サマール日記(ブログ版)

チョイさんのフィリピン・サマール島での滞在記録

サマール日記(ブログ版)についてのご案内

2014年12月31日 | Weblog

 このブログは、私のフィリピン・サマール滞在中の日記と、日本にいるときの関係記事です。

  左下のカテゴリー欄をクリックすると、「JAPSAM」、「ロラズハウス」、「フィリピン各地への旅行」などの項目別に整理されてすぐに見ることができます。

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  なお、「チョイさんの京都・沖縄日記」というブログもあります。
    http://blog.goo.ne.jp/chuy
  



ああ、クリスが死んでしまった!

2014年01月25日 | Weblog

   (左端がクリス。横がつれあいのフランシスと子どたち(1997年の写真))

 昨日、サマールのレイから突然メールが入った。なんと、あのクリスが亡くなったというのだ。あまりのことに言葉もない。

 私が初めてサマールに行ったのは1994年のことだった。リトの家でクリスを紹介され、それからサマール滞在中には特に頻繁に会うようになった。私は1996年から1年半、カルバヨグ市役所の都市計画局の技術顧問として働いたのだが、その時も、彼は毎夕のように私のアパートに来て、一緒に酒を飲んでいた。週末には彼のバイクの後ろに乗せてもらい、ハッピーバレイ等、周辺の辺鄙な村を訪問した思い出も懐かしい。当時はキリスト教関係の環境NGOで働いていたので、私が始めたバイオガス事業にも特に関心を持ってくれ、2004年からJICAの事業を実施した際も、彼に一番世話になった。

 若い頃は、神父への道を志したが、家庭の事情で途中で挫折したという。自然保護などにも造詣の深い優秀な男だったが、時々、酒を飲みすぎることもあって、奥さんを悩ませることもあった。若い頃から深刻な糖尿病に悩んでいたが、とうとう今回、それが命取りになったようだ。心からの冥福を祈りたい。

 それにしても初めてサマールに行ってからもう20年。すでに何人の友人たちが死んでしまったことだろう。

 


台風被害、サマールの状況と支援カンパの送り先

2013年11月15日 | Weblog

今回のフィリピンの台風被害は、時間が経つにつれてますます深刻な状況になってきています。私は、1994年以来、サマールに関わり続けてきましたが、レイテのタクロバンも再三訪れてきました。古い雰囲気の残った、お気に入りの街だっただけに、あの壊滅的な状況を見ると残念でなりません。

 いろんな方々から、サマールの状況や、支援先の問い合わせをいただきました。以下、マニラ新聞のGさんからいただいた情報をもとに、現地の状況といくつかの支援先についてまとめてみます。

 ご協力をよろしくお願いします。

 なお、マニラ新聞が「台風災害特設ページ」を無料公開しています。フィリピンの様子がよく分かるのでご覧ください。

                  (レイテ島、サマール島をつなぐサン・ファーニコ橋)

 

1.サマールの状況について

 私がいた西サマールのカルバヨグやソルソゴンでは、幸い、それほどの被害はありませんでした。学生グループ(JAPSAM)が作ったトレーニングセンターは、台風の避難所として準備されたようですが、その必要もなかったとのことです。

 報道では、レイテのタクロバンの惨状がよく放映されていますが、東サマールのギーワンなどでも死者1000人といわれるほどの壊滅的な被害が出ているようです。カルバヨグには、タクロバンや東サマールから多くの被災者が避難してきており、混乱防止のために夜間外出禁止令が出されています。また、カルバヨグはマニラから陸路レイテに行く際の中継地になるので、救援活動の拠点の一つになっているようです。

 カルバヨグでは、食糧や水なども充分にあり、問題はないとのことですが、やはり台風以来、停電が続いています。サマールの電気は、ほとんどがレイテの地熱発電所から送られているので、当面、電気の復旧のメドはなさそうです。 

 

2.支援先について

  支援活動を行っている3つの団体を紹介します。

支援先①  NPO法人・アイキャン(アジア日本相互支援センター)

 フィリピンで20年近い活動実績をもつNGOです。私も、マニラのパヤタス(ごみの集積地)での活動現場を訪問したことがありますが、信頼できる団体です。今回のレイテの台風被害についても、ミンダナオの活動現場から、いち早くタクロバンにかけつけています。

 フェイスブックで現地での活動状況が分かります。支援金の送金先は、ホームページをごらんください。 

 ホームページフェイスブック

 

