忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 T17編成

2014-11-19 21:48:49 | 485系まとめ
T編成の晩年は、新潟~金沢を結ぶ特急「北越」を主体とする運用に入る編成と、新潟~新井を結ぶ快速「くびき野」を主体とする運用に入る編成の2種類に分かれていました。どちらも個性的な編成ばかりでしたが、特にくびき野を主体とする運用には、個性的な編成が入っていました。今回はそのくびき野編成の1つから。



485系T17編成
転入:1996年6月
編成移動
転入時:T20編成
1999年12月:編成4両化、T23編成
2001年3月:編成6両化、T17編成
編成(最終時)
クハ481-332(6号車)
モハ485-1010(5号車)
モハ484-1010(4号車)
モハ485-1083(3号車)
モハ484-1083(2号車)
クロハ481-1023(1号車)
最終運用:2014年1月6日 くびき野1号
廃車回送日:2014年1月8日

シンボルマークのないクハ481-332を連結した特徴ある編成。晩年は「くびき野」専属編成として「くびき野」運用に入っていたことや、シンボルマークのない先頭車は一際目立つ存在だったと思います。クハだけでなく、他にも注目ある車両ばかりで組成されたおもしろい編成でした。


クハ481-332(6号車)
外観から分かる通り、元勝田車の車両。1975年に青森に配置され、1987年に勝田に転属「ひたち」として活躍した後、651系置き換えにより余剰。1997年に新潟に転属となり、T20編成のクハ481-27を置き換える形で現在に至ります。


モハ485-1010(5号車)
「雷鳥」用グレードアップ改造を受けた車両で、T17編成化する際に連結されました。本来指定席用の車両ですが、特急運用の際グレードアップ未改造車やR編成とは定員が異なるため指定席車両として使用することができず、自由席号車に当たる部分に連結されています。特急運用で活躍していたころの名残になります。T17編成の前はT2編成の4号車に連結されていました(T2編成は同時に9連から4連に短縮され、T21編成となっています)。


モハ484-1010(4号車)
同じくグレードアップ改造を受けた車両。1976年に秋田に配置され、1987年に新潟に転属。相方モハ485-1010と共に新潟に在籍していた歴が長いのが特徴です。6両編成に組み込まれたのは2001年からで、それまでは9両編成に組み込まれていたので、在籍期間は長いですが、他の車両とは新潟在籍時代の動きが異なります。


モハ485-1083(3号車)
1979年に秋田に配置され、以降秋田で活躍していましたが、1993年に勝田へ転属。更に1998年に新潟に転属。勝田での活躍はわずか5年ですが、新潟転属後しばらく「ひたち」色のまま活躍していた少し珍しい車両です。


モハ484-1083(2号車)
車両の動きはモハ484-1083と同じです。クハ481-332と一緒に転属してきた車両ですが、クハ481-332とは異なり転属後しばらくは「雷鳥」として9両編成に組み込まれた後T20編成に組み込まれました。


クロハ481-1023(1号車)
種車:クハ481-1002
種車クハ481-1002は1976年に秋田に配置。1985年に青森へ転属となりますが、1987年に再び秋田へ。1988年にクロハ481-1023となり、1996年に新潟へ転属。そこから新潟で活躍した車両です。485系1000番台の中で最初に製造された車両の1両ではありますが、クロハ481という形で2014年まで生き延びました。


クハ481-332は元勝田車。「ひたち」運用の際7両編成の編成を連結し14両運転のために先頭車に連結のためのジャンパ栓設置(写真手前の物)、シンボルマーク撤去が行われ、その姿のまま新潟へ転属。上沼垂色となり廃車時までこの姿のまま活躍しました。


「くびき野」専属編成の特徴として、クロハ481も含めた全てのクーラー(2,4号車を除く)がAU13ENで統一されていました。485系後期車としてはAU13EN(AU13E)で統一された姿が本来の姿なので、このほうが本来の485系らしいとも言えます。


クーラーが未更新ということからも分かる通り、クロハ481の内装は他の編成と異なっており、グリーン車の座席が写真のようなタイプでした(座席更新は受けています)。


「くびき野」運用に入るために必要なステップを埋めるブロック。春日山駅のホームがステップを埋めた高さ(115系、189系のドア高さ)に合わせてあり、ステップを埋めなければ逆段差となってしまうことから取り付けられました。現在はステッカーが貼られていますが、T17編成が在籍していたころは貼られていなかったため、貼られないままでした。


