忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 T13編成

2015-11-15 19:28:45 | 485系まとめ
長らく放置していたこの部分、書き加えるよりも離脱のペースのが早いのか、書く加えるのが遅いのか…それはともかく、久々の再開はT編成の中で最もスタンダートな外観の編成から。


485系T13編成
転入:1997年8月
編成移動
転入時:T16編成
2000年3月以降:T13編成
編成
クハ481-1025(6号車)
モハ485-1064(5号車)
モハ484-1064(4号車)
モハ485-1041(3号車)
モハ484-1041(2号車)
クロハ481-1025(1号車)
最終運用:2014年12月17日 臨時快速
秋田回送:2014年12月27日

上沼垂色のまとったT編成のラストを飾った編成ということで、他の編成に比べ知名度はやや高いようです。冒頭にも少しだけ触れましたが、晩年のT編成の中ではスタンダート、一般的な外観となっており、モハ484は1000番台で一般的なスタイルの車両のみ。クロハ481、クハ481も目立った改造は受けていないことから他の編成に比べ目立った特徴がない編成でした。それでも他の編成に比べ知名度が高いというのは、やはり最後の生き残りだったからでしょうか。
転入時は6両編成のT編成では6番目となるT16編成として在籍していましたが、そのうち3編成がR編成へと改造されたことにより番号が前に詰められた結果T13編成となり、そのまま晩年の活躍へと繋がります。組み替えや編成移動もほとんど少なかったところは地味ながら注目できる点でもあります。


クハ481-1025(6号車)
新潟方の先頭車。車内はベビーシート設置工事が行われているものの、それ以外は原形のスタイルです。ベビーシート設置工事は新潟では行っていないため、秋田在籍時に行われたものと思われます。1978年に新製されてから1997年に新潟に転属となるまでは秋田に在籍。他のクハの多くは改造や転属転入(青森への転属や、青森に新製配置された後に秋田への転属)が行われたため、秋田に留まっていた原形クハ481という貴重な1両でもありました(新潟以外では秋田のみに在籍していたクハ481は、1007,1025,1027,1029の4両のみです)。新潟転属後は目立った改造は行われておらず、塗装変更が行われ、運転台部分の後方監視窓が埋め込まれた以外は原型のまま残っていました。


モハ485-1064(5号車)
座席はクハ481-1025とモハ484-1064と共にフリーストップ式のリクライニングシートへ交換されています。1978年に青森に配置され、1993年に秋田に転属。4年後の1997年には新潟へ転属し、最後は新潟で活躍を終えています。盛岡での活躍は約14年ほどで、秋田では4年間、そして新潟での活躍は18年。新潟には転属という形で配属されたものの、車両としての生涯は新潟での活躍が最も長い車両でした。


モハ484-1064(4号車)
モハ484の乗務員室窓は原形スタイル。秋田・青森在籍車の多くはモハ484の乗務員室窓を小窓へ改造していたことから、秋田・青森からの転属車がほとんどである新潟車の乗務員室窓はほとんどが小窓へと改造されています。そんな中、このモハ484-1064とモハ484-1041はどちらも乗務員室窓は原型。編成の2ヵ所とも原型で残っていた編成はT13編成が唯一のものでした。


モハ485-1041(3号車)


モハ484-1041(2号車)
1064ユニット同様モハ484の窓は原形スタイル。こちらは指定席車になるため座席が3000番台のものと同じものに変更されています。1978年に青森に配置され、1993年に秋田へ転属し。1997年に新潟へ。他の車両と同じ動きをしています。


クロハ481-1025(1号車)
種車:クハ481-1028
特急仕様車の特徴であるクロハ481のグリーン車部分のクーラー更新が行われているとはいえ、他には特別目立った改造は行われていない車両。上沼垂色だったため目立つことはありませんでしたが、原形に近いスタイルで最後まで活躍した編成の1両であったこともあり、改造は少なめです。種車クハ481-1028は1979年に青森に配置され、1983年に秋田へ転属し、1989年にクロハ481-1025へ改造。その後他の5両同様に1997年に新潟に転属しています。この車両に限った話ではありませんが、クロハ481-1000改造を受けた種車はクハ481として在籍した時期が圧倒的に短いのが特徴で、この車両は10年。さらに短い車両では8年ほどしかクハ481を名乗っていない車両もあります。


