サマール日記(ブログ版)

チョイさんのフィリピン・サマール島での滞在記録

サマールからの悲しい報せ

2006年05月28日 | Weblog
 昨日、サマールのベイビーからメールが来ました。悲しい報せです。

 カライマンの事業地の母豚の出産予定は、来月の5日だったのですが、早産で5月24日の深夜に11頭の子豚が生まれたそうです。 しかし、10頭は死産。残る1頭も翌日には死んでしまったというのです。

  深夜から明け方まで6時間もかかった出産だったというのに、みんな死産だったのですから悲しいですね。

  それでもベイビーは、「アナイ(お母さん豚)が元気でよかった!」と言ってくれています。そして5日後には、再度、ブタカル(雄豚)を連れてきて種付けさせるそうです。もう少し休ませたらどうかと思うのですが、アナイも大変ですね。

  もう1頭のアナイが今週末にも出産予定です。今度は元気に生まれてくれと祈るばかりです。




帰国しました

2006年05月10日 | Weblog

 昨夜(もう深夜をまわりましたので、正確には一昨日ですが)、帰国しました。 次回は6月10日にサマールに戻る予定です。しばらくはこのブログもお休みです。

 それでも何か関係することがありましたら、書き込みますので、時々はチェックしてみてください。


速報! 子豚が生まれた!

2006年05月06日 | Weblog

 速報です! ソルソゴンのプロジェクトで飼っていた豚が、昨夜、最初の子どもを生みました。この事業での初めての出産です。

 昨年の5月に買った子豚のうち、3頭をアナイ(母親豚)として残していたのですが、そのうちの1頭に子どもができたのです。なんと一挙に8頭! よくやってくれました。

  昨日が予定日だったので、午後からソルソゴンに行って様子を見ていました。今か今かと待っていたのですが、夜になっても生まれないので、とうとうあきらめて帰ってきてしまいました。リチャードたちは、夜通しつきあうとのことでした。

 そして深夜、もう午前0時の直前だったでしょうか、ベイビーから「生まれたよ! 8頭」という携帯メールが入ったのです。さすがにほっとしました。まるで、初孫を待っているお爺さんのような心境ですね。 今から赤ん坊豚を見にいくところです。また、詳細は後ほど、お知らせしましょう。

 <続報> 今、ソルソゴンから戻ってきたところです。見てきましたよ。8頭の赤ちゃん豚たちが、元気にお母さんのおっぱいを飲んでいました。

  まだ、目が見えていないので、鼻先でお母さんの乳房を探して、必死に乳を飲んでいます。生まれてまだ1日も経過していないのに、もうかなりしっかりしています。4頭はオス、4頭はメスとのことです。

 話を聞くと、昨夜の8時に最初の赤ちゃんが生まれ、それから30分~45分毎に次々と生まれたそうです、最後は午前2時、なんと6時間もかかった出産でした。アナイ(お母さん豚)はさすがにぐったりとして寝そべっています。いや、本当にご苦労さまでした。その周りに、赤ちゃん豚たちが、押し合いながら乳房にむしゃぶりついていました。

 アリスが、お母さんに注射をしたり、アルコールで身体を拭いたり、それこそかいがいしく世話をやいてくれています。私も、思わず、アナイの身体をなでて、「いやあ、ご苦労さん」と、その労をねぎらいました。いつもは、人なつこくて鼻をこすりつけてくるアナイも、さすがに今日はトロンとした目で上目遣いにチラッとこちらを見ただけでした。 

 8頭の赤ちゃん豚たちが、元気に育ってくれますように! そして、アナイ(お母さん豚)が早く回復し、また、一日も早く次の赤ちゃんを!