モハ484/485-1010のステッカーが国鉄時代からの切り抜き文字(写真左)から白文字のステッカータイプ(写真右)となっていました。9両編成には多く見られたものですが、6両編成ではほぼ見ることができず、晩年上沼垂色では9両編成から転用されたこの車両のみに見られたものでした。


編成番号、左がクロハ、右がクハです。T17編成の他、同じく4両化され再び6両化されたT15,T16編成は写真右のようなフォントの編成番号表記でしたが、T17編成はクロハのみ写真左のような標準のフォントに改められています。


「くびき野」専属編成の特徴として、1号車にステッカーが貼られています。「くびき野」の指定席が1号車のみだったころの名残で、2号車が指定席となった後も存置された他、2号車は元々自由席だったため指定席となった後もこのようなステッカーはありません。


クハ側の連結器カバーは緑。晩年は黒に統一されつつあった新潟では目立つ存在ですが、クハはシンボルマークがないためそちらが目立ってしまい、あまりカバーは目立たなかったように思います。左の写真は晩年のものですが、本来は右の写真のカバーを取り付けていました。2013年8月頃にT15編成のクロハとカバーを交換したようです。


T17編成の窓に貼られていたステッカー。ステップを付けていたため一部の駅では段差が大きくなってしまうため、その注意を促すものです。外側には基本的に貼られていますが、内側からのものは剥がれていたり貼られていたり、写真のように一部が剥がれてしまったものもあります。


T17編成は編成の移動が多かった編成の1つ。転入時のT20編成時代は「いなほ」「北越」「みのり」として活躍していましたが、1999年12月に「みのり」と「いなほ」の一部運用を4両編成に短縮して運用することとなり、T20編成は4両編成に短縮されT23編成化。そして2001年3月に運用の見直しから6両編成に復帰。この時6両編成で在籍していた編成のうち3編成が3000番台へ改造、R編成となったためT20編成とはならずT17編成となりました。2006年5月に「くびき野」混雑緩和のために6両化するための専属編成となり、晩年を迎えます。「みのり」専属編成を経験した後、「みのり」の後継である「くびき野」専属編成となった、「みのり」「くびき野」に縁が深い編成でした。


晩年はT16編成と共に「くびき野」専属編成として運用され、原則「北越」「いなほ」には入らない運用形態でした。突発的に特急運用に入る機会があったT16編成とは異なり、T17編成は2013年7月に「北越」運用に入ったのを最後に特急運用には入っていません(「いなほ」運用は2012年8月の臨時列車投入を最後に入っていません)。T17編成離脱後はK1編成が「くびき野」運用に入っています。


最後のくびき野3号に入るT17編成。晩年は「くびき野」運用に従事し続けましたが、シンボルマークのない独特なスタイルは最後まで健在。気軽に乗れる快速列車の編成ということで、お世話になった人も多いのではないかと思います。年末年始の繁忙期を影で支え、混雑が一段落ついた1月に役目を終えました。
この編成の離脱を機に新潟車の485系が少しずつ注目を集め始めることにますが、自分としては改めて大切な存在であったと思わせてくれた、少し特別な編成でした。

新潟の話 R25編成

2014-11-17 18:43:33 | 485系まとめ
新潟の485系はつい最近まで19編成在籍しており、この編成数の多さは他の地域には見られないものでした。そしてその分、かなり個性豊かな面々が揃っていました。2編成目は、JR東日本でのみ見られたリニューアル改造、3000番台編成から紹介します。


485系R25編成
転入:1997年3月
編成移動
転入時:T13編成
2001年3月:3000番台改造、R25編成
編成(2014年現在)
クハ481-3342(6号車)
モハ485-3034(5号車)
モハ484-3034(4号車)
モハ485-3050(3号車)
モハ484-3050(2号車)
クロハ481-3008(1号車)

485系3000番台改造を最後に受けた編成で、R25編成以降は3000番台改造は行われていないため、3000番台で一番新しい(?)編成になります。
3グループのうち、R23編成と同じ2グループ目にあたる編成で、5号車にトイレがなく、転落防止幌が装備されているのが特徴です。
転入時はT編成として在籍し、T13編成として他のT編成と共に「いなほ」「北越」「みのり」として活躍していました。2001年3月に3000番台改造を受け、R25編成へと改名。現在も活躍を続けています。2010年頃からは8連増結運用にも入るようになり、ますます幅広い活躍を見せています。
なお、R25編成はMirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事が画像データなど豊富ですので、合わせてご覧ください。


