忘れ物になる前に

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新潟の話 T17編成

2014-11-19 21:48:49 | 485系まとめ
T編成の晩年は、新潟~金沢を結ぶ特急「北越」を主体とする運用に入る編成と、新潟~新井を結ぶ快速「くびき野」を主体とする運用に入る編成の2種類に分かれていました。どちらも個性的な編成ばかりでしたが、特にくびき野を主体とする運用には、個性的な編成が入っていました。今回はそのくびき野編成の1つから。



485系T17編成
転入:1996年6月
編成移動
転入時:T20編成
1999年12月:編成4両化、T23編成
2001年3月:編成6両化、T17編成
編成(最終時)
クハ481-332(6号車)
モハ485-1010(5号車)
モハ484-1010(4号車)
モハ485-1083(3号車)
モハ484-1083(2号車)
クロハ481-1023(1号車)
最終運用:2014年1月6日 くびき野1号
廃車回送日:2014年1月8日

シンボルマークのないクハ481-332を連結した特徴ある編成。晩年は「くびき野」専属編成として「くびき野」運用に入っていたことや、シンボルマークのない先頭車は一際目立つ存在だったと思います。クハだけでなく、他にも注目ある車両ばかりで組成されたおもしろい編成でした。


クハ481-332(6号車)
外観から分かる通り、元勝田車の車両。1975年に青森に配置され、1987年に勝田に転属「ひたち」として活躍した後、651系置き換えにより余剰。1997年に新潟に転属となり、T20編成のクハ481-27を置き換える形で現在に至ります。


モハ485-1010(5号車)
「雷鳥」用グレードアップ改造を受けた車両で、T17編成化する際に連結されました。本来指定席用の車両ですが、特急運用の際グレードアップ未改造車やR編成とは定員が異なるため指定席車両として使用することができず、自由席号車に当たる部分に連結されています。特急運用で活躍していたころの名残になります。T17編成の前はT2編成の4号車に連結されていました(T2編成は同時に9連から4連に短縮され、T21編成となっています)。


モハ484-1010(4号車)
同じくグレードアップ改造を受けた車両。1976年に秋田に配置され、1987年に新潟に転属。相方モハ485-1010と共に新潟に在籍していた歴が長いのが特徴です。6両編成に組み込まれたのは2001年からで、それまでは9両編成に組み込まれていたので、在籍期間は長いですが、他の車両とは新潟在籍時代の動きが異なります。


モハ485-1083(3号車)
1979年に秋田に配置され、以降秋田で活躍していましたが、1993年に勝田へ転属。更に1998年に新潟に転属。勝田での活躍はわずか5年ですが、新潟転属後しばらく「ひたち」色のまま活躍していた少し珍しい車両です。


モハ484-1083(2号車)
車両の動きはモハ484-1083と同じです。クハ481-332と一緒に転属してきた車両ですが、クハ481-332とは異なり転属後しばらくは「雷鳥」として9両編成に組み込まれた後T20編成に組み込まれました。


クロハ481-1023(1号車)
種車:クハ481-1002
種車クハ481-1002は1976年に秋田に配置。1985年に青森へ転属となりますが、1987年に再び秋田へ。1988年にクロハ481-1023となり、1996年に新潟へ転属。そこから新潟で活躍した車両です。485系1000番台の中で最初に製造された車両の1両ではありますが、クロハ481という形で2014年まで生き延びました。


クハ481-332は元勝田車。「ひたち」運用の際7両編成の編成を連結し14両運転のために先頭車に連結のためのジャンパ栓設置(写真手前の物)、シンボルマーク撤去が行われ、その姿のまま新潟へ転属。上沼垂色となり廃車時までこの姿のまま活躍しました。


「くびき野」専属編成の特徴として、クロハ481も含めた全てのクーラー(2,4号車を除く)がAU13ENで統一されていました。485系後期車としてはAU13EN(AU13E)で統一された姿が本来の姿なので、このほうが本来の485系らしいとも言えます。


クーラーが未更新ということからも分かる通り、クロハ481の内装は他の編成と異なっており、グリーン車の座席が写真のようなタイプでした(座席更新は受けています)。


「くびき野」運用に入るために必要なステップを埋めるブロック。春日山駅のホームがステップを埋めた高さ(115系、189系のドア高さ)に合わせてあり、ステップを埋めなければ逆段差となってしまうことから取り付けられました。現在はステッカーが貼られていますが、T17編成が在籍していたころは貼られていなかったため、貼られないままでした。


モハ484/485-1010のステッカーが国鉄時代からの切り抜き文字(写真左)から白文字のステッカータイプ(写真右)となっていました。9両編成には多く見られたものですが、6両編成ではほぼ見ることができず、晩年上沼垂色では9両編成から転用されたこの車両のみに見られたものでした。


編成番号、左がクロハ、右がクハです。T17編成の他、同じく4両化され再び6両化されたT15,T16編成は写真右のようなフォントの編成番号表記でしたが、T17編成はクロハのみ写真左のような標準のフォントに改められています。


「くびき野」専属編成の特徴として、1号車にステッカーが貼られています。「くびき野」の指定席が1号車のみだったころの名残で、2号車が指定席となった後も存置された他、2号車は元々自由席だったため指定席となった後もこのようなステッカーはありません。


クハ側の連結器カバーは緑。晩年は黒に統一されつつあった新潟では目立つ存在ですが、クハはシンボルマークがないためそちらが目立ってしまい、あまりカバーは目立たなかったように思います。左の写真は晩年のものですが、本来は右の写真のカバーを取り付けていました。2013年8月頃にT15編成のクロハとカバーを交換したようです。


T17編成の窓に貼られていたステッカー。ステップを付けていたため一部の駅では段差が大きくなってしまうため、その注意を促すものです。外側には基本的に貼られていますが、内側からのものは剥がれていたり貼られていたり、写真のように一部が剥がれてしまったものもあります。


T17編成は編成の移動が多かった編成の1つ。転入時のT20編成時代は「いなほ」「北越」「みのり」として活躍していましたが、1999年12月に「みのり」と「いなほ」の一部運用を4両編成に短縮して運用することとなり、T20編成は4両編成に短縮されT23編成化。そして2001年3月に運用の見直しから6両編成に復帰。この時6両編成で在籍していた編成のうち3編成が3000番台へ改造、R編成となったためT20編成とはならずT17編成となりました。2006年5月に「くびき野」混雑緩和のために6両化するための専属編成となり、晩年を迎えます。「みのり」専属編成を経験した後、「みのり」の後継である「くびき野」専属編成となった、「みのり」「くびき野」に縁が深い編成でした。


晩年はT16編成と共に「くびき野」専属編成として運用され、原則「北越」「いなほ」には入らない運用形態でした。突発的に特急運用に入る機会があったT16編成とは異なり、T17編成は2013年7月に「北越」運用に入ったのを最後に特急運用には入っていません(「いなほ」運用は2012年8月の臨時列車投入を最後に入っていません)。T17編成離脱後はK1編成が「くびき野」運用に入っています。


最後のくびき野3号に入るT17編成。晩年は「くびき野」運用に従事し続けましたが、シンボルマークのない独特なスタイルは最後まで健在。気軽に乗れる快速列車の編成ということで、お世話になった人も多いのではないかと思います。年末年始の繁忙期を影で支え、混雑が一段落ついた1月に役目を終えました。
この編成の離脱を機に新潟車の485系が少しずつ注目を集め始めることにますが、自分としては改めて大切な存在であったと思わせてくれた、少し特別な編成でした。

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