忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 K2編成

2015-07-18 21:21:22 | 485系まとめ
一通り編成をまとめていますが、そういえばこのグループだけはまだ1つも手をつけていないということに今更ながら…。編成数は多くありませんが、何より特徴的な2編成。まずは1編成ずつ、ということで、一足先に役目を終えた編成から。



485系K2編成
転入:2003年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-347(6号車)
モハ485-1042(5号車)
モハ484-1042(4号車)
モハ485-1021(3号車)
モハ484-1021(2号車)
クロハ481-1029(1号車)
最終運用:2014年6月5日 快速くびき野1号
長野回送:2014年6月9日

「ムーンライトえちご」用編成としてそれまで活躍してきた165系M編成を置き換える形で青森から転入してきたのがK編成。そのうち後から転入してきたのがK2編成になります。青森での転入前はA11編成。「はつかり」として活躍した編成ですが、青函トンネル通過の際に必要なATC-Lを装備していなかったことから、2002年の東北新幹線八戸延伸に伴った運用改定(定期運用は全てATC-Lが必要はものへと変更)に伴い余剰。同じ485系を使用した定期運用を持つ新潟への転用となりました。先述の通り「ムーンライトえちご」編成を置き換えるために転入してきたため、転入と同時に夜行列車用の車内減光装置などの改造が行われています。なお、ATS-Pに関しては青森時代から装備しており、これを利用して青森時代、勝田に貸し出されて団体・臨時運用にも活躍しました(なお、勝田車への貸し出しは2002年の東北新幹線八戸延伸に伴った並行在来線の第三セクター化以降行われていません)。


クハ481-347(6号車)
晩年は各地に残った数少ない300番台車として在籍。クーラーは未更新のスタイルで、薄汚れた白カバーも相まって国鉄時代とほぼ変わらないスタイルを保っていました。なお、カバーは晩年まで両方とも白。新潟車は黒へと統一されていく動きは見られていましたが、おそらく一度も交換されていないのでは…。


モハ485-1042(5号車)
青森と新潟では編成の向きが異なるため、転入に際しクロハとクハの向きを反転させる改造が同時に行われていますが、モハの向きは変わっていないため、新潟でも青森でも5号車として使用。T18編成の場合用途が特急編成であったため指定席車のみが座席更新を受けていますが、K2編成を含めたK編成は「ムーンライトえちご」自体が全車指定席の列車のため普通車は全号車更新されています。


モハ484-1042(4号車)
乗務員室窓は小窓へ改造。この小窓改造は青森・秋田で行われていたため、全て転入車で賄われている新潟車では小窓のものと大窓のものが混在されていました。そのうち晩年まで国鉄色で残っていた3編成はすべて小窓へ改造されたスタイルでした。


モハ485-1021(3号車)
モハ484/485は1001~1024の車両と1025~1088の車両では機器類が微妙に変更されています(モハ485の場合、主抵抗器が前者はCS15F、後者がCS15F-G2)。モハ485は特にその違いが分かりにくいものですが、見比べてみるのもいいかもしれません。


モハ484-1021(2号車)
晩年はサビがかなり浮き出ており、痛々しい姿を露見させていました。こちらも機器類は異なっており(モハ484の場合、冷房装置が前者AU712A、後者AU71B)、モハ484の場合は屋根周りが大きく異なっています。サビに目が行きがちですが、屋根周りの違いにも注目です。なお、モハ484/485-1025~1028は手すりが設置されていますが、1001~1024には手すりがありません。他の写真には手すりが見えますが、この写真手前のモハ485-1021には手すりがないのが分かると思います。なお、クハとクロハには手すりそのものがありません。


クロハ481-1029(1号車)
種車:クハ481-1041
K2編成のクロハ481。角度的には見えづらいですが、晩年の新潟車の3000番台以外の車両のクーラーはクロハ481のグリーン車部分となる運転台寄り2基のみ更新型のAU112へと交換された車両が多数ですが、K2編成はその施工対象外(他の対象外編成は、T16編成、T17編成、K1編成)。そのため交換前のAU13ENで統一されています。他にも特徴的なシンボルマークがありますが、こちらは後述。


編成表記。左がクロハ481、右がクハ481のもの。半角ハイフン付の編成表記(T-11)といったものに統一される動きがみられる中最後までハイフンがつかなかったのも特徴の1つ。また、クハ481は最後まで全角フォントで残った唯一の車両です(このほかの全角フォントは、2011年までT13のクハが該当する程度)。


クロハ481-1029はシンボルマークが貫通型タイプのもので、真ん中に切れ目があるのが特徴。新潟には貫通型タイプの車両は3両しかおらず、それもK2編成が転入する頃には廃車となっていたため、交換は青森時代だと思われます。新潟地区に最後まで国鉄色として在籍していたクロハ481-1028,1030はそれぞれ手すり?がついていますが、K2編成のクロハ481-1029は何もついていません。何もないのが特徴、といったところでしょうか。


