サマール日記(ブログ版)

チョイさんのフィリピン・サマール島での滞在記録

「東サマールで元日本兵の遺骨50体あまり発見」の報道をめぐって

2006年04月20日 | サマールと戦争

 先週の金曜日(14日)、九州の久留米まで行ってきました。

  2001年7月26日の毎日新聞に、「フィリピン中部の無人島で50体余りを確認、鑑定を依頼」という報道がありました。東サマールのホロアン島の洞窟で、元日本兵と思われる遺骨が50体も出てきたというのです。この辺りは、大戦当時、沖合いで戦艦大和などの連合艦隊と米軍との大海戦(レイテ沖海戦)が戦われたところで、その際、日本の艦船が沈み、多数の乗員が島に泳ぎ着いて亡くなったのではないかという記事でした。

 また、同年9月5日の同紙「記者の目」欄には、この東サマールの遺骨収集に同行した記者の、「靖国参拝よりも遺骨収集だ」という大きな署名記事が掲載されています。ここでは、作家・安岡章太郎の「(彼は直前に病に倒れて内地に送還されるが、彼がいた師団は)レイテ決戦に投入され、連隊2500人中、生き残ったのはわずか37人だった」などという談話も載っています。

  当時から、この記事のことが気になっていました。一度、そのホロアン島にも行ってみたいと思って調べていたのですが、最近になって、やっとこの遺骨を発掘をされたSさんの連絡先が分かったのです。

  ちょうど九州に行く機会があり、久留米のSさんを訪ねたのですが、結局、「徒労」でした。Sさんは、遺骨のDNA鑑定までされたのですが、骨が古すぎて鑑定できなかったそうです。大戦当時よりずっと古いものだったのです。昔からこの辺りには、遺体をそのまま洞窟に風葬のように安置する習慣があったので、あるいはそのような遺骨かもしれないということでした。

  Sさんは、この10年ほど、レイテ島を中心として遺骨の発掘作業を続けておられます。長くそんな活動をされていると、現地の人たちから、様々な情報が持ちこまれてくるそうです。しかし、ほとんどは、お金目当てのガセネタとのことです。レイテ島などでは、謝礼目当てに遺骨や遺留品を掘り起こす住民らもいるといわれています。今回の東サマールの大量の日本兵の遺骨発見の情報も、結局はそうしたガセネタの一つだったということでした。

  Sさんは、元日本兵が生存しているとの情報で、サマールも3ケ所まわったそうです。昨年、ミンダナオ島での元日本兵生存情報で大騒動を起こしたあの日本人も、最近、Sさんに連絡をとってきているとのことでした。

 それでも、Sさんからは、レイテ島の戦跡に関する多くの情報を教えてもらいました。京都の部隊、陸軍第16師団が壊滅したレイテ島のそれらの戦跡を、次回にでも、じっくりと回ってみたいと思っています。

  また、同時に、『もう一つのレイテ戦』(日本軍に捕らえられた少女の絵日記)のフェリアスさんの記録や、2月にリラフィリピーナで聞いたレイテ島出身の何人かの戦時性暴力被害者のロラ(お婆さん)たちの証言がどうしても忘れられません。昨年12月に、レイテのブラゥエンの町を訪ねたことは、「チョイさんのサマール便り」にも書きました。この町には大戦当時、京都の陸軍第16師団が駐屯していたのです。レイテ島東部では最大の激戦地で、今も多くの慰霊碑が建っているのですが、同時に、フェリアスさんら多くのロラたちが性的被害を受けたところでもあるのです。

  元日本兵の戦記はもちろん、大岡昇平の『レイテ戦記』や京都新聞社の『防人の詩』などにも、こうした被害女性の話はいっさい出てきませんが、レイテの戦跡を訪ねる際には、彼女らが拘束され被害を受けた場所も確認して回るつもりです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。