支援先②  NPO法人・Action>

 直接、かかわりを持ったことはないのですが、カルバヨグのWESADEFという現地NGOと提携してサマールを中心に活動しているグループなので紹介します。このWESADEFは、私もカルバヨグ滞在中に何度も事務所や活動地を訪問したことがあります。

 支援金の送り先は下記のブログをご覧ください。

 ブログ

 

<支援先③>同志社ハビタット→日本YWCA

 2012年からサマールに来てくれるようになった学生グループJAPSAMは、同志社のハビタットから生まれた団体ですが、今回の台風被害に関して、日本YWCAに協力して支援の呼びかけを始めています。以下、転載します。

*******

同志社ハビタットに関わってこられた皆様へ

ご承知のように11月8日にフィリピンを襲った巨大台風「ヨランダ」により現地では...
甚大な被害が発生しており、多くの人々が餓えをしのぎながらの極めて苦しい状況に
置かれています。

同志社ハビタットの活動を通じてフィリピンと関わられた皆様は、大変心を痛めてお
られると思います。
すでにそれぞれに行動を開始されておられる方も多いと思いますが、我々にできるこ
とを迅速にとの思いで、マーサ先生にも相談し、「フィリピンへのYWCA救援募金」への協力の輪を広げることに取り組むことといたしました。

つきましては、同志社ハビタットに関わられました皆様にこの呼びかけメッセージを
できるだけ広げていただき、協力の輪、支援の輪を広げていただけると大変に心強く存じます。以下、YWCA救援募金の口座です。

<郵便振替> 
口座番号  00170−7−23723
加入者名  公益財団法人日本YWCA
通信欄に  「フィリピン緊急支援」とご記入ください。
集約期限:2014年1月末日
*文末にフィリピンYWCA総幹事からのメッセージを添付しています。

皆さまご多忙と存じますが、ぜひ、ご協力をお願いいたします。
復興の道のりは大変長期に及ぶものと思います。フィリピンの仲間のことを忘れず、
応援を続けたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

西田淳志(2002年卒)
春山慶彦(2004年卒)

---

「フィリピンYWCA総幹事からのメッセージ(2013年11月10日)」
YWCA会員、友人の皆さま

私たちは、巨大台風「ヨランダ」(国際名「ハイヤン」)の甚大な被害に心を痛めて
おります。上陸時の時速190〜195マイルを記録したこの台風は、「上陸した熱帯性暴風雨としては歴史上最大」のもので、11月8日(金)に中央ビサヤ地域を含む幾つかの州に多大な被害をもたらしました。今までで初めて、22の州にシグナル「4」(分類中最大。12時間以内に時速185km以上の熱帯性低気圧が到来)の台風警報が出されました。暴風雨は、レイテ島のタクロバン市、オルモック市などを襲いました。

地域の国家災害リスク軽減・管理センターの報告では、138人が死亡、14人が負傷、4人が行方不明と示されています。36州の229町39都市、1336バランガイ(村/地区)において、合計94万4,697世帯(429万2,636人)が被災しました。7万1,623世帯(33万914人)が1,223箇所の避難所に避難しています。家屋、財産、農地、インフラへの被害は莫大です。

しかしこのような状況にも、フィリピンの精神は力強く立ち上がり、神への大きな信
仰をもってこの困難に立ち向かおうとしています。フィリピンYWCAは、ビサヤ地域のYWCAから情報を取り寄せています。カピス州のロクサス市YWCAからは、多くのYWCA会員の自宅が破壊されたことが報告されています。会員のコラゾン・ティアンゴは、家を失った何人ものYWCA会員の家族を自宅にかくまいましたが、強風により彼女の家の屋根も危うく飛ばされそうになりました。また、若い女性リーダーのリザ・バンデジャスとディレ・アセルヴォから何枚かの写真が寄せられましたが、それは見るにたえないものでした。西ネグロス州のサン・カルロス市では、事務局アシスタントのナネッテ・リベラルが自分のソーシャル・メディアのアカウントに、「同市での被害は小規模」と記載しています。電気も復旧したそうです。

フィリピンYWCAは最近、フィリピンの「3000クラブ」(国際的・地域的チャリティー団体)と提携し日本YWCAからの支援を受けて、地震の被害を受けたボホルおよびセブ州に医療物資・設備を送り、救援活動を行いました。

私たちはこれから、最も深刻な被害を受けたレイテとサハール州に災害救援・医療
チームを派遣している「Operation Blessing」と協働します。Operation Blessing
チームは、支援物資や医療物資を現地に送っています。私たちは、YWCAのコミュニ
ティと友人の皆さまに、もう一度呼びかけたいと思います。支援を必要としている人
たちを助けるため、私たちに力を貸してください。