クハ481-3342(6号車)
種車:クハ481-342
種車クハ481-342は1975年に青森に配置。1997年に新潟に転属となるまでは青森で活躍していました。1996年~1997年にかけて行われた新潟への485系転属ですが、これは秋田新幹線開業準備などで減便となった「たざわ」用編成の余剰車などが中心となっているはずでため、秋田車が大半を占めています。そんな中で青森から新潟への転属となった車両ですが、これはこの車両が属していた青森A8編成が3000番台改造を受ける際、床下機器の異なる300番台を3000番台に改造するのを意図的に避けたものと思われ、この車両が新潟へ転属となったのと同時にクハ481-1005が新潟から青森へ転属し、3000番台改造を受けA8編成の先頭に立っています。一方、クハ481-342といえば、新潟に転属し当時のT13編成の先頭に立ちます。そして新潟での3000番台改造が始まり、T13編成はその改造種車に抜擢。2001年に3000番台へ改造され、クハ481-3342となりました。3000番台のへの改造を避けるために転属した車両が最終的に3000番台に改造されるという、奇異な運命をたどっています。青森に在籍していた名残として、雨どいが曲がっているのが特徴。逆に新潟から青森へ移ったクハ481-1005は雨どいが曲がっていないという特徴もあります。


モハ485-3034(5号車)
種車:モハ485-1034
種車は1979年に青森に配置され、1998年に秋田に転属。1997年に新潟へ転属となり、2001年に3000番台へと改造されます。3000番台化の際、隣のクハ481-3342とデッキが重なることから、この車両のトイレ・洗面台を撤去し荷物室(という扱いですが、実際はデッキの空きスペース)を設置しています。外観ではトイレタンクが撤去されているのが特徴。R25編成だけでなく、R21~R24編成に見られる特徴です。


モハ484-3034(4号車)
種車:モハ484-1034
経歴はモハ485-1034と同じ。こちらの乗務員室窓は原形のまま残っています。新潟車は1997年に新潟に転入してきた車両を中心に組み換えが頻繁に行われたようですが、R25編成の車両はクハ481を除き組み換えは見られなかったようです。


モハ485-3050(3号車)
種車:モハ485-1050
種車は19789年に秋田に配置。1997年に新潟に転属となるまで秋田で活躍していた車両です。新潟転属前に6両編成を組成し、編成ごと秋田から転属となったようで、その際にクハ481-342以外とはすでに編成を組成していたようです。


モハ484-3050(2号車)
種車:モハ484-1050
経歴はモハ485-1050と同じ。3000番台改造時、2号車に当たる車両に車いす対応トイレと多目的室を設置することとなったため、この車両が対象に。通常のモハ484より定員数が減少していますが、新たに番台を分けるようなことは行われていません。


クロハ481-3008(1号車)
種車:クロハ481-1008←クハ481-1008
種車クハ481-1008は1976年に秋田に配置。1986年にクロハ481-1008に改造されます。クロハ481-1000の末尾番号は、種車の番号に関係なく改造順に付けられていきますが、この車両は偶然にも8番目の改造となったため、改造前と改造後の末尾番号が同じ1008のままになっています。クロハ481-1008となった後、一度1986年に青森に転属し、1988年に再び秋田へ転属。1989年に「たざわ」用に改造されたグリーン車12席タイプの内装を「いなほ」用のグリーン車16席タイプの内装に改造(改番はなし。同様の改造は、クロハ481-1009でも行われています)。1997年に新潟へ転属となり、2001年にクロハ481-3008となります。青森にわずかながら在籍したためか雨どいが曲がっているのが特徴ですが、同様の動きをしたクロハ481-1009の雨どいは原形。謎な部分となっています。



編成表記は左がクロハ、右がクハになります。同じ時期に改造されたR23,R24,R25編成は左の写真のフォントに編成表記が統一されていましたが、2012年検査出場時クハ側のみ右のものに書き換えられました。右のタイプはR26,R27編成と同じタイプになります。


R25編成を改造した時期の編成の特徴として、転落防止幌がついています。各号車間に側面と同じ塗装がされた幌が付いています。この幌、装着以来塗り直されていないようで、汚れが目立ちます。


