忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 R27編成

2016-12-30 18:26:17 | 485系まとめ
ずいぶんと触れていませんでしたが、時間のある時に少しずつまとめられたら…と思います。


現役の編成を…とまとめてきましたが、あの2編成を取り上げたらこの編成は欠かせない…ということで、現役編成ではないですがお次はこちらを。



485系R27編成
転入:1998年3月
編成移動
転入時:R2編成
2006年3月以降:R27編成
編成
クハ481-3011(6号車)
モハ485-3030(5号車)
モハ484-3030(4号車)
モハ485-3054(3号車)
モハ484-3054(2号車)
クロハ481-3037(1号車)
最終運用:2015年3月13日 くびき野6号
長野回送:2015年7月8日 EF64-1031牽引による配給回送


「はくたか」用として配置されたR1編成に続く「はくたか」用編成として改造された編成。R2編成として当編成が配置されたことで、それまでR1編成の検査時はT編成(T5編成)の代走となっていた「はくたか」運用が完全にR編成で固定の運用となりました。R2編成時代はR1編成と動きは同様で、2004年に「はくたか」運用から撤退した後は波動編成としてTDL臨や多客時の「いなほ」運用に従事。2006年に6連改造を受けR27編成となり活躍していました。R27編成改造の際に転落防止幌の設置と車内減光装置を取り付けたことで「ムーンライトえちご」の代走などにも使用できる汎用性の高い編成となり、関東地区でデジタル無線が使用されるまでは頻繁に上京したほか、関西地区への運用も担当。晩年は新潟車で唯一関西地区のATS-Pに対応した編成だったため、関西地区への運用は当編成の独壇場でもありました。
R2編成からR27編成となる際に組み換えが発生しており、組み換え後の内外装がほぼ同一仕様であるR26,R28編成と同じグループ分けを個人的ではありますが行っています。
Mirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事も合わせてご覧いただくと、形式写真を中心により一層R27編成についてお分かり頂けると思います。

R26編成の項目でR1編成の編成表を載せているので、同様にR2編成時代の編成表を載せておきます。
クハ481-3011(9号車)
モハ485-3086(8号車)
モハ484-3086(7号車)
モハ485-3054(6号車)トイレなし
モハ484-3054(5号車)車いす対応トイレ付
サロ481-3106(4号車)グリーン車
モハ485-3030(3号車)
モハ484-3030(2号車)
クハ481-3037(1号車)
6両への組み替えはR26編成と同様でモハユニットの位置を入れ替えています。付帯設備が大きくからんでいると思われるので、今回は付帯設備が特徴的な車両は付帯設備を書き込んでいます(といっても3両だけなのですが…)。
9両のうち、5両はR27編成へそのまま転用。1両は改造の上R27編成へ組み込まれ、残った3両のうちモハ1ユニット(3086)は増結ユニットとして転用。サロ481-3106は転用されることなく廃車になっています。



クハ481-3011(6号車)
種車:クハ481-1011
R2編成の改造種車となった車両はそれぞれが独自の経歴を持つ車両ばかりで、この3011は勝田からの転属車が種車になっています。種車クハ481-1011は1976年に秋田に配置。以降秋田での活躍していましたが、1993年に勝田へ転属。「ひたち」系統での活躍していましたが、651系により置き換えられ余剰。そんな中R2編成の種車となるべくクハ481-332などと共に新潟へ。新潟転属と同時に3000番台へ改造され、晩年へと至ります。クーラーが最後まで未更新のままであったのも特徴です。R2編成時代は9号車で、R27編成化に際し6号車となりましたが、号車が変わったのみで他に動きはありません。


モハ485-3030(5号車)
種車:モハ485-1030
こちらは新潟に配置されていた車両を3000番台へ改造したもの。種車モハ484/485-1030は1978年に青森に配置。1988年に秋田に移り、1996年に新潟へ転属となります。この転属は、新潟車にクロハ481を連結した6両編成を配置する際の転属で、当時はクロハ481-1022とクハ481-1007(どちらも晩年のT15編成)、モハ484/485-1086(同時にR2編成へ転用となったユニットで、晩年は増結ユニット)と6連を組成していました。新潟に配属後は組み替えが行われたようで編成から外され、R2編成の改造種車に抜擢。3000番台改造を受け、R2編成→R27編成として活躍しました。R2編成時代は3号車だったこともあり、トイレは存置されていました。


モハ484-3030(4号車)
種車:モハ484-1030
車両の動きはモハ485-3030と同様。R2編成時代は2号車に連結されていました。
余談ながら、当ユニットを外した晩年のT15編成はその後何度もモハユニットの組み換えが行われていたようで、晩年のT15編成が転入当初のT17編成として在籍していた時期に組成していたのはモハ484/485-1016と1052。4連化されT21編成となった際にモハ484/485-1016が外されますが、こちらは当時のT14編成(晩年のT12編成)に転用。再び6連に復帰しT15編成となる際は増結ユニットとしてよく組まれていたと思われるモハ484/485-1036を組み込みます。が、このモハ484/485-1036は同時にT16編成として6連に復帰した元T19編成に組み込まれていたもの。相性が良かったのか本来組成していた編成に戻ることなく別編成に組み込まれたおもしろいユニットです。