台風に襲われた、レイテ・サマールの現状について

2013年11月13日 | Weblog

フィリピンを襲った猛烈な台風の被害について、多くの方から現地の様子について問い合わせをいただきました。私も、サマールの友人にメールを送って状況を知ろうとしているのですが、向こうで受信できないのか、まだ返信が来ていません。

 そこで、マニラのゴリさん(マニラ新聞社)に連絡したところ、次のような返信が来ました。私がいたカルバヨグやソルソゴンでは大きな被害はないとのことですが、今でも停電が続き、電話やパソコンも使えないようです。

 以下、ゴリさんからの連絡を転載します。

*********

サマール、レイテ、ボホールなどビサヤ地方の広域で依然停電が続いています。基地局が倒壊しているため、通信網もまひしているところが依然多いです。通信が回復しても、電気がないため、携帯電話やパソコンが使えません。

私もベイビーさんやソルソゴンの人の番号にかけていますが、今日までつながっていません。一部ソルソゴンのFBページで、「とにかく私たちは大丈夫です。強風はひどかったけど、雨の影響もなく、無事です」という投稿がありましたし、ソルソゴンやカルバヨグなど、西サマール州のカトバロガン以北は、大規模な被害は出ていません。死者は出ていないと思われます。

ひどいのは、東サマール州のボロンガン以南です。特に最もレイテ島に近いギウアンは壊滅的な状態です。レイテはタクロバンなど太平洋沿岸側の町が壊滅。オルモックなど西側も甚大な被害が出ています。パナイ、ネグロス、パラワン北部や、地震被害からの復興もまだのボホールでも被害が出ています。

輸送の困難で、救援活動は難航しています。すでに発生から6日たちますが、いまだに救援物資が届いていない地域があります。タクロバンの被災者は、軍用機でマニラに逃げようとする人たちが大行列を作っています。レイテと東サマールの被災地では、食料、水が絶対的に足りず、住民がカトゥバロガンに集まっているとの情報もあります。飢えによる略奪や強奪も相次いでおり、治安も悪化しています。

 

地元英字紙やテレビ曲のニュースサイトには、動画や写真と共に現地の情報が少しづつ伝えられつつあります。こちらでの被害状況を気にされている方は、これらのサイトで台風関連のニュースを注視されることをおすすめします。

英字紙インクワイアラー http://www.inquirer.net

ABS-CBN news http://www.abs-cbnnews.com

取り急ぎ。


フィリピンでの深刻な台風被害について

2013年11月11日 | Weblog
 フィリピンを強烈な台風が襲い、レイテ、サマールに大変な被害がでました。私は、1994年からサマールに通い続け、もう20年近くも現地でNGO活動を続けています。多くの方々から、サマールは大丈夫かとの問い合わせをいただきましたが、マニラ新聞のゴリさんから次のような情報が送られてきましたので転載します。

********

 台風ヨランダ(30号、国際名ハイエン)の暴風雨と高潮により、フィリピンのレイテ島とサマール島の主に太平洋沿岸部一帯が壊滅的な被害を受けました。

 レイテ州タクロバン市は州都であり、東ビサヤ地域の中心地でもあるため報道関係者が多く入っており、タクロバン市の映像がニュースでは大きく報道されていますが、東サマール州ギワン、パナイ島のロハス市やパラワン州北部などでも甚大な被害が出ています。

 沿岸部一帯は、民家や建物がほぼ全滅。暴風雨と高潮ですべて倒壊、流されてしまっている状態です...。現地入りした国連職員は「南インド洋大津波以来、最悪の被害状況」、タクロバン市の高潮を目の当たりにした地元テレビ記者は「まるで東北大震災の津波の映像を見ているよう」と話しています。通信網が依然まひしており、現地に入った弊紙記者とも連絡がほとんど取れない状態です。

 このため、被害の全容把握が難航しており、政府発表では今のところ死者は255人となっていますが、被災地ではいたるところに遺体が放置されている状況で、最終的には死者が1万人を超える可能性も指摘されています。

 空港の閉鎖、道路や橋の寸断に加え、通信網のまひで救援活動も難航しています。
8日の直撃からすでに4日が経過しており、食料や水、衣料、シェルター、薬などが絶対的に不足しているようです。被災地では、被災者らが無人の商業施設などに押し入り、商品を強奪したり、救援物資の奪い合いや、窃盗なども起きています。