クーラーは全てAU112に統一されています。一時期クハの運転台側から2つ目のクーラーがAU13ENだった時期もありました(写真手前から2つ目)。


新潟の3000番台は幕故障が目立つのも1つの特徴ですが、R25編成は一時期2号車の側面方向幕が故障?し塞がれていました。現在は復旧しています(写真は2013年4月撮影)。


R21,R22,R23,R25編成は5号車トイレが撤去されていますが、撤去個所には写真のように荷物室が設置されています(写真左。この部分はR21編成とR22,R23,R25編成で床デザインが異なります)。
荷物室の反対側は乗務員室となっています(写真右)が、普段は使われていないようです。


R25編成のクハ、クロハは乗務員扉の部分の雨樋の形状がやや異なっています。このタイプの雨樋はR28編成と青森車485系を中心に見ることができることから、青森で改造されたものと見られます。

こちらはR21編成の雨樋。上のR25編成のものと比較すると違いが分かると思います。


運用は特急編成として「いなほ」「北越」を担当。T13編成時代に「みのり」を担当した他、中越地震の際に長野~新潟を越後線経由で走った臨時快速にも充当され、長野乗り入れを果たしています。2010年頃から8両増結運用にも充当され、8両編成で大阪乗り入れも行うなど、運用範囲はかなり幅広いです。また、2010年秋に「くびき野」代走も行っています。


検査明けの綺麗な姿で走るR25編成。他の編成と比べ故障率が高いようで、運用に入らない期間がやや多いのが心配ですが、2014年3月に無事検査出場。そのためか2015年3月改正後も糸魚川快速として活躍を続けてきましたが、2015年6月にR26編成の運用復帰と入れ替わりに運用離脱。現在は長岡に疎開回送されています。同じく長岡に疎開されていたR27編成や、石打に疎開されていたR23編成がすでに廃車回送を終えているところを見ると、先行きはあまりよくないのかもしれません。


新潟の話 T11編成

2014-11-16 22:06:35 | 485系まとめ
新潟の485系といっても、どの編成から始めればいいのかとまた迷うことに。最初はどうしようか…と思いましたが、やっぱり最初はこの編成ですね。


485系T11編成
転入:1996年3月
編成移動:なし
編成(最終時)
クハ481-1029(6号車)
モハ485-1061(5号車)
モハ484-1061(4号車)
モハ485-1085(3号車)
モハ484-1085(2号車)
クロハ481-1009(1号車)
最終運用:2013年10月1日 北越7号
廃車回送日:2013年10月10日

6連編成として最初新潟に転入した車両を含む編成。というのは以前に述べた通りです(厳密には6両中4両が最初に転入し、組み替えを経て現在の編成になります)。組み替えは早い時期に行われ、その後簡易リニューアルが行われた編成になります。


クハ481-1029(6号車)
1978年に青森に配置。1983年に秋田に移り、1996年の新潟転属まで秋田で活躍を続けます。クロハ481を連結した6両編成は主に1997年に新潟へ転属となる車両が大半を占めますが、この車両は一足早い1996年に新潟へ転属。新潟車で6両編成グループの初陣を切った車両の1両です。写真では分かりませんが、ベビーシート設置車両。改造は秋田で行われたようです。


モハ485-1061(5号車)
同様に1978年に青森に配置され、1988年に秋田へ転属。新潟へは1997年に転属となっています。クハ481-1029と転属年が異なることからも分かる通り、新潟に転属後に組み換えを行ってT11編成となっているようです。


モハ484-1061(4号車)
転属履歴はモハ485-1061と同様。なお、モハ484/485-1061と組み換えを行い逆にT11編成となる当編成から外されたのはモハ484/485-1052。こちらは初陣として転属してきた車両に含まれるクロハ481-1022,クハ481-1007を両端とする晩年のT15編成に組み込まれています。


モハ485-1085(3号車)
1979年に秋田へ配置。以降1996年に新潟へ転属となるまでは秋田で活躍します。1996年の新潟転属の際はクハ481-1029やクロハ481-1009と共に転属となったため、新潟に配属となってからはモハ484/485-1061以外の車両とペアを組み続けたまま生涯を終えているはずです。


