ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

きょうとあしたの間(アイダ)

2018年01月17日 19時29分25秒 | ことば
きょうという日が何月何日であるかを知らない人はまずいないだろう。
きょうは1月17日である。これはカレンダーを見なくてもたいがいの人はわかる事である。
それでは明日は何日だろうか。これもすぐわかる。
1月17日の次に来る日は1月18日との答えが返ってくる。

それでは明日を人は手に入れることが出来るのだろうか。
あすになれば、その日になったとたんに、あすはきょうになってしまうので、あすを手に入れることが出来ない、とする論理が成立する、と考える事も出来るので、人は永遠に明日を手にすることは出来ない。

はたしてこの考えは正しいのであろうか。
何か論理のまやかしにとらわれている錯覚に陥ってしまいそうである。

「きょうとあしたの間」というのが、本日のブログのタイトルなのであるが、これをもっと大きな時間の区分で考えてみる事にしましょう。

江戸時代と明治時代との間を考えてましょうか。
その二つの時代は連続してはいますが、その連続性は単純な連続でないことは、政治の仕組みや社会の在り方には大きな違いがあります。
幕末の15年の間に、日本の社会は大きな変化をしました。
ペルーが率いるアメリカの軍艦が浦賀沖に来てから、国家の主権は15年の短期の期間で、変わってしまったのです。

それでは、この考えは、きょうとあしたとの間にも適用できるのでしょうか。

きょうとあしたには時間の連続性があるのは確かですが、明日をも知れない時を過ごしている人達がこの世界のどこかにいることを考えれば、単純な時間の連続性でない事に思えるのです。



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