「ムーンライトえちご」用ステッカーがあるのが専属編成の特徴。臨時列車化以降は貼り直されることはなく、剥がれたらそのまま、といった感じに。2号車は残っていましたが、6号車と4号車、2号車の反対側は撤去されていました。


首都圏に乗り入れることを前提としていたことからステップは装備。T18編成やT15編成は必要に応じ着脱を行っていましたが、K2編成は主体となる「ムーンライトえちご」運用の際必ず装着する必要がある(首都圏のホームはステップを装備しないと逆段差となる)ため、原則装備して運用されていました。ステップの色が若干黄色いのが特徴。あついステッカーは2014年から貼り付け。


デッキドア。窓のステッカーは貼り付け時期不明ですが「くびき野」「ムーンライトえちご」運用編成に共通して貼り付けられていたもの。その下のあついステッカーは先程同様2014年に貼り付け。2月時点で付いていたので1月頃には貼られていたと思われます。


車内ドア。青森時代に若干の更新を受けたことから、青森車3000番台同様のものへと交換されています。


…が、青森車では後半の編成であることから改造が追いつかなかったのか、既存のドアの個所も存在(5号車)。青森A12編成→新潟T18編成はオリジナルのものが残っていましたが、この編成は黄色く塗られていました。


1号車のクロハ481のドア。グリーン車があることからここは青森時代に自動ドア化されており、それがそのまま引き継がれています。


クロハ481の座席番号とクーラーの注意ステッカー。クロハ481のみ方向転換と同時に改造が行われたからか、原形のままで残っていた座席番号表示はステッカータイプに交換されています(他の号車は原形)。注意ステッカーは新潟時代のもの(当時は新潟ではなく上沼垂)へと交換されています。


クロハ481以外の3号車、5号車、6号車は注意ステッカーは青森時代のまま残っており、青森車両の文字が残っていました。
(モハ484はクーラーが異なるため車内にこの形状のクーラーが存在しないため、このステッカーはありません)。


モハ484の1001~1024までは機器が異なるため車内にある機器も異なったため、デッキ備え付けのゴミ箱も他とは異なっていました。左がモハ484-1025~1088、クハ481、クロハ481のもの。写真はクハ481で、女性専用車だったためデッキがピンク色なのが特徴。
右がモハ484の1001~1024のゴミ箱。独立しているのではなく一体化しているのが見て分かると思います。


車内の普通車の座席は全て3000番台タイプへと交換されていたのは周知の通り。このタイプの座席にはリクライニングと座面スライド機能の説明ステッカーが貼られていましたが、晩年のK2編成は「くびき野」の指定席となる1号車と2号車以外は全て剥がされていました(写真は5号車)。



「ムーンライトえちご」用編成として新潟に配属された当編成。定期運行時代は2運用に対しK編成が2編成しか在籍していないため、「ムーンライトえちご」とその間合い「らくらくトレイン村上」運用以外を賄う余裕は当然ありませんでした。余裕が生まれたのは臨時化された2009年以降で、それ以降は同じくステップを装備しなければいけなかった「くびき野」を中心に充当。2010年~2012年に運転された臨時「能登」のにも運用され、間合い運用として「北越」も担当することになってからは頻繁に北越と関連するらくらくトレインの運用にも入っています。ステップを装備すると運用に入れない「いなほ」運用にも、2009年頃?に一度入っており、青森へと顔を出しています。また、E653系「いなほ」運転開始に伴ったホームかさ上げによりステップを装備したまま「いなほ」に入ることができるようになったため、2013年秋頃~2014年に再び「いなほ」へ登板。同じK編成のK1編成との共演もみられました。らくらくトレイン関係も運用されていますが「らくらくトレイン信越」と「おはよう信越」への運用は数回のみに留まっています。多くはありませんがリバイバル列車での活躍もあり、「白山」として軽井沢~金沢、「ひたち」として上野~勝田を走り抜けたほか、団体列車として首都圏地区でも活躍しています。一方で、関西地区ので活躍が見られたことはなく、西の方で乗り入れていたのは金沢までとなっています。


「ムーンライトえちご」として池袋を発車するK2編成。幅広い活躍をしたK2編成ではありますが、青森地区での活躍に引き続き快速列車とはいえ予備なしで毎日動き続けたということもあり老朽化がかなり進んでいました。そのため他の編成に比べ故障率が高かったのもまた特徴の1つ。故障による運用離脱も多く、運用途中に故障という事例も見られました。「北越」「くびき野」廃止により新潟車へと再び注目が集まった頃にはすで運用を離脱していたため、晩年の新潟には見られなかった車両ではありますが、「ムーンライトえちご」や「くびき野」とった快速列車主体の運用に多く入ったため、お世話になった人も多い編成ではないでしょうか。大きな動きの見られなかった2014年の6月にひっそりと離脱し静かに回送されたため、国鉄色編成の中では影の薄い編成だとは思いますが、485系の国鉄色編成、と言われた時、この編成のことも思い出してみてみてください。

