忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 T11編成

2014-11-16 22:06:35 | 485系まとめ
新潟の485系といっても、どの編成から始めればいいのかとまた迷うことに。最初はどうしようか…と思いましたが、やっぱり最初はこの編成ですね。


485系T11編成
転入:1996年3月
編成移動:なし
編成(最終時)
クハ481-1029(6号車)
モハ485-1061(5号車)
モハ484-1061(4号車)
モハ485-1085(3号車)
モハ484-1085(2号車)
クロハ481-1009(1号車)
最終運用:2013年10月1日 北越7号
廃車回送日:2013年10月10日

6連編成として最初新潟に転入した車両を含む編成。というのは以前に述べた通りです(厳密には6両中4両が最初に転入し、組み替えを経て現在の編成になります)。組み替えは早い時期に行われ、その後簡易リニューアルが行われた編成になります。


クハ481-1029(6号車)
1978年に青森に配置。1983年に秋田に移り、1996年の新潟転属まで秋田で活躍を続けます。クロハ481を連結した6両編成は主に1997年に新潟へ転属となる車両が大半を占めますが、この車両は一足早い1996年に新潟へ転属。新潟車で6両編成グループの初陣を切った車両の1両です。写真では分かりませんが、ベビーシート設置車両。改造は秋田で行われたようです。


モハ485-1061(5号車)
同様に1978年に青森に配置され、1988年に秋田へ転属。新潟へは1997年に転属となっています。クハ481-1029と転属年が異なることからも分かる通り、新潟に転属後に組み換えを行ってT11編成となっているようです。


モハ484-1061(4号車)
転属履歴はモハ485-1061と同様。なお、モハ484/485-1061と組み換えを行い逆にT11編成となる当編成から外されたのはモハ484/485-1052。こちらは初陣として転属してきた車両に含まれるクロハ481-1022,クハ481-1007を両端とする晩年のT15編成に組み込まれています。


モハ485-1085(3号車)
1979年に秋田へ配置。以降1996年に新潟へ転属となるまでは秋田で活躍します。1996年の新潟転属の際はクハ481-1029やクロハ481-1009と共に転属となったため、新潟に配属となってからはモハ484/485-1061以外の車両とペアを組み続けたまま生涯を終えているはずです。


モハ484-1085(2号車)
転属履歴はモハ485-1085と同様。簡易RN改造(下記)を受けたため、モハ484-1061と共に乗務員室窓が小型に改造されています。485系の最終製造グループに含まれるモハ484/485-1085ですが、最終製造グループだからといって長生きしたわけではなく、1つ前の番号となるモハ484/485-1084は同じ時期に製造されたにもかかわらず車両故障を起こし新潟で2003年に廃車。一歩間違えると早期廃車の可能性も否定できなかったようです。


クロハ481-1009(1号車)
種車:クハ481-1014
種車クハ481-1014は1978年に青森に配置。1983年に秋田へ転属し、1986年にクロハ481-1009へ改造。一度1986年に青森に転属し、1988年に再び秋田へ転属しています。クロハ481-1009は「たざわ」用として改造されたもので、グリーン車の定員数が12名タイプのもの。一方新潟に転属後使用される「いなほ」用のクロハ481はグリーン車の定員数が16名タイプのものであったため、1989年に「いなほ」用クロハ481に合わせグリーン車の定員数が16名に増加しています(これに伴った改番はなし)。そして1996年に新潟に転属し、晩年の活躍に至ります。改造年数からも分かる通り、改造後のクロハ481としての活躍が圧倒的に長く、改造前のクハ481としての活躍はわずか8年という経歴を持つ車両です。



編成表記は左がクハ、右がクロハ側のものです。右側の物が晩年新潟では標準タイプになりましたが、クハ側は最後まで統一されることはありませんでした。
(ただ、統一されなかったのはT11編成だけではないので、他の編成はそれぞれの記事を参照してください)


T11編成といえば簡易リニューアル車と呼ばれる車両で6両全てが組成された唯一の編成でした。簡易リニューアル車というのは、新潟に在籍した14両の車両に1997年に施工されたリニューアル工事の1つ。2両のクロハ481(1022、1025)はグリーン車の座席交換、トイレ・洗面所の更新程度のものですが、残る12両(6両編成2本分)は、写真のように側面ドアを3000番台同様のものへの交換といった改造がなされ、外観にやや変化が生じました。施工されたのは当時のT11編成とT19編成。このうちT19編成は組成変更や組み替えが行われ簡易リニューアル車が他の編成に散らばってしまいましたが、T11編成は組み替えが行われず残ったため6両全てがこのタイプとなっています。


クーラーはグリーン車部分がAU112、そのほかの部分がAU13ENとなっています。ただし晩年はクハ481の運転台側から2つのクーラーが写真のようにAU112に交換されていました。
(写真・情報をMirage-G様から提供していただきました。ありがとうございます)


特急編成として在籍し「北越」「いなほ」として活躍しました。同じT編成ではありますが「くびき野」には充当されていません。「いなほ」として青森、「みのり」として長野、関西への団体運用で大阪までの乗り入れ実績もあり、幅広い活躍を見せてくれました。
印象に残っている運用といえば、2013年春に運行された「高田お花見」への充当。「高田お花見」は8両に増結できる増結ユニットが配置されてからR編成を使用する運用となり、以降6連運転の際でもR編成を使用するように運用が組まれていたため、T編成が充当されたのは久々でした。色々な運用をこなす編成であると再確認できました(高田お花見へは、R編成が中心で回される前にも充当されているようです)。


個性的な外観で他の編成とは違う雰囲気を見せてくれたT11編成。2013年9月にE653系が投入されたことと、T11編成自体の検査切れを迎え、2013年10月に運用を離脱し、役目を終えました。
まだ新潟485系が今のように注目される前の離脱だったためあまり注目されずに引退してしまったような気がしますが、簡易リニューアル車で統一された6両編成の車両と、編成番号を変えずにずっと新潟で使命を果たし続けたリーダー的存在。そんな存在だった編成だと個人的に思っています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