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サマール日記(ブログ版)

チョイさんのフィリピン・サマール島での滞在記録

孤高の島・カプルへ

2008年08月11日 | フィリピン各地への旅
 8月11日~12日と、北サマールのカプル島に行きました。
 4年前のフィエスタに来て、コラッチャを踊って以来です。
 今回、あの美人の町長さんは、もう3期で引退されていましたが、あいかわらず原色の綺麗な服を着て、「おおー、チョイ! 久しぶりね。」と迎えてくれました。
 


(カプル島には、16世紀に建てられた古い教会が今も残っている。横の鐘楼は15世紀時代のものという。)

 この島については、「チョイさんのサマール日記」(2005年6月14日)にも書きましたので、その部分を再掲します。
 http://kyoto-samar.hp.infoseek.co.jp/newpage128.htm

 

「サマールで私のお気に入りの島は、北サマールのカプル島です。ルソン島とサマール島の海峡に面しているため、渦をまきながら流れる潮流や、太平洋から内海のマトバト島まで、マヨン火山を背景にして、180度の豪快な眺望が楽しめるところです。
 スペインの植民地時代は、中国からメキシコへ向かうガリオン船の寄航地で、15世紀に建てられたという古い教会もそのまま残っています。交通の要所にあるため、第2次大戦当時は、日本軍とアメリカ軍の間で争奪戦が繰り返され、北の岬には、今も日本軍の砲台跡が残っています。

 カプル島は、早い潮流や、冬季は北東のアミハンという季節風が吹き荒れるために、船が着くことができず、島は孤絶します。こうした地理的条件と古い歴史からか、島では、ワライ語ではなく、アバクノン語という独自の言葉が今も使われています。アバクノン語で書かれた聖書も見せてもらいましたが、人口も1万人足らずの小さな島なのに、独自の文化や言葉が今も続いているのには驚きます。

 いつもカプル島に行くと、華やかな原色のドレスを着てパラソルを持った町長さんが迎えてくれます。派手な身振りの美人の町長さんや、陽気な女医さん、そして商売人の神父さんなど、まるでお芝居の舞台に入ったような不思議な雰囲気の楽しい島です。」


(教会の中庭には、スペイン時代の大砲の砲身が無造作に転がっていた。案内してくれたのはマルロンという議員さん)



(小さな島だが、12も小学校がある。陽気な子どもたちであふれていた。)

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刺青の村

2008年03月16日 | フィリピン各地への旅


カリンガのティングラヤンの町では、ガイドに雇った男の家で夕食をご馳走になった。
 写真は彼のご両親。2人は、今、77歳。彼のお母さんも、見事な刺青をしていた。
 2人に戦争当時の話を聞かせてもらった。
 当時、日本軍が来るというので、村人たちは皆、山に逃げたという。日本軍は、谷の入口にテントをはってしばらくこの町に滞在していたらしい。村人には犠牲者はいなかったそうだが、豚などの家畜を全てとられてしまったという。



 今もお婆さんたちの多くは、刺青が残っている。結婚前に入れるという。



 男たちの刺青は、首狩をした勇者を称えるものという。
 この付近では、昔から村落間戦争がよくあり、首狩が行われていたらしい。(ボントクの博物館には、当時の首狩の写真が展示されている。)
 写真の男性はアヤットさん(88歳)。戦争当時、ゲリラとして日本軍と戦ったと胸をはった。

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ボントクからチコ川の大渓谷を下り、カリンガへ

2008年03月15日 | フィリピン各地への旅


 バナウェから高原の道をジプニーで3時間。マウンティンプロビンスの中心地、ボントクの町(標高900m)に着いた。
 明日は、大崎正治さんの「フィリピン国ボントク村---村は『くに』である」の舞台、マリコン村を訪ねようと思ってジプニー乗り場などを確認していたが、宿で、フランシスというガイドに誘われ、彼の出身地・カリンガへ1泊で行くことにする。『地球の歩き方』には紹介されていないところなのが気にいった。




 15日、ドイツ人、オランダ人のカップルと一緒に、ボントクから、ジプニーの屋根にあがり、チコ川の大渓谷を下ってカリンガ州に向かう。この深い谷には、マルコス時代にダム計画が立てられ、人々は武器を持って政府軍と闘ったという。ダム計画は撤回され、今も、その記念碑が残っていた。

 ボントクから3時間、カリンガ州のティングラヤンの町に着いた。道路には一面にコーヒーが干されている長閑な町だ。
 宿に荷物を置いて、周辺の棚田の村を訪ねた。
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棚田

2008年03月14日 | フィリピン各地への旅






 バナウェ周辺の棚田は世界遺産。これだけの水田に均等に水をまわす技術に驚く。
 ガイドを雇って、タムアンからポイタンの村を歩いた。
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マニラから夜行バスでバナウェへ

2008年03月13日 | フィリピン各地への旅
 午後、カルバヨグを発ち、エドガルさんの家に荷物を置かせてもらって、そのまま夜行バスに乗り込む。
 朝の7時頃にバナウェに着く。標高1200mの高原の町。ひんやりとしてここちよい。ホテルのテラスからは、深い谷と棚田が見渡せた。

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サマールに出発! スラム街を縫うトローリー(人力台車)

2007年01月23日 | フィリピン各地への旅

(マニラの鉄道線路では、トロッコがスラムの人たちの交通手段)

 今日、関空からマニラに向かいます。今回は、京都新聞のHさんと、Sさん母子、Sさんの弟さんの4人と一緒。Sさんの息子のR君はまだ3歳、今までにサマールに来た人の中では最年少です。

 午後、マニラに着いて、エドガルさんの家に荷物を置いてからみんなでサンタメサにでかけました。マラカニアン宮殿の近くです。
 この付近の鉄道線路は、両側にスラムがぎっしりと並び、鉄道線路は人々の生活の場。人々はトローリ(トロッコ)で行き来します。もちろん「違法」なことですが、人々にとっては重要な移動の手段です。
 電車が来ると、ヒョイとトローリを線路から外して電車をやりすごし、電車が通り過ぎるとすぐに元に戻すのです。

 かってはマニラ首都圏の各地で見られたそうですが、線路脇のスラムの撤去とともに消えてしまい、今ではこの付近にしか残っていません。しかし、ここも、今年の4月、周辺のスラムが撤去されるのでトローリも無くなってしまうとのこと。その最後の様子を映像に残そうとやってきたのです。

 1台のトローリに7~8人が乗り込んで、後ろから男が押してくれます。もう夕暮れが迫り、線路脇には一日の仕事を終えた人々の陽気な風景があふれています。子どもたちは線路上を走り回り、その横では大人たちがギャンブルに熱中しています。走るトローリから手が届きそうなところで、お母さんたちが夕食の準備をしています。その横では、素っ裸の子どもが水浴び。わくわくするような光景が続きます。
 ビデオを向けていると子どもたちが大騒ぎで手を振ってくれます。トローリは、そんな人々の間を潜り抜けるようにして走り続けるのです。
 マニラではスラムがどんどん撤去されているのですが、このトローリが無くなるのは寂しいですね。

 

 

 

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