漁り火の上に南十字星

2006年05月05日 | Weblog

 この時期のサマールの楽しみは、けっこう夜の早い時刻から、南十字星が見えることです。

 もう夜8時頃には、少し左に傾いたその姿を現してくれます。それが夜が更けるとともに、次第に起きあがって、11時頃には、ほぼまっすぐに立ち、深夜からは今度は右に傾いていきます。

 私の部屋は南に面して大きな窓があり一面の海が望まれますから、時々、夜、部屋の灯りも全て消して、窓際に座ってビールを飲みます。沖合いに一面にイカ釣り船の漁り火が並び、その上に南十字星がくっきりと見えるのです。

 明け方の3時。トイレに起きてふと外を見ると、もう漁り火は見えません。そして、南十字星はもう海に沈み、先ほどまで南十字星が見えていたところには、さそり座がくっきりと輝いています。さそり座は、日本では、地平線ぎりぎりの低さなのに、ここでは驚くほど高いところに出てきます。

 そして、その辺りから、天の川が見事な明るさで天空までかけあがっています。しばらくベッドに戻るのも忘れ、呆然と夜空を見続けました。

 今回のサマール滞在も、あと2日。日曜日には、もうマニラに戻らなければなりません。最後の仕事がたまって慌ただしい毎日ですが、こんな静かなひと時こそ、何ものにも代え難いサマールの素晴らしさです。 


ラーニングセンターの運営をトムノム氏に依頼

2006年05月03日 | Weblog

 京都サマール友好協会は、1995年以来、カルバヨグで就学前の子どもたちのためのラーニングセンターを運営してきました。ところが、提携NGOの代表のリトが、この6月からアメリカに行くことになり、センターに係れなくなってしまったのです。もう10年以上続いているセンターで、地域でも期待されているものですから、ストップしてしまうのはあまりに残念です。そこで、カルバヨグ市の社会福祉局長のトムノムさんにお願いしようということとなり、今日、3人で会議を持ちました。

  私は、トムノムさんとももう10年近い知り合いです。毎年、フィエスタや誕生日のパーティにも呼んでいただいているし、JAPSAMの学生たちに、サマールの社会問題などのレクチャーなどをしていただいたこともあります。もともとNGOの代表で、その後、地元の大学で社会福祉を教えられ、もう長く市の局長を勤められていますから、これ以上、適任の方はおられません。

  結局、トムノムさんは、我々の依頼を快く引き受けていただきました。ただ、市のセンターになるのではなく、あくまでも当協会が今までと同じように財政援助を続けていきます。トムノムさんは、個人としてこのセンターに責任を持ってくれるということです。 さっそく6日(土)には、現地で、地元の住民組織のメンバーや、市の担当者、そしてリトや私も交えて、みんなで会おうということになりました。 次回、6月に来たときに運営に関する覚書を交わす予定です。

 これで、私たちのセンターは、無事、続けることができそうで、なんとか一安心です。  


久しぶりに訪れたバンティアン

2006年05月02日 | Weblog

 今日は、バンティアンの村に行ってきました。久しぶりの訪問です。

  拙著『フィリピン・幸せの島サマール』(明石書店)を読んでいただいた方は、「はじめに」で書いた小さな漁村のことを覚えておられるでしょうか? あれがバンティアンの村です。表紙のかわいい子どもたちの写真もこの村で撮ったものです。

 ちょうど10年前、私がカルバヨグ市役所で働き始めた頃、日曜日にはよくバンティアンに来て、エディの家の浜辺でいつもお酒をよばれていました。本当に懐かしい村です。(その後、私が日本に戻ってしばらくしてから、京大のHさんがこの村に2年間も滞在し、フィールドワークをされました。)

 昨日、イーパオのフィエスタに行っていたとき、来客の一人が「明日はバンティアンのフィエスタだ」というのです。「あれ? バンティアンのフィエスタは、確か5月末だったはずだが」と思ったのですが、知人に電話して調べてもらうと、確かに今日に変更になっていることが分かりました。そこで、大慌てで今日の予定を変更して、バンティアンに行くことにしました。

  実は、今年の1月、エディが急死したのですが、その後、彼の家を訪問していないことが気になっていました。奥さんに会って、弔意を伝えるとともに、彼が死んだときの様子を聞いてみたいと思ったのです。