モハ485-3054(3号車)
種車:モハ485-1054
種車モハ484/485-1054は1979年に青森に配置。1987年に秋田へ転属と、配置年数は異なりますが流れはモハ484/485-1030と同様。新潟への転属は1年遅い1997年。こちらもクロハ481を組み込んだ6両編成として秋田から転属となりました。R2編成時代は6号車に組成。R2編成改造時に電話室を設け、同時にトイレを撤去。R27編成への組み替えで編成中間の3号車となります。電話室の電話は撤去されフリースペース化。トイレは撤去されたままだったため、外観はトイレタンクがなく、電話用アンテナが残っているのが外観の特徴。R26,R28編成はこの部分と5号車のトイレ(R26,R27,R28編成は設置。R21~R25編成は撤去)が共通した外観です。


モハ484-3054(2号車)
種車:モハ484-1054
車両の動きはモハ485-1054で述べた通りです。R2編成時代は5号車に連結され、車いす対応トイレを設置。他の編成と車いす対応トイレ車の位置を合わせたため、R27編成化の際に2号車に移りました。3000番台編成の2号車は車いす対応トイレ車で全編成が統一されています。
こちらも余談ですが、同時に新潟に転属となり唯一3000番台改造を受けなかったクロハ481-1011は、T18編成(転入当初)→T14編成の一員としてT編成に在籍。その後T16編成のクロハ481-1018と入れ替えが行われT16編成の一員となり、晩年を迎えています。


クロハ481-3037(1号車)
改造種車:クハ481-3037←クハ481-1037
R2編成時代はクロハではなくクハ481-3037として1号車に連結。R27編成化の際連結位置は変わらないものの、他の編成との運用共通化の際にクロハ481を連結する必要があることからクロハ481-3037に改造されました。クロハ481への改造の際は、本来種車に関係なく改造順に番号を振られるところを、種車の番号(3037)を引き継いでクロハ481としているため、他のクロハ481とは番号の振られ方が異なります(これはR26編成のクロハ481-3026も同様)。種車クハ481-1037は1978年に秋田に配置。モハ484/485-1054と共に1997年に新潟へ転属となるまで秋田で活躍していました。新潟へ転属後はR2編成の改造種車となり1998年に3000番台改造を受けクハ481-3037へ。同時に方向転換改造も行われています。その後2006年にクロハ改造を受けクロハ481-3037となりました。なお、この車両に唯一付いている突起物ですが、クハ481-3037となってしばらくしてから取り付けられたようで、3000番台改造と同時に取り付けられたものではないようです。


晩年の編成番号表記。左がクロハ、右がクハです。晩年のものはフォントそのものは他の編成と統一されていましたが、編成番号の位置がクロハ側のみ独特で、左端からやや離れて配置されていました。このスタイルは同じ時期に改造されたR26編成と、2012年以降のR25編成(どちらもクロハのみ)と同一のものです。


クーラーは、1号車の真ん中以外の4つと3,5号車は写真左の更新型のAU112、1号車の真ん中1つと6号車は未更新型のAU13EN。2,4号車のモハ484はAU71Bです(画像は同様のスタイルのR28編成の物を流用しています)。


R編成のクーラーは原則更新型へ置き換えられていますが、R27編成のクロハ481のように一部のみ未更新のままで残った車両も存在していました。R27編成のクロハ481-3037は最後まで置き換えられることなくこのスタイルので活躍を終えています。ちなみに、元R2編成であった増結ユニットモハ484/485-3086のクーラーは晩年まで未更新のままでした。


連結器カバー。2009年頃はクロハ481のみ緑でしたが、2010年から晩年は黒に統一されています。なお、R2編成時代は主に白か緑。緑カバーで残っていたのはR2編成時代からの名残とみてよさそうです。


クロハ481-3037の前面部分。前面LED下と連結器カバー上部にあるものが異様な存在感を示しています。用途の詳細が不明なので、果たしてこれは一体何なのか…。ライト下の滑り止めはクロハ、クハ共に白です。


元「はくたか」用R2編成の名残として、運転台下部分に「はくたか」用エンブレムを付けていたR27編成。エンブレム自体は交換しなかったためか劣化が進み、2011年の検査入場の際に撤去されました。撤去はされたもののエンブレムがあった名残は晩年でも見られました。
ATS-Pを装備していることからATS表記はSとPSの2種類。乗務員室の雨どいは原形です。


エンブレムが残されていた頃のR27編成。クロハ481-3037側は特徴的なものが多かったので、賑やかだった印象がありました。


クロハ481のワイパー。向かって右側のワイパー、なぜかたためず中途半端な状態に。クハ481は普通にたためているので、やはりこちらも謎ということに…。


首都圏に入線可能であったことから、R27編成改造の際に転落防止幌が取り付けられました。同じく転落防止幌を装備するR編成のR23,R24,R25編成の転落防止幌は側面の塗装と同じものが使われていましたが、R27編成の転落防止幌は黒。これはT18編成、K編成と同一のタイプとみてよさそうです。なお、R27編成化の際に外された3両には転落防止幌取付改造は行われていないので、増結ユニットとして生き残ったモハ484/485-3086に転落防止幌はありません。



