もうそろそろいいでしょう。
いよいよ、サマール紀行の後日談を解禁します。
今回は、14日(日)の飛行機でマニラから帰ってきたのですが、16日(火)の朝、サマールに一緒に行ったN(夫)さんから突然電話がかかってきました。
「えらいこっちゃ。今なあ、北保健所から電話があって、マニラから帰ってきた飛行機の乗客が、新型インフルエンザを発症したらしいんや。それで、俺の席が、その乗客から2m以内やったということで、俺は濃厚接触者ということになったらしい。今から保健所の職員らが来るそうや。」
飛ぶほど驚きました。少し前の、あの月面探検の宇宙服のような物々しいかっこうをした連中がやってくるのでしょうか?
「えー、隔離されるんか?」、「いや、まだ何も分らん。」
帰国便の座席は、窓際からKさん、私、N(妻)さん、そして通路を隔ててN(夫)さんでした。彼が濃厚接触者というのなら、我々もきわどいものです。半径2mと、半径2.5mでどう違うというのでしょうか? それに、以前は、もっと大きい半径の範囲を濃厚接触者としていたはずです。
それに、私は、今、京都ではひとり住まいですから、もし、自宅に保健所から電話があっても、留守番電話で夜まで聞けません。今日も、いろんな人に会う用があるので、もし、私の方にも連絡が来ているのなら、万一、何かあったら迷惑をかけるので、そんな大勢の人に会うわけにもいきません。
仕方がないので、北保健所に電話してみました。
私:「一緒に飛行機で帰ってきた友人が感染の恐れがあるというが、私はそのすぐ近くに座っていた。問題はないのか?」
北保健所:「いや、国から連絡があったのは、その方だけです。」
私:「すぐに横にいたのですよ。それなら、何も気にせず、普通にしていてもいいのか? もし、家に保健所から電話をもらっても、誰もいないから今、電話しているのだ。」
北保健所:「いや、あの、その、国からはその方に連絡をするようにという連絡があっただけですから。--- 一寸待ってください、上司と相談してみますから。」
ところが、長く待たされている間に、突然、電話が他の部署にまわってしまったのです。
北保健所:「はい、こちら保健所ですが。どういうご用件ですか?」
私:「えー、どうなってるのか? 新型インフルエンザの相談窓口に電話をしていたら、待たされているうちに違う部署にまわってしまったのか?」
北保健所:「それなら、お待ちください。」
それでも、電話はそのまま応答なし。しびれを切らして、今度は居住地の洛西保健所に電話してみました。
ここでも、「国から、何の連絡もありません。」というだけで、どういう注意をすればいいのかというアドバイスすらないのです。そして、ここでも、「ちょっと待ってください。上司と相談しますから。」と言って待たされるのです。埒が明かないので、電話を切りました。私もかっては市職員でしたから、彼らの悪口は言いたくないのですが、せめて、もうちょっとキチンとした対応をしてもらわないと困ります。
しばらくして、N(夫)さんから、電話がかかってきました。
N:「北保健所が来たけど、毎日、朝夕、熱を測れというだけで、どこへ行っても、何をしてもいいらしい。それに、保健所の連中、マスクもせんと来よった。どうなってるんや?」
濃厚接触者だというのに、こんな程度なのです。少し前のあの大騒ぎはいったい何だったのでしょうか?
それで、もう何も気にせず、夕刻、馴染みの店にビールを飲みに行きました。サマールの土産話をしたのですが、誤解を招いてもいけないので、もちろん、Nさんのインフルエンザ疑惑については触れませんでした。
ところが、しばらくすると、今度は、N(妻)さんから電話がかかってきたのです。
「彼、熱が出てきた。夕方から、37.3度ある。」
エー、それはヤバイ。発症者の2m以内にいたものが、2日後に発熱したのですから、インフルエンザに感染したことがかなり疑われます。
そうすると、玉突きで、今度は私が濃厚接触者ということになります。明日、大事な裁判と、TM訴訟の弁護団会議があるのです。いったいどうしたらいいのでしょうか?
夜遅く、帰宅しましたが、留守番電話には何も入っていませんでした。1mほどの違いで、私は濃厚接触者という定義にはされなかったようです。
Nさんに電話をしたのですが、やはりまだ熱があるとのこと。これは困りましたね。
私が発症した後のことに思いがめぐります。まさか、沖縄に帰って入院できないし、京都で一人で入院すれば、義母の介護があるので登久子も来るわけにはいかないし、いったい誰が私の世話をしてくれるのでしょうか? 困った、困った。
こんなことをくだくだ考えながら、遅くまで一人でウィスキーを飲み続けました。気のせいか、どうも熱っぽいような---
そして、翌朝、Nさんから電話。
N:「もう熱はないわ、下ったわ。」
私:「それやったら、なんで熱でたんや?」
N:「いや、外でビール飲んでたんやけど、夕方の熱を測って保健所に電話する時間がせまってきたので、急いで走って家に帰ったんや。そのためやと思う。」
まあ、ともかく、良かった、良かった。
こうして全て一件落着。なんとか、笑い話で終わりました。
パフォーマンスだけに明け暮れた、少し前の大騒ぎの馬鹿馬鹿しさを実感した今回のインフルエンザ騒動でした。
いよいよ、サマール紀行の後日談を解禁します。
今回は、14日(日)の飛行機でマニラから帰ってきたのですが、16日(火)の朝、サマールに一緒に行ったN(夫)さんから突然電話がかかってきました。
「えらいこっちゃ。今なあ、北保健所から電話があって、マニラから帰ってきた飛行機の乗客が、新型インフルエンザを発症したらしいんや。それで、俺の席が、その乗客から2m以内やったということで、俺は濃厚接触者ということになったらしい。今から保健所の職員らが来るそうや。」
飛ぶほど驚きました。少し前の、あの月面探検の宇宙服のような物々しいかっこうをした連中がやってくるのでしょうか?