  いつもはひっそりとしたバンティアンの村も、フィエスタに来た大勢の人たちであふれています。マンゴーの木が茂った村を歩くと、コンクリートの立派な家が増えたことに驚きます。私の本の表紙写真では、海岸には全てニッパ椰子の家が並んでいたのですが、この10年でずいぶん変わってしまいました。

  まず、Hさんがお世話になった、前のバランガイキャプテンのイダイさんや、アリスさんの家を訪ねました。特にフィエスタの料理を用意されているわけではありませんが、やはり食事に誘われます。食べないのは失礼だから、ほんの少しずつご馳走になります。陽気なアリスさんの「失恋」話に、みんな大笑いです。

  そして、エディの家に行きました。奥さんが、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれます。部屋の一角には、サントニーニョの聖像の横にエディの写真が飾られていました。フィエスタだからでしょうか、ご馳走も供えられています。

  ここでも食事をよばれた後、エディの話を聞きました。去年のクリスマスの後に突然、入院。そして1月18日にはもう死んでしまったそうです。肝臓癌とのこと。まだ、51歳の働き盛りだったのに---。そしてなんと、もし彼が生きていたら、今日がちょうど誕生日だったというのです。フィエスタと誕生祝いが重なって、どんなに賑やかだったことでしょう。その話をしてくれたときには、さすがに彼女も涙ぐんでいました。

 フィエスタの昼下がり、あちこちから人々のざわめきや、ボリュームをいっぱいにあげたビデオケの音楽が聞こえます。エディの家でも、娘たちがマイクで歌いはじめました。父親を亡くして大変でしょうが、彼女らのこれからの人生が平穏で幸せなものであるよう祈るばかりです。     


今日もフィエスタ、明日もフィエスタ

2006年05月01日 | Weblog

 昨日の日曜日(30日)は、午後、カライマンの事業地で、お母さんたちの管理組合のミーティングが開かれました。管理人は1週間単位で交代しますから、毎週、日曜日にミーティングをして引継ぎをするのです。私は、1ケ月ぶりの参加です。

  いつものようにお喋りがはずんで、なかなか話がまとまりませんが、それでも、みんなこの施設ができて本当に喜んでくれていることが分かりました。「トイレのある生活は生まれて初めてです。」「燃料を買わなくてもいいので、バイオガスは本当に助かります。」

  こんな話を聞くと、なんとかこの施設が、日本からの援助がなくなっても、住民らの手で長く運営できるよう、その基盤作りのために、もうひとふんばりしようと励まされます。

  ミーティングの後は、地主さんの息子の家に呼ばれ、酒盛りが始まりました。 この辺りは海岸に近いですから、夕刻になるとあちこちに露店が出て、獲れたての魚を売っているのです。そんな魚をココヤシの炭で焼いてバーベキュー。道端にテーブルを出してビールを飲んでいると、村の人々や子どもたちがひっきりなしに前を通り、賑やかな会話が始まります。

 普通では分からないいろんな情報が入ってくるのはこんなときです。昨日驚いたのは、つい5日前に近くの9歳の子どもが毒蛇(コプラと言っていましたが)に咬まれ、カルバヨグにはワクチンがないので、4時間後には死んでしまったという話でした。こんな深刻な話も、村人たちの間ではいろんな噂話の一つ。話は、次から次へと移っていき、もうキリがありません。 

 夕刻になって、涼しい風が心地よく、なんとも素晴らしいひと時です。蛍もユラユラと出てきました。

  すっかり暗くなると、みんなでイーパオに向いました。明日はイーパオのフィエスタですから、今夜からご馳走やお酒が用意されているのです。それにフィエスタのときは、いろんな人に会うことも多く、こちらで生活するうえにはかかせない機会です。

  ところが、クリスの親戚の家を2軒訪ねたところで、もう疲れてしまってダウン。さすがに私も往年の元気がなくなってきたようです。それに、明日のフィエスタ本番にそなえて今夜はセーブしなければなりません。明日は、いったい何軒訪問することになるのでしょうか?

  1日のイーパオが終わると、次は3日にラゥイスのフィエスタです。5月はこんな調子で、毎日のようにあちこちでフィエスタが続きます。