乗降ステップ。首都圏に入ることや「くびき野」代走も行ったことから、ステップを備えています。晩年こそ「くびき野」主体の運用であったことから常時ステップは取り付けられていましたが、基本ステップは外して運用されていました。このステップ、R編成タイプのものなので下部分が透明になっていますが、上のオレンジ色の部分の滑り止めとなる部分がT,K編成タイプのものと同一になっています。R編成用のもの(と思われる、R26,R28編成仕様のもの)となぜ差異が出ているのかは不明です。


乗降ドアにあるステッカー。このタイプのものはT15,T16,T17,T18,K1,K2編成に貼り付けられていたものと同じタイプ。R編成で貼られていたのはR27編成のみです。このステッカーが貼られていた編成に共通となるのはおそらく「くびき野」関係であるということでしょうか。


R26,R28編成同様、3号車にトイレはなく、デッキには電話スペースであった仕切りが存置されていました(同様のものなので、R26編成のものを流用しています)。


3号車にある車内表示機。トイレがない3号車のトイレ使用状況部分はR28編成と同様で白紙で処置されています。


クロハ481の車内仕切りドア。R27編成のクロハ481-3037は他の車両とはクロハ化された時期が遅いため、他の編成では共通となっているクロハの仕切りドアは違うものが使用されています。これは同じ時期に改造されたR26編成も同様です(写真はR26編成のものを流用しています)。


側面方向幕。R27編成は一時期一部の個所(1号車を先頭とみて2号車と3号車の進行方向左側)の側面方向幕が故障したのか撤去されていた時期がありました。撤去個所には張り紙がされていましたが、この張り紙は基本トイレが故障した際に張るもの。2013年秋~2014年夏頃に見られましたが、どこかで調達したのか何事も無かったかのように直っています(上の形式写真撮影時は方向幕撤去時のもの。2014/03/12撮影です)。


乗務員室ドアの窓。6号車を先頭とみて進行方向左側の部分、よく見ると、窓ガラスが逆になっています。最終検査出場となった2013年以降のもののようですが、詳細は不明です…。


R1編成同様「はくたか」編成として配置されたR2編成。「はくたか」運用をベースとするために基本は金沢に常駐。2001年3月までは「雷鳥」、3月以降は「北越」で週に一度新潟に戻る、という運転パターンが「はくたか」撤退の2004年まで行われます。新潟常駐編成は新潟にて基本検査を受けますが、間合いで9連T編成と共通で「雷鳥」「いなほ」(9連編成在籍時の晩年は定期1往復のみ9連編成が「いなほ」に使用されていました)、6連T編成の差し替えで「いなほ」に使用されることも多かったようです。2001年の「雷鳥」運用消滅後は9連編成ということから6連編成中心の他の運用に入りにくい編成ではありましたが、繁忙期はそのまま運用入りすることで混雑対策の増結ができることから、繁忙期「いなほ」を中心に活躍する姿も見られました。ほくほく線に入線することからATS-Pを装備していたこともあり、関東地区への団体列車にも運用。その後他の編成と運用を共通化させる狙いもあったためか、6連のR27編成へと改造されます。


R27編成となった後はR26編成とは大きく異なり、ATS-Pを装備しているという点を生かし車内減光装置を備え「ムーンライトえちご」代走も行えるような汎用性の高い編成となり、実際2007年には故障したT18編成の代走として「ムーンライトえちご」「フェアーウェイ」の代走を実施。関東圏でデジタル無線が使用されるようになってからはデジタル無線非装備のR27編成は関東へ乗り入れすることができなくなりましたが、ATS-Pを用いてほくほく線への入線や、車内減光装置を使用した青森・富山への夜行団体など、改造の際に取り付けられた設備を生かした運用に入っています。さらに、2011年以降関西地区で使用開始となったATS-Pに新潟車485系で唯一対応する編成に。そのため2011年以降の関西地区の団体列車は全てR27編成が担当することとなったため、関西地区では頻繁に活躍が見られました。新潟地区でもその汎用性の高さは健在で、定期特急運用から臨時快速と幅広く活躍。「くびき野」代走を最も多く行ったR編成で、晩年は「くびき野」と「北越」を行き来する運用スタイルでした。2015/03/13の上下最終「くびき野」を担当し運用離脱。3月中旬~6月まで長岡に疎開された後、EF64-1031牽引の元、現役時代新潟車485系が担当した運用範囲で唯一入線実績のなかった長野に向かい、役目を終えました。
R編成ということからか広範囲での運用実績があるものの知名度はやや低い編成ですが、広範囲で活躍したその姿は485系らしいもの。485系新潟車を代表する編成であったことに間違いないと思います。

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