新潟の話 R22編成

2015-07-09 22:09:16 | 485系まとめ
いつの間にかいろんな動きがありましたが…。
様々な経緯から生まれそのまま使用されたT編成とは異なり、R編成は経緯は別としても同時に改造を受けたためある程度外観は統一され、異なっていた部分も近年は統一する動きがみられていました。そんな統一化の流れを全く受けることのなかった編成からご紹介。



485系R22編成
転入:2000年3月
編成移動:なし
編成
クハ481-3348(6号車)
モハ485-3065(5号車)
モハ484-3065(4号車)
モハ485-3066(3号車)
モハ484-3066(2号車)
クロハ481-3004(1号車)
最終運用:2015年3月16日 快速
長野回送:2015年6月22日

クロハ481の連結器カバーが最後まで黒くならなかった唯一の編成。他の編成が黒へと統一されていく中最後まで個性を貫いた編成ともいえます。R編成としては、R21編成と同時期に転入配置されて新潟へ。種車もR21編成と同じく元「こまくさ」編成。こまくさ2・4編成を組み替えたR21編成と対をなすかのように、種車は元こまくさ1・3編成を組み替えたもの。個性を貫いた編成ではあるものの、R21編成と同じ時期に改造されたということもあり、実は意外と標準的な一面もありました。
R編成ということで、Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事も合わせてご覧ください。


クハ481-3348(6号車)
種車:クロハ481-303←クハ481-348
元こまくさ1編成のクロハ481をクハ481に再改造したもの。数少ないクロハ481-300の1両であった車両が種車に選ばれています。クロハ481-301と302は福知山地区で活躍した車両で、最終的に183系800番台へと改造されていますが、こちらは不足したクロハ481-1000を補う形で改造された車両。種車が300番台であることから番台が分けられましたが、内装はクロハ481-1000(1022~1027タイプ)と同一のものです。
種車クハ481-348は1976年に青森に配置。1988年に秋田へ転属となり、1989年にクロハ481-303へと改造されます。東北地区では異例のクロハ481-300ですが、前述の通り改造種車が異なるのみで扱いはクロハ481-1000と同じ車両。2000年まで秋田で活躍を続け、3000番台へと改造。同時に全車普通車のクハ481へと改造されることとなったため、改造種車であるクハ481-348の番号を踏襲しクハ481-3348となり、新潟に転属となりました。クハ481-300は車両の向きに関係なく連結できる両渡り構造の先頭車ですが、3300番台改造の際におそらく片渡り構造の先頭車に改造されているようで、より一層1000番台車の一員に近い車両となっています。


モハ485-3065(5号車)
種車:モハ485-1065
元こまくさ1編成の3号車。R21編成同様この車両のトイレは撤去されているので、写真の奥側にあるトイレタンクが撤去されています。見た目はR21編成と変わらないので、ここでは角度を変えた写真を掲載します。
種車モハ485-1065は1978年に青森に配置。1988年に秋田に転属となり、2000年に3000番台のモハ485-3065となり、新潟に転属となります。


モハ484-3065(4号車)
種車:モハ484-1065
元こまくさ1編成の2号車。乗務員室の窓は原形。同じ時期に改造を受け、同じ構成となるR21編成とは瓜二つの外観となっています。5号車のトイレが撤去された理由は、おそらく6号車のデッキと重なることからトイレの設備が重なり過剰となるためと思われます。同様の場合、西日本の485系では一部が3000番台同様トイレ撤去や使用停止措置を行っていますが、東日本の場合、3000番台のように大掛かりな改造を受けた車両はトイレ撤去を行い、改造を行っていないT編成やK編成はそのまま存置されています。
車両の移動はモハ485-3065と同様です。


モハ485-3066(3号車)
種車:モハ485-1066
元こまくさ3編成の3号車。こちらは5号車と異なりトイレタンクが存置されているのが特徴です(写真の奥側)。
種車モハ485-1066は1978年に青森に配置。1988年に秋田に転属となり、2000年に3000番台のモハ485-3066となり、新潟に転属となります。車両番号が3065(1065)の続番である3066(1066)であることからか、車両の移動経歴もほぼ同一。晩年の485系は短編成化のために改造と組み換えを繰り返し行っていたため、モハ484/485のユニット番号が連続して組成されている編成はかなり珍しいものであったはずです。