モハ484-1085(2号車)
転属履歴はモハ485-1085と同様。簡易RN改造(下記)を受けたため、モハ484-1061と共に乗務員室窓が小型に改造されています。485系の最終製造グループに含まれるモハ484/485-1085ですが、最終製造グループだからといって長生きしたわけではなく、1つ前の番号となるモハ484/485-1084は同じ時期に製造されたにもかかわらず車両故障を起こし新潟で2003年に廃車。一歩間違えると早期廃車の可能性も否定できなかったようです。


クロハ481-1009(1号車)
種車:クハ481-1014
種車クハ481-1014は1978年に青森に配置。1983年に秋田へ転属し、1986年にクロハ481-1009へ改造。一度1986年に青森に転属し、1988年に再び秋田へ転属しています。クロハ481-1009は「たざわ」用として改造されたもので、グリーン車の定員数が12名タイプのもの。一方新潟に転属後使用される「いなほ」用のクロハ481はグリーン車の定員数が16名タイプのものであったため、1989年に「いなほ」用クロハ481に合わせグリーン車の定員数が16名に増加しています(これに伴った改番はなし)。そして1996年に新潟に転属し、晩年の活躍に至ります。改造年数からも分かる通り、改造後のクロハ481としての活躍が圧倒的に長く、改造前のクハ481としての活躍はわずか8年という経歴を持つ車両です。



編成表記は左がクハ、右がクロハ側のものです。右側の物が晩年新潟では標準タイプになりましたが、クハ側は最後まで統一されることはありませんでした。
(ただ、統一されなかったのはT11編成だけではないので、他の編成はそれぞれの記事を参照してください)


T11編成といえば簡易リニューアル車と呼ばれる車両で6両全てが組成された唯一の編成でした。簡易リニューアル車というのは、新潟に在籍した14両の車両に1997年に施工されたリニューアル工事の1つ。2両のクロハ481(1022、1025)はグリーン車の座席交換、トイレ・洗面所の更新程度のものですが、残る12両(6両編成2本分)は、写真のように側面ドアを3000番台同様のものへの交換といった改造がなされ、外観にやや変化が生じました。施工されたのは当時のT11編成とT19編成。このうちT19編成は組成変更や組み替えが行われ簡易リニューアル車が他の編成に散らばってしまいましたが、T11編成は組み替えが行われず残ったため6両全てがこのタイプとなっています。


クーラーはグリーン車部分がAU112、そのほかの部分がAU13ENとなっています。ただし晩年はクハ481の運転台側から2つのクーラーが写真のようにAU112に交換されていました。
(写真・情報をMirage-G様から提供していただきました。ありがとうございます)


特急編成として在籍し「北越」「いなほ」として活躍しました。同じT編成ではありますが「くびき野」には充当されていません。「いなほ」として青森、「みのり」として長野、関西への団体運用で大阪までの乗り入れ実績もあり、幅広い活躍を見せてくれました。
印象に残っている運用といえば、2013年春に運行された「高田お花見」への充当。「高田お花見」は8両に増結できる増結ユニットが配置されてからR編成を使用する運用となり、以降6連運転の際でもR編成を使用するように運用が組まれていたため、T編成が充当されたのは久々でした。色々な運用をこなす編成であると再確認できました(高田お花見へは、R編成が中心で回される前にも充当されているようです)。


個性的な外観で他の編成とは違う雰囲気を見せてくれたT11編成。2013年9月にE653系が投入されたことと、T11編成自体の検査切れを迎え、2013年10月に運用を離脱し、役目を終えました。
まだ新潟485系が今のように注目される前の離脱だったためあまり注目されずに引退してしまったような気がしますが、簡易リニューアル車で統一された6両編成の車両と、編成番号を変えずにずっと新潟で使命を果たし続けたリーダー的存在。そんな存在だった編成だと個人的に思っています。

新潟の話

2014-11-16 17:35:23 | 485系まとめ
去年の10月から再び廃車が始まった新潟の485系。北陸新幹線開業に伴い大きく形態が変わることが予想されていますが、現状はどうなっているのか少しずつまとめていこうと思います。
情報は2015年現在のものです。急に変わることもあるので、あくまで参考程度のものと思ってください。
なお、各形式の番台区分をそれなりにまとめたものはこちらから。

新潟車485系
現在在籍数:25両(T編成0本、R編成3本、K編成0本、波動編成2本)
最大在籍数:141両(T編成16本、R編成2本、波動編成1本、保留車6両)

