑 行事やっていただければありがたい

父・邦昭さん)神戸大学から、時々案内が来るんですよ。(1月17日に大学慰霊碑に)行くつもりしておっても、野暮用ができたりして、行けない場合が多いんですよね。まだみなさんおいでなさるから、また、もしあれだったら、また参らせていただきます。30年の区切りには、できるだけ行く予定にする。盛り立てる、というのもあれなんですが、行事をやっていただけたらありがたいです。

ききて)私たち学生に伝えたいメッセージがあったら教えていただきたいです。
母・フジ子さん)力強く、生きてください。どんな、壁に当たってもね。と思います。
父・邦昭さん)私のほうからはね、無理をしないで、人生を送るようにしていただきたいと思います。


(写真21:長尾邦昭さんとフジ子さん 高松市の自宅前で 2023年11月3日午後撮影)

<2023年11月3日取材/2023年1月10日 アップロード>

【慰霊碑の向こうに】18 故・長尾信二さん(当時工学部2年)<前編>=https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/3c8de716e689258258bd51ab1aab033c
【慰霊碑の向こうに】18 故・長尾信二さん(当時工学部2年)<後編>=https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b587e5119660b9554ad8bbe9f5a83061

【連載】慰霊碑の向こうに 震災の日、学生たちの命は…<震災29年版>=https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/78ae5006ff0f40fc07c08e88050f1141
これまでの遺族インタビューの連載を掲載しています




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