忘れ物になる前に

写真を撮ったり出かけたり。たくさんの思い出を忘れないために、書き記していきたいと思います。

新潟の話 R25編成

2014-11-17 18:43:33 | 485系まとめ
新潟の485系はつい最近まで19編成在籍しており、この編成数の多さは他の地域には見られないものでした。そしてその分、かなり個性豊かな面々が揃っていました。2編成目は、JR東日本でのみ見られたリニューアル改造、3000番台編成から紹介します。


485系R25編成
転入:1997年3月
編成移動
転入時:T13編成
2001年3月:3000番台改造、R25編成
編成(2014年現在)
クハ481-3342(6号車)
モハ485-3034(5号車)
モハ484-3034(4号車)
モハ485-3050(3号車)
モハ484-3050(2号車)
クロハ481-3008(1号車)

485系3000番台改造を最後に受けた編成で、R25編成以降は3000番台改造は行われていないため、3000番台で一番新しい(?)編成になります。
3グループのうち、R23編成と同じ2グループ目にあたる編成で、5号車にトイレがなく、転落防止幌が装備されているのが特徴です。
転入時はT編成として在籍し、T13編成として他のT編成と共に「いなほ」「北越」「みのり」として活躍していました。2001年3月に3000番台改造を受け、R25編成へと改名。現在も活躍を続けています。2010年頃からは8連増結運用にも入るようになり、ますます幅広い活躍を見せています。
なお、R25編成はMirage-G様によるGotham City of Niigataさんによるこちらの記事が画像データなど豊富ですので、合わせてご覧ください。


クハ481-3342(6号車)
種車:クハ481-342
種車クハ481-342は1975年に青森に配置。1997年に新潟に転属となるまでは青森で活躍していました。1996年~1997年にかけて行われた新潟への485系転属ですが、これは秋田新幹線開業準備などで減便となった「たざわ」用編成の余剰車などが中心となっているはずでため、秋田車が大半を占めています。そんな中で青森から新潟への転属となった車両ですが、これはこの車両が属していた青森A8編成が3000番台改造を受ける際、床下機器の異なる300番台を3000番台に改造するのを意図的に避けたものと思われ、この車両が新潟へ転属となったのと同時にクハ481-1005が新潟から青森へ転属し、3000番台改造を受けA8編成の先頭に立っています。一方、クハ481-342といえば、新潟に転属し当時のT13編成の先頭に立ちます。そして新潟での3000番台改造が始まり、T13編成はその改造種車に抜擢。2001年に3000番台へ改造され、クハ481-3342となりました。3000番台のへの改造を避けるために転属した車両が最終的に3000番台に改造されるという、奇異な運命をたどっています。青森に在籍していた名残として、雨どいが曲がっているのが特徴。逆に新潟から青森へ移ったクハ481-1005は雨どいが曲がっていないという特徴もあります。


モハ485-3034(5号車)
種車:モハ485-1034
種車は1979年に青森に配置され、1998年に秋田に転属。1997年に新潟へ転属となり、2001年に3000番台へと改造されます。3000番台化の際、隣のクハ481-3342とデッキが重なることから、この車両のトイレ・洗面台を撤去し荷物室(という扱いですが、実際はデッキの空きスペース)を設置しています。外観ではトイレタンクが撤去されているのが特徴。R25編成だけでなく、R21~R24編成に見られる特徴です。


モハ484-3034(4号車)
種車:モハ484-1034
経歴はモハ485-1034と同じ。こちらの乗務員室窓は原形のまま残っています。新潟車は1997年に新潟に転入してきた車両を中心に組み換えが頻繁に行われたようですが、R25編成の車両はクハ481を除き組み換えは見られなかったようです。


モハ485-3050(3号車)
種車:モハ485-1050
種車は19789年に秋田に配置。1997年に新潟に転属となるまで秋田で活躍していた車両です。新潟転属前に6両編成を組成し、編成ごと秋田から転属となったようで、その際にクハ481-342以外とはすでに編成を組成していたようです。


モハ484-3050(2号車)
種車:モハ484-1050
経歴はモハ485-1050と同じ。3000番台改造時、2号車に当たる車両に車いす対応トイレと多目的室を設置することとなったため、この車両が対象に。通常のモハ484より定員数が減少していますが、新たに番台を分けるようなことは行われていません。


クロハ481-3008(1号車)
種車:クロハ481-1008←クハ481-1008
種車クハ481-1008は1976年に秋田に配置。1986年にクロハ481-1008に改造されます。クロハ481-1000の末尾番号は、種車の番号に関係なく改造順に付けられていきますが、この車両は偶然にも8番目の改造となったため、改造前と改造後の末尾番号が同じ1008のままになっています。クロハ481-1008となった後、一度1986年に青森に転属し、1988年に再び秋田へ転属。1989年に「たざわ」用に改造されたグリーン車12席タイプの内装を「いなほ」用のグリーン車16席タイプの内装に改造(改番はなし。同様の改造は、クロハ481-1009でも行われています)。1997年に新潟へ転属となり、2001年にクロハ481-3008となります。青森にわずかながら在籍したためか雨どいが曲がっているのが特徴ですが、同様の動きをしたクロハ481-1009の雨どいは原形。謎な部分となっています。



編成表記は左がクロハ、右がクハになります。同じ時期に改造されたR23,R24,R25編成は左の写真のフォントに編成表記が統一されていましたが、2012年検査出場時クハ側のみ右のものに書き換えられました。右のタイプはR26,R27編成と同じタイプになります。


R25編成を改造した時期の編成の特徴として、転落防止幌がついています。各号車間に側面と同じ塗装がされた幌が付いています。この幌、装着以来塗り直されていないようで、汚れが目立ちます。


クーラーは全てAU112に統一されています。一時期クハの運転台側から2つ目のクーラーがAU13ENだった時期もありました(写真手前から2つ目)。


新潟の3000番台は幕故障が目立つのも1つの特徴ですが、R25編成は一時期2号車の側面方向幕が故障?し塞がれていました。現在は復旧しています(写真は2013年4月撮影)。


R21,R22,R23,R25編成は5号車トイレが撤去されていますが、撤去個所には写真のように荷物室が設置されています(写真左。この部分はR21編成とR22,R23,R25編成で床デザインが異なります)。
荷物室の反対側は乗務員室となっています(写真右)が、普段は使われていないようです。


R25編成のクハ、クロハは乗務員扉の部分の雨樋の形状がやや異なっています。このタイプの雨樋はR28編成と青森車485系を中心に見ることができることから、青森で改造されたものと見られます。

こちらはR21編成の雨樋。上のR25編成のものと比較すると違いが分かると思います。


運用は特急編成として「いなほ」「北越」を担当。T13編成時代に「みのり」を担当した他、中越地震の際に長野~新潟を越後線経由で走った臨時快速にも充当され、長野乗り入れを果たしています。2010年頃から8両増結運用にも充当され、8両編成で大阪乗り入れも行うなど、運用範囲はかなり幅広いです。また、2010年秋に「くびき野」代走も行っています。


検査明けの綺麗な姿で走るR25編成。他の編成と比べ故障率が高いようで、運用に入らない期間がやや多いのが心配ですが、2014年3月に無事検査出場。そのためか2015年3月改正後も糸魚川快速として活躍を続けてきましたが、2015年6月にR26編成の運用復帰と入れ替わりに運用離脱。現在は長岡に疎開回送されています。同じく長岡に疎開されていたR27編成や、石打に疎開されていたR23編成がすでに廃車回送を終えているところを見ると、先行きはあまりよくないのかもしれません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