編成表記。左がクロハ481、右がクハ481です。晩年期の編成表記は統一されており、半角英字にハイフンと数字といった標準的なもの。ただし、位置関係を見ればわかりますが、クハ側のものは運転台窓ガラスにとても近いのが特徴。クロハ481はややスペースが取られていますが、統一されているであろうスタイルはスペースが空いたものです。


こちらは、2011年8月頃まで見られたクハ481側の編成表記。晩年期のものとは明らかに異なっており、こちらはハイフンなしの全角英数字。初期の上沼垂車では多く見られたスタイル(と思われます)ですが、晩年までこの編成表記であったT編成はT13のみ。他の編成を含めると、K2のクハ側が最後まで全角英数字のまま残っていました。


晩年のクーラーは、1号車の運転台寄り2つを除いた3つと2~6号車がAU13EN(写真)です。クーラー部分の茶色い部分はパンタグラフと架線が接触することによって生まれるサビがついたもの。検査明け時は塗装するため灰色ですが、検査切れ間際になるとその汚れが目立ってきます。(なお、写真は2014年8月に撮影。T13編成の離脱はこの年の12月ということから、検査切れが近かったことが分かると思います)。


1号車の運転台寄り2つのみは更新型のAU112。この部分が主に外観でオリジナルと異なる部分となります。パンタグラフはクロハ481の後ろのモハ484から生じるものですが、ここは距離が遠いこともあり汚れはあまり多くありません。


4号車のモハ484-1064のみ、車体間にあるパーツがR編成のもの(緑色の部分)になっています(上沼垂色の場合は白、国鉄色の場合は肌色です)。この部分の交換は2013年以降に行われたもののようですが、撮影した2014年8月時点で廃車になった新潟車の3000番台は、増結ユニットとR24編成のみ。少なくとも最終検査出場時は白色のままであったことから、新潟での交換となったようです。増結ユニットかR24編成のパーツが新潟にあった、ということになるのでしょうか。詳細は不明ながら、とても目立つ部分ではあります(なお、上に掲載した形式写真のモハ484-1064は白色だった頃のもの。撮影日は2013年6月です)。
この部分、動画制作を行われている斜め上氏(http://www.nicovideo.jp/my/mylist/#/28787863)からお教えていただいたものです。改めて、お礼申し上げます。ありがとうございました。


乗降ステップ部分。特急編成であったことからステップは取り付けられず、取り付け受けもありません。


連結器カバー。晩年は両端黒。2009年頃までは両端白だったようですが、こちらも標準化のためか黒へと交換になりました。この頃(2014年8月のクロハ481)はなぜかテープのようなものが巻き付いていました。


晩年のクロハ481側の写真右側の部分の屋根には布のようなものが。雨漏りか何かの対策のようで、それほど老朽化が進んでいた、ということでもあります。
(T18編成、R21編成にも同様のものがありましたが、どちらもクロハ481。クロハには何かあるのでしょうか)


(お食事中の方すみません…)
クロハ481-1025は外観上の変化はありませんが、1997年の簡易リニューアルの施工対象車です。当時のT11編成、T19編成に施工された車両は側面ドアが交換されたため一目でわかりますが、当時T16編成とT17編成に連結されていたクロハ481(クロハ481-1025と1022)はドアの交換は行われず、グリーン車の座席交換とトイレ、洗面所の更新のみに留まりました(このうちグリーン車の座席交換は、2009年頃にT16,T17編成以外は更にグレードの高い座席へと交換されているためこの時点で面影はありません)。
更新工事の比較として、クロハ481-1025のトイレ部分。落成当時は1970年代のためこの設備で足りるわけですが、2014年ともなればこの設備で特急列車、というのはさすがに問題があったかもしれません。


クロハ481-1025の反対側、クハ481-1025のトイレ部分。簡易リニューアル対象車ではありませんが、内装はクロハ481-1025とほとんど変わらず。最低限の更新は他の車両でも行われたのでしょうか。


座席は1~3号車の普通車は3000番台と同等のもの。よく見ると分かりますが、取っ手がついているのが特徴。他のT編成でも一部にしか見られないものでもあり、オリジナルとなる3000番台にはこの取っ手は存在しないことから、T編成への導入過程において多少手が加えられたようです。


4~6号車の普通車はこのようなもの。晩年は3000番台シート以外では最も主流だったもので、T12,T14,T18編成以外のT編成はどこかしらにこのシートが取り付けられていました。