※JAPSAM関係者へ
 ソルソゴン、カルバヨグがある西サマール州では人命にかかわるような甚大な被害は出ていないようです。ソルソゴンでも、強風がすごかったようですが、雨や高潮の影響はなく、死亡者などは出ていないと聞いています。

募金や救援物資など、被災地支援ができる団体のサイトは以下の通りです。

フィリピン赤十字
(マニラ港とマンダルーヨンにある事務所では24時間寄付を受け付けています)
http://www.redcross.org.ph/

日本赤十字
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00004047.html

NPO法人、アイキャン
フィリピンでの災害被災地支援などで20年の活動実績があり、信頼できる団体です。
http://www.ican.or.jp/

Philippine Red Cross
www.redcross.org.ph
We are committed to provide quality life-saving services that protect the life and dignity especially of indigent Filipinos in vulnerable situations. Save Lives. Join the Red Cross!

ソルソゴンのナナイさんが亡くなった!

2013年04月02日 | Weblog
 
                (左:ソルソゴンの前村長・ナナイさん。右:ベイビーさん)
 
 
 4月1日(月)、フィリピンのMさんからメールが入った。ソルソゴンの前村長・ナナイさんがとうとう亡くなったというのだ。あまりのことに、もう言葉もない。
 
 昨年、お伺いした時は、もう顔の半分にまで腫瘍が広がり、本当に辛そうだったが、いつものように精いっぱいの笑顔で迎えてくれた。私が初めてサマールに行ったのは1994年のことだったが、ナナイさんとは1998年頃に知り合った。その頃は、ソルソゴンという村の村長さんだった。地主さんで、もちろんお金持ちなのだが、質素な茅葺きの家に住み、実に気さくな人だった。私は、いつもナナイさんのお宅にお世話になっていたが、まるで、田舎の優しいお祖母さんの家に帰ったような安らぎを覚えるところだった。
 
 2002年から、毎年、春、秋の2回、関西の学生グループがサマールにワークキャンプに来てくれるようになった。ナナイさんは、いつも、自宅に学生たちを泊め、村長として、学生たちの活動を全面的にサポートしていただいた。決して治安のいい地域とは言えなかったが、昨年まで10年以上、学生たちが無事故で活動を続けることができたのは、やはりナナイさんのおかげだ。
 
 また、2004年から、私は、サマールのトイレのないスラム地区の環境を改善しようと、公衆トイレを設置し、バイオガスを発生させて地域のお母さんたちの燃料とする事業を始めた。このバイオガストイレ事業も、ナナイさんのご尽力なくしては成功できなかったことはいうまでもない。
 
  ああ、ナナイさんが亡くなった。残念でならない。
 
 
*********
 
 今朝、サマールのベイビーから、ナナイさんの死を知らせるメールが来たので、下に転載する。             
 
 
Dear Chuy San,
 
Happy Easter!
Nay Yaning had passed away to eternal peace yesterday morning at around 11:00AM.
 
Sorry for telling another sad news... but knowing who you are in our life... we must tell you.
 
You know how Nanay was so thankful and happy knowing you and making good with you as "our" family and extending your heart and hands to us. In many occasions of my visit and serving her, she would tell me, "Kumusta daw la si Tsuy?" (How is Tsuy now doing?), I miss him... he is a good man, isn't he?

the resent visit of Yuma and Yuya San was a perfect gesture of your (Japsam, KSFA and friends there) love for her. One of her happiest moment during those times of waiting..... to leave this world and a hope of resurrection. Salamat gud Chuy San!

No schedule yet of her burial. You will get posted.

Regards to all!

In awe and gratitude,
babie san

JAPSAMのOB会、懐かしい顔が集まった!

2013年02月25日 | Weblog

 昨日(2月23日)は、フィリピン・サマール島に来てくれていた学生たち(JAPSAM)の年に一度のOB会。出産を控えた女性や、皆、仕事が中堅どころになってきていることもあり、全国から集まるのは大変だが、それでも10数名が集まった。久しぶりの懐かしい連中と、深夜まで話が弾み、楽しかった。

 一番最初の連中が来てくれたのは、2002年3月だから、もう11年も前のことになる。それ以来、毎年、3月、9月の2回、学生らがサマールにワークキャンプに来てくれていた。述べにすれば、100名以上の学生らが参加してくれただろう。私の、サマールとのかかわりは、もう20年近くになるが、これらの学生たちにはどれだけ助けられたことか。

