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たいちゃんの奥の細道

~人生、すなわち旅也~

そして3連休・・・(前編)

2012年10月11日 19時25分01秒 | 日記
偽物とわかっていても、男には立ち向かわなければならないときがある


先週は3連休です。
土日、そして未だに体になじまない「体育の日」です。


「体育の日は10月10日だろ・・・」


そんな3連休を一挙に振り返ります。

10月6日(土)
朝から散髪、その前に実家に米を取りに行きます。
もうすぐ新米の時期に、古米が20kg・・・
ええぃ、食べてしまいましょう!!

散髪は行きつけの理容院。
誕生日月ということで10%offとちょっとお得です。

午後は山口井筒屋に友達の結婚祝いを買いに行きます。
何にしようか悩んだ末に、旅行券に決定!!

お買い物が済んで、自宅に戻り、嫁の実家の犬の「あられ」の散歩に行きます。
犬とチョット激しく遊んで、くたびれて帰宅
気がつけば夕食の時間でした。



10月7日(日)
今日は嫁と萩の「竹灯路物語」を見に行く約束をしています。
イベントは夕方からなので、午前中は山口市で行われている骨董市を見に行きます。


はなっから、掘り出し物を見つける気は無いんです、はい
何となく気になった徳利を手にしたとき、店のおじさんが、

「それ、庄三(しょうぞう)画だよ」と言ってきます。


「だれだ、庄三って・・・(心の声)」


何となく九谷焼ってのは判るのですが、作者を見抜くまでの眼力はありません。
おじさんは横に置いてあった茶碗とセットでの購入を勧めてきますが、結局、徳利のみを1,000円ほどで購入です。






帰ってネットで調べてみます。

『九谷焼 庄三』   検索(ポチッとな・・・)

wikってみると・・・

九谷庄三(くたにしょうざ、文化13年(1816年)-明治16年(1883年)は、寺井村(現在の能美市寺井町)の農家に生まれた。17歳の時に小野窯に陶匠として招聘される。後に窯業の指導に諸国から招かれるが、能登の火打谷(現在の志賀町)で、能登呉須と呼ばれる顔料を発見。後の九谷焼に多大な影響を与える。26歳で故郷に戻り寺井窯を開いた。西洋から入った顔料を早い時期から取り入れ 彩色金欄手を確立し、庄三風と呼ばれる画風は後に西洋に輸出される九谷焼の大半に取り入れられることになる。

そんな人の作品は、骨董市で1,000円なんかで売ってないでしょ!!
(おまけに「しょうぞう」ではなく「しょうざ」だし)



それでも、部屋の飾りついでに、お買い上げです。

4時から萩に向かい、ユニクロでお買い物、田町萩焼祭り・笠山からの夕日、そして萩ガラス工房をざっと見て回ります。


夕食は魚をたべようと「はだの」へ。
お客さんがいっぱいで、おばさん2人が走り回ってました。

そして「萩・竹灯路物語」


城下町に竹灯籠を並べる、ありがちなイベントですが、なかなか綺麗です。
なんか、ホッコリと満足して帰宅です。



さて3日目・・・


ああっ、夕食の準備ができちまった!!
続きは後日♪








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