6号車、クハ481-1025のベビーシート。外観ではあまり分からない改造個所の1つです。なお、この改造が行われ、晩年まで残っていた新潟車はクハ481-1007,1025,1027,1029の4両。偶然かどうかは分かりませんが、上で述べた、新潟転属となるまで秋田に留まっていた原形クハ481の4両と一致します。


その他、車内ドア上部分にはこのようなものも。かなり細かいところではありますが、ここまで模型で再現できたら面白いかもしれません。
(ちなみに、このタイプのものはT13編成以外では見かけていません)



編成は特急編成としての在籍。「北越」「いなほ」や「みのり」充当が主な担当。北は青森まで定期運用を持っていたので青森までの乗り入れ実績があり、2014年にそれまでは8両で運転されていた大曲花火への団体列車が増結ユニット廃車に伴い8両での運転が出来なくなったことから充当されることとなり、大曲への乗り入れが実現しました。T16編成時代に長野へ乗り入れ、中越地震の際に長野新幹線に接続して長野~新潟を走った臨時快速にも充当し、T13編成としても長野へ乗り入れ。一方で関西方面へは福井が最西端の乗り入れ範囲(こちらは「北越」が福井発着だったときのもので、団体列車などでの乗り入れではありません)。他のT編成が関西発着の団体列車やイベント時の臨時快速に使用される機会が多かった中、団体臨時列車の運用にあまり就かなかった編成でもあります(といっても、団体臨時運用はATS-Pを所有していた編成がほとんどでしたが)。
T編成の中では数少ない「くびき野」運用経験者で、専属編成となったT16,T17編成、代走指定編成であるT15,T18編成以外のT編成では唯一「くびき野」に充当されました。あくまでT13編成の「くびき野」はイレギュラーなものという扱いであるため、過去3回(2011年、2012年、2013年に1回ずつ)の代走は全て数日間(多くて4日)のみの代走で終了しています。外観はT編成とさほど変化がなかったこともあり、イレギュラーな代走ではありましたがあまり目立つことはなかったようです。


特徴的な部分が少なかったということもあり、あまり目立った活躍もなく地味な編成な印象でしたが、それが大きく変わったのは晩年期。この編成が上沼垂色として最後の編成となったところで知名度が急上昇。知名度だけでなく、定期運用から撤退した後も臨時「いなほ」運用に入り、団体列車として大曲まで入線。その後もT18編成とR26編成が検査入場で新潟にいなかった際の代替編成として、8月から12月までの4カ月もの間、最後の上沼垂色として君臨し続けました。また、その期間はほとんど休むことなく動き続けたため、この編成を目にする機会は多かったのではないでしょうか(8月~12月の運用最終日まで動かなかった日は19日間のみです)。運用差し替えで入る機会が圧倒的に多かったため、狙っていても見られなかったり、逆に思わぬところで見れてしまったり…そんな編成でもありました。
最終運用となった臨時快速は、充当されていた北越5号が大雪の影響で柏崎から先に進めなくなり、北越5号を柏崎打ち切りとしてT13編成は柏崎で抑止(この時、くびき野2号充当時に窓ガラスが破損し営業列車に充当できなくなったT18編成も同時に柏崎で抑止。写真はその時のもの)。除雪が終わり新潟へ戻る際に運転されたもので、イレギュラーな運用で運用終了。秋田への回送も本来は一週間早く行われる予定でしたが、こちらも大雪により延期。最後の最後までなかなか読めない動きをするところは本当にT13編成らしいと言え、自分自身の使命を全うしたんだとも思えました。

朝のきらきら

2015-11-09 12:52:24 | 撮影記
この日は珍しく485系が遊びに来たので。


485系きらきらうえつ 回送
朝の信越本線を上るきらきらうえつ。団体列車としての運用を前に一旦回送です。


E653系H202編成 おはよう信越
ここでの撮影は初めてのおはよう信越。その名の通り朝早くに通過していきます。


ET127系V4+V1+V2編成 普通
前回のリベンジが目的でしたがまさかの3色混色。見てみたかった混色が見られました。


485系きらきらうえつ 回送
朝陽が完全に出る前に通過となりましたが、少し出てきた朝陽がまるでスポットライトのようでした。


485系きらきらうえつ 団体
山側に移動。朝陽に車体がきらきらと輝いていました。