 現役の学生らが困難な状況を抱えているため、JAPSAMが作った現地の子どもたちのための図書館の運営をOB諸君が担当してくれることになった。卒業を控えた学生2人が、今夜からサマールに行き、そのことを伝えてくれる。


のり君、きよさんの結婚式

2012年05月13日 | Weblog

           (N君とKさんの結婚式(於新潟))

 5月12日(土)、新潟に行き、フィリピン・サマールに何度も来てくれていたのり君ときよさんの結婚式に参列した。サマール会の学生どうしが結婚するのは今回が初めてだ。こんなに嬉しいことはない。私も、「新郎新婦恩師」と紹介され、お祝のスピーチをした。

 以前にも書いたが、きよさんの実家は福島県南相馬市。原発から25Kmのところだという。昨年の原発事故の後、この4月まで、きよさんが働いていた京都府下に、家族ぐるみで避難されていた。それだけに、ご家族の方は、きよさんの結婚で、本当にほっとされたことだろう。

 披露宴でのきよさんの最後の挨拶。

 「3.11の事故はありましたが、その後、こうして皆さんに祝福していただていることを、本当に嬉しく思います。----私にも子どもが生まれたら、南相馬の、あの穏やかな海に、みんなで遊びに行けたらどんなにいいだろうと思います。」

 おめでとう! のり君、きよさん!


変わりゆくカルバヨグ

2012年04月20日 | Weblog

          (ほぼ完成した郊外の公設市場)

 今回のサマール行では、カルバヨグ市の変貌ぶりに驚いた。

 街の少し郊外には、公設市場とバスターミナルの工事がほぼ完了していた。この6月にはオープンするという。

 現在、街の中心部にある公設市場は、多くの人々があふれた活気のあるところで、特に、魚や肉売り場等の雑踏は、「これぞアジアの市場だ!」という感じがする楽しいところだ。私は、日本からの客が来たときなど、いつもここに真っ先に案内していたが、皆、大喜びしてくれる。

 それが、郊外に移転してしまう。今の公設市場からは2Km以上離れたところで、まだ、周辺には何もないところだ。街の人々にとって、不便このうえなく、交通費も馬鹿にならない。今の公設市場に店を出している何人かのグループが移設に反対して裁判を起こしているようだが、それ以上の反対運動はないという。

 移転の理由は定かではないが、現在の公設市場が移転した跡地には、全国チェーンの大手ショッピングセンター・ガイサノが来ることが決まっているという。また、マニラの大規模ショッピングモール・ロビンソンも、市の郊外に進出してくるという。

 カルバヨグ市では、今もスラムに住む貧しい人たちが多い。たとえば、私の友人・レイの一家は、マングローブの沼地に杭をうち、その上に作った小屋に住んでいるが、経済的な問題のため、3人の子どもたちは、とうとう高校に行けなくなってしまっている。

 こんな貧しい人たちにとって、きらびやかな大手スーパーの進出は、自らの貧しさを再確認させ、焦燥感をかきたてるものでしかないだろう。         

          (新しいバスターミナル)


ソルソゴンの図書館も順調

2012年04月19日 | Weblog

18日(水)は、ソルソゴンの図書館の様子を見に行った。順調に運営されているようで、ほっとする。

  図書館の横にあるSNPでのfeeding project。ちょうど料理ができて、皆で、「いただきまーす」。

 JAPSAMの学生らがつくったソルソゴンの図書館。

 普段は、水・土・日の週3回の開館だが、夏休みに入った今は、毎日、開いている。もう900冊ほどの本がそろっている。

・10年を迎えた学生グループ・JAPSAMの活動(11.9.17)


ああ、ナナイさんが---

2012年04月18日 | Weblog

       (カライマンのバイオガス施設) (ソルソゴンのバイオガス施設)

 17日(火)は、カライマン、ソルソゴンのバイオガス施設を見にいった。

 ソルソゴンの施設は、2005年、カライマンの施設は、2006年から稼働している。いろんな問題を抱えているが、もう7年にもなるのだから、一応の責任は果たしたというべきだろう。カライマンの施設でのデイケアー活動は夏休みでお休み中だったが、ソルソゴンでは4月~5月も続けているので、ちょうど子どもたちへのおやつ支給(栄養補充)事業の様子を見ることができた。これも京都サマール友好協会の事業の一つだ。