・T編成

一時期は100両以上在籍していたグループですが、E653系の投入により大幅に編成が整理された結果、消滅となってしまいました。ここでは晩年に在籍していた6両編成グループである8編成(T11~T18編成)を比べていきたいと思います。(9両と4両編成は資料がないので…)
6両編成のグループは1996年以降秋田から転属された車両を中心に組成され、当初はT11~T20の10編成が在籍していました。現在の形態になるまでそれぞれの編成が慌ただしく動いたため、各編成ごとに動きをまとめられればいいなと思います。
現在在籍数:5両
最大在籍数:114両
T11編成
・T12編成
T13編成
・T14編成
・T15編成
・T16編成
T17編成
T18編成

・R編成

1997年の「はくたか」運用開始に伴い配置された3000番台で組成されたグループ。リニューアルに伴い内外装が大きく変わったたのが特徴。100両以上配置されたT編成とは異なり多くても48両の在籍にとどまっていますが、T編成・K編成の消滅、そして各地の485系の消滅に伴い全国で見ても数少ない485系の生き残りとなりました。
6両編成は晩年7編成在籍していましたが、大きく分けて3グループに分けることができました。
1グループ目:秋田に所属していた「こまくさ」編成を組成変更・改造し、新潟に転入した編成(R21,R22編成)
2グループ目:新潟に在籍していたT編成を改造した編成(R23,R25編成)
3グループ目:他編成から組成変更、編入された編成(R26,R27,R28編成)
リニューアルされた際にある程度の統一はされていますが、所々に差異がみられます。
R編成に関しては、Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるまとめ記事に詳細なデータがありますので、合わせてご覧ください。
現在在籍数:24両
最大在籍数:48両
R21編成
R22編成
・R23編成
R25編成
・R26編成
・R27編成
・R28編成

・K編成

K1,K2編成の2編成のみが在籍していた少数派グループ。K2編成が一足先に廃車され、残るK1編成のみが最後まで活躍を続けましたが、3月に廃車。それによりK編成というグループそのものも消滅となりました。
現在在籍数:0両
最大在籍数:12両
・K1編成
K2編成

・その他

派動用としてNODOKA編成ときらきらうえつ編成が在籍しています。盛岡地区のジパング編成と同様、独自の編成番号を持っていない編成です。
また、増結用として3000番台ユニット1組。保留車としてサロ489-1051,1052が在籍していましたが、現在は両車共に廃車になっています。
現在在籍数:7両
最大在籍数:11両
・NODOKA
・きらきらうえつ
・増結ユニット

細かい内容は各編成・グループごとに分けていこうと思いますが、現状としてはこのようになります。
時間はかかると思いますが、ゆっくりまとめていければなと思います。

曇りの中に探す秋 後半

2014-11-03 19:19:48 | 撮影記
前回の続きになります。



413系 普通
普通列車も合間に駆け抜けて行きます。413系の青色の進み具合がどれほどのものかは分かりませんが、この日は北陸色を多く見かけました。


681系+681系 はくたか14号
列車の接近が分からず慌てて撮ることになりましたが…先頭車だけでなく、貫通型同士の連結面でも十分絵になりますね。


681系+681系 はくたか15号
スノーラビット編成だけでなくホワイトウィング編成も来年はここで見ることはできなくなるので、無事に来てくれて安心しました。


485系 北越6号
秋色に色づいた木々を横目に金沢へ向かうR23編成。春は桜、秋は紅葉?と撮れたR23編成。四季折々の中を駆け抜ける姿を見るときは相性が良いようです。


485系 北越5号
同じく秋色に色づいた中を新潟へ向かうR21編成。いつもと違う場所なので違った表情が見え、普段とは違うR21編成の姿が見れました。


681系+681系2000番台 はくたか17号
帰りながら途中ではくたかを拾っていきます。狙えるだけ狙って損はないので、これも良い記録になりました。


485系 北越8号
帰る途中に485系が来るということで途中の踏切から流し撮り。難しいですなぁ…。


485系 北越7号
流し撮りはことごとく失敗でしたが、かろうじてT13編成だけ成功といった感じでした。3つのライトで暗闇を照らし、軽快に新潟へ駆け抜けて行きました。


これにて終了です。
お会いしたお二方、お付き合いいただきありがとうございましたm(__)m