「えー、隔離されるんか?」、「いや、まだ何も分らん。」
帰国便の座席は、窓際からKさん、私、N(妻)さん、そして通路を隔ててN(夫)さんでした。彼が濃厚接触者というのなら、我々もきわどいものです。半径2mと、半径2.5mでどう違うというのでしょうか? それに、以前は、もっと大きい半径の範囲を濃厚接触者としていたはずです。
それに、私は、今、京都ではひとり住まいですから、もし、自宅に保健所から電話があっても、留守番電話で夜まで聞けません。今日も、いろんな人に会う用があるので、もし、私の方にも連絡が来ているのなら、万一、何かあったら迷惑をかけるので、そんな大勢の人に会うわけにもいきません。
仕方がないので、北保健所に電話してみました。
私:「一緒に飛行機で帰ってきた友人が感染の恐れがあるというが、私はそのすぐ近くに座っていた。問題はないのか?」
北保健所:「いや、国から連絡があったのは、その方だけです。」
私:「すぐに横にいたのですよ。それなら、何も気にせず、普通にしていてもいいのか? もし、家に保健所から電話をもらっても、誰もいないから今、電話しているのだ。」
北保健所:「いや、あの、その、国からはその方に連絡をするようにという連絡があっただけですから。--- 一寸待ってください、上司と相談してみますから。」
ところが、長く待たされている間に、突然、電話が他の部署にまわってしまったのです。
北保健所:「はい、こちら保健所ですが。どういうご用件ですか?」
私:「えー、どうなってるのか? 新型インフルエンザの相談窓口に電話をしていたら、待たされているうちに違う部署にまわってしまったのか?」
北保健所:「それなら、お待ちください。」
それでも、電話はそのまま応答なし。しびれを切らして、今度は居住地の洛西保健所に電話してみました。
ここでも、「国から、何の連絡もありません。」というだけで、どういう注意をすればいいのかというアドバイスすらないのです。そして、ここでも、「ちょっと待ってください。上司と相談しますから。」と言って待たされるのです。埒が明かないので、電話を切りました。私もかっては市職員でしたから、彼らの悪口は言いたくないのですが、せめて、もうちょっとキチンとした対応をしてもらわないと困ります。
しばらくして、N(夫)さんから、電話がかかってきました。
N:「北保健所が来たけど、毎日、朝夕、熱を測れというだけで、どこへ行っても、何をしてもいいらしい。それに、保健所の連中、マスクもせんと来よった。どうなってるんや?」
濃厚接触者だというのに、こんな程度なのです。少し前のあの大騒ぎはいったい何だったのでしょうか?
それで、もう何も気にせず、夕刻、馴染みの店にビールを飲みに行きました。サマールの土産話をしたのですが、誤解を招いてもいけないので、もちろん、Nさんのインフルエンザ疑惑については触れませんでした。
ところが、しばらくすると、今度は、N(妻)さんから電話がかかってきたのです。
「彼、熱が出てきた。夕方から、37.3度ある。」
エー、それはヤバイ。発症者の2m以内にいたものが、2日後に発熱したのですから、インフルエンザに感染したことがかなり疑われます。
そうすると、玉突きで、今度は私が濃厚接触者ということになります。明日、大事な裁判と、TM訴訟の弁護団会議があるのです。いったいどうしたらいいのでしょうか?
夜遅く、帰宅しましたが、留守番電話には何も入っていませんでした。1mほどの違いで、私は濃厚接触者という定義にはされなかったようです。
Nさんに電話をしたのですが、やはりまだ熱があるとのこと。これは困りましたね。
私が発症した後のことに思いがめぐります。まさか、沖縄に帰って入院できないし、京都で一人で入院すれば、義母の介護があるので登久子も来るわけにはいかないし、いったい誰が私の世話をしてくれるのでしょうか? 困った、困った。
こんなことをくだくだ考えながら、遅くまで一人でウィスキーを飲み続けました。気のせいか、どうも熱っぽいような---
そして、翌朝、Nさんから電話。
N:「もう熱はないわ、下ったわ。」
私:「それやったら、なんで熱でたんや?」
N:「いや、外でビール飲んでたんやけど、夕方の熱を測って保健所に電話する時間がせまってきたので、急いで走って家に帰ったんや。そのためやと思う。」
まあ、ともかく、良かった、良かった。
こうして全て一件落着。なんとか、笑い話で終わりました。
パフォーマンスだけに明け暮れた、少し前の大騒ぎの馬鹿馬鹿しさを実感した今回のインフルエンザ騒動でした。