 その後、ソルソゴンの前村長・ナナイさんを訪ねた。話には聞いていたが、会って驚いた。顔の右側が腫瘍で大きく腫れて、右目も引きつってしまっている。皮膚癌のステージ2とのこと。痛みもあるらしい。昨年の8月、80歳の誕生日を祝った後、突然、発症したという。

 ナナイさんは、ソルソゴンの前村長。私がお世話になるようになったのは2000年頃からだが、その後、学生たちのグループのワークキャンプの世話を、本当に親身になってしていただいてきた。大地主で、お金持ちなのだが、今もニッパ椰子の家に住み、質素な暮らしをされている。

 なんとか回復されることを願うばかりだ。

 夕刻、カルバヨグに戻り、ビリアスさんの家に行く。ビリアスさんにも、もう18年も前からお世話になっている。90年代の頃は、ホテルではなく、いつもビリアスさんの家に泊めていただいていた。

 もう80歳を過ぎ、体調が優れないことも多いのだが、この日は元気に私を迎えてくれた。これまでは、ひ孫のアイビーとの2人だけの生活だったが、昨秋、息子のアランが病気のため、家族でサマールに戻ってきたので、ビリアスさんの家も賑やかになっている。

 いつも私が行くと、私の好物のカニやラト(海ぶどう)などを準備してくれるのでありがたい。今回は、友人たちの多くが多くの深刻な問題を抱えており、私も気が晴れなかったが、ビリアスさんの家では、久し振りにほっこりすることができた。


半年ぶりのサマール

2012年04月17日 | Weblog

 4月15日(日)夜、マニラ着。翌16日、午前3時に起き、早朝のフライトでカルバヨグに入った。

 レイは腰が悪くて動けず、ベイビーは入院している長男の付添のため、空港には来られない。ボーイとオポックたちが迎えに来てくれた。昨秋、シーサイドの宿舎を出たので、街中のホテルにチェックイン。シニアシチズンということで2割引きしてくれた。

 少し休んでいるとレイがやってきた。娘のエイシーと一緒に今日の午後からマニラに行くという。経済的な問題でエイシーが学校を続けられなくなったため、マニラの知り合いの家でメイドとして働けないか、相談に行くという。エイシーは頭のいい子だだけに、残念だろう。彼は、難しい問題をいっぱい抱えているが、この間のことを、「申し訳ない、申し訳ない」と謝ってくれた。

 午後、やっとベイビーと会えた。長男のジョリーが入院。今も高熱が続いているという。そして、自宅ではお父さんが体調を崩して寝ている。医者からは、ジョリーはマニラの病院に入院させなければダメだと言われているが、そのためには大変な費用がかかる。あの元気なベイビーも、さすがに疲れ果てているようだ。さらには、ソルソゴンのリスリスの問題、ナナイさんの病気、何故、サマールでは、こんなにしんどい話が続くのだろう。

 オポックのトライシクルでイーパオのラーニングセンターを見にいく。京都サマール友好協会がもう17年も続けている就学前の子どもたちのためのセンターだが、建物が老朽化してどうしようもなくなっていた。そんなときに、福岡のYさんのご支援で、昨年9月に建物を新築することができたのだ。Yさんにはお礼の言葉もない。

 奥が新築なったセンター。前にあった家も立ち退いてくれて、いい空き地ができた。その後、集まった寄付金で、ここを子どもたちのための遊び場として整備する予定だ。

 フィリピンでは4月~5月が夏休み、6月から新学期が始まる。そのため、ラーニングセンターもお休みで、今回は、子どもたちの様子を見ることはできなかったのが残念だ。

・ラーニングセンターの完成式典(2011.9.16)


設置から6年、バイオガス施設は今も順調に稼働

2011年09月20日 | Weblog

   (カライマンのバイオガス施設(2011.9.7撮影))

 サマールの2ケ所(カライマン、ソルソゴン)に開設したバイオガス施設は、設置から6年半が経過したが、今も順調に稼働している。

 公衆トイレ、豚小屋、そしてバイオガスのコンロのある台所だけではなく、ホールでは、地域の子どもたちを集めたデイケアーセンターの活動が定着している。もうこれだけの年月が経ったのだから、ひとまずは「成功」と総括させてもらってもいいだろう。

  

 ただ、養豚事業はやはりなかなか難しく、当初の想定のようにはいっていない。それでも順調にガスは発生し続けている。

 

 バイオガス施設のホールを使った子どもたちのデイケアー活動(左:カライマン、右:ソルソゴン)

 京都サマール友好協会は、これらのデイケアー活動の先生たちの給与や、子どもたちの教材、おやつ代等の援助を続けている。