モハ484-3066(2号車)
種車:モハ484-1066
元こまくさ2編成の2号車。車いす対応トイレと多目的室が設置されているため定員数が異なるのは他の編成と同一。掲載した写真ではトイレ・多目的室は奥にあります。写真の窓がない部分は車いす対応トイレ、反対側には多目的室が設置されています。多目的室部分には乗務員室窓に似た窓が設置されていますが、これは3000番台改造の際に新しく設けたもので、サイズも種車のものとは異なっています。
車両の移動はモハ485-3066と同じです。


クロハ481-3004(1号車)
種車:クロハ481-1004←クハ481-1032
元こまくさ2編成の1号車。6号車の先頭車となるクハ481-3348がクロハ481からクハ481へと改造されたのに対し、こちらはクロハ481の機能を生かすためクロハ481のまま3000番台へと改造されています。R22編成の場合、クハ481には300番台車が他にも在籍していたのに対しクロハ481には他に300番台車が在籍していないため、向きを揃えるという目的もあってこの車両がクロハ481のまま残ったのかもしれません。
種車クハ481-1032は1978年に秋田に配置。1987年に青森に転属し、クロハ481-1004となります。1988年に秋田に再転属し、2000年に3000番台改造を受けクロハ481-3004となり、新潟へ転属となります。


編成表記。左がクロハ481,右がクハ481。晩年は標準のフォントに改められているので、大きな差はありません。


特徴的だったクロハ481の連結器カバー。晩年は緑でしたが、長かったのは白カバー。時期にもよりますが、ライトの下にある部分の滑り止めが黒かった時期もあります。晩年は緑カバーに滑り止めの色は青でした。


ドアステップは取り付けなし。取り付ける必要のある運用にも入っていないため、取り付け台差もありません。ただし、関西乗り入れは結構な数をこなしていたので、時期のよっては取り付けていたと思われます。


一時期6号車の側面幕が故障していた時期がありましたが、その際幕を白い紙(布)でおおわれていました。2012年頃に故障しましたが、2013年~晩年は元通りになっていました。


ドア部分は3000番台標準のもの。あついステッカーは2013年冬から貼り付けられ、それ以降剥がされることなく運用されています。


5号車の元洗面台のところに設けられた荷物室。R21編成のものとはよく見ると床デザインが異なっており、同じ設備を持つR23編成、R25編成はこのスタイルになっています。なお、反対側の元トイレ部分は乗務員室となっていますが、おそらくそこにはトイレがあるのではと…(トイレタンクはすでにないので復活はできませんが)。


雨どいはクハ、クロハ共に原形でした。こちらもR21編成同様のものです。


クーラーは晩年クハ481,クロハ481,モハ485は全て更新型のAU112。モハ484はAU71Bを装備している、という点は他の編成と同じです。


R21編成同様に車両の間には転落防止幌は未設置です。先程の述べたとおり5号車にはトイレがないので、左の6号車に見えているトイレタンクが設置されていません。


2号車のモハ484のみパンタグラフ周りの配線がやや赤くなっていました。老朽化のためなのでしょうか。4号車は何もないままでした。



特急編成に含まれていたR22編成の運用は「北越」「いなほ」といった特急運用。R21編成と同時期に運用が開始されていますが「みのり」運用には就かず、くびき野運用の代走も行っていません。(2011/3/12、団体として大阪から新潟へ帰る途中直江津で抑止されていた当編成を用いてくびき野1号を運行した、という目撃があるそうですが、確信がないので…)。R21編成と共に当編成が配置された最大の理由は、2001年3月のダイヤ改正で「白鳥」と新潟発着の「雷鳥」が廃止となったことにより「北越」が増発されたことによるもの。一気に運用を離脱した9連編成5本の代わりに穴を埋めるべく改造され配属されたのがこの2編成です。走行距離が「雷鳥」と「北越」では大きく異なることと、他の編成と運用が共通化できることで2編成の増備で足りているようです。なお、9連編成を6連編成化できなかったのは、6連編成にあるクロハ481が連結されておらず、改造するにもすでに普通車をグラードアップ改造しているため簡単に改造できなかったことと、老朽化があげられると思われます。


特急運用だけでなく、団体運用など幅広い範囲での活躍もみられ、団体運用では大阪までの乗り入れています。8連増結にも用いられ、8連で「いなほ」や「海中スターマイン」などの快速列車にも充当されました。8連運用ではE653系に置き換えられる前の最後の8連いなほを担当したのがR22編成でしたが、同時にそれがR22編成の8連増結運用最後のものとなっています。


日本海を背に走るR22編成。新潟での新たな活躍は15年間にもおよび、主力車両といっても過言ではないほどの走りっぷりでした。そんなR22編成は「北越」としての最終列車という晴れ舞台を任され、その後少しだけ生き残った快速運用を担当し、それを最後に運用離脱。3月改正での運用減に合わせ役目を果たし終え、長野へと回送されました。長かったようで短かった15年間の活躍は、個性的なスタイルと共に輝かしいものだったのではないでしょうか。