サマール日記(ブログ版)

チョイさんのフィリピン・サマール島での滞在記録

ウイ市長暗殺事件のその後(5日付のマニラ新聞)

2011年05月05日 | Weblog

以下、3月5日付のマニラ新聞です。

「ビサヤ地方サマール州ヒナバガン町で同州カルバヨグ市のウイ市長が拳銃で左胸を撃たれ死亡し、同州のババルコン州議も負傷した事件で、国家警察東ビサヤ地域犯罪捜査隊は4日、目撃者の情報から容疑者の似顔絵を複数作成し公開した。またヒナバガン町のアバルラティゲ町長は、犯人特定、逮捕につながる有力情報提供者に10万ペソの報奨金贈与を決めた。
 うち1人の容疑者は、身長150~160センチ、年齢35~40歳ほどの男性だという。
 同市長らが出席していた同町のイベント開始前に、自治体庁舎にイベントのゲスト名簿を求め、拒否され憤慨した男性や、事件発生直後にイベント会場から逃走する黒いジャケット姿の不審な男性3人組などが目撃されている。
 国家警察は情報提供を呼び掛けている。
 ウイ市長は4月30日夜、同庁でフィエスタ関連の行事に参加中、拳銃で撃たれ死亡した。同市長は2010年5月の就任後、タン同州知事の不正疑惑を公然と避難。リコール運動も主導していた。」


ウイ市長が殺された状況が判明

2011年05月03日 | Weblog

 

       (1994年、初めて会ったウイ市長(右端))

 4月30日の夜、フィリピン・サマールのウイ市長が殺されてしまった。

 このニュースを一昨日にブログに書いて以来、多くの方から、問合せをいただいた。私と一緒にサマールに行き、ウイ市長を知っている人は多い。 彼とは、1994年以来のつきあいだから、残念でならない。今すぐにでも、サマールに飛んで行き、彼の葬儀に参列したいが、今は、どうしても日本を離れることができない。

 その後、彼が殺されたときの状況が次第に分ってきた。

 彼は、カルバヨグ市長の後、3期続けた国会議員から、昨年、再度、市長に当選して以来、タン州知事の不正疑惑を追及し、リコール運動をすすめていた。昨年の秋頃からは、リコールが成立した場合、ウイが知事選に立候補するというウワサが公然と言われていた。ただ、現在、州知事のタンは、もともとは、リベラルパーティの同志で、私も、何回か、ウイの家で会ったことがある。それが、今では、血みどろの争いに突入しているのだから、フィリピンの政治は、まるで分らない。

 その日、ウイは、カルバヨグの南方の町で、副知事に立候補する予定の州議と一緒にフィエスタに参加している時、突然、射殺されたようだ。犯人は逃げたというが、彼は、いつも、多くのガードマンに囲まれていたから、何故、そんなに容易く撃たれてしまったのか、また、犯人を何故、逃がしてしまったのか、全く信じられない。

 いずれにしろ、これから報復が始まり、サマールの治安が悪くなることが心配でならない。

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参考までに、以下、2日のマニラ新聞を転載する。

 「 ビサヤ地方サマール州ヒナバガン町で4月30日夜、同州カルバヨグ市のウイ市長が拳銃で左胸を撃たれて死亡した。近くにいた同州のババルコン州議も銃弾で右腕を負傷した。
 ウイ市長は2010年5月の就任後、タン同州知事の不正疑惑を公然と非難。リコール運動も主導し、やり直し知事選が実現した場合、出馬の予定だった。
 同市長は政権与党自由党(LP)の所属。アキノ大統領は1日、バカルゾ国家警察長官に「迅速な逮捕と(報復を含めた)暴力事件の再発防止」を指示した。
 タン知事は、最大野党ラカス・カンピCMD所属。
 国家警察の調べでは、ウイ市長とババルコン州議は事件当時、ヒナバガン町でフィエスタ関連の行事に参加中だった。同日午後9時半ごろ、拳銃で武装した男性が近づき、2人に向けて発砲した。男性は走って逃走したという。
 ウイ市長はレイテ州タクロバン市内の病院へ運ばれたが、1日午前1時ごろ、死亡が確認された。」

 

また、地元紙は、彼の死後の状況を次のように伝えている。

Leyte Samar Daily Express 2011.5.3


思いはつきない ウイ市長との17年

2011年05月01日 | Weblog

                         (カルバヨグのウイ市長と (1996年 市長室で))

 朝、メールを開くと、サマールのレイから、とんでもない衝撃の知らせが届いていた。カルバヨグのウイ市長が昨夜(4月30日)、射殺されたというのだ。あまりのことにもう言葉もない。

 私は、1994年に初めてフィリピン・サマールに行ったのだが、彼とはその時以来の付き合いが続いていた。彼は、1993年から3期(9年)カルバヨグ市長を務め、その後、3期、国会議員。そして、昨年、再び、カルバヨグ市長に戻ったばかりだった。(フィリピンでは、政治家のポストは3期までと決められている。) 現在、確か、59歳のはずだ。

 彼との、この17年間の付き合いの思い出はつきない。

 1995年当時、私は京都市の職員だったが、ウイ市長の招待により、カルバヨグ市役所の都市計画・開発局に1年半、派遣された。その際、彼は、なかなか京都市の決定が出ないことに業を煮やし、なんと、訪日して京都市を表敬訪問し、直接、要請しくれたのだ。彼のそんな熱意もあって、私のカルバヨグ派遣は実現したのだ。

 京都では、私の家にも来てくれたし、当時、私がカルバヨグに行った際には、彼の家に長く泊めてもらっていた。国会議員になってからは、さすがに彼も忙しく、また、ほとんどマニラにいたので、なかなか会えなかったが、フィエスタの時など、よく、JAPSAMの学生などをつれて、彼の家を訪ねていた。当時から、深刻な政争が続き、彼の家もきわめて厳重な警戒態勢がとられていたが、私は、いつもフリーパスで、彼の個室まで、ずかずかと入って行っていた。彼は、酒を飲まなかったが、私が行くと、いつもボディガードにビールを買いに走らせ、カニやエビをご馳走してくれた。

 そんな彼が殺されてしまった。ああ、無念でならない。 

 ただ、心配は、リベラルパーティのリーダーだったウイが殺されたことより、報復が始まるのではないかということだ。

 

 (「謝罪と友好の碑」の除幕式。ウイ市長は左から3人目 (1995年12月))

 (左端は、娘のジェシカ。(2001年9月))

 (私のバイオガス事業の完成記念式典には、忙しい中、わざわざマニラから戻って参加してくれた。(2006年2月))

 (最近も、マニラとの行き来の際、よく一緒になった。(2009年1月))

 


<速報>カルバヨグ市のウイ市長が殺された!

2011年05月01日 | Weblog

 今朝(5月1日)、サマールのレイからとんでもないメールが入ってきました。

 1994年以来、世話になってきたカルバヨグ市のウイ市長が、昨夜、殺されたというのです。

 「 News today in Calbayog is...INING UY was killed last night in Hinabangan..municipal before Calbiga...it was a shocking news we got today...」

  詳しいことはまだ分りませんが、本当にショッキングなニュースです。

 私は、彼が、以前、カルバヨグ市長だったとき、彼の招きで、1年半ほど、カルバヨグ市の都市計画・開発局で働いていまいた。彼は、1995年、来日、私の家にも来てくれたことがあります。

 その後、国会議員になり、3期の任期を終え、昨年から、再度、市長に返り咲いたばかりでした。

 また、詳しい情報が来